時間の調整ができ数便早く帰国した、それがたまたま下校時間で、偶然通り道に彼の通う学校があった。
だから顔を見にきてやった。
馴染みのハイヤーに荷物を任せたⅣは、さて、とサングラスの下から校門を眺めた。
教室という小さな箱から解き放たれた生徒たちはこの時間でも賑やかだ。すでに大人に混じって職を持つⅣにはひどく子どもじみて見えるが、Ⅲの日々の報告を聞くに、学ぶにも遊ぶにも良い環境らしい。
凌牙もそんな世界を楽しいと思っているのだろうか。そう考え始めると、平素感じることのない感情を覚える。微笑ましいような、むずがゆいような。
Ⅳは名状しがたい感覚の根源を探るのをやめて、まだ出てこないのかと門の中を見回す。
「……中学校を覗く不審者がいると聞いて来てみれば」
気の強そうな芯のある声は、Ⅳの正面、Ⅲと同じくらいの高さから発せられた。見下ろすと、凌牙と同じ色の制服を身につけた少女が仁王立ちをしている。
顔見知りなどという遠い仲ではない──いまだに炎とともに夢に見ることもある。
「凌牙の」
「あなたまで『妹』と呼んだらぶっ飛ばしますわよ」
少女は笑顔できゅっと拳をつくる。他に誰に呼ばれているのか知らないが、兄を基準にした呼び方は不快らしい。
「あー……神代璃緒」
「フルネーム!」
「……」
「ちなみにあなたの弟さんは、『璃緒さん』って呼んでくださいますわ」
人当たりの良いⅢと一緒にされても困る。閉口したⅣに満足したのか、璃緒は「それで」と話を進めた。
「何のご用で?」
「……Ⅲの迎えだ」
「彼ならお兄さんが帰ってくるからって、すぐに帰りましてよ?」
違うでしょう、と薄笑いの顔に書いてある。最終的な帰宅時間は変わるまいと家族に連絡を入れなかったのが失敗だった。
「正直に言えば、校内に入れない不審者さんに手を貸してさしあげますのに」
璃緒はいよいよ笑みを隠さず、対照的にⅣの頬がひきつってくる。
弟とは行き違いになったと、嘘を吐き通して帰ればいい。嘘は得意だ──自身を隠し取り繕うことも、仕事の一つなのだから。
とはいえ彼ら兄妹ほど、そんな嘘をつくのが馬鹿らしくなる相手はいない。
騙し討ちと対立、和解と共闘といった紆余曲折の末、お互いに強さも弱さもさらけだした。今さらそっぽを向いたところで、何かを隠せるとは思えないし、隠さなくていい関係に自ら望んでなったことが、頭から抜けていた。
Ⅳは観念してサングラスを外した。凌牙でさえ彼女の手のひらで転がされているのだから、男兄弟の中で育った自分が惨敗するのも致し方ないという言い訳は立つ。
「お前の兄貴はまだいるか」
ええ、と璃緒は頷いた。
「でも残念。遊馬たちに捕まっていますわ」
そういえば彼にも連絡をしていなかった。九十九遊馬と一緒ということはデュエルでもしているのだろう。
「そうか。ならいい」
「よくありません。あなたを帰したと知られたら私が怒られる……いえ、凌牙が勝手に機嫌を損ねます」
怒られはするまい、と思ったが訂正の方が早かった。そして一人で機嫌を悪くする凌牙は想像が容易く、妹の洞察と表現に関心してしまう。
「少し待っていてくださいな。声をかけてきます」
デュエル中ならしばらく時間がかかるに違いない。けれども璃緒は得意気に笑う。
「あなたが来ているのに手こずって待たせるほど、凌牙は弱くありませんわ」
「結構な自信だな」
「妹ですから」
璃緒は自分で嫌った呼称を使って会話を終わらせ、踵を返した。
「おい」
「……もう名前を忘れましたの?」
鮮やかな青色の髪を揺らして少女が振り向く。
「本当に不審者がいたなら、女が一人で出てくるなよ」
「あら、お優しい。サングラスにマスクなんて典型的な、明らかに見覚えのある不審者でなければ、先生方にお任せしますわ」
では、と軽く会釈をして、凌牙の妹、神代璃緒は今度こそ校舎に駆けていく。
凌牙が来たら、戦績を聞こう。それからしたたかな妹の相手をしたことを労わせよう。まずはただいまと言うべきか、と気がついたのは、さして経たずに凌牙と対面してからのことだった。