俺蘭※俺さんは蘭より6~10歳くらい年上のイメージ
俺さん=「彼」で話が進みます
「来週から忙しくなるからしばらく会えない」
彼がそう蘭から聞いたのは食事中、コース料理も終盤に差し掛かったときだった。久しぶりに行きたいとねだられて、二つ返事で了承をした蘭お気に入りのフレンチ。都内の高級ホテルの高層階。
「そう。――いつくらいまで?」
「あー…来月末?」
「大変だねぇ」
「ん」
短く答える蘭がワインを口に運ぶ。心底嫌そうな表情が子どもじみていて少し笑ってしまった。
「睡眠は大丈夫だと思うからちゃんとご飯食べるんだよ」
「おう」
「時間できたらたまにでもいいから連絡して」
「メシ奢ってほしいときにでもするわ」
ふざけたように笑う蘭が、コト、と小さな音を立ててグラスをテーブルに置いた。
その音が合図だったのように蘭の空気が変わり、先程までの子どものような表情が消える。蘭がするりとテーブルの下で自身の足を彼の足に絡ませた。
「なぁ、」
男も女も何人もの人間を魅了して、そして食い尽くしてきた男の顔があった。
「ここの部屋、取ってんだけど」
「――へえ、」と平然を装って答えた彼も一瞬クラリとした。しかしそれに流されないように努める。ここで主導権を握られたらこの後の展開なんぞわかりきっている。
明確な答えをせずに食事を続ける彼に蘭が焦れた様子で言葉を続ける。
「…俺、明日休みで」
「うん」
「××さんもだろ」
「そうだねえ」
蘭の意図に気付かないふりをしてワインに口を付けた。窓から見えるのは都内が一望できるような夜景の大パノラマ。色とりどりの華やかな明かりと輝く星空。ため息が出る程美しいそれを堪能する。
「――どうしてほしい?」
ちらりと横目で蘭を見る。彼の熱の籠った視線が交わって、蘭の喉がゴクリと鳴った。
1秒、2秒、3秒――。
先に音を上げたのは蘭の方だった。
「抱、いて、ほしい…」
蚊の鳴くような小さな声。恥ずかしさから俯いてしまった蘭のきっちりネクタイを締めたスーツから覗くほのかに染まった首元。それ同じようにピアスと付けている耳も赤くなっている。
その場で蘭の小さな口を塞いでしまわなかった自分を、あとになって彼は褒めた。
そこから先はほとんどなし崩しだった。
高級ホテルだけあって馬鹿みたいに広い部屋。その室内の馬鹿みたいに大きなベッド。そこでお互いを求めあって、そのまま眠った。
翌朝、ホテルを後にした二人は彼のマンションに向かった。そこで休みの日をのんびりと過ごし、夕方には「明日から仕事だから帰りたくない」と駄々をこねる蘭をなだめて、彼のマンションから送り出してやった。
来週から忙しくなる、と言った言葉通り、ぱったりと蘭からメッセージが来なくなった。お互いに頻繁にメッセージ送る方ではなかったが、3週間も何の連絡もない蘭にさすがに心配になった彼からメッセージを送る。
“大丈夫? ちゃんと食べてる?”
簡潔に送ったそれに既読が付いたのは2~3時間後。
“食ってる 今日、竜胆を寿司食いに行った”
そのメッセージとともに送られてきたのは明らか高級そうな寿司とカウンターの写真。
“ちゃんと食べているみたいで安心した”
“ガキじゃねえんだから 心配し過ぎ”
それからたまに生存報告代わりに、その日に食べた物の写真やちょっとした愚痴なんかのメッセージを送ってくる蘭に、彼は蘭が既読を付けてやり取りを切るまで律儀に返信をし続けた。
そして蘭の言う「仕事の忙しい時期」のリミットである月末。
深夜、彼がベッドの中でうとうととまどろんでいると、ピコン!とメッセージの通知音が鳴った。眠りに落ちかけていた意識が引き戻される。半分寝ながら通知を見ると蘭からだった。
“おわった”
ただ一言だけの短いメッセージ。寝そうになるのを必死に耐えながら、“お疲れさま”と返したところで彼は完全に目を閉じて眠りの世界に入ってしまう。
“これから行く”と蘭の追加のメッセージに気付いたのは、次の日の朝だった。
「…あ、え?」
翌朝目を覚ました彼が最初に見たものは自分のベッドにもぐりこんで眠っている蘭の姿だった。
着替えもしないスーツのまま。寝苦しくないようにだろう、辛うじてシャツの第二ボタンまでは開けていてベルトも抜いてある。
ちなみに皺になるからと言っていつもハンガーに掛けているジャケットとベストはリビングのソファーの背もたれに掛かっていたのを後で見つけた。
彼が起きて声を上げたことにも気付かず眠り続けている蘭の目の下には濃い隈が刻まれている。睡眠第一の蘭がそれをまともに取れないほどに忙しかったのだろう。
彼がそっと隈を指先で撫でる。それでもピクリとも動かず眠り続けている蘭を抱き締めて彼ももう一度ベッドの中に入って目を閉じた。
(了)