二度目はない0
赤が雪の上に降る。戦士としては小さすぎる体がまだら模様の銀世界でゆっくり崩れ落ちた。駆け寄って容体を確かめなければならないのに、足は縫い止められたかのように動かない。敵も味方も何か叫んでいるというのに耳は一切を拾わない。
光を失っていく瞳を、ただ茫然と見つめた。
1
タルタリヤと過ごす日々は、深い海に沈められているようだった。
彼は少し歳の離れた幼馴染で、私は生まれた時から面倒を見てもらっていた。大学に進学した今でもそれは変わらず、彼が暮らしているマンションに身を寄せて、朝は起こされて夜は寝かしつけられる。食事も彼が作ったものを口にして、髪もメイクも彼に整えてもらい、彼が選んだ服を着て、どこに行くにも彼が送り迎えをする。一度、このままでは人として堕落しきってしまうからと、甲斐甲斐しく世話を焼き続けるタルタリヤに自立したい旨を伝えてみたことがあるが、蛍は俺なしでは生きていけないだろなんて、目がちっとも笑っていない笑顔で一蹴されてしまった。両親にも相談したものの、タルタリヤのところに居てくれるのが一番安心だと、やはり良い顔はされなかった。
自分で言うのもおかしな話だが、私も年頃の女である。一人暮らしに憧れはあるし、アルバイトをして自力でお金を稼いでみたい。門限に縛られず自由に遊び歩きたい。素敵な男性と出会って、恋をして、素敵な思い出を作ってみたいのに。
「考え事?」
「……いつになったらタルタリヤ離れできるかなって」
「またその話か、いい加減諦めてくれよ」
タルタリヤは風呂上がりで濡れた私の髪へ、大きくて少し冷たい手を差し入れて、梳くように持ち上げながら丁寧にドライヤーの温風を当てていく。顔は見られていないはずなのに、私の意識が浮ついていることはお見通しらしい。思い起こせば、小さな頃から隠し事が成功したことなんて一度もなかった。なんとなく体調が優れない時は言わずとも気付くし、彼の誕生日やバレンタインやクリスマス、果ては特に何もない日にこっそりプレゼントを用意して驚かせようとしても毎回必ずバレてしまう。
ぐるぐると考え込んでいるうちに髪の毛はすっかり乾いたようで、「はい、おしまい」と頭の天辺に手を乗せられた。暖かい風と心地よい手付きに撫でられた髪はつやつやと光沢を放っている。きっとタルタリヤが言うように、もう私は彼なしでは髪の毛だって満足に乾かすことができないのだろう。
タルタリヤから離れて生きることを考える度に、なぜ彼はここまで私の面倒を過保護なほどに見ているのかが分からなくなる。
「眠そうだね。寝てもいいよ、ベッドまで運ぶ」
「タルタリヤは、……どうして、そんな、」
「……同じ約束を二度も破られるなんて、誰だって嫌だろう」
眠気でとろけた思考回路では発言の意味がよく理解できない。タルタリヤの過保護っぷりに抵抗こそするが、それでも決まり事を破ったことは一度もない。もちろん約束を守ることは人として当たり前ではあるが、それ以上に破ってはいけないという強い強迫観念に駆られるのだ。だからこそ、無理を通せば実現する自立を今日まで諦めている。
眠らせるために顔半分を覆ってくる手、その指の隙間から見えた青い目は、ここではないどこか遠くを見て揺れていた。
意識が落ちる直前、体が浮く感覚襲われた。宣言通りベッドまで運んでくれるのだろう。まるで外界との関わりを絶たせるような言動でぐずぐずに甘やかす。私のことはなんでも知っているのに自分のことはほとんど何も教えてくれやしない。やはりタルタリヤと過ごす日々は深い海に沈められているようで、少し怖かった。
2
赤が混じった雪の上で、昏い青色が揺れる夢を見た。どうやら私は致命的な怪我を負ったらしく、腹のあたりがひどく痛む。四肢の感覚は痺れていて動かせそうにない。真っ直ぐこちらを射抜く青い瞳、今にも溶け出しそうなそれを、よく知っている気がする。
「ごめんね、公子」
約束は果たせそうにない。
X
穏やかな寝息を立てて眠る蛍を見下ろす。白いシーツに沈んだ小さな体はあの日の光景に似ていて、半ば無意識で薄らと赤く染まった頬に手を伸ばした。自分とは違って柔らかいそれからは睡眠時特有の高い体温が伝わってくる。彼女が生きていることの証明だ。
絶対に倒れるなと、何度も言い聞かせた。
最初は単純に折角出会えた強敵が自分以外の手で倒れるところなんて見なくなくて。関係性が変化してからは失うことが怖くなって。だから死の間際、約束を果たせないと謝った蛍を俺は許すことができなかった。
「今度こそ違えるなよ、“相棒”」