透明な水滴。
一つ、二つと浮いたそれは連なって筋となり、観察者の視線から逃れるように垂れて布に潜り込む。
襟の色がさらに濃くなる──いや、乾く間もなく染み続ける汗で、もう色は変わらない。舐めたらきっと、目的地と同じ味がするのだろう。
いつまで経っても着かない目的地と。
「おい……いつ動くんだ、これ」
Ⅳが尋ねる。凌牙の、ハンドルを握る手に力がこもる。
「……っテメーはさっきから、暑いと遅えとそればっかだな!」
「他に言うことないだろ」
「だから余計に腹が立つんだよ! 言い出しっぺはテメエだろうが!」
──海に行こう。
凌牙の期末試験が終わってすぐの週末で、すでに夏期休暇を決め込んでいたⅣからの誘いはしぶしぶながら受け入れられた。
世間が夏休みに入る前なら空いているだろうとの提案だったが、考えることは皆同じらしい。半端な田舎道の渋滞の中、太陽が真上に昇っても目指す海岸が遠い。
「僕は海が恋しいシャーク君に故郷を見せてあげたかっただけなんですけどねぇ」
「足に使っといてよく言うぜ。兄貴にはワガママ言えねえってか?」
「あんな面倒くさいやつと渋滞なんざハマッてみろ、小言は髪の長さの比じゃねえぞ」
瞬きをすると汗が睫毛に溜まる。Ⅳは目に染みる前に手の甲で拭った。
「バイクってもっと涼しいもんじゃないのか?」
「春か秋か、空いてるタイミング。つまり今と真逆だったら涼しいぜ」
「海に着けば違うだろ」
「潮風でベタつくのと照り返しで焼けるのさえ平気ならな」
「げっ。あんまり焼けるとⅢがうるさいんだが……」
「見るからにバカンス帰りのアジアチャンピオンがボロ負けしたら笑ってやる」
「仏頂面で特等席に座ってろ」
長引くアイドリングで、冷却装置が稼働している。声を張り上げないと会話もままならず、身を焦がす陽光と道路から反射する熱に挟まれて干からびそうだ。
車のエンジン音と蝉の大合唱に囲まれて、頭がぼうっとする。一口含んだ水はぬるい。
さきほどの物言いから考えて、凌牙は過去に同じことをやっているのだろう。妹にねだられたのかもしれない。こうなると──炎天下の渋滞に捕まるとわかっていたわけだ。
けれども凌牙はこの状況に文句を言わず、決して同乗者を振り向かない。ただ進行方向を見据えてだらだらと汗を流している。
ヘルメットからはみ出た癖の強い髪は普段より力がないし、襟は絞れそうなほど水分を含んでいる。
Ⅳはもう一度、自分の汗を拭った。
暑い。一体いつ着く。
Dパッドの光量を最大まで上げ、周辺地図を確かめる。海まで直線およそ30キロ。
「……なあ」
「なんだよ」
「諦めねえ?」
「…………あ?」
苛立ちMAX。
久しく聞いていなかったドスの効いた声を無視して、代わりに現在地と新たな目的地を表示したマップを突きつける。少し先の脇道から、5分ほど。涼しいエアコンも汗を流せるシャワーも、休憩可能なベッドもある。
凌牙の怪訝な表情が、少しずつ堪える顔になり、やがて我慢できずに笑いだす。
「ここまで来てか」
「ツーリングは十分楽しんだだろ」
「本当の目的はそっちかよ。ま、海は帰りでもいいしな」
ブン、と滑らかにスロットルを回す。車列はまだ動きそうにないが、細い曲がり角までもう少しの辛抱だ。
前方から吹いた風に、潮の香りが混ざっている気がした。