Prolog《色褪せない、例え今日が過ぎたって君に出会えてちょっと後悔してる。
だってこんなに切なさが溢れて脆くさせる。約束しよう。とりあえず、じゃあね》
幼い頃に何度も遊びに来た少し離れた浜辺に、彼女の姿はあった。あの頃にはなかったはずの波消しブロックが浜辺の一部を占拠している。
約十年。月日を物語る。
砂浜に足跡を残し、彼女が口ずさむ歌は波音に掻き消され、泡となって消えていく。
今日は快晴。旅立ちの日。
黒い馬車が、憧れの地への迎えがもうすぐ彼女の元にやってくる。
ーMerry me,'cause I want you to be my life companion.ー
汗ばむ海風がツインテールの金髪を揺らして、視界を少しだけ塞いだ。
乱れる髪もそのままに、港に佇む彼女は両手に抱えたダイヤモンドリリーの花束を、テトラポットに添えると深く瞼を閉じる。
浮かんで来るのは水面に揺れる太陽の光と、人魚の姿。深い海の中でも鮮やかなターコイズと一部だけ黒いメッシュの髪色が瞼の裏に浮かぶ。
彼女の名前はステラ。ステラ・イヴェット。
財界でも名を侍らす金融業界切っての投資・融資業を営むイヴェット家の次女で末娘。
年の離れた兄と姉を持ち、両親兄姉からは大切に育てられてた。
イヴェット家はここ、陽光の国で投資や融資などの金融業を生業にしていた。その昔、まだこの世界が海賊や野蛮な争いをしていた時代に彼女達の先祖が始めた仕事で財を生した。所謂戦争成金、というものだ。
戦争の為に国や個人へ向けた融資をし、その返済金でのし上がったという経歴を持つ。情勢も変わる頃、血腥い金からは脚を洗い、様々な業界への投資はもちろん、個人への金銭の融資をしている。法外な金利を用いたものではなく、法律から逸脱しない程度の物だ。
だが、それは人から恨まれないわけのない家業であった。兄や姉ももちろんながら一番幼いステラは、何度もそんな人間の恨みや妬みに晒された。人の輪から外され、時には危険な目にもあったものだ。
親しい友人もいない彼女は、よく一人浜辺で遊んでいた。海風に揺られながら歌を歌い、本を読んで、浜辺に転がる貝殻を集め歩いた。
一人で過ごす日々も慣れ汗ばむ陽気になった頃、二人の人魚の男の子に出会った。
左右対称に海色のターコイズブルーの髪に黒いメッシュ、オッドアイを持つ、人魚の男の子たち。そっくりの見た目から双子だとステラは直観した。
太陽に照らされた髪は宝石のようにきらきらと輝き、星色と深い燻金融色をした瞳に釘付けになったのだ。
こんなに綺麗なものは見た事がない、純粋に彼等と仲良くなりたくてステラから声を掛けけてみたが、人魚に人間の言葉は通じない。
それでも、ステラ達はよく読んでいた本の中のイラストや写真、落ちている貝殻など様々な物を駆使してコミュニケーションを取っていた。
この頃から、ステラは人外語についての勉強を初めた。その結果、なんとか彼らの名前の一部だけは理解することが出来た。
孤独な日々を共に過ごしたステラに、ある悲劇が起きるまでその時間は続いた。
突然の別れの日には、再会を約束した指切り。さようならは言わなかった。また会えると信じていたからだ。
《色褪せない。例え遠く離れたって、君に出会えてとても幸せでした。
霞がかる、遠ざかるその笑顔、また探すから。約束しよう?とりあえず、じゃあね。》
波に拐われた花束は、水泡を上げながら静かに海の中へと沈んでいく。言葉の羅列に音を当てて、懐かしいその歌を口ずさむと踵を返して、最後の歌詞を並べた唇を静かに紡ぐ。
これは、想い出の懐かしい歌。二人の人魚たちへと繋ぐ音。
「さぁ、行かなくちゃ」
人魚の彼らともう一度会うために。
事件と彼等との別れに、しばらく塞ぎ込んだステラだった。学校にも通わず部屋に籠る日々が続いたが、兄姉の『人魚の子達に会う約束したなら、もっと勉強して人魚語も覚えないと』という言葉に、気を持ち直した。
そうだ、何か目標を持たなくては。では、彼らと再会するためにはどんな手段があるのだろう。どれが有効かを、ステラは必死になって調べた。
そして、ひとつの過程にたどり着く。それは、絵本の中やテレビから流れてくる様々な得意分野で活躍する魔道士になること。
何も魔法とは物理だけでは無い。化学と同じだ。様々なものを掛け合わせて既存のものを作ることも可能だが、新しいものを生み出すことも出来る。
ならば。既にある他の種族に返信が可能になる魔法薬。とんでもなく高額だが、ステラが両親に言えば手に入らない訳では無い。だが、例え彼女に甘い父母でも、それは許してはくれないだろう。ならば努力するしかない。
自分の力でその魔法薬を作り、人魚になれば彼らと再会出来る可能性は大いに上がる。同じ土俵にたってこその人探しというものだ。
そういえば幼少期の夢は、“ナイトレイブンカレッジに入学してオクタヴィネル寮に入ること”だったな、とステラは思い出した。純粋で屈託のない夢だ。
この世界で数多くの偉大な魔導師を世に送り出した寄宿学校。
だが、ナイトレイブンカレッジは原則男子校。正式に入学した女子はいない。そう聞いてはいたが、なんとか入学出来ないものかと考えた。
こういった学校は多額の寄付金で成り立っている所もある。ならば、それなりの額を積めば可能を不可能にすることも可能だ。だがこれは、魔法薬の件と同じく両親が首を縦に振る可能性は皆無。魔力の問題はもちろんだが、まず、男で無ければならない。
いっそこの長い髪を切ってしまえばいいのではないだろうか。卒業後でも髪はいくらでも伸ばせる。そうだ、男装でもなんでも、出来る限りのことをしてみようか。
ステラは奮起した。
情報収集や聞き込みはもちろん、父母の会社の中に卒業生が居ないか調べて話を聞いた。
だが、入学する方法さえ見つけられないまま、もうミドルスクールの卒業も間近に近付いた頃。
ナイトレイブンカレッジに入学することしか頭にないステラは、内外部の学校への進学予定もなかった。元々家業がある、暫くはそちらを手伝ってみようか。社会経験は得るものも多い。
内部の卒業生から話は聞けた。ならば、今度はその横繋がりで情報を手にする可能性は大いにある。カレッジの卒業生ならば、投資先や融資先に何人かいてもおかしくは無い。あわよくば、元人魚の誰かに辿り着くことさえ出来れば、等とステラは考えた。
そんな、今ある手札でどうやってこの状況を更により良いものにしていくか、を悩んでいたステラの目の前に“黒い馬車”が現れた。
何の前触れもなく現れた馬車。一体どこからどうやって、その場所に辿り着いたのかさえ分からない。だが、それが何を意味するのかを彼女は知っていた。
この馬車のことはもちろん、カレッジについて聞いた話がある。
『入学資格のある一定の魔力がある者の前に、黒い馬車が現れる。それは、ナイトレイブンカレッジへの入学許可証である』
自分に魔力があることは知っていた。見様見真似で覚えた風魔法や火魔法を使えた頃がある。余りの迫力に、不用意に魔法は使うものでは無い、と不安になり一人深夜にこっそり魔法の制御の勉強もした。ユニーク魔法だって持っている。
条件だけなら、確かに一人前に揃っていた。だが、これは本当に現実か?もしかしたら、都合のいい夢を見ているのかも知れない。
疑い深いステラは、自分の頬をつねってみた。少し伸びた爪先が刺さり、痛みが走る。
ああ。これは、夢なんかじゃない。改めて実感することができたステラ、その場に座り込んだ。
黒い馬車に驚き、ステラの元へ駆け寄った家族がその場にへたり込んだ彼女に驚き、駆け寄ると、大丈夫?と、声かけたが、返事はない。代わりに頷く彼女の太陽に照らされた金髪が束になって滑り落ちる。
「そ、っか…あたしも…」
ポツリと呟く言葉がざわめきに消える。じっとその馬を見つめるステラは、決意を固めた。