Chapter 1【鏡の間】
形式ばった入学式が終わり、ざわざわと人の声が響く講堂には、奇妙な鏡と紳士的でありながら、何処か怪しい雰囲気の学園長。そして、数人の教師が新入生たちに移動の指示出していた。
広く薄暗い室内では、同じ式典服、と呼ばれる行事事で着用する様に指定された金刺繍に学園をモチーフにした紫色の裏地をあしらった黒いローブと長いフィッシュテールスカートのようなデザインのスタンドカラーのシャツチュニック。もちろん、皆同じ出で立ちなので全体が見える場所から生徒たちを見ている教師たちは、ちゃんと彼らを把握出来ているのか、と不思議に思う。
そんな中、すでにグループが出来上がっているのか、ちらほらと集団の中に小さな纏まりがあった。流石はツイステッドワンダーランド全土から、優秀な学生を集めただけはある。
初めましてから意気投合したらしいグループや、元々の知り合いなど、様々なグループが出来上がってきた。
もちろん、ステラのように顔見知りがいない入学生も多い。
ステラは、そんな集まりの中で一際浮いた存在で、彼女から距離を取るものが多かった。
それもそのはず、1%にも満たない“女子”という存在だ。
本年度の入学生の中には女子が数人いるらしい。ひそひそと誰かの話声から得た情報は、巡り巡って注目を浴びる結果になってしまった。他の女生徒を探して、ステラも声をかければいいのだが、如何せん男女関係なく式典服は全員同じデザイン、パンツスタイルだ。
身長や体格でわかるのではないか、と思ったがどうやらそれは甘い考えらしい。先程、ステラはある赤髪が印象的なショートヘアの生徒に声をかけてみた。小柄で線の細い生徒で顔立ちも中性的だった。だが、声を聞くと男性だと言うことが理解出来た。それとなく、世間話を試みたが彼はどうやらとんでもなく真面目な人だったらしく、即会話は終了された。
なんとも居心地が悪い。不安そうな雰囲気の生徒、も判断材料になるのではないか?いや、先程はその先入観で失敗仕掛けたのだ。入学初日から何かやらかすのはな…と、ステラは悩んだ。
ひとりでいるのは慣れている。だが、こんなにも大勢の中、絶妙に自分にも注目が集まっているらしい、という雰囲気は心細い。元々、メンタルが強いステラでこれだ、他の女生徒はもっと心細いのでは?という考えもあって悩んでいた。どうしたものか、と柄にもなく悩んでしまう。
そんな時、ふと“人魚”という単語が耳に入った。
声の方に意識を向けると、“あの3人組”が“珊瑚の海出身の人魚”、手を伸ばせば届きそうで届かない距離で数人のグループになった獣人たちが話していた。
噂話をする彼らの目線を追いかけると、そこには頭一つ分飛び抜けた長身の男子が二人、そして彼らより少しだけ小柄な男子の3人組だった。長身の一人と少し小柄な彼はきちんとフードを被り、もう一人は着崩した襟元はもちろん、フードもかぶらずに、その目が覚めるような鮮やかなエメラルドグリーンの髪を揺らしている。その髪色に見覚えがある。ステラがずっと探している、あの懐かしい記憶の彼とよく似た色をしている。
ステラはその髪色に釘付けになった。
何度も見た、探していた彼らと同じ髪色に髪型。流石に体格や身長は成長とともに変化するものだ、小さかった彼らからは想像し難い。
だが、人魚と噂された彼らから視線を外せず、まだ自分の名前が呼ばれる可能性は低いだろう、とステラは彼らの元へとまっすぐに進んでいく。
気だるるげな少しだけ低い声。それを嗜める柔らかな物言い。そんな二人に意見を求める、意志の強そうな言葉。
三者三様の話声が微かに聞こえる。
もしかしたら、探しているのは、彼らかもしれない。
そんな淡い期待を胸に、ステラは息を吸い込むと意を決して声を掛けた。
「ねぇ、今時間いいかしら?」
生徒たちのざわめきの中に掻き消され無いように、はっきりとした発音の声を投げ掛ける。
最初に振り返ったのは3人組の中でも一番小柄の男。続いて長身の二人も声の方へと目線を落とす。
小柄といえど、ステラより背が高い。横の二人が大きすぎるだけだ、彼らはステラとは頭どころかそれ以上の身長差もある二人。
そんな彼女が彼らと目線を合わせようとすると、目線の先のフードが邪魔をした。
挨拶もなしに声を掛けるその姿に、なんとも不躾な人間だ、と最初に振り返った彼は眉間に皺を寄せる。
シルバーの髪にスカイブルーの瞳。眼鏡が特長的な彼はアズール。警戒するように眉間に皺を寄せて眼下のステラを見下ろした。
警戒の色を見せるアズールに、彼の両脇を固める長身の二人も少し警戒しながら目線を落とした。
一体どんな人間だ?声を聞く限りは、入学前から小耳に挟んだ“今年入学の片手で足りる女生徒の一人”だということは理解出来る。わざわざ自分たちに声をかけてくるとは、こんなにもたくさんの男子生徒がいるのに?とアズールは邪推する。
その容姿を確かめるべく其々に目線を送る。
チラリと式典服から覗く長い金髪。細い指先。自分たちよりも華奢な体付きにアズールよりも低めの身長。
これが陸の“女の子”なのか。3人は観察するようにステラを見つめる。
無言で投げられる視線。目は口ほどに物を言う。明らかに警戒している様子の三人に、ステラは小さく溜息を零した。
「…あたしはステラ。見ての通り女でただの人間よ。危害を加える気はないわ。人を探しているの。ねぇ、貴方たち、人魚なんでしょう?」
鬱陶しそうに眼深く被ったフードに手をかけて、バサりと外すと緩やかなウェーブを描く金髪が揺れる。
その髪を片手で払うと、双子達より頭一つ以上小さなステラは目線を上げた。
ルビーの瞳をチラリと上目に向けると、まずはアズールに目線を向ける。髪の色、瞳の色を確認するとそのままその瞳はジェイドとフロイドへと移動した。
「ええ、僕達は3人とも珊瑚の海出身の人魚ですが…」
「陽光の国によく遊びに来ていた人魚を知らない?双子だったと思うんだけど」
明らかに見た目がそっくりな双子は顔を見合わせると小首を傾げる。
「曖昧ですね」
「陽光の国…」
「俺たちがよく行ってたのってどこだっけ?」
そういえば、何処かの港町によく両親にも内緒で出掛けた記憶がある。場所も曖昧で、それがどこの国がは分からない。幼馴染に近しいアズールにはその話をしたこともある、が余りにも曖昧な内容だった気がする。
ふむ…、と片割れが悩むと、もう一方が“なんかこういう感じだったかも?”と記憶を辿る。
穏やかな人の声、時折見掛けた少女。言葉は通じずともよく歌を歌ったな、と想い出をなぞる。
あの少女の居る国が、どの国なのか、などあまり考えたことは無かった。ただ、海流に乗って遊びに出かけて辿り着い気がそこだっただけだ。
子供ながらの大冒険だったな、などと二人は話す。その脇からアズールが『お前たちの遊び場ですね、懐かしい。どの方角でしたか?』と問いかけるが2人は口を揃えて言う。
「行き着いた先がそこだったので…」
「方角とかわかんねーよ、海流に揺られてたし」
聞かれても困る、という顔をする双子とやれやれ、と肩を竦めるアズールがステラに向き直る。
三人のやり取りを聞いていたステラはそう、と一言呟くと少し目目を伏せた。悲しげに見えるその目線に、三人は何故か悪い事をした、と胸が傷んだ気がした。
「探し人、ですか?」
「えぇ、ちょっと、ね」
「陽光の国かどうかはわかりませんが、僕たちはよく外海に遊びに行って居たので」
「…そう、場所も覚えてないならきっと人違い…人魚違いね」
ありがとう、時間を取らせたわね。
そう言うとステラはフードを被り直すと踵を帰し人の群れの中に消えていく。
その背中を見送る三人の間には、気まずい空気が流れていた。
「なーんか、チョット悪いことした気になる」
「自分のことを知っている人を探しているのなら仕方ありませんよ」
バツが悪そうに呟く間延びした声の主はフロイド、双子の弟で丁寧な言葉遣い、柔らかな声の主はジェイド。左右対称のオッドアイと長めのメッシュヘア。一卵性の双子だと言わなくてもわかるほどの二人は、その彼女の髪色と幼い記憶の中に少女が重なる。
「ふむ……」
「ジェイド?」
「なーに、どしたの?」
「ああ、いえ。少し、懐かしい少女を思い出しまして」
「あー俺も覚えてるよぉ、髪の色似てたねぇ」
「もしかしたら染めているかも知れませんし、同一人物かは分かりませんね」
「高校デビュー的な?」
「フロイド…どこで覚えたんだ…」
人混みに消えた背中を見送りながら、三人はああだこうだと話していた。
全く昔から…とアズールが悪態をついているのを聞き流し、ジェイドとフロイドは消えた彼女の姿を目で追った。
「まぁ。簡単に見つかる分けないわね」
彼らから離れるステラは呟いた。ヒントも手札も少ない、この状況で、はじめましてからお久しぶり、など簡単にいくはずがない。
わかっていたが“人魚たち”という言葉に、淡い期待を抱かなかったわけではない。残念だが、仕方のないことだ。ステラは自分に言い聞かせるともといた場所へと向かった。
鏡の間で現在進行形で進んでいるのは寮決めだ。
本来の学園ならば、入学の時に既に振り分けられているであろうこの行事は、ナイトレイブンカレッジでは少し違う。
生徒一人一人の魂の在り方・魔力を持って所属する寮がきまる。
ハーツラビュル、サバナクロー、オクタヴィネルなど、グレート・セブンと呼ばれるかつての偉大なる魔法使いならった七つの寮がある。
生徒たちは口々に「この寮がいい」だの、「ここは嫌だな」だの呟いていた。
その様子を生徒達の集団から少し距離を置いて傍観していたステラも、この寮がいい、という希望はもちろん持ち合わせていた。
だが、実際自分の希望は所詮希望。
鏡が導く場所に自分の進む道がある、ということは理解していた。
実際、配属された寮で修了過程を修めた卒業生たちは今や立派な魔導師として世のため人のため生きている。
「まぁ、上手くいくことばかりじゃないわよね」
溜息ひとつ。
言葉と共に零すと自身の名前が呼ばれるのを待つ間、特にやることもなく、ふと先程声を掛けた三人組は今何をしているのだろうか、と気になってしまったステラは、その姿をキョロキョロと視線をあちらこちらへと向けて探す。
すると、もう既に名前が呼ばれたのか、三人は和気藹々と仲良さげに話をしている様子だった。少し離れた場所にいるため、内容までは聞こえない、が、あの様子だと、同寮となったのだろう。
幼馴染か何かかしら。
どうしても、あの双子が、三人が気になって仕方のないステラはなんとかその会話内容が聞こえないか、と耳を澄ませてみるが、周りの人の多さとざわめき。到底聞き取ることは不可能だった。
そんな事をしていると、彼らは現寮長らしき人物の元へと向かっていく。
どの寮だったのか、興味津々に彼らを目で追っていた時、ステラの名前が呼ばれたのだった。
ハッと我に帰ると、慌てて鏡の前へと向かう。
学園長や教師達と人違いなどはないか、のやり取りをする。名前と生年月日などのやり取りの中で、ステラの、彼女のファミリーネームに妙に反応する人間がいた。
「イヴェット…あの悪徳金貸のお嬢様、裏口入学かよ…」
チッと大きめの舌打ちをする生徒の存在にも気付かないステラは、導かれるままにその鏡と対峙した。
何処の寮に配属されるのか。不安と期待でステラは息を呑んだ。
祈るように指を絡ませては、ぐっとその手に力を込める。
一瞬の光の後、その不気味そうな鏡の中の仮面が口を開いた。
『汝の魂は…オクタヴィネル』
「えっ」
予想外の名前に、驚きの言葉がステラの唇から漏れる。一瞬間をおいて、顔を上げると学園長に促される鏡の前から新寮生の集まる場所へ手招きされた。
幼い頃から憧れた海の魔女の慈悲の精神に基づいた寮。
人間の王子に恋をした人魚姫に分け与えた彼女の魔法の話は、幼い頃から幾度となく耳にしてきた。
ステラが生まれた国は、人魚との交流も盛んであった。
自然と耳にした御伽噺の魔女は、彼女にとって“英雄”だったのだ。
ナイトレイブンカレッジに入りたかった理由もそれだ。
彼女の様に慈悲深い人間になりたい、自分の魔法を誰かのために使えないか、と願っていた。
そんな“小さな頃からの夢”がひとつ、叶ったのだ。
ドキドキと早く脈鵜打つ鼓動に、喜び高揚した頬。口元を手で隠しながら、自然と溢れる笑みが抑えられない。
そんなステラの学生名簿を学園長が寮長に渡している時、彼らもまたその姿に気づいていた。
「おや、あれは…」
「嗚呼、先程の」
「ん?あ〜ここにいる、ってことは、同じ寮?」
「その様ですね」
気怠そうな態度のフロイドの言葉を肯定したジェイドもじっとステラの方を見つめた。
どうしたものか。確かにぼんやりと覚えている記憶の中の少女と、どうしても彼女が重なってしまう。
ジェイドもフロイドも言葉にできないような、なんともいえない顔をしていた。
彼女があの子かもしれない。いや、そんな簡単に見つかるわけがない。
そんな複雑な心境で、嬉しそうに寮長を見つめる姿を眺めていると、ふとアズールが口を開いた。
「…もしかしたら、お前達の探している…いえ、なんでもありません」
「おやおや、アズールにしては安直な考えではありませんか」
「そうだよ、本当に本人なら俺たち苦労してね〜じゃん」
安直な考えだ。そう一掃するが、二人もどこかそれを期待していた。
だが、まだ確信がない。ジェイドとフロイドは互いの顔を見ると、口角を上げる。
悪巧みを考えているようなその顔を、アズールは今まで何度となく見てきた。
今まさに、この双子は、彼女に対して何か企んでいるのだろう、と理解したところだった。
やれやれ、と溜息を一つ落とした時だった。
ふと、酷く強い視線を感じた。
アズールが顔を上げてその視線の先を探すと、他寮生だと思わしき人物に辿り着く。
もしや自分たちの知り合いか?陸に来たばかりなのに?珊瑚の海出身の誰かかも知れない。
そう思いながらアズールが目を凝らしている時、同じくジェイドとフロイドもアズールの異変に気付き、その視線の先を見ていた。
じっとりとした、絡みつくような鋭い視線は、こちらを見ていた人物も気付いたのだろう。
ハッとして、彼らの方に視線を移すと、すぐさま顔を背けた。三人は頭の上にハテナマークを浮かべる。
「知ってる?」
「いえ」
「僕も知りませんね」
口々に知人の可能性を否定すると、彼が視線を向けていた先に目をやる。そこには、ステラの姿があった。
綺麗な顔立ちのステラに、一目惚れでもしたのだろうか?それにしては、向けていた視線には恋慕の様な感情ではなく、どちらかといえ憎悪に似た感情が強かったような。
「キモチ悪」
「そういえば、彼女の名前はイヴェット、といいましたか」
「はい、確かにそうおっしゃってましたね」
「イヴェット…どこかで聞いたような…」
アズールが、聞き覚えのえる名前に悩んでいると、寮分けも終わったのか、移動の声が掛かる。
思考回転に完全に支配されたアズールの肩をフロイドが叩き、ジェイドが声を掛ける。
行きましょう、その言葉にアズールの思考は一瞬で現実に引き戻された。
何処か気になる、引っ掛かる名前だ。アズールはそう思いながら一旦、考える事を辞めた。