Chapter 3「アズール〜」
「なんですか、鬱陶しい」
「ヒトデちゃん、戻って来ねぇのかな」
「あれから三週間ですね」
「そう思うなら連絡のひとつでも送ってみればいいのでは?」
談話室にアズールと向かい合うように座るフロイドが呟く。ジェイドも心配そうな目をしながら、寮の書類に目を通していた。
ステラが誘拐されて、救出してから三週間が経った。滝壺に落ちたステラは、人魚に戻ったジェイドとフロイドに救出されたおかげもあり、あの犯人グループにつけられた怪我以外は時に命に別状はなかった。
だが、頭を殴られた際に大きな傷を作っていた。ましてやドンキで買っ殴られたのだ、何かあってもおかしくはない。強制的に入院となったステラは一旦、陽光の国に戻っていた。
その後も警察などから事情を聞かれていたステラはなかなか学園に戻ってこなかった。アズールは、件の取引もありステラの両親と連絡を取り合っていたこともあって、彼女の近況は知っていた。プライバシーに関わらない程度には二人にも伝えていたし、ステラにも落ち着いたらいつでも戻ってきたらいい。と話していた。
いつ復帰するのか、などの連絡は今日もなかった。やっと再会出来たのに、とぼやくフロイドを横目に、ジェイドがこればかりは仕方ありませんよ、と宥めている。
その時だった。談話室の扉の開く音がした。その直後、男子ばかりの寮の中、聞きなれないヒールの音が聞こえた。
「ステラ」
「…久しぶりね」
三人が向かい合って座るソファに歩を進めると、連絡なしに戻ってきて、と悪態をつくアズールにステラはごめんなさい、と続ける。そんな、何気ないやり取りの中、ジェイドとフロイドは思い思いの心中でステラを見つめた。
復学はいつから?というアズールの言葉に、週明けには、と続けたステラ。その間に割って入るようにジェイドが割って入った。
「もう、大丈夫なんですか?」
「全快、とは言えないけど一応ね」
「ヒトデちゃん、戻ってきたんだねぇ、よかった〜」
「家族には止められたわ、でもまたさようならは嫌だもの」
ジェイドは、心底その体のことを心配していた。アズールから脳出血もなく、打撲と裂傷で済んだそうだ、と聞いた時は安心した反面、犯人達を半殺しにしようかと双子は話し合っていた。実際、もう既に犯人グループのうち2名は二人から強襲された際に骨折はもちろん、指一本動かすだけでも激痛、という重傷を負っていた。主犯らしい、ステラを滝壺に落とした男はその後、見たこともない悪魔に襲われた、と話していたらしい。その悪魔が何か、誰も知るよしもなかったが。
ジェイドとフロイドから、歓迎とも取れる言葉を投げられたステラは、肩を竦めながら笑った。
ステラを交えた四人は二週間の間の話をしていた。
他寮でこんなことがあった、授業ではこんなことがあった、ノート貸すよ、わからないことがあった聞いてくれ。
楽しげに話を聞くステラは、以前とは比べものにならないほどよく笑っていた。
休みの間の話をひとしきり聞いたステラは、はぁ、と溜息をつくと三人に向き直る。
「小さい頃、今以上に人との付き合い方がわからなくて…そう、家業が遠因だったわ。一人で遊ぶことが多くて、浜辺で貝殻を探してた時に人魚の男の子と出会ったの。言葉は通じないけど、なんか子供って勝手に仲良くなるでしょう?あんな感じで仲良くなって…」
静かに思い出話を始めたステラに、三人は真面目な顔をして黙ってその話に耳を傾けた。
彼女の語る話は、ジェイドもフロイドも覚えのある話だった。深海から貝殻をプレゼントした時、目を輝かせていたのを思い出す。アズールも、この話は知っている。双子から何度も聞かされた話だった。
「そうよ、あの時も、今回みたいに誘拐されて、邪魔だ、って海に落とされたのよ。あの頃のあたしは、まだ泳ぎが得意じゃなくて、服も靴も何もかもが重くて沈むしかなかった」
ぎゅっと握りしめた掌が震える。思い出すとあの時の息苦しさが蘇るようではぁ、と呼吸を整えながらステラは続ける。
「苦しくて、助けてって願ったの。そうしたら、人魚の男の子が助けてくれたのよ。それが…あなた達だったのよね、リーチ兄弟」
ジェイドとフロイドに向き直ると、改めて“ありがとう”とステラは呟いた。そしてアズールの方に顔を向けると、今回一番策を練ってくれたのはあなただと聞いたわ感謝してる、と続ける。
「会いたかった友達に会えたし、二度も命を助けられた、今回は……本当に死んでたかもしれない」
瞳を伏せながら、続ける言葉はしんと静まり返る談話室に木霊する。凶器所持の男には、いくら護身術を習っても力では敵わない、かもしれない。とステラは呟いた。
「本当にありがとう」
感謝の言葉を述べるステラは、入学式からあの事件まで纏っていた冷たく刺々しい雰囲気から、少し穏やかで落ち着いたものになっていた。
事件が彼女を変えたのか、それとも自分達との再会がきっかけか、穏やかな彼女の表情に後者が答えだろう。
誰も言葉を発することがない、しばらくの沈黙の後、ステラがジェイドとフロイドに向き直ると、交互に二人に視線を向けると、笑みを浮かべた。
「それから、ジェイド、フロイド」
「名前…」
初めて、ステラが二人の名前を呼んだ。リーチ兄、弟、それかまとめて兄弟と呼ぶことはあったがファーストネームで呼んだことはなかった。
一つ、距離が縮まった感覚に、二人はじんわりと胸が暖かくなる。
「ねぇ、貴方達二人はあたしの初恋なの。二人とも好きなんて、ずるいかしら」
続く言葉にジェイドとフロイドは目を丸くする。ステラは頬を少し赤らめながら、戸惑いの表情を浮かべた。倫理とは時に無情だ。一人としか結ばれてはいけない、なんていったい誰が言い出したルールなのだろう。今、そのルールに囚われた彼女は、困惑と、自分が外してはならぬ道を進もうとしていることを示唆している。
そんなステラの不安な心中を察したのかどうか、先に口を開いたのはフロイドだった。
「ヒトデちゃんはさ、選べないんでしょ?じゃぁさぁ、俺とジェイドどっちも選べばいーじゃん」
「そうですよ、ステラさん、貴方は僕達にとっても忘れられない初恋です。ずっと貴方を探していました」
「だって、恋人は普通一人でしょう?」
困惑するステラに、ジェイドとフロイドは続ける。それでも、だって、とそれらしいことを口にするステラにそれより大切なのは気持ちじゃないの?と確信を突くフロイドにステラは言葉を詰まらせた。
確かに、どちらかを選ばなくてはいけない、と言うのは一般のルールだ、だが、自分の気持ちに素直になった時、どちらか一方だけ、など考えられなかった。
悩むステラが視線を足下に落とした時だった。傍観者だったアズールがその会話に割って入る。
「一人じゃなきゃダメだ、と言うのは誰が決めたルールでしょう?」
「一夫多妻とかは、人間社会では通用…」
「している国もありますよね?それが一般的でないなら変えて仕舞えばいい」
アズールの言葉に、ステラは固まった。確かに、ある国では一夫多妻制が一般的だ。なんなら探せばまだ他に一妻多夫の国や街もあるに違いない、なんなら同性婚も当たり前に存在することだろう。
アズールの言葉に、狭い視野の中で生きてきた自分が情けなくなったステラは大きく長い溜息を突いて項垂れた。
余りにも大袈裟な溜息に三人が苦笑いを浮かべる。少なからずの自己嫌悪に陥っているステラに向き直るジェイドが、その手を取ると、甲へと口付ける。
「ずっと貴方が好きです、ステラさん。浜辺で初めてお会いした時からずっと」
「ヒトデちゃんの瞳ってルビーとかガーネットみたいだよねぇ、石言葉って知ってる?
ルビーは愛され続けるって意味でぇ、ガーネットは愛する人からの愛を受け入れる、って言うんだってぇ」
ジェイドに手を取られたままのステラの髪をフロイドが撫でる。そして髪を撫でていた大きな手をするりとその頬に滑らせるとステラの瞳を覗き込んだ。
燃える様な赤い瞳を宝石に例え、その意味を述べるフロイドはどこか楽しそうだった。
石言葉くらい知ってるわ、と呟いたステラの言葉に被せるようにその二つの宝石を言葉を述べるフロイドがにんまり微笑んだ。
「俺達の二人の愛を受け入れるのが、ヒトデちゃんの運命」
「…意味わかんない」
精一杯の悪態をついて、視線を外す。赤らんだ頬を隠すようにそっぽを向いたステラの前に二人が跪くと、その手をそれぞれ掴んで立ち上がらせる。
「ステラ、好きだよ。一目惚れだったんだ」
「貴方以外なんて考えられません、ステラさん」
「…あたしもあの日からずっと二人のことが好き……他の人とか考えたこともないの、ねぇ。これから、あたしの人生の道連れになってくれないかしら?」
短くも情熱的な愛の告白に、眉をハの字に下げたステラが笑う。もうこれ以上倫理だなんだと述べたところで、目の前の二人はもちろん、背後に構える切れ者の彼が逃がしてくれる気がしない、そう悟ったステラが微笑んだ。
「最高の愛の告白ですね」
「あたしはずっと、貴方たちだけ」
「あは、俺は、ずぅーっと道連れになってあげる」
「僕もステラさんの人生なら大歓迎ですよ」
物騒極まりない愛が身を結んだ瞬間だった。
三人の後ろで「収まるところに収まって本当に良かったです」と呟くアズールもどことなく嬉しそうな顔をしていた。
幼馴染の恋路を応援していたのだろうか。ステラがどんな返事をするかも、アズールの中では想定済みだったのだろう。でなかれば、即座にあの返答が出てくるとは思えない。ステラは、これは見事にアズールの作戦に載せられたのかも、と思ったが、初恋の二人とのこれからに思いを馳せる。
長い時間、見つかるかもわからない彼らに恋をして、必死に探した甲斐があったものだ。魔力が強かったお陰で学園にも入学が出来たし、彼らとも再会できた。この身体に産んでくれた親に感謝しているステラに、そうでした、と続けるジェイドがにぃ、と悪い笑みを浮かべる。
「ステラさん?人魚は恋が終わると泡になるんですよ」
「そんな一途な人魚の俺たちに“道連れ”のお願いって、わかるよね〜?」
「もう少し言い方を変えてくれてもいいんじゃない?大丈夫よ、泡になんてしないから」
何度も聞いた人魚姫の伝承。慈悲深い海の魔女の契約で恋が身を結ばなかった場合の話。陸の王子様に恋をした美しい人魚姫は、陸のお姫様と結婚する王子様を見届け、その恋が消えると共に泡になって消えました、というお伽話。そのことを彼らは指している。
そんな悲しい人魚に、誰がするもんですか。そう意気込むステラはジェイドとフロイドの手に手を絡めると、絶対に大丈夫よ、と続ける。
ステラからの返事に満足そうに二人は笑うと、“人魚は人間より何倍も寿命が長いんです”と続ける。
「生まれ変わってもまた恋をしましょうね」
「ずっと一緒だかんね?」
笑顔を浮かべるジェイドとフロイドからの言葉に、ステラは目を丸くしたあと眉を少し下げて笑う。
「…ふふ、随分と厄介な相手を好きになったわ。来世もその先も、ずっと貴方たちを見つけるからあたしを見つけて?」
この先、何度人生を巡ってもこの二人から愛され続けるのだろう。
呆れ顔のアズールを尻目にジェイドとフロイドの胸にポス、とステラは飛び込むと二人の身体に抱きついた。
か細い身体を、壊れ物を扱うようにフロイドが抱きしめ、ジェイドも同じようにステラを抱き締める。
もう完全に、三人の世界に入り込んでいるところ。
「おめでとうございます、言いたいですが、ステラさん。二人とお付き合いをするのなら、貴方も僕とも付き合いができますが、よろしいんでしょうか?」
アズールの咳払いと、その言葉にはっと我に帰ったステラが二人の身体に手をついて離れるとばっとアズールの方に向き直る。質問にたいしては「あたしはアズールのことを信用してるし構わないわ」とサラッと返事を返す。
「ジェイドとフロイドは、僕の両腕です」
「いつも一緒にいるものね」
「アズールの考えることは面白いですよ」
「へぇ、それは楽しみ」
「アズールが楽しいことしてくれる間はずっと一緒にいる予定〜」
「じゃぁ、あたしもそうなるかしら。アズール、あたしはなにすればいい?」
「…適応能力が高くて安心しました」
先ほどまでのしおらしさはどこにいったんだ。心の中で悪態をつきながら、ジェイドとフロイドの恋人となれば無碍に扱うと彼らの信用をも崩しかねないな、とアズールは考える。ラウンジを開設するために、取引を持ちかけたこともあったが、彼女の人脈と計算能力に洞察力はこの先取引にも使えるだろう。
「では…」
ステラへ、役割を伝えるアズールに、双子はニヤリと笑みを浮かべる。
「喜んで、拝命するわ」
ステラの二つ返事に満更でもないアズールも笑みを浮かべた。