A下上「兄さんといると本当に心が和むよ。僕の癒やし。ずっとこうして一緒に過ごしたいよ」
仕事終わり、久しぶりに家でゆっくりと過ごせるということで、さっそく後ろから私を抱きしめながらソファーに座る弟のクダリ。
鬼のように溜まっていた仕事(私がサボった分の仕事?何のことでございましょうか?)もようやく片付き、いつもはしっかり者で頼りになるクダリも甘えたさんモードに入ったようです。
この時のクダリは、いつものかっこよくて優しい紳士の姿ではなく、私だけに見せる弟らしいかわいい一面を見せてくれるので、実は密かな楽しみだったりします。
そして、私の肩に顔を埋めながら、お決まりのようになった台詞を私に囁くのです。
今でこそ慣れましたが、初めの頃は聞き間違いではないかと焦ったり、暑くなる顔をどうするべきか悩みました。
しかし、どこかこの台詞を聞いて特別な意味で喜ぶ自分がいることに気づいてしまったのは最近のこと。
もちろん、それがどういう意味を持つのかも理解しております。
クダリはきっと、ずっと私と一緒に居たから離れることに違和感を感じるだけ、兄弟愛として伝えているだけで特別な意味はない。
だから、いつかこの言葉が私ではない誰かに向けられたとしても、私は笑顔でクダリの背中を押してあげたいと思っています。
結ばれないのであれば、せめて貴方の幸せを祈り、祝福するのが私の幸せにもつながるのです。
さあ、この台詞が聞けるのはあとどれくらいでしょう。
早く貴方の連れてくる素敵な女性とお会いしたい自分と、まだもう少し、兄としてこの愛を受け止めていたい自分が静かに闘っているのも心地よく感じる自分に呆れつつ、今日も私を抱きしめる優しい手の甲に自分の手を重ねるのです。
私も、クダリの側にいることでとても心が和むのです、と心の中でこっそり囁きながら。