ミルク粥に呪文を「よぉネズ!」
一日の仕事を終え帰路につく途中、オレは見間違いようのない白黒の後ろ姿が歩いているのを発見した。
ナックルで会うとは珍しい。小走りで近づけば、長髪を揺らめかせて緩慢にこっちを振り返る。
「あぁ、キバナですか」
やっぱりネズだ。ネズなのだが。オレは違和感を感じた。発せられた声が妙に優しくて。
「……何、仕事?」
「ええ、仕事でちょっと」
「ふーーん?」
言いながらオレはネズの顔をまじまじと観察した。いつもの無表情ぷりはどうしたのか、不自然ににこにこしている。それに夕日のせいかとも思ったが、顔が赤い気がする。あの精悍なロッカーの棘が全然なくてなんだか全体的にぽわぽわした感じ。差し詰め子供番組のお歌のお兄さんという様子だ。
これは何かおかしい。
「……酒でも飲んだの?」
「いいえ、一滴も」
「うーん?」
酔ってるわけでもないのにこの顔の赤さ、尚更おかしな話だ。明らかに異変である。
「ネズ、ちょっと」
オレは昔母親によくやられた方式で熱をみようと、ヘアバンドをとり、ネズの後頭部に手のひらを回して、額を近づける。……近づけたんだが。
どうしてか額ではなく唇にふにっと柔らかいものが当たる。
「っ、おま、えぇ?!」
慌てて顔を離した。焦りつつ周囲を見回すが、その瞬間に気づいた者は幸い居なさそうだ。
いや、まさかの路チューである。
普段外でなんか絶対させてくれないのに、やはり絶対おかしい。絶対におかしい。
なのにネズは何か?という様子で首を傾げていて、こっちがおかしいのかと思ってしまう。遅れてオレまでぽーっとしてきてしまった。
「おまえ、顔が赤いけど、大丈夫ですか?熱でも……」
「ってあーーーもう!!」
正気に戻ったオレは、熱ありそうなのはそっちなんだよ!と地団駄を踏みたい気分だった。
「いいからちょっとじっとしてろよ、動いたらだめ!」
言って改めて熱をみてみると、やっぱりものすごく熱かった。日にあたったジュラルドンみてぇ。
「やっぱ熱あんじゃん!結構高そうだけど、しんどくないの?」
「うん?いえ、全然。まぁすこし怠さはありますが、大袈裟な」
そう微笑みながら、体が傾いでゆく。
「わ、おいネズ!」
咄嗟に抱き止めることができたが、相当マズいのではないか。いよいよ不安になって顔を覗き込むと、本人もびっくりしている様子。
「?……つまずきましたすみません」
「おい、止まったまま躓くやつが居るかよ、ふらついてんの!」
これはだめだ。症状が酷いうえ、何より自覚がない。家まで送るかと思ったが、家にマリィは居るのか聞けば、今日は研修で居ないと言う。
それならオレの家の方が近いし看てやれるから丁度いいかも。そう思ってマリィに電話で事情を話したら、すぐ帰れるよう上に掛け合ってみると言われたが、押しとどめた。我儘かもしれないけど、出来ればオレが看てやりたかった。
『ご迷惑かけてすみません。アニキ、昔から自分の体調に疎いけん、無理してたまに熱出すんです。しかも隠そうと機嫌良さそうに見せるのが悪質で』
「あ、やっぱりか。何もないのにニコニコしてるから変だと思ったわ……気付けて良かった。じゃあ明日は用事ないしお兄さん預かるな」
『アニキもキバナさんやったら安心すると思います。よろしくお願いします』
「おう」
了承をもらって、任せておけと通話を切った。
「……と、言うわけでネズ、うち来て」
「え、何でです?」
「何ででも!」
自宅まではすぐそこだが、アーマーガァタクシーを拾って席に押し込んだ。
玄関に入るなり、ネズは壁にずるずる倒れ込んでしまった。
「ネズ!大丈夫かよ」
「なんか、おまえの家だと思ったら、ちからぬけました」
オレはぐっと息を飲んだ。少なくとも気を張らなくていい場所になっているのだろうか。
「無理すんなって」
手を貸そうとしたけど、ひらひら払いのけられる。
「大丈夫です、いいから」
「……わかった。とりあえず寝室行ってね」
弱ってるところを見せたくない性分なのは知っているので、ひとまず手を退いて見守ることにする。
壁伝いに片手をつきながらなんとか寝室へ移動して、ベッドに座った。
「すみません、ちょっと休んだら、すぐ帰りますんで。迷惑かけてすみません」
「やめて、頼むから安静にしてくれ。ほら、熱測るから」
体温計を渡して計測終了の音が鳴るまで、もう一度顔を観察する。口元は不必要に笑って平気そうにしているが、眉間には苦しそうに力が入っているのを見つける。これまで、しんどい時にしんどいと言えなかった人生なのだろうことは察しがつく。怒るわけにもいかず、ただ心配で緩く息を吐く。
そうしているうちに小さな電子音が鳴って、体温計の表示を見た。
「38.3℃……?オマエ、平熱低いんじゃねぇの、これ大丈夫か?」
「へいきですよ、全然、今からバトルだってできます」
……へらへら赤い顔で笑いやがって。オマエの相棒たちが許す訳ないだろ。というか、そういうのはオレが誘った時に言ってくれよ。
「な、心配かけたり迷惑かけたくないって思ってるんだろうけど、それなら頼むからちゃんとここで寝ててくれ。お願い」
目を見て言えば曖昧に微笑んで眉をハの字にしている。これ、こっそり帰る気満々では。
「約束できるよな?」
子ども相手みたいな声が出たけど、駄々っ子にはこれくらいでいい。オレの目を見てじっくり黙りこくったあと、ふぅと息を吐いたネズが口を開く。
「……わかりました」
「よかった」
ネズはお願いを聞いてくれないことはあるが、約束を破ることはしない。多分これでじっとしておいてくれるだろう。
「すみません、ダメなやつで」
「いいの、熱出たらみんなダメになっちゃうんだからお互いさま。オレが熱出した時は頼むぜ。ほい、これ解熱剤。ちゃんと飲んで」
「すみません」
「痛いところとかはないの?喉とか」
「ええ、大丈夫です」
「そっか良かった。忙しそうだったし疲れが出たんだろうな」
ネズはジムリーダーを引退したものの、諸々の引き継ぎやエキシビションもこなしつつ、音楽活動の方では大型のタイアップ、大規模ライブと精力的に取り組んでおり、ここ最近は忙しそうで心配していたのだ。頑張り屋なところも大好きだけど、あんまり無理するなよと思う。
「さ、ほら髪ほどいて横になって、ちょっと寝な。あ、上だけでもこれに着替えて。いい?」
「はい、すみません」
「タオルと氷取ってくるから」
「はい、いってらっしゃい」
普段は割と突拍子もない言動をするから、こうやって素直な部分を見せられると調子が狂う。そういう振れ幅も彼の大きな魅力の一つで、オレはどのみち心臓を振り回されてしまう。
戻ると早くもネズは寝息をたてていた。やっぱり辛かったんだろう。酷い汗でかわいそうだが、これで少しでも体温が下がればいい。
そっと額の汗を拭いて、冷却シートを貼る。
「アニキは自分の体調に疎いから」というマリィの言葉を思い出す。こうやって大丈夫大丈夫言ってるうちにわからなくなったんだろうな。
頭を撫でてやると、眉間に寄せられたしわが少し緩くなる。ネズのご両親は早くに亡くなってしまったから、昔からこうやって大人に大事にされてきた期間は短かったんだろう。周りばかり大事にしてさ。そう思うと離れ難くて、風邪ではないようだし一緒に居ても大丈夫だろうと、椅子を引き寄せそこで仮眠を取ることにする。
熱い手を、暑くないよう軽くだけ繋いでおく、はやく治りますようにと願いを込めて。
しばらくしてネズがうなされる声で目が覚めた。
と言っても大声を上げるでもなく、息を詰めるような、何かに耐えるような、そんな声だった。時折、ごめんなさい、と言っているのだろうか。それが酷く苦しそうで、何のことかはわからないがこっちの胸まで苦しくなる。肩をたたいても中々目覚めない。名前を呼びながら揺すって、やっと目が開かれる。
「……っ」
ほとんど白い顔色をして、大量の汗をかいている。
「ネズ、大丈夫?」
「キバナ…?なんで……」
「覚えてない?仕事帰りに体調悪そうなネズみっけて連れて帰ったの」
部屋をぐるりと見回して状況を確認すると、ネズは詰めていた息をようやく吐いた。
「……そうでした、すみません」
「それより大丈夫か?うなされてたけど」
「まぁ体調崩すといつもで、びっくりさせてすみません。……おれ、何も言ってませんでしたよね」
ぴくりとオレの指先が引き攣った。ごめんなさいと言っていたけど、たぶん誰にも聞かれたくなかっただろう。
「うん、何も。辛そうだったけどな」
聞かなかったことにして、しまっておこう。そう思って嘘をついた。
「熱はどうだろうな。ちょっと測ろうぜ」
話題を逸らしつつ、まだぼんやりしているネズの襟ぐりから体温計を挟ませる。
「37.1、だいぶ汗かいて下がったかな」
「借り物なのにすみません」
そう言いながら汗を吸ったシャツに目を落としている。
「こら、他人行儀なこと言うなって。それよりどうする?着替えるか、熱下がってるうちにシャワーで軽く汗流してもいいぜ」
そう提案するが、ネズはたにんぎょうぎ、と小さく繰り返して、なぜか気恥ずかしそうにしている。
「えっと、では、シャワー借りてもいいですか。髪が濡れて気持ち悪くて」
「わかった、その前に水飲もうな」
「すみま……ありがとうございます」
なぜ言葉に詰まったのかわからなかったが、もしかして他人行儀を直そうと言い直したのか。そう思い至って思わず両手で頬を撫でてしまった。
シャワーを浴びて着替えて出てきたところを捕まえる。椅子に座らせ、髪はオレが乾かす、とドライヤーを奪った。
「はぁ……、おまえのポケモンになった気分です」
「じゃあ今はそういうことにして、世話されてくれ」
ドライヤーって結構重いからな。このキバナさまが綺麗に完璧に手早く乾かしてやろう、そう意気揚々と始めたものの、モノクロの髪のうち脱色した白い部分は中々乾かず、ポケモンの毛よりもものすごく難易度が高い。
しかしブラシを通したり、髪や頭を触られて気持ち良さそうに目を細めている様子を見ると、それだけで幸福感が溢れてくる。
「……治ってもさ、また時々オレにやらせてよ」
大体を乾かし終え、仕上げに前髪を梳かしながら言えば、ふわりと柔らかい微笑みだけが返される。
その瞬間の表情は、心臓が止まったかと思うほどには綺麗で儚げで、毒気の無いネズのヤバさを思い知る。
……天使、なのか?
あくタイプなのに悪魔じゃなく?
あ、天使にもあくタイプがいるのか??
そんなプチパニックを起こしながらも、普段と違う様子に、捕まえていないとこのまま何処かへ消えてしまいそうな気がして怖くなった。急いでハグをして引きとどめる。
誰にも、誰にも、誰にも誰にも渡さない。
「……はやく治って」
「ありがとう」
オレがあんまり弱々しい声を出すものだから、手のひらで背中をとんとんとあやすようにたたいて返してくれた。
再びベッドに寝かせて、水を飲ませる。
「何か食べられそうなら食べた方がいいんだろうけど、粥くらいなら食べられる?あ、オレも食うから手間は気にすんなよな」
「おまえ、モテるでしょう」
「このキバナさまがモテないわけないだろ」
「ふふ、じゃあお言葉に甘えて、ほんの少しだけ、お願いします」
「オッケー待ってて、愛情盛りまくりで作るからな」
してやれることがあるのが嬉しくて、いつにない気合いでキッチンへ向かう。
腕を回して準備体操をして、鍋を取り出す。
オートミールをモーモーミルクにぶち込み、煮込む。そして手をかざして鍋から溢れるほど愛情を入れる。
早く治りますように。
いつもありがとう。
愛してるぜ。
各種の呪文を頭の中で唱えれば、鍋の中がキラキラと輝きだすように見えた。
そうしてしばらく粥を煮込んでいると、いつもより背を丸めたネズがとぼとぼとこちらへやって来た。
「あれ、どうしたの?」
「いえ……」
「何、具合悪くなった?」
ネズは応えずにゆっくりとダイニングテーブルに座って、そのまま机に突っ伏して大きく息を吐き、顔だけをこちらに向ける。
氷河の断面のように澄んだ碧い瞳が、静かにオレを見ていた。
待っても何も言わないから本当にマズイのではと心配になる。
「お、おい、大丈夫…」
そう言いかけた時だった。
「なんか、さみしくなっちまって……ひとりでいるの。……ここで見ててもいいですか」
「ん、え」
なんだって?
ひとりでさみしかった?
普段聞いたこともない言葉を、赤い顔で言うものだから、オレは……オレは。
鍋を放って床に膝をつきネズの手を取り、熱に潤む目を見て思わず言った。
「……ネズ、結婚しよ?」
「だめです、おれ今、正常な判断ができないので」
「好都合だぜ、それ」
「吹きこぼれますよ」
「……どさくさ作戦失敗か」
「んふふ」
了承を得ることは出来なかったが、寂しくてオレのところ来ちゃったんだ、という事実に心が跳ねる。どうしよう。今日は本当に天使みたいでこわい。普段あんなこと絶対言わないのに。閉じ込めて帰れなくしちゃおうかと思うくらいにはヤバい威力だった。
火をつけたままのコンロに戻ったオレは鍋に手をかざす。
呪文をひとつ追加しておこう。
ネズがオレと結婚しますように。
でもあの反応は可能性ありそうだったのでは?そんなこともない?
「お待たせいたしました。こちら爆盛り粥でございます」
笑って元気になってくれたらいいと、木製の器によそった粥をおどけながら置く。爆盛りと言ったが、実際はネズのリクエスト通り、お皿に半分もないほどの少量だ。盛ったのは愛情の方。あとはドライきのみやナッツもトッピングしているので、見た目は最高だと思う。
「ありがとう、キバナ」
「っ何、笑う、とこ、なのに」
思いもよらないほどしっかりとオレの目を見て、穏やかな声でお礼を言うので動揺してしまった。年上のお兄ちゃんの手伝いをする弟のような気分になってくすぐったい。
ミルク粥に目を移したネズが目尻を下げ、弾んだ調子で言う。
「凄いたくさん入ってるね。全部いただきますよ」
「お。おう」
お皿に粥は半分。ネズが言ってるのは、オレがたくさん入れた愛情のこと。こういうノリがいいのはいつものことだけど、本当に優しいやつだよな。こそばゆい気持ちになりながらオレもテーブルにつく。
というか看病してる側がこんなにメロメロになること、あるんだな。普通逆じゃない?
ゆっくり食事を終えて、水を飲み、またネズをベッドに戻す。とても美味しかった、と言ってくれて嬉しかった。
掛け布団を掛け、新しい冷却シートを貼りながら、また熱を測る。
「うーんまたちょっと上がってんな。37.6か。大丈夫?寒くない?暑い?」
「すこしだけ、さむいですけど、悪寒がしてるだけだと」
「それじゃあ毛布増やしてもすぐ暑くなるかな」
「5分だけ、来てくれませんか」
そう言ってネズは掛け布団の余ったスペースをぱたぱたとはたいて示した。
「……オレも同じこと考えてたわ。なあ、やっぱオレと結婚しない?」
「ふふ」
「笑うところじゃないんだけどなぁ」
言いながらベッドに乗り上げ、ネズがよけたスペースに横になる。布団の中まで入ると暑いだろうから、掛け布団の上で。
「あっち向いて下さい」
「え、こう?」
なぜか背中を向けるよう指定される。顔を見てたいのに。だけどそうか。甘え慣れてないネズのことだし、これが精一杯のお願いなのかもしれない。そう思っていると、背中に控えめに手のひらが添えられ、何だかぎこちなく額がつけられるのがわかった。不慣れな接触の仕方に胸が締め付けられる。
「……いつも温かいね」
「役に立てて良かった」
「起きたら、きっとよくなってます」
「うん、そうだな」
「お粥、おいしかったです」
「また作るよ」
「髪、といてもらって、ここちよかった」
「またやらせてね」
ぽつほつと発せられる言葉たち。こんな時までこっちのこと気遣ってさ。
しんどいって言っていいんだぜ。
「キバナ」
「うん」
「いてくれてありがとう」
「っ……こちらこそ」
そこからは言葉が途切れ、かわりに安らかな寝息が聞こえてきた。
ほっとすると同時に、まるでお別れみたいな言葉にオレは涙が止まらなくなってしまった。我ながら大袈裟だ。落ち着こうと深呼吸を繰り返す。
ただの発熱でこの様だ。ネズが大病したりしたらオレどうなっちゃうんだろう。しかも本人は自分の体調に疎い、早期発見なんか望めないじゃん。
もう絶対ネズと結婚するしかない。それしかない。放っておくと無理して体調不良にも気付かないことをタテに説得しよう。あと本当は寂しがり屋なこともよくわかった。オレだって1秒でも長く一緒にいたい。ちゃんと作戦を練って、申し込みをしよう。ダメでもネズが折れるまで粘る、いつも通りに。
涙を止めてそう決心したオレはそっとベッドを降りて、隣の椅子に戻る。ここで寝てたらネズに怒られそうだけど、離れたくなかった。
本当に、離れたくなかった。
翌朝まで二人とも穏やかに寝てたと思う。
オレが目を覚ました時まだネズは寝ていて、そっと頬に手を当ててみると、熱は随分良さそうだ。椅子で寝たせいで腰も背中もバキバキに痛むが、安心してそのままゆっくり寝顔を見ることができた。
真っ黒くストレートに伸びるまつ毛が好きだし、きれいな鼻梁のラインも好きだ。セクシーに下がった目元も大好きだし、耳から顎の曲線も。
ものすごく大人びて見えたり、年相応にみえたり、逆にすごく幼く見える時もあるし、最高にかっこよくもかわいらしくも見える不思議な造形だと思う。くるくる変わる内側をよく映してて、どの瞬間も目が離せない。
あ、唇がカサカサになってるから、起きたら何か塗ってやろう。
そんなことを考えていたらネズがゆっくりと目蓋を持ち上げた。
「おはよ」
「……おはようございます」
「どう?気分は」
よく頑張ってくれた冷却シートをはがしながら聞く。
「ずいぶんいいです、おかげさまで」
「よかった。水飲んで熱測ろっか」
体温計を渡して、ベッドサイドのペットボトルの蓋を開けて差し出す。
計測終わりの小さな電子音が鳴るまで、のったりとした時間が流れていた。
「お、36.2!まだ油断しちゃだめだけど良かった」
「おまえのおかげですね。ありがとう。夜も手をにぎっててくれたよね」
「……バレてた?」
「ちょっとだけ目が覚めた時にね。……嬉しかったです、そんなこと誰にもされたことがなかったので」
おまえに子ども扱いされる日が来るとはねと笑う様子は、確かに昨日より元気そうに見える。
「でも椅子なんかで寝て、ちゃんと寝てくださいよ。おまえが体調崩したらどうするんですか」
そう小言を言う目にはきゅっと力が入っていて、そうそうこれ、これがいつものネズだと安堵した。ふわふわの天使みたいなのも可愛いかったけど、消えてしまいそうで怖いし、やっぱり普段のネズが一番だ。
「そう言われると思ったけど、どうしても離れたくなくてさ」
ベッドに乗り上げて、ネズに覆いかぶさるようにしてふわっと抱きしめる。
「……なんか、色々考えて怖くなってさ。ネズ、オレと結婚した方がいいよ」
「昨日からどうしたんです?」
「どうしたと思う?」
「……心配かけてすみませんでした」
本当だよ、と思いっきりに抱きつく。痛い苦しいと喚かれるが、今ばかりは知ったことか。
心配したんだ。本当に。
「な、朝ごはんは?食べられそう?またオレ作るよ」
「ありがとう。おまえの作ったものなら何でも食えそうです」
「よし、じゃあまたデカ盛りで作るからよ!覚悟しろよな!」
「望むところです、全部食ってやりますよ」
「言うじゃねーか」
本調子が戻って来てよかった。そのちっせぇ胃から生意気な口までオレの愛情でいっぱいにしてやる。謎の闘争心に火がついたオレさまはキッチンへ向かうべく体を離そうと動いた。その時。
「おわっ!」
ネズがぐっとオレの頭を引き寄せた。
驚きで隙だらけになったオレの耳元に、柔らかな笑い声が吹き込まれる。
「足りなかったら承知しねぇからな」
……横暴。
おまえそんなにオレの愛ばっか食うならさ。
「っ結婚しろこの野郎!!」