五条先生の恋人 野薔薇は目の前にいる男を見て、気持ち悪いという感情を久しぶりに抱いた。
いつもだったら約束の時間は当たり前のように破る、格好も黒いターバンで前髪を上げるという不思議な様相なのに、今日の彼は鏡を二分に一回は見て、お高そうなサングラスをかけているのである。それに対して伏黒やニ年生の先輩たちは何も言わないし、虎杖も突っ込もうとする様子はない。なんだ、違和感を持ったのは私だけなのだろうか。
「ねえ、センセ。なんで今日そんなにソワソワしてるわけ?」
「僕そんなに動いてるように見える?」
「見えるでしょ。キモい」
すると肩に優しく手が置かれた。後ろを振り向くと真希が顔を振っていて、「どうしたんですか?」と私が耳元で小さく尋ねた。
「あのな野薔薇、今からが大変なんだぞ。機嫌がいい間はそっとしとけ」
「? 分かりました」
野薔薇は空気が読める女なので、野暮な質問はやめておいた。こういうマイノリティの集団にとって、大概は先人の教えに従っておいて損はないのである。
涼しい秋風が木の葉を揺らす道のなか、野薔薇は数歩先にいる伏黒の肩を叩く。
「……なんだ、釘崎か」
「なんだってなによ」
「五条先生かと思った」
「その五条先生よ、五条先生。わたしが聞きたいのは!」
雲のない空を見つめた伏黒は私の肩にそっと手を置いた。
「大丈夫だ。経験したほうが早い」
こんな綺麗な伏黒の笑顔を見たのは初めてであった。「もう話は終わった」とでもいうように伏黒は先に道を進んでいってしまう。背後で青春アミーゴを口ずさみながら八つ橋を食べながら歩く五条を見て、野薔薇は溜息をついた。
◎
だんだんと山と田んぼ、それにポツポツと寺が存在しているくらいの景色になってきたころ、大変野薔薇は暇になってきていた。虎杖はしりとりが下手で中々続かないし、だれも芸能人に興味がありそうな人はいない。ゴシップネタが大好きな野薔薇にとって、すこし窮屈になってきたころである。五条先生は相変わらずソワソワしてるけど、だれもそれについては触れてくれない。どうせおおかた向こうに綺麗な恋人がいるとかだろう、と野薔薇は内心で舌打ちをする。
「真希さんー。後どのくらいで着きますかー?」
「そろそろ着くぞ」
すると、いきなり今さっきまで隣に存在していた道路がなくなって、ただの雑草だらけの一本道になった。後ろを向くと何事もなかったかのように山だけがあって、今通り過ぎたはずの神社がなくなっている。
「え? どういう……」
「これはね一つの術式だよ、野薔薇」
目を輝かせた五条がいきなり背後から飛び出してきた。へーすごいと純粋に虎杖は驚いていて、伏黒は興味がなさそうに空の栄養ゼリーを膨らませていた。珍しく先生らしい講義をしだした五条に対し、パンダが「そろそろか」とつぶやく。
「こんにちは。皆さん」
「あ!! 傑!!!」
すると勢いよく五条が飛び出して、その傑と呼んだ人物に抱きついた。「邪魔だよ悟」と傑は五条を剥がすと、平然と挨拶をしだす。
「初めまして、東京校の伏黒くん、虎杖くん、釘崎さんかな? 私は夏油傑というんだ。仲良くしてくれ」
まるでイイコの定型文ですとでも言いたそうな挨拶をした後、その傑は五条とモンスターハンターについて話し出した。今さっきまでの取り繕った笑みは消えており、五条も"軽薄"とよく言われる笑みではなく目尻に皺を寄せた子供くさい笑顔だった。五条の注意がようやく離れた隙にと真希の側に寄ると、真希がこちらへタイミングよく振り向く。
「ねえ真希さん。やっぱり五条先生、向こうの学校に好きな人とかいるんですか? 恋人とか……」
「え」と真希は大きく目を見開いたあと、「まあ似たようなもんがいるよ」と歯を見せてニヤリと笑った。その間にも五条先生は夏油傑とやらに「今日の夜ドラクエしようぜ!」と誘っている。一体何しに京都校へと来たのか。まあ自分もキャリーケースいっぱいに荷物を詰めて来たんだけどなんて考えていると、人の影がうっすら見えてくる。
「夏油ー! 連れてくるのが遅い!」
「すまないね」
鼻の上に大きな傷のある女性が山上に立っていた。大きく愛らしい目に、艶やかで長い髪。赤い袴にその黒髪が栄えていて、この人が五条先生の彼女だと私は確信をした。だって真っ黒な洋装をしていないということは教師だということである。そしてなんといっても綺麗な長い黒髪、これはこの前言っていた"五条悟の好みのタイプで山手線ゲーム"で履修しておいた。
「で、五条!! アンタはそんなに夏油に絡まない!!」
「なに歌姫。傑は俺の親友なんだけど!? 剥がさないでくれる!?」
いやごめん違ったわ。今さっきまでご機嫌に深夜のドラクエタイムについて話していた五条は「傑は俺のだもん」と二十八歳男性と思えない駄々の捏ね方をし始める。頬を膨らませて「だもん」と言って許されるのは五条くらいだろう、と思ったその瞬間に夏油が冷たく言葉を吐いた。
「悟。だもんはキモい」
「……え? 傑は俺の味方じゃ」
「いやキモいだろ。私はパンダくんと触れ合うんだからドラクエはまた今度ね」
今さっきまで仲良く肩を組んでいた夏油はそのままパンダ先輩の元へといった。けれどパンダは「俺トイレ」と林のほうへと走って行ってしまう。すると五条が「ハハッ傑パンダに嫌われてやんのー」と軽口を叩いた。
「……は? なんだって? 私は嫌われてなんかいないが?」
「いいや、今のは嫌われてるだろ確実に」
あの"最強"と謳われる五条につっかかるなんて、と私は夏油を憐んでいると、真希さんから勢いよく手首を掴まれた。
「おい野薔薇。走れ、前だけ向けよ」
「え」と私が口から言葉を吐いたときにはもう遅くて、全員校舎のほうへと走って行っていた。言われた通り真希さんの方へと走ってついていくと、後ろで大きな爆発音が聞こえる。夏油は手から呪霊を取り出していて、あの五条先生に傷を入れていた。
「……え? 真希さん?」
「いいからここに入れ。質問は後からだ」
入れと言われた場所は完全に土に掘られた穴で、なんか社会の教科書で見た覚えのある場所である。
「……これって防空壕じゃ」
「いいから詰めて入れ!!死ぬぞ!!?」
「はい!」と背中を押されて防空壕に入ると、目を押さえて大声を出せと言われる。大きな爆風と頬の横を通っていく砂埃。指示のまま動いて数秒経つと、肩を叩かれて「もういいぞ」と言われた。
「おいお前らー終わったっぽいぞ。出てこいー」
続々と魔女のような女の子やロボット、虎杖たちみんなが防空壕から更地へと出てくる。今さっきまであったはずの林はなくなっていて、ボロボロの五条先生と夏油が立っていた。睨み合っていたはずの彼らはまた肩を組んでいて「やっぱり今日はスマブラしようぜ」なんて話している。今さっきまで現実でスマブラをしていたくせに。
「……これは雑草取りの術式ですか?」
「いいや、ただの痴話喧嘩だよ。今から私たちは環境支援活動をするんだ」
すると後ろから軽トラの走る音が聞こえてきて、夜蛾学長が木の苗を持ってきていた。呪骸が体より大きい木の苗を懸命に植えている姿は可愛らしい。「あー、パンダは無事かな」そう真希さんは呟くと、伏黒からシャベルを受け取る。
「ほら、釘崎も」
伏黒に影から取り出されるシャベルを渡されて、後ろから硝子さんの笑い声が聞こえる。袴を着た先生は「また今年も清掃ボランティア……」と項垂れていて、その肩を硝子さんが優しく摩っていた。