外光に接する窓がないラボでは、時間の経過を感じることは困難だ。
とはいえそれにも限度はあるだろうと、10分前と姿勢がまったく変わらないクリスを見てカイトは思う。
ふいにクリスが手を伸ばす。マグカップを取り、口をつけ、空であることに気がついてそのまま戻す。カイトがこの動作を見るのは今夜で三度目だ。
「クリス」
呼ぶと、クリスはハッと顔を上げた。カイトが席を外していたことにも気づいていなかったようで、差し出された新たなカップを目を丸くして見つめている。
「空だろう、それ」
「ああ……見ていたのか」
気恥ずかしそうに受け取ると、一口すする。それからふっと息を吐いた。
「コーヒーの気分ではなかったか?」
「いや、合っているよ。今夜はもう少し粘りたいから。……ちょっと昔を思い出してね」
聞くかい?と目で問われ、カイトは傍らの椅子を引いた。
「父たちが共に研究していた頃は逆でね。私の父の方が、フェイカーにコーヒーを淹れてやっていた」
ありそうな話だ。というか、カイトは自身の父が人に茶を淹れてやる様子など想像もつかない。
「しかし父も器用な方ではない……家事に関しては殊更だ。味も濃さもかなりムラがあって、一馬さんに教わってようやく一定に淹れられるようになったらしい。フェイカーも気に入るだろうと喜んでいたよ」
「……あんな男相手に過ぎた献身だ」
「それは否定しない。けれども」
クリスは黒く波立つカップを見下ろした。
「どんなにひどい味でも、彼は文句を言わずに飲んでいたなと思ったんだ」
父の気持ちは受け取っていたのだろうね。
懐かしむような目をしてそう呟いたクリスに、カイトは当時の彼の横顔を見た気がした。
「……さて。私は目処がつくまでここにいるが、カイトはもう休みなさい」
「あんたを放っておくと倒れるまでやりそうだからオレもいる」
「キミはまだ万全ではないだろう?」
「そう思うなら、さっさと片付けて寝かせてくれ。今はどこで詰まっている?」
しばしにらみ合ってから、クリスの方が苦笑して引き下がる。コーヒー一杯分譲歩されたようだ。
「ここなんだが」
「これなら、そこを書き換えればいいだろう」
「試してみたがどうにも合致しない」
「式が違う、こっちだ」
「……ああ、なるほど。しかしするとこちらが」
父らも、このように意見を交わして何かを作り上げることがあったのだろうか。友を犠牲にしようなどと思いつくより前の世界では。
湯気の立たなくなったカップを一瞥し、カイトは目の前の問題に意識を集中させることにした。