1021年6月 鳥居千万宮一子相伝の奥義。奥義を教えた親と受け継いだ子による最強の合体技、奥義の併せ。
この家の初代当主が生まれる数年前、かつてこの都で五本の指に入るほどの強さと言われた親子が迷宮の親玉に使ったのが最後の記録だ。その後、親子は共に行方不明となり、併せの方法を記した書物だけが残った。程なくして、それがとある討伐隊に渡り、話を盗み聞きしていた麦乃介がその書物を入手したという次第だ。
「なぁ、これええやろ?」
「どこで手に入れたんですか…」
「いっつもここら辺で酔っ払ってるおっちゃんや。」
「あぁ…我々がいつも介抱してる…どうせろくでもない物でしょう。」
要はまたいつもの冗談だと呆れ返るが、麦乃介の表情は真剣だ。
「違うんやって!由緒ある書物なんやって!なんでも、幻の大技っちゅう『奥義の併せ』について書いてあるらしいんや。」
「奥義の併せ…?」
麦乃介は奥義の併せについて大まかに説明した。
「せや。僕、『連弾弓麦乃介』使えるやろ?姫乃も覚えたようやし、これ使えへんかな~って思ってな。」
「でもこれって…まぁまぁ古い文書ですけど…初代当主様も生まれてない時分に書かれたものでしょう。そうしたら、奥義の併せとやらを実践した方々は、今この都にいないのでは…?」
「ふむ…でもここに書いてあるやつを基に、ズバーン!ドッカーン!ってやったらできるんやないか?知らんけど。」
「はぁ…貴方はいつもそうやって…」
麦乃介の無責任さに呆れる要。しかしそろそろ彼の寿命も近い。それに、彼の愛する娘である姫乃との討伐も来月で最後になるだろう。その願いを叶えるべく、要が出した決断は…
「…わかりました。」
「お?ええんか!?」
「貴方の寿命は近いでしょうし、当主として貴方の願いはなるべく聞こうと思って…悔いなく旅立ってほしいですからね。」
「珍しく素直やなぁと思ったら…そっか、僕死ぬもんなぁ。」
「あと…化けて出てきたら困りますし…屋敷を燃やしそうで…」
「あ?何考えとるんか?」
要は思っていることが口からは滅多に出ないが、よりによってこの瞬間口に出してしまった。屋敷諸共要を燃やそうとした麦乃介を、要が茶器と馬刺しを渡すことで止めたのは、また別の話である。
1021年6月、鳥居千万宮。この迷宮の奥地にある洞窟は、梅雨の湿気がこもっている。最奥には、提灯のぼんやりとした灯りに照らされた、真紅の大鳥居がそびえ立っている。意を決して鳥居をくぐった4人を舞台の上で待ち受けているのは、九尾吊りお紺と呼ばれる鬼神だ。一見すると妖艶な美女だが、狐の耳に九本の尻尾を見れば、彼女が人ならざる者であることは容易に分かる。彼女は一行をしばらく見つめると、家族への後悔、幸せそうに暮らす人々への恨みつらみを零す。
「亭主がいて、子供がいて、あたしがいて…みんなでご飯食べて…他人様と同じに泣いたり笑ったりしてさ… 普通でよかったのに…」
悲しむ彼女を見て、哀れみを抱いた姫乃とはるくは近づこうとした。しかし、後ろから肩を掴まれる。二人が振り返ると、そこには真剣な表情の麦乃介がいた。
「姫乃、はるく、分かっとるんか?相手は鬼や。倒すべき敵や。」
その言葉に凄みを感じたのか、二人の脚が震える。それもそのはず、かつて三代目当主が九尾吊りお紺を倒した際、彼も同行していたのだ。この討伐隊の中では、彼だけがあの敵の恐ろしさを知っているのだ。
「ほら、あれがあいつの正体や。」
二人が見上げると、先ほどの美女の面影はどこへやら、狐と相違ない顔をした化け物がそこにいた。品物を見定めるかのように討伐隊を見下ろし、舌なめずりをしている。突然、狐の鳴き声のような咆哮をその化け物が発した。こうなってしまっては、会話も不可能だ。一族に残された道は勝利のみ。戦いの火蓋が切って落とされた。
寸努呼一族の戦いの定石。まずは敵の攻撃に備え、守りを万全にすること。慎重に事を進めていた初代当主からの教えだ。まず始めに、要が結界印と速風の御守を使う。一族がより軽やかに動けるようになり、回避しやすくなるからだ。その隙を突いて、九尾吊りお紺は要に攻撃を仕掛けたが、軽々と回避された。
次に手番をもぎ取ったのは麦乃介。彼の細い目が薄らと開かれる。琥珀の輝きを放つ瞳は、悪戯の計画を考える子供のようにも、覚悟を決めた武士のようにも見える。
「ついに…実行するんですね。」
張り詰めた空気が辺りに満ちる。一族は皆、覚悟を決める。
「ええか?姫乃。僕に着いてくるんや。」
シリアスな調子ながらも不敵な笑みを浮かべ、麦乃介はそう言った。意を決した姫乃は、凛とした声色で返事をした。要とはるくからでも、二人に気が集まっているのが見える。この一族では、今までに誰も実践したことの無い奥義の併せ。幻とも言われた渾身の一撃がついに見られる。…と思われたが、
「ッ…!」
突然咳き込む姫乃。どうやら九尾吊りお紺による毒の術、美津乳を喰らったようだ。それでも奥義の併せを辞める訳にはいかない。毒で蝕まれる体に鞭打ち、彼女は歯を食いしばって耐える。立て直した姫乃は麦乃介と呼吸を合わせ、弓に3本の矢を番える。毒による目眩に襲われるが、それでも敵の急所に視点を定めようと目を据える。
「今や!」
隙を見せた一瞬を狙い、麦乃介が声を上げた。それに続き、三発の矢が撃ち込まれる。そしてもう三発、急所を狙った連撃が放たれた。渾身の力を込めた六つの矢は、全て九尾吊りお紺の体に命中したのだった。矢はお紺の身を穿ち、刺さった箇所からは、まるで憎悪を煮詰めたようなドロドロとした黒い液体が流れ落ちる。程なくして、仰向けに倒れたお紺の体は、地鳴りのような低い音と共に闇の奥深くへと沈んだ。
「やったな!姫乃!」
「やりましたわ!お父様!」
ちょうど同じ瞬間に喜びの声を挙げた親子の笑顔は、薄暗い洞窟の中でもキラキラと光り輝いていた。