ビーフホスト・ザ・セカンド「ねえ、あれ見た?」
「見た!めっちゃ格好良い…!」
東京に月が降りる頃。女性達は夜の街を歩きながら囁いていた。皆揃って話すことは同じだ。
私は耳を澄ませる。分かる、分かるよと頷いてそびえ立つ摩天楼を見上げる。
そう、セカンド。待ちに待ったこの日がやってきた。
(ビーフホストに新人が来たーッ!)
ガッツポーズをして飛び上がった。周りの人がこちらを見るが構わず店に入る。
私はみなと。しがないOLだ。日々社畜社畜で疲労困憊、幸せの海に飛び込みたい、癒しを求め、ビーフホストに通って早数年。
常連の女と言えば、この私。右に出るやつは他にいないわ。
鼻を鳴らす。扉を開けようとノブを回したが、同時に押したせいで鼻をぶつけてしまった。
「いたっ」「ごめん、大丈夫!?」誰かが手を伸ばしてくる。
顔を見る。ああ、彼は____
「エビくーんッ!!」
「うわっ!あっ、接触禁止令…」
飛びつこうとしたら盛大にスライディング入店をかました。なんで。感動の再会でしょうが。
「オーナーに言われてたの、忘れてた」
「何よ!忘れなさいよジジイの戯言なんて!」
「わあ、みなとちゃん、口が回るねえ」
「褒めてくれるならハグくらい…」
頬を膨らませて言うと、彼は眉を下げる。まあ仕方ない。じんましんが出るタイプのアレルギーだから。恋というのは酷く苦しいものだ。
エビくん、もとい、白老海。
私が推してるイケメンホスト。正統派で気配り上手、話し上手、波と似た軽やかなスタイルに、眩しい笑顔。
【ビーフネーム・オーシャンボーイ】…という称号で有名だ。
「みなとちゃん。もう噂は聞いてるよね」
「もちろん。新人くんの話なら」
「流石!ベテラン令嬢様は違うね。こっちにおいで、君だけに紹介してあげるから」
「…馬鹿にしてる?まあ、顔が良いから許す」
奥の扉を開く。一斉に照明がついて、瞬きをした。風に運ばれた薔薇が、私をふんわりと包む。
「御令嬢、ビーフホストへようこそ」
私の手を取り、お辞儀をするジェントルマン。顔を上げる。彼には見覚えがある。…確か。
(滝汗の、清潔感のない)と、そこで思い出す。
「テメェ【滝汗ボーイ】じゃねえか!」
「違う!そんな不名誉な称号じゃない!」
「どうどう…」
馬を宥めるように海くんが割って入る。いや私、暴れ馬じゃないんだが。
カルビくん、もとい、瀬肩ローザ。
彼が歩けばそこらに薔薇が溢れる、ギザでプライドが高い男。たまに見せる、繊細かつ純粋な一面で人気を誇るが、私は興味がない。
「【ワンローズ】だよ。そろそろ覚えてくれ」
「はあ、そんな名前もあったっけね」
「お、覚えてよ…」
目を潤ませて私を見る。そんな顔されても。
「ワンちゃんって称号の通り犬っぽいよな」
「そういう意味のワンじゃないぞ、オーシャン」
「違うの?どっちも似たようなものじゃん。それより、新人くん呼んでちょーだいよ」
「それより…」
しょんぼりと体をすぼめる。とぼとぼ歩きながらキッチンへと消えた。少し可哀想だったかな…と思う。
「ワンちゃんも君のこと待ってたんだよ。尻尾振りながら『あの子いつ来るかな?』って」
「そうなんだ」
「可愛いよね!一途な男だからさ。人気なだけあるよ、令嬢の対応も丁寧で…」
意外。ふらふら女子に絡んでそうな野郎が、紳士的で評判が良くて、一途だなんて。
(うーん、想像つかないけど)眉をひそめた。ガタン、と音を立てて、新人が顔を出す。
「あっ、し、新人くん」
全員の顔をじっと眺めて、私は崩れ落ちた。セカンド。正直、話半分だったが…こんなの。
こんなの。
イケメンホールパラダイスじゃないですか。
歓喜に沸いて飛び跳ねる。私はそこで床のジャケットを踏んでしまい、頭から転倒して気を失った。
《飛上円夏said》
「おい、どーすんだよ」
俺はすっ転んだ女を見つめて言った。周りはハラハラと動き回って忙しない。落ち着けよ一人くらい。…いや、冷静なヤツはいるな。
雪塩サーレー、【スノーホワイト】。ソファでくつろぎながらカルピス飲んでるヤツ。
「サーレー、手伝え」
「何で僕が」
「いいから手伝えっての!海なんか『オレのせいで』とか言って落ち込んで部屋に篭もったから使い物になんねえの!」
あ、無視した。ビーフランキングでコイツが俺より上とか信じられない。薄情な男だぞ。女が倒れてるのに気にしないとか、本当にホストなのか。
ローザがキッチンから駆けてくる。手に色々持ってる。
「あの、コレ、持ってきたんだけど、ネギとか冷タオルとか、こんにゃくとか!」
「落ち着け」
「ネギってどのくらいの力で巻くんだっけ。靴紐結ぶくらいだっけ」
「最後のギューってする工程でこの女が苦しむだろうな」
「エーン!!」
全くどいつもこいつも使えない。何でこんな時に藍がいないんだ。あとオーナー。
「あ〜も〜!仕方ねえから俺一人で…」
「一人で…持ち上げ…」
重い。え?嘘。持ち上げられない。
「え、ごめん、皆たすけ」
「ウエーン!!」
「ズズズ」
「オレが…あの子を傷つけた…」
「ホント使えね〜!」
⚪︎
遅れて二人がやってきた。
「ごめん遅れちゃって…」
甘春藍、【スプリング】。癒し系の優しい男子。ふわふわ花を身にまとって、令嬢と話す姿は春の季節そのものだ、というくらい心が浄化される。
俺はコイツと相性がいい。サーレーと喧嘩した時に蓋をしてくれる良いヤツだ。
「いや、俺こそすまん。いきなり呼び出して」
「大丈夫だよ。オーナー、彼女が倒れたみたいで。一緒に運んでもらえますか」
オーナーがメガネをくいと上げて笑った。「大切なお客様だからね。手伝うよ」流石頼れる男である。
「しかしどうしてこんな惨劇に」
「海のせいですね、そこらにジャケット脱ぎ散らかすんで」
「またあの子は…何度もお客様を転ばせておいて、学習しない」
オーナーがため息をついた。俺だってため息つきたいよ。女を持ち上げてベッドに移す。良かった、安堵して息を吐くと、藍が俺を見て呟いた。
「まさかとは思うけど、円夏くん。彼女を抱き上げられなかったなんてことは」
「…」
「円夏くん…」
「何も言うな。違う、体力には自信があったんだ。女の一人ぐらい余裕で持ち上げられて」
「その結果、これなんだから、もう認めてもいいと思うよ」
「あ、藍い…」
目に光がない。藍は時々、俺を憐れんだ目で見てくるが、ガキじゃないんだからやめてほしい。
「ところで、海くんはどこに?」と藍が言う。俺は部屋を指差した。
「アイツは今マイナスモードだから放っておいたほうがいいぜ」
「ううん、きつく叱っておかないと同じことを繰り返すでしょ」
黙っていた方が良かったかもしれないと後悔をした。優しいヤツが怒るってことが、この世で一番恐ろしいことなんだから。
《キュルビス・カボsaid》
私、不満に思うことがあります。
一人だけ忘れられてないですか。影が薄いからって酷くないですか。一応ホストの仲間なんですよ、阿保、馬鹿、おたんこナス。
扉を開けたら女性が倒れていて、皆騒いでいたから声をかけるタイミングがなかった。二人が駆けつけてその場は収まったものの、悲しくすみっこ暮らしする羽目になるとは思わなかった。
「雪塩さん、貴方、私のこと気づいてましたよね」
「さあ。お前、いてもいなくても変わらないし」
「ガーン…!」
口で言うやつはいないだろう。でも私にとってはそれほどショックだったんだ。見た目は誰よりも派手なのに。
隣に座ってお茶を飲む。ちらりとテーブルを見ると空のペットボトルが転がっている。
「えっ。カルピス何杯目ですか!?」
「覚えてない」
「えー!?」
雪塩さんが冷蔵庫からもう一本取り出して開けようとするので、慌ててそれを止める。
「これ以上飲んだら健康に悪いですよ。ホストは体が資本なんですから」
「説教すんの。あまカスかよ」
「あま…カス…?」
甘春さんのことを言っているのか。この人、口が悪いにもほどがある。
「みんな素敵な名前があるんですから、ちゃんと呼んでくださいよ」コップに口をつけた瞬間、それを奪われて落とされた。
「あーッ、私のお茶!」
「店、開ける時間」
「は…?あ、ああ。確かにそろそろですね。でもコップは割る必要ないような」
「うるさい」
「ええ…」
雪塩さんはホールに行ってしまった。誰が掃除すると思ってるんだ、私か、そうか…まずペットボトルの山から処分しないと。どうして不幸ばっかり起こるんだろう。
「泣きたいなあ」
せめてそれぐらいは許してほしい。
《瀬肩ローザsaid》
彼女はまだ寝ている。心配になってこっそり覗きに来たが、やはり目覚めていないようだ。あの時は混乱していたが、病人でもない限りネギを首に巻くことはないとオーナーに言われた。(最近はそうする人がいるかも微妙だが)
それはそうだ。ボクは気が気じゃなかった。
新人が来ると知った時、No.1の地位を脅かされるのでは…そう不安に思うと同時に、令嬢が離れてしまうのではないかと焦りが生まれた。
君も去ってしまうと思った。
「…君が心配で仕方ないんだ」
だから早く目覚めてくれ、と頬に手を添えた。(ずっと待っていたのに…)こんな出会い方はないだろう。
ドン!と足蹴りをするように誰かが入ってきた。驚いて肩が跳ねる。振り向くと飛上円夏、【ホールエンド】がいた。
「気分は落ち着いたか」
「ああ、なんとか。って、ドアの開け方!足で蹴ったらダメでしょ!」
「オカンか。おまえさ、この子と知り合いなんだろ。ずっと楽しみにしてたじゃん」
「き、気づいてたのか?」
「いや分かりやすいって。誰が見ても恋してるって気づく____」
「ダー‼︎」
ホールエンドの口を塞ぐ。もごもごと何か言おうとしているが、ボクはそれを止めなきゃならない。いつバレていた?もしかして、ライバルのオーシャンにもバレているのか?
まさか、あいつは知っていながらボクを嘲笑っていたのか⁉︎
だんだんと押さえる力が強くなる。ホールエンドはバタバタと手足を動かしている。手を退けてそいつに聞く。
「っぷは、オメェ殺す気か!息できねえよ!」
「オーシャンはどこだ!」
「ハァ?今は隣の部屋にいるけど…おい、待て、何する気だ」
「しばきに行く」
「は?」
「しばきに」
「聞こえてるから。じゃなくて、なんで?」
ライバルだから、いや、敵(かたき)だからと言えばいいか。_____やつは俺にとって邪魔者でしかない。俺がシャンパンボトルを運んでいる時だって、変顔をして笑わせてくるし、俺が接客で失敗して叩かれた時もゲラゲラ笑っていやがった。許さない。
彼女がオーシャンを好きなのは、やつの性格を知らないからだ。もっと黒い内側を見せてやれば、俺を見てくれるはずだ。
「おーい、どうした?」
「だから俺は…オーシャンと戦うんだ」
「なあ、お前の脳内だけで完結させるのやめない?」
扉を開いて進む。オーシャンの情けない泣き声がするので、おかしくて吹き出しそうになるが我慢して部屋に入った。
「オーシャン、今日こそはお前に____」熱風が吹く。驚いて目を開けると、オーシャンが叫んだ。
「アッ、た、頼む、助けてくれ!」
「む。なぜ俺がお前なんかを」
「あああ藍さんがッ、殺しにきてるから!お願い、お願い、お願いー!」
「うるさいな…」
オーシャンはスプリングに捕らえられ、バーナーで炙られそうになっている。信じられない光景だ。…が、お前を助ける義理もない。
そもそも、彼女が倒れたのも、お前の脱皮癖が原因だからな。
「シュリンプになっちゃった⭐︎ってか⁉︎ふざけんな、笑えねえよ!ヘルプミーッ、神様ァ」
「大人しくしようね、海くん。これはルールを守れないお子様に躾(しつけ)をしてるんだから…さ」
「今日がオレの命日…⁉︎」
全身震えて動けないといったところか、本気で怒ったスプリングは、接客時の優しい彼とは真逆で手がつけられない。火をつけたら終わり、嘘をつけば撒かれる。
呆れて何も言えない。一回ならまだしも、コイツは常習犯だからな…
「報復にきたけど、その必要はないみたいだ」
「え?なにそれ」
「まあ、なんというか、頑張れ。じゃあ」
「エ!?見捨てんの!?」
「何かしたのか分かんないけどごめんー!仲間だろ助けてくれー!」と声を上げるのを無視し、扉を閉める。
あんなのに巻き込まれたらたまらない。炙りカルビ決定だ。
「……やばいな」
「友達なんだろ、止めてくれないか?」
「ちょっと…無理…」
ホールエンドを怯えさせるなんて、相当なやつだ。
《オーナーsaid》
「おかえりなさい、御令嬢」
そう言うと、彼女達は黄色い歓声を上げる。うん、なかなか順調だ。pcで売上を見ながら頷いた。やはり新人を迎えて正解だったな。
白老とキュルビスが不調で休みだから、回せる人がいないと成り立たない。
「オーナー、ちょっと」新人の雪塩に呼ばれて、席の様子を見ると、白老が酒を飲んでいた。
「えっ、休んでたんじゃ」
「あ〜、オーナー!今日も"メガネ"がイカしてますねぇ!」
「ぼくは"全て"がイカしてるけど、どうしたの」
「アハハ、面白い冗談っスね〜!座布団減らしておきまーす!」
「なんか減点食らったんだけど。何このカオス」
お客様より酔っ払う男がいるか。いたな、ここに…顔に手を当てて息を吐き出した。
「ほらね。酷いでしょ。なんとかしてよ」と雪塩が言った。君も君でキュルビスが休んだ原因なんだけどね。
「誰かコイツを部屋に戻せるやついないの?」
「僕はやらないよ」
「君に言ってないよ、最初から当てにしてないから!それよりキュルビスに謝ってきなさい!」
「なんで?」
「自分で考えろバカ!」
ぜえぜえ息を切らす。前言撤回、飛んだ問題児だ!
「オーナー…海は部屋に戻らないと思います」
「ええ?」
「トラウマが増えてしまったので」
「な…なにそれ?」
飛上が死んだ目で言うので、ぼくは頭を抱えた。新人チームのもう一人がやらかしたか。あの子は大丈夫だと思ったんだけどなあ!
「分かったよ。それなら藍くんは?」飛上が首を振って「あっちの女…じゃなくて女性客の相手をしてますけど、よく平気な顔して営業できますよね」と言った。
「君たちって友達だよね?二人で応募してたよね?」
「いやあ、過激な友達で大変ですよね」
「なぜ他人事のように…」
「ってことなんで、藍は通常通り動けます。まあ、後で俺から注意しますよ。ところでローザが見当たらないんですけど、見ました?」
「ううん、見てないけど?」
彼女の部屋に行ったというのは聞いたが、それから姿を見ていないのか。一緒にいたはずでは。
「雪塩くん…っていない!あーもう!」
「自由すぎてめっちゃイライラするわ」
「こう言う時こそ平常心を保つんだ、飛上」
「分かってますよ。あ、呼ばれたんで行きますね」
女性に呼ばれて飛上がホールに戻った。君はお客様を女と呼ぶクセを直した方がいいぞ。
…まったく、散々だ。経営は上手くいっていると勘違いしていた、これじゃあ全てが水の泡だ!
ぼくはホール全体を回って二人を探しに走った。
《雪塩said》
大学の同級生だったキュルビスが、僕にこんなチラシを見せてきた。…ビーフホスト。
どうしてこんな物を見せてくるのと聞けば、貴方は綺麗だから、きっと人気者になれるよと自信満々に話した。
だから、ちょっとだけ面白そうと思ったんだ。ここに応募したのも、ひょんなことだった。
なのに。
「キュルビス」
「へっ?なんですか…?」
「ずっと思ってたけど、僕が話しかけるたびに怯えるの、何」
「え。だ、だって、怒ってるのかなって思って…思いまして」
「敬語も別にいらないから」
「すみません!」
最初に会った時はこんなつまんないヤツじゃなかった。もっと好奇心旺盛で僕を連れ回すような、真っ直ぐな人だったのに…あれは"別人"だったのかな。
黙っていると気迫があるのか、そいつは逃げてしまった。
あの時のお前じゃないなら、僕はここにいる意味ないんだけど。
⚪︎
「またゴミを増やして…注意したよね、おれ」
「あまカス、邪魔だからどいて」
「その呼び方もやめろって言ったよね?」
面倒なのに捕まった。面白い女の様子を見に行こうとしたらコレだ。コイツは口うるさいから関わりたくない。
「脱皮ホストがホールで酔って暴れてたけど」と言えばコイツは向こうへ走って行った。
「やっと消えた…」中に入ると、キュルビスがいた。振り向いてびくりと肩を揺らす。
「…なんでいんの」
「すみません!様子を見たら帰るつもりだったんです!」
「責めてないから謝らないで。僕が悪いみたいじゃん」
「はい。すみませ、あっ」
「…」
謝るのはクセなのか。変なクセだな。
倒れた女の顔を覗き込む。騒がしいのが店にいるなと思えば、脱皮事件が起こったからカルピスを吹き出してしまった。僕のカルピスを返して欲しい。
(不思議なヤツ)テンションが高くてうるさくて嫌いなタイプ。だけどつまらなくない。
「お前、何しにきたの」
「へ?私は…瀬肩さんが、この人を心配してたから気になって」
「伝書鳩ってこと?」
「そうじゃなくて。個人的に気になったから…です」
「ふうん」
静まり返る。特に話すこともないので、こんな空気になるのも当然だが、何でもいいから話題を振ってきてほしい。キュルビスがおどおどしてこちらに近づいた。
「何?」
「いえ、その…私達って、どこかで会ったことありますか…?」
「!」
「違ったらすみません!」と頭を下げた。…人違いではないのか。でも、あの日のキュルビスの性格ではない…一体どういう事だろう。まったく別の人が"乗り移っている"かのような___
…乗り移っている?
「会ったことはあるよ」
「え!やっぱり…雪塩さんと似た人と話した記憶があって、でも断片的にしか思い出せないんです」
「記憶、断片的」
「そう。おかしいですよね、私、病気なんでしょうか」
これは、あれだろうか。心の中に誰かがいる【二重人格】ってやつじゃないか?
そうだとしたら腑に落ちる。こんな臆病なヤツが、友達のいない僕を誘うわけないから。
「…病気かもね」
「ええー⁉︎そんなあ」
「嫌なの?」
「モヤモヤするんですよ。霧が晴れなくて」
「じゃあ、聞いてみる?」
「そうですね……え?」
お前の心の中の誰かに。
「やめてください!」
胸ぐらを掴んで、カボチャを食わせようとした結果、取っ組み合いになった。腹を蹴って黙らせると、キュルビスは涙目で僕を睨んだ。
「私のことが嫌いなんですか」
「興味ない」
「ならどうして嫌なことばかりするんですか!」
「はあ?」
殴られた。速くて追いつかなかった。目を見開いて固まっていると、何かを呟きながら首を絞めてきた。
「私、貴方に憧れて、声をかけたんです」
涙を溢して僕を見る。
「貴方みたいに強くて綺麗だったら、誰にも嫌われずに、愛してもらえるでしょ」
「ゴホッ、何、言ってんの…」
「だから声をかけたんだ。貴方に、貴方そのものになりたかった。ねえ、【スノーホワイト】」
さらに強く締めてくる。苦しい。(その名前、あんまり好きじゃない…)というかコイツ、なんなの。僕のことをそんな風に思ってたわけ。無口で大人しくて顔が良いから近づいてきたの?
そんなの…アイツらと同じってことじゃん。
「が、ぐっ、ァ」
最悪。息ができない。死ぬ。なあ、やめろ…やめろってば!
「新人…くん?」
力が緩められる。必死に空気を吸い込んでむせた。女を見て、キュルビスは顔を青ざめる。
「違うんです…誤解で…私は、雪塩さんの首を締めるなんて、そんな」
「どうしたの、何かあったの?」
「ああ、またやってしまった、あ、あああ、ああ」
様子がおかしい。息を整えて彼に近づく。手を伸ばしたが、叩いて拒否された。仕方ないので女の隣に座る。
「僕がコイツの苦手なカボチャを食わせようとしたら、怒って首を締めてきて、パニックになったみたい」
「…バカなんですか?」
「うるさい。そんなに嫌がるとは思ってなかったし」
実際はもう一人の彼に会いたくて、ワザとやったんだけど。
「謝ってください」
「なんで」
「今のは貴方が悪いです。されて嫌なことを平気でする人が、ホストになんかなれない」
女が真剣な顔で見つめてくる。ホストになれない?僕が?この店では二番目に人気だし、事件も起こさずに、普通にノルマをこなしてきた。
キュルビスには迷惑をかけてきたけど、それは、コイツが勝手に世話を焼いてくるだけ…
「…はあ。だんまりですか。友達少なそうですね」
「は?」
「あ、ごめんなさい。つい本音が…じゃなくて、恵まれてるんだな〜って」
「つまり、僕が今まで、甘やかされて生きてきたって言いたいの」
「んー、まあそういうことです」
コイツ、ナチュラルに貶したな。ムカつく。女がキュルビスの背中を撫でて落ち着かせる。俯きながら、ふらりと揺れて、立ち上がった。
「君、大丈夫…」
「サーレー、久しぶり!」
「えっ」
真っ先に飛び込んで、僕の手を掴んできた。驚いて声が出せない。「元気そうだね。良かった。臆病者ばかり外にでるからさァ、退屈だったんだよ」と笑う。
「待ってください、友達なんですか?」
「同級生、大学の」
「え、一緒に応募して?」
「コイツが誘ってきた。面白そうだからついてきただけ」
女は混乱して頭を抱えた。同級生を殴って首を絞めるのはやばくないか?と問われたが、まあ、普通ならあり得ないだろう。
僕がカボを呼びたかったから煽ったんだ。…こんな上手くいくとは思わなかった。
「ここがビーフホストかあ。ねえ、サーレー。君は何番目に人気なの」
「二番目」
「え?どうして?」
「どうしてって言われても。瀬肩がトップで、この店の古株なんだから仕方ないじゃん。あんなの追い越せないよ」
「そっか。勿体無いな〜…」
髪の毛をくるりと回して考え事を始めた。こっちのカボは何を考えているのか分からない。
「私なら、キミのこと…」目を細めた時、誰かが突撃してきた。その勢いでドアが壊れる。
「何事ですか。え、ドア壊れて」
「凄い音がしたけど大丈夫か⁉︎」
「むしろオーナー側から凄い音がしたけどね」
「あっ、ドア壊れてる‼︎」
今更気づいたオーナーはショックでメガネを落とした。目がのび太みたいになる。面白くて笑った。
「ちょっと笑ってないで早く営業しなさいよ」メガネを掛け直して言う。
「キュルビスも元気そうだし、いけるよね?」
「はい、もちろん」
「ハァ〜、良かった。あ、これ以上、問題起こさないでよ。困るのはぼくだからね!」
「はいはい」
「はいは一回!」
オーナーは二人に説教したあと、女の体調を気遣って「しばらくきつかったら、この部屋にいて構わないよ。空き部屋だから自由にしてて」と微笑んだ。女は疲れた顔をして「ありがとうございます…」と返した。事件現場に遭遇したようなもんだからな。
(確かに甘えていた。独りぼっちだったけど、今まで皆、僕が頼めばやってくれたから)
僕はカボと部屋を出て、ホールに顔を出す。
「カボ、あのさ…」
「せっかく再会できたんだから、可愛いあだ名で呼んでほしいな♪」
「え…」
何それ。嫌なんだけど。それが顔に出ていたのか、カボはにやりと笑って「私ばかりが辛い思いをするのはフェアじゃないでしょう?」と言った。
ああ、思い出した。やっぱりコイツ嫌いかもしれない。
されたことは倍で返す男、美味い話で釣って詐欺する男!
「ほら、かぼちって呼んでよ!ねえ、ねえ!」
「かまぼこ」
「え、何それ。ダサ…」
「文句あんの?」
「まあ良いけどさあ、サーちゃんっぽいし」
「今すぐそのあだ名を変えろかまぼこ」
「こわ〜い!」と走って逃げていった。僕も急いで追いかける。本当、面倒で変なヤツ。けど、
面白い男だ。
⚪︎
《甘春藍said》
オーナーが戻ってきた。女性も目覚めたらしい。
海くんと円夏くんは力が抜けたようにソファに倒れ込んだ。二人共すごく焦ってたもんね。でもまだ営業中だから気を抜かないようにね。
「海くん、終わったら土下座しに行って」耳打ちすると首をぶんぶん振った。躾が効いたみたい。
(サーレーくんとキュルビスくんも仲直りした…と)
これで安心して仕事ができる。僕は女性と話しながらお酒を口に含んだ。面倒なことは好きじゃない。できるなら何も言わなくても動いてほしい。
平和が一番なんだよ、おれが世話する必要もなくなるんだから。
「藍くん、ちょっときて」
「ああ。オーナー、お疲れ様です」
呼ばれてスタッフルームに移動する。
「あのね。単刀直入に言うけど、海くんに何かした?」
「何かって、なんですか?」
「分かってるなら誤魔化さないで。うちの大事な子に手を出すのを辞めなさい」
「言い方(笑)…分かりましたよ。もう何もしません。ですが…オーナーの躾もなってませんよね」
「何だって?」
オーナーは目を釣り上げて言う。だってそうじゃない、ルールも守れない先輩を育てたのはオーナーでしょう。後輩が、特に円夏くんがそんな風になったら困る。
「君ねえ…教育係にでもなりたいのかい?」肩を落として言う。
「いえ、別に…ああ、海くんとサーレーくん、二人は特に注意したほうがいいと思います〜」
「君だってやり方が酷いと思うけどね〜」
お互い睨み合って言った。「面倒だな…」と吐き捨てる。この人とは気が合わなさそう、お店のオーナーだけど。
円夏くんがそろ〜っと覗き込んでいるので、手を振った。バレていないと思っているところが面白い。
「ワッ」
「ずっと見てたでしょ。入れば良いのに」
「いやいや空気悪すぎて入れるワケねーだろ」
「まあ確かに」
微笑んで肩に手を置く。彼は苦笑いをする。
「あ、オーナー。さっきお客様から何かパフォーマンスしてくれないかって言われたんですけど…」
「パフォーマンス?」
「はい。新人チームでダンスを披露してほしいって…だから皆集めなきゃなんすけど、ローザだけがいなくて」
ああ、忘れてた。ローザくんを探してるんだったな。お客様が多すぎてそれどころではなかった。ホールへ戻ると、海くんとカボくん()がダンスを踊ってはしゃいでいた。
「君達、何を…」
「あっ!スプリングくん〜!いえーい!」
「はあ?」
あ、しまった。つい心の声が…おれは咳き込んで、二人に聞く。
「ところで、ローザくんは見てない?」
「ワンちゃんなら、みなとちゃんの部屋に行ったよ。心配してるんだって。まあオレもそうなんだけど…」
「お店のこともあるしさ。だからローズくんに看病お願いしてるってわけ」
「カボくん…君は一体どうしたんだ。頭でも打ったのか?性格が…」
「え?やだなあ、私は最初からこんな性格ですよ」
「…」
面倒だからこれ以上深く聞かないことにしよう。さて、ローザくんはみなとちゃんの部屋にいる…と。呼びに行ってもいいけど、二人の時間を作ってあげたほうがいいかな。
「ねえ、円夏くん」
「ん」
「おれ達で、何か面白いパフォーマンスできないかな」
「マジか。いきなり言われても思いつかな…あ」
「なになに?」
円夏くんは袋から何かを取り出して、おれに見せた。これは。
「前にサーレーに着せようとしてた服。嫌がってゴミ箱に捨てられてたけど…綺麗だし、取っといた」
「いいじゃん。使えそう。それで問題はテーマをどうするか」
「んー」
海くんが間に入ってくる。
「それならさ、みなとちゃんもローザも呼んで、皆で歌とダンスやっちゃうのはどうよ!」
「お〜、楽しそうですね!サーちゃんに(無理やり)着せてあげましょう!」
「おい、かぼち…」
サーレーくんがカボくんの胸ぐらを掴む。「こら、やめなさい。すぐ喧嘩するんだから」おれが二人の叩くと、動きを止めた。素直で聞き分けがいい子だ。
「それじゃ!オレ呼んでくる!」
「えっ、待って」
「ん?」
「ほら、ローザくん、あの子が来るの楽しみにしてたでしょ?二人で話したいことがあるんだと思うよ。今ごろ、目を覚ましてるだろうし…だから、ね?」
海くんは少し考え込んで、それから思いついた!と瞳を光らせる。
「それなら、邪魔しないとじゃん!」
「…は?おれの話聞いてた?」
「だってつまんないだろ。みなとちゃんはアイツだけのもんじゃねえし、ローザもあの子のものじゃない。邪魔した方が火がついて、会場も盛り上がる。これは『奪い合いの闘い』だってこと!」
「奪い合いって…君さ」
円夏くんが頷いて「そのほうが面白そうだな」と笑う。円夏くん!?
「じゃあ、そういうことだから!またあとで!」
「え…ええ…?」
こんなんでいいのかな…おれはどうすればいいんだ…?どうすれば正解なんだ…?
「う…うわー!分からねえよ!!」
⚪︎