誕生日なんだぁ~なんて一言伝えたら気のいい奴らがワイワイと自分を囲んで、その日は団子を差し入れてくれたり、じゃあ飲もうぜ!といつもはギャタロウとサシの多い飲みの席がなんとも賑やかになった。
場を盛り上げるのが上手い一番星の、隊士行きつけの蕎麦屋店主の物真似は皆腹を抱えて笑ったし、某はさらさらと花の絵を描いてくれた。
「あら、スズランの花」
「お顔描こうと思ったけど、自分の顔飾る奴いねぇってギャタ兄が。お花ならいい?」
「なんでも嬉しい〜ありがと〜っ」
幼子にするようにスズランは屈み込んだ某を撫で、半紙に描かれた花の絵を懐に入れる。
明日の早朝から仕事の者もいたので宴は早々にお開きとなったが、まだ夜の入り口である。
「スズラン殿。部屋で飲みませんか」
「お、お〜?お部屋行くつもりだったけど、ソーゲンちゃんから飲もうって言うの珍しいね」
「ふふ。祝いの席なので」
恋仲であるソウゲンと、誕生日の夜は一緒に過ごすと兼ねてより約束していたが「飲もう」と言われるのは予想外であった。
連れ立って研究室へ到着すれば、どうぞとソウゲンが襖を開けて招き入れる。ここで何度も情事を交わしているのもあり、踏み入れれば賑やかな屯所から切り離された二人きりの空間が些か擽ったい。
「さて、火を起こしますので座っていらしてください」
「お燗でもつけるの?」
「お燗ではないのですが…。そういえばお酒、先程の席ではあまり召し上がっていませんでしたね」
「そんな事ないよ?」
「そうですか?てっきり、今夜の小生との約束があるので控えていらっしゃるのかと」
「……分かってるなら言わないでよ。ちょっと意地悪だ」
む、と頬杖をつくスズランに手を伸ばし、ソウゲンは苦笑しながら謝る。
「申し訳ない。嬉しかったのです」
「……今夜前後不覚になったら流石に嫌だもの」
「そうですね。これで安心して臨めます」
「のぞ……」
思わず咳込んだスズランを嬉しそうに見て、ソウゲンは棚から何か取り出してくる。
紙包みを開けると、植物を乾燥させたものが入っていた。一見するとよくソウゲンが扱っている煎じ薬のようだが、白い色の丸みは花と分かる。
「それなに?花…?」
「はい。花と、こちらは茶葉です。飲もうと申しましたがお酒ではなく…」
ソウゲンはちょうど熱くなった鉄瓶を火鉢から下ろし、花と茶葉を入れた急須に注ぐ。ふわふわと湯気が遊び、向かい合ったソウゲンの輪郭をぼかす。
長い指が優しく急須の淵を行き来するのを眺めていたら、ふわりと甘い香りが漂った。
「わ、いい香りする」
「そろそろよいかな」
ソウゲンが急須の蓋を開けると、湯の中に白い花が開いていた。
「え?なにこれすごい…!?」
「上手く開きました。一安心なのです」
嬉しそうに笑ったソウゲンが招くので横に座れば、白い花弁を指してこれは浜梨の花です、と教えてくれる。
「浜梨?」
「京都に咲くのは稀ですかね。先日任務で遠出した折に海岸の方で手に入れたのです。乾燥させて形作り、湯を注いで花が開くような細工をしました。あとは茉莉花と緑茶葉とで味を調節しまして」
「へえ〜お花咲いてるみたい。きれい、すごいね」
しきりに感心していると、どうぞと湯呑みに注いで渡してくれる。甘い香りに反してすっきりとした味で、少し肌寒い夜にあって気持ちも落ち着く。
「美味しい。香りが甘いと不思議と甘い気がするよ」
「香りにはさまざまな効能があるのです。気持ちを落ち着けたり、逆に昂らせることも。いまスズラン殿が甘い気がすると仰ったように、味覚を惑わすことも出来る」
解説しながら少量を注意深く飲んでいる猫舌のソウゲンが可愛らしくて、スズランはにまにまとしてしまう。
「今日、誕生日だから用意してくれたの?」
「……はい。何かお渡ししようと考えていたのですが…以前特に欲しいものはないと仰っていたので」
「ここに住んでると事足りてるからねえ」
「慎ましやかですね。なので何か変わったことで楽しめればなと。大したものでなくて申し訳ないのです」
「……そっかあ…」
言うと、スズランは唇をぎゅっと噛んで俯く。手の中で遊ぶ湯呑みの水面が揺れる。そうして静かに静かに言った。
「うれしい」
俯いてしばしそのままだったので、よもや泣いているのかとソウゲンが覗き込む。
「……うん、じんわりしちゃって。生まれた日ってさ、自分では何も覚えていないしめでたい気持ちってそう無いけど…。祝ってもらえて初めて、ここにいることが嬉しくなるね。知らなかったよ」
「生まれていなければお会いできませんから。小生スズラン殿のご両親に深く感謝しております」
「ふふ、顔も知らないけどね」
「貴方を世に授けてくれたのだ、どうあれ小生には恩人のようなもの」
甘えたいと顔に出ているスズランを膝へ招き、額を合わせる。ずっと笑んでいるスズランの口元が素直で可愛らしい。ソウゲン自身は家族の中で育ちそれなりに身内に愛情や愛着はあるが、他人を愛すことはついぞ分からなかった。それがスズランに出会い感情を解かれて、その初めての感覚が新鮮で「これは何だ」と探っているうち、スズランに深い執着を感じるようになった。これが。
「ありがとうございます」
「……なんでソーゲンちゃんがお礼言うの」
「この世に出でて下さって」
「わぁ……」
あまりにまっすぐ、情熱的な台詞にスズランが照れを通り越して眉を下げて笑う。その頬をゆるりとソウゲンが撫で、添えた手のままに口付けをする。
目の端に見えた急須の中に先程より大きく開いた花が覗いて、器用なものだとスズランはよくよく感心してしまう。
ソウゲンが任務で宮津の方に行ったのは二月ほど前。その頃から今日のことを考えていてくれたのかと思うとふわふわと収まらない気持ちが溢れる。うれしいなぁと何度目か噛み締め、目の前のソウゲンに抱きついた。
「花、開ききったね。きれい」
「……海岸近くの生垣にこの浜梨が咲いており、家の住人に頼んで分けていただいたのです。通常浜梨は赤い花を咲かせますが白は珍しく……白い花、と思ったらスズラン殿を思い出しておりました」
咲く花にあなたを思い浮かべたと告げられ、先ほどから怒涛に押し寄せるソウゲンからの口説き文句に息継ぎが危うくなる気すらする。深呼吸をするうち、また唇が塞がれて今度は深くーーソウゲンの長い舌がやわくスズランの口内を探り、もう知らぬ箇所はないほどのスズランの身体、小さめな骨格の口の中をなぞる。
お互いに浜梨の花が香って、愉しくなって息を漏らして笑った。
「……甘く感じます」
「お茶の…お花の香りだね」
「花の香りだけではないでしょう。正に…気持ちが味覚を惑わすと。己で言ってすぐ体験出来るとは感無量」
「……ふふ。そっか」
ぴたりと体を寄せ温度を溶け合わす。この人に気持ちをもらい、添うことただ一つが今ここに在る意味と。何度も手放しそうになったスズランの生きる価値というようなものを、ソウゲンが手放さない限り己も手放せぬ。
君が咲かせてくれた白い花、飲み尽くしてくれるのでしょうと腕を絡めてソウゲンに抱かれる。
甘い香りは花なのかそれとも。混ざり合った息すらも、夜を迎えた部屋に甘く香った。