Mr.ハートランドに拾われて良い思いをしたことはいくつもあるが、その中でゴーシュが特に気に入っているのが風呂だった。
育成される大人数のデュエリストが効率よく清潔を保つことができる大浴場。浴槽は大きなものが一つきりだが、心地よい温度のお湯に手足を伸ばして浸かることができるなど、昔の暮らしからは考えられないほどの贅沢だ。
ゴーシュがその日風呂に向かったのは、いつもより遅い時間だった。訓練後に恒例となっているドロワとの反省会が長引いたのだ。ベタつく汗を一刻も早く流したかったが、がらんとした脱衣所を見るに、訓練直後の芋洗い状態を避けられたのは僥倖だ。
意気揚々と曇りガラスの扉を開ける。一人だけ先客がいる──血管さえ透けそうなほど肌は白く、その下には最低限の筋肉があるかどうか。髪を下ろしているため普段とまったくの別人に見えたが、その特徴的なカラーリングは所内に一人しかいない。
「よう、カイト……カイトだよな?」
目を眇めて湯気の向こうに声をかけると、一拍置いて盛大な舌打ちが聞こえた。
貸切を邪魔されたのが気に食わなかったのか、それがゴーシュだったからか、おそらく両方だと思うが、カイトは湯の中で立ち上がると返事もせずに浴場を出ようとした。
「ノリが悪いぜ。たまには裸の付き合いといこうじゃねーの」
手早くお湯を被って、カイトを捕まえ湯船に押し戻す。肌があまり温まっていないから彼も来たばかりなのだろう。案の定カイトはおとなしく浸かり直し、湯を波立たせるゴーシュから距離を取った。
全身を包む温かさに疲労が溶けていく。たまらず漏れたため息はカイトにも聞こえたらしく、彼も脱力するように目を閉じた。そうしていると案外幼い顔をしている。
眉間のシワは、いつからあるのか知らないがまだ癖になってはいない。ひょろりと伸びた手足は成長途中といった雰囲気だ。日々暴力的なデュエルマシンに吹き飛ばされるせいか、存外あちこちに小さな傷がある。
「しっかし細っせーな。ちゃんとメシ食ってんのか?」
「無駄に筋肉をつけた貴様と比較するな」
「逞しくて羨ましいって? 嬉しいこと言ってくれるねぇ」
けどまあ、とゴーシュは視線を湯の中に転じた。体格に見合わず立派なものを持っている。
「……それ以上見るなら貴様のものを握り潰す」
冗談抜きの殺気。ゴーシュはパッと首を振り、両手をあげた。
「こりゃおっかねえノリだな。別にけなそうってんじゃない。むしろドロワも満足するだろうって話だ」
「なぜドロワが出てくる?」
「そりゃあ……」
ドロワが他の男とは違う目でお前を見ているからだ。と言ったところで通じないだろう、本気で疑問に思っているこの朴念仁には。通じたところで、力だけをひたすら求め続ける彼が相手にするとは思えない。
けれどもカイトは違うことを考えていたらしい。
「……貴様の方が、ドロワにも他の女に喜ばれるだろう」
それでゴーシュは、カイトが水中にたゆたう、ついさっき握り潰そうとしたものを見ていたことがわかった。こいつも年頃の男だ──にやりと笑う。
「ま、たしかにオレのノリは女が放っておかねえな。けどドロワはないぜ」
「仲が良いと思っていたが」
「そりゃ仲はいいさ、妹みたいなもんだ。だが、だからこそ、兄妹同然のやつにンなノリは抱かねえだろ」
肩を並べ共に立ち、いざとなれば守る対象ではあるが、身内としての愛情以上の欲はない。だから彼女が誰かのものになるなら止めはしない……どんな相手か確認はするし、よほど不適と思えば介入するかもしれないが。
「…………そういうものなのか」
天井から落ちる雫より儚いつぶやきは、運良くゴーシュの耳に届いた。
自身とは異なる意見に驚くような、同時に自身の思いを嗜めるような。らしくない反応に横顔を窺うと、カイトは高い位置にある換気用の小窓を見つめていた。
さきほどまでより頬が色づいて見えるのは、血行がよくなり体温が上がったからだけではあるまい。
ゴーシュは一気に距離を詰めると、可愛げのない同期の肩をぎゅっと抱いた。
「なんかあるノリだな? オレに話してみろよ」
「何もない。黙れ」
「お前にハルト以外にも身内がいるとは知らなかったが、そうかそうか。で、どっちだ? 姉か妹か。その反応じゃあ、もうヤったわけじゃなさそうだな」
「五月蝿い。消えろ」
「なんだ、照れてるノリかぁ?」
ばしゃばしゃと盛大に湯をかけられ、顔を拭った隙に逃げられた。カイトは触れられた箇所を洗うように擦ると、今度こそ出ていくと決めたようで湯の中の段差に足をかける。
逃がすのは構わないが。ゴーシュは浴室に反響するような声で一つだけ補足した。
「さっきのはあくまでオレの一意見だから気にすんな。誰が何かを言おうと、お前と相手が認めりゃいいんだ。カイトと、その誰かさんがな」
カイトは何の反応も見せず、濡れた足音が遠ざかっていく。今度こそ一人になったゴーシュは、両手で掬った湯に顔を浸した。
デュエルには人一倍熱く向き合い、弟への愛情以外の感情を排した男にあんな顔をさせるのはどんな人物なのか。
気の毒なことになるかもしれないドロワへの心配は一時脳から追い出し、ゴーシュはカイトの印象を改めることにした。