レオナ先輩とデート≪食事≫●17:00ー早めの夕食
「褒美」
「はい?」
「褒美だよ。何が良い」
昼間、自分の女に爪を差し出した。
大事な武器であるそれを切らせたのだ。
正直なところ、他人に爪を切らせるというのは幼少期から嫌悪感しか抱かないものだった。
それをただの草食動物のコイツがあっという間に、そればかりか俺に負の感情を与えないままで終わらせた。
好いた女だからという贔屓目もあるが、それにしても丁寧で素早い作業だったから少なからず驚いた。
ただ、嫌悪の代わりにもっと大変なものを俺に与えてきやがる。それも無意識だからタチが悪い。
そもそも尻尾と耳で手遊びしていた時点で少なからず意識した。
それだというのに突然ネコちゃんだなんだと言いながら俺の脚の間でもぞもぞ動き、俺の腕を脇に挟んで爪を切るっていうその体勢はわざとやってんのかと。
まず腕に乳が当たる。ダイレクトに。
当然爪を切る動きをしているわけだから定期的に振動が伝わる。
必死に爪切りが嫌なフリをして耐えていたが、脚の間の小さい身体が右に移った途端に理性が大幅に削られた。
やっぱりわざとなんじゃないかと疑ったがコイツはさっぱり聞く耳を持ちやしねぇ。
股間を弄られるような鈍い刺激をため息で外に逃がし、やはり乳に当たる腕をもう自分の物とは思わないように神経を爪だけに集中した。
しかしそれも間違いだった。
短く切り揃えられていく自分の爪を見ていて、それに添えられる細く白い指が見えて。
減っていく爪先の長さと反比例するように、今まで押さえ込んでいた劣情が全部引っ張り出されていく感覚がした。
…まだこの指は、隠されたソコを知らずにいる。
俺の部屋にコイツが来る度に、もう良いだろうと、流されてしまえと思ったが、それでもやはり踏みとどまっていた。
男を知らない草食動物が、異世界で、身分も種族も体格も丸切り違う俺を選んだ。それだけで殊勝なことだ。
もちろん好き合った男女間の多少の触れ合いはするが、そこまでだ。
心から安堵して、全ての不安や恐怖するものが無くなったその時に初めてこの手に抱くのだと決めた。
その決心が、揺らぎそうになる。
繊細な女の指は、まるで自分の秘所を暴く指を自分で整えているようにしか見えなかった。
ずっとこのまま自室にいれば欲に飲まれてしまう。脳味噌に警告音が鳴った。
だから「出来た」と告げられた後、下品な思考を無理矢理外に追いやるために「この女は王の命の元働いたまで」と勝手に自分の中で変換して、褒美をくれてやると云ったのだ。
「…そうですねぇ」
「飯か?飯だろ、奢ってやる」
「え、ご飯…?」
「いつも作ってもらっちゃお前の負担が大きいからな。外食でもなんでも好きなものを言え」
我ながら無茶苦茶な言い分だとは思ったが、とにかく部屋に居続けるのは拙い。
なんとか自分から外に出たいと言ってくれないか。
それに飯を毎度用意させるのも悪いと感じてたんだ。ラギーや国の使用人たちにはそんな考えに及んだこともなかったが、彼女となるとどうも感覚が変わるらしい。不思議なもんだ。
お前の今日の働きはもう充分だ、お願いだから遠慮してくれるなよ。
「レオナさんと外食…」
「オゥ、どこにする。どこでも良い」
「じゃあ……モストロラウンジ…」
よりにもよって、という言葉が頭を過ったのはコイツには黙っておこう。
部活の打ち上げなんかでは使うが、確かに2人であそこに行ったことはなかった。
どう足掻いても主要メンバーがちょっかいを掛けてくるだろうことは目に見えているし、そもそもあの空間が夜を彷彿とさせる。
草食動物を迂闊に近付けたくはなかったが、本人が望むなら仕方がない。
「……わかった」
途端、瞳を輝かせてこっちを見上げてくるもんだから調子が狂う。
もう今日はコイツの言いなりにでもなんでもなってやろう。
*
「いらっしゃいま…おや」
開店後すぐのモストロラウンジに足を踏み入れた。
まだ客のいない店内で、濡れたクロスでテーブルを拭いていた食えない方の双子がこちらを振り返って目を瞠る。
「こんにちは、ジェイド先輩」
「これは珍しい。デートですか?」
「はい!」
明らかに面白がっている問いかけに、満面の笑みで馬鹿正直に答えるから早速頭を抱える。
まぁ、本人が嬉しそうなら構いやしない。
「1番奥のソファ席にしてくれ」
「ええ、もちろん。どうぞこちらへ」
店の最奥。他の客が入ってきても簡単に見つからないボックス席を要求して、この店の中で初めて下座に座る。
ここまで誘導してきたウツボが意外そうな空気を醸すが、当然の振る舞いだ。女は常に立て、柔らかいソファに座らせるもんだろう。
…当のコイツは全然気づいていないような無邪気な顔でメニュー表を広げているが。
「先輩、私お魚食べても良いですか?」
「好きにしろ」
「先輩はお肉ですよね、ステーキ?ハンバーグ?あ、やっぱりローストビーフですか?」
「…そうだな、ローストビーフ」
「ソースは?」
「赤ワイン」
「お、大人だぁ」
いちいちリアクションをするこのちまい女は、そもそも進学するまでまともにレストランなんかにも行ったことがなかったようで。
そりゃそうか。一般人でミドルスクール生なんて自分で買い物をするのも遠方まで外出するのもやっとの年頃だ。まして女なら尚更。
こういうシックな場所は慣れないんだろう。見る物1つ1つに興味津々といった様子。
メニューだって聞いたことがないものばかりだと、俺に全部説明を求めてきやがる。
それが面倒だとも思わないんだから俺も相当こいつに惚れ込んでいるのかと自覚せざるを得ないし、何でも教えてやりたいとか、新しい世界は俺の手で見せてやりたいとか。
我ながら末期だ。
「いらっしゃいませ。ようこそ起こしくださいました」
ご注文はお決まりですか、と支配人様自ら水をサーブしオーダーを取りに来た。
分かりやすい媚売り。
それにニコニコと対応する草食動物は、このタコ野郎も肉食の生き物だって分かっているんだろうか。分かっていないんだろうな。
誰にでも愛想が良いのは感心するが、時に身を滅ぼすってことも追々教え込んでやらなきゃいけない。
「ドリンクはいかが致しましょうか」
食事を注文した後に畳み掛けるように追加オーダーをさせようとするのはこいつのお得意と言ったところか。
打ち上げやプライベートなら気にせず酒を頼むところだが、今日はコイツと一緒だ。
酒を飲みたいってんなら止めないが、飲めるかどうかすら俺は知らない。
「私の国では法律で20歳までお酒を飲んじゃいけなくて…」
「随分焦らす法律だな」
「人種的にアルコールが不得意なんですよ」
「…それなら今日は辞めとくか?」
「飲んでみたいです」
「どっちだ」
隣で待機しているアズールが静かに噴き出した。
全く癪に障る、俺達は別に漫才をしてるわけじゃねぇんだ。
「ンッ、…ノンアルコールカクテルもご用意がございますが」
「あ!ありがとうございます。でもせっかくだし…それに私気になるお酒があって」
「ほう、どれだ」
「これです!シェリーってやつ。名前可愛い!」
「は、」
「おや」
無知な娘が直感で選んだそれは、白ワインベースのそれ。
初めて飲むんなら少しキツイかも知れないが、問題はそこではない。
「…レオナさん、お出ししても?」
「……なぜオレに聞く」
「そりゃ貴方…」
コイツがシェリーなんて酒を無意識で選んだのも、その様子をタコ野郎に見届けられてんのも憎たらしい。
一方は当然全く意味がわかっていないし、一方は今後擦るネタが出来たと内心ほくそ笑んでいるだろうことがありありと分かる。
溜息を吐きたくて仕方がないが、正面から向けられる不安定に揺れる瞳を見てしまうとそれも出来ない。
「飲んじゃダメでした…?は、もしかしてお作法とか」
「いや…。…おいアズール、1番甘口で用意しろ」
「はい。かしこまりました」
「チッ」
「んっふふ。レオナさんはどうされます?」
これは間違いなく双子共にも報告に行こうとしている顔だ。
このままヤツらの思い通りにコトが進むのは気に食わねぇ。
どうせなら全員まとめて揶揄い返してやろう。
「テキーラサンライズ」
「……男ですねぇ」
「どうだ、初めてのアルコールの味は」
「………ジュースの方が美味しいです」
「っク、」
必死に大人になろうとして、背伸びをし切れていない姿は全くカワイらしい。
最近は年齢差も立場差も気にしすぎることはなくなったが、偶に見せるこういう幼い顔は恋人というより庇護欲対象としての情が湧く。
「そういえば今朝先輩のお部屋に行く前に、また寮生のみなさんにいっぱい声掛けてもらいました」
「そうか、よかったな」
「『寮長におはよう言っといて』って」
「それを今言うには遅すぎんだろ」
「『今度マジフトの稽古つけてください』とも言ってました」
「あ?誰だめんどくせえ」
「あとあと、この先輩にもらった服も『良かったね』って言ってもらえたのでいいでしょ~って言っておきました」
ほらな。まるで飼い主に構ってほしい犬っころだ。
俺と喋りたくて、褒めてほしくてしょうがねぇって顔で尻尾を振っていやがる。
我ながら最小限の相槌しか返していないが、少しも気にしていないばかりか永遠に話し続ける。よくそんなに話題が見つかるもんだ。
それでも今朝のように無自覚で煽りまくる色気と度胸も持ち合わせているから厄介極まりない。
話が中断されたと思えば呑気に白身魚のムニエルを口いっぱいに頬張っている。
その可愛いアホ面と、苦い酒を恐る恐る飲もうとして伏し目がちになる。
交互に見せる表情の
ギャップがどうにも堪らない。
「レオナ先輩のテキーラって、確か凄く強いお酒ですよね」
「お前にとってはそうかもな」
「飲める気がしない…かっこいい…」
「試してみるか?」
「私今飲める気がしないって言いました!」
「はは」
と、文句を言いつつもグラスを手に取る矛盾に笑いが引かない。
「見た目はオレンジジュースだし」と気合を入れるのは良いが度数はこっちのが遥かに上だ。
うっかり潰す前にいい所で手綱は引いてやらねぇと。
「…こっちの方が美味しい…?」
「まぁお前のはほぼワインだしな」
「何か違うんですか?」
「俺のもまんまテキーラならもっとキツイぜ。シェリーも何かフルーツ系のジュースと混ぜてカクテルにすりゃもっと飲みやすい」
「へぇ~…」
分かってるんだか分かってないんだか微妙なところだが、これ以上説明してもピンと来ないんだろうと踏んで食事を再開する。
これから先時間はたっぷりあるんだから、詳しいことはもう少し慣れてから。
「レオナ先輩いつからお酒飲んでるんですか?」
「さぁな」
「私も詳しくなりたいです」
「そうか」
「何から知って行けばいいですか?」
「…」
「先輩」
「……」
「ご褒美って言ったのに!」
確信犯か、とも取れる問いに頭を抱えたくなった。
粗方食事を終え、いつもの何気ない会話の中で純真に教えを乞うコイビト。
客入りが増えてざわついて来た店内。
それを上回る俺の頭の中の喧騒。
自分だけが繰り広げていた我慢比べを、今日ここで終わらせるか、まだ粘るか。
「…イイコトを教えてやる」
「え!何ですか?」
せっかく意識を逸らそうとして訪れたこの場所で、揺らぐ。
結局好いた女の前じゃ、俺も大人でもなんでもない。
「ここじゃなんだ、俺の部屋に戻るぞ」
ただの1人の餓えた男だ。