十二月九日(2024)師走。町行く人はマスク姿が多くなり、バイト先の先輩女性が子供が熱で……と休みを取るのを快くシフト交代して、自分も喉がこそばゆい気がしてうがいをする。
目の端に見えたカレンダーは12/5。あと4日、どうにも風邪を引くわけにはいかないのだとスズランは気を引き締めて給湯室から出た。
「あ〜斎藤くん、ごめんね今日出てもらって。助かるよ」
「あ、いいえ。空いててよかったです」
「やっぱ季節柄体調不良が多いよねー気をつけようね」
「ですねえ」
就職先の決まっている三期生のスズランにとって、大学で募集の出ていた整形外科クリニック補助のバイトは社会経験を培うのにちょうどよく、広い年代と関わる中で生来の愛想の良さから患者ともスタッフともうまくやっていた。
「俺リハ室の器具確認するから、午後診始まる前に予約の変更何件かお願い出来る?メモ置いてあるから……webで変更出来ますよって言うんだけどやっぱりみんな電話してくるよね」
「年配の方が多いですもんね。使いこなすの大変なんですよ」
「まあねえ…」
リーダーの背中を見送りながら、スズランはおじいちゃんおばあちゃんの気持ちわかるわぁとメモを手に取った。なにしろこちとら江戸末期の記憶があるのだ、あの頃墨を擦って筆を取っていたのに比べたら、スマホで病院の予約を管理だアプリだと言われて技術の進化に着いて行けぬ。
スズランとて江戸から現代と一気に記憶が飛んだわけではなく、今まで途中の時代の人生を生きたこともあるが、それにしてもデジタル化目覚ましい平成の世を経験したのは目が回る思いであった。電話が手のひらに収まる大きさなのだって革新的だったものなあ、黒電話の重厚さやダイヤルを回す重さも情緒があったものだが……と思い返しながらキーボードを打つ。
この技術の発展に、興味深い知りたい素晴らしいと目を輝かせ、最先端に携わりたいと常に能動的だったなと「彼」のことを考え始めたら———ポケットのスマホが小さく震えた。
昼休憩時間だし良いだろうと確認すると、今まさに考えていたソウゲンからのメッセージ。
『少し残業になりますので先に帰っていてください』
そのあとには\おつかれさま/と平仮名で書かれたのっぺりしたおにぎりのスタンプだ。おにぎり……とふわふわした心地で笑むと、仕事のPC画面に向き直った。
「お邪魔しまーす」
勝手知ったるオートロックを開けて部屋へ、きれいに片付けられている玄関に靴を揃える。
「用意だけしとこっかな?鍋、鍋〜」
去年一緒に買ったなぁと土鍋を取り出し、野菜を切るだけ切っておく。人のいないリビングは冷えていたから、暖房をつけておこうか考えてソファに座った。ブランケットを引き寄せてスマホで明日の講義時間を確認していると、メッセージ通知が届いた。
『すみません、12/9の午前入れる方いませんか?』
バイトでのグループを開くと、リーダーの名前でのメッセージであった。
『◯さんがご家族入院してしまったそうで…調整中だけど、直近で12/9ご協力お願いします🙇』
そりゃ大変、と思いつつカレンダーと睨めっこする。その日かぁ〜〜ううん…と頭を抱えて一旦返信を保留した。
「ただいま帰りました」
「おかえりー」
あっじゃあ鍋の火付けようねとスズランがキッチンに向かうと、ソウゲンがコートを脱がず目で追ってくるのが分かる。
「どした〜?」
「いえ。着替えてきます」
「はいはい」
ソウゲンが着替えて戻ってくる頃には、テーブルに食器が並べられコンロにかけられた温かい鍋を囲む。
「あんまり遅くならなくてよかったね」
「はい。それにしても冷え込むようになりましたね」
「東北は雪降ったって」
会話がふと途切れ、スズランが奥の壁にあるカレンダーを眺める。視線の行先に気づいたソウゲンが敏く尋ねた。
「……どうかしましたか?」
「あ〜〜えっと…ううん。9日って前日から泊まっていいんだよね?」
「はい是非。今のところこちらは休みが取れましたので」
「うんうん…ごめんちょっとスマホ見ていい?」
スズランが断りを入れて確認すると、先程のメッセージに既読は人数分付いているものの返事は誰もしていなかった。
「9日……午前中だけバイト出ようかなって思ってて。10日は休みだし、またここに帰って来てもいい?」
ソウゲンは鍋の水餃子をよそいながらおやという顔をする。
「予定が変わりましたか」
「そう、欠員…ご家族入院しちゃった人がいて。誰も出られないとリーダーがシフト入りっぱなしになるから今度はリーダー倒れちゃいそうでさぁ」
「感染症も流行る時期ですからね」
「ソーゲンちゃんのとこも患者さんたくさんで忙しいよね。その忙しい中休み合わせてくれたのに申し訳ないんだけど……」
「申し訳なくはないのです。昔、藤堂殿とスズラン殿が怪我をされて帰った時があったでしょう」
「ああ!あったね〜〜」
「その時小生は藤堂殿を先に処置致しました。貴方とお付き合いしていたけれども、です」
「そりゃ藤堂ちゃん気を失ってたものね。僕は自分で歩けてたし」
「そうですね。その時もスズラン殿は今と同じく『お医者様なんだから重い患者さん先に診るのが当たり前でしょう』と仰ったんです。同じ意識で安心致しましたし、心根の善性というか……親切でお優しくて惚れ直したのです」
「あらーーー……て、照れちゃう……」
「それと同じです。困っている方がいるから仕事に出られるのでしょう」
「そんなに大袈裟な話じゃないけどさあ…」
言葉が回り道をしない、いつもまっすぐ伝えてくるソウゲンに照れながらスズランは鶏団子をもぐもぐとする。
「それに、いつも『おかえり』と貴方に出迎えてもらうことが多いでしょう」
「そうね。僕の方が先にお邪魔してることが多いから」
「あれ、嬉しいものなのです。今回貴方を送り出して、また出迎えられるのでしょう?やってみたかったのです。……あ、おやつとか持って行かれては?」
湯気の向こうのソウゲンがわくわくした顔をしているので、スズランはこういう人だったなぁと幸せそうに笑った。
「誕生日の朝は一緒に迎えられるのだから嬉しいのです。帰宅されたらケーキでも食べましょう」
「もちろんよ。お祝い第二ラウンドだからね!ゆっくり過ごそうね」
「はい」
出られます、と件のメッセージに返信をして、スズランはスマホを置いた。
しばらくしてありがとう助かる😭と返したリーダーは9日当日、良かったら差し入れですとクッキー持参で出勤して来たスズランに、「恋人が作って持たせてくれた」と言われて目を白黒させるのであった。(手作り抵抗ある方だったら……と既製品の菓子も持参していて、その手厚さにも舌を巻いた)