黒「……そういえば、本で読んだんだけどね」
渉の「フィーチャーライブ」の衣装を見た凪砂は、何やらしばらく考え込んでいたようだったが、それは彼の記憶を探っていたためのようだった。
――とある、黒い塗料がある。
光を99%以上吸収する、この「黒」は、人の感覚を狂わせるという――
その話は渉も聞き覚えがあった。試しに、それらしいキーワードで検索してみたところ、恐らく凪砂が読んだであろう塗料が見つかった。プラモデルや置物、果ては自動車を塗装したニュースなど、いろいろと話題になっていたようだ。ドラマティカの舞台で使用できないだろうかと考えながらレビューを流し見していると、気になる単語が目に飛び込んできた。
「ほほう……『究極』の黒ですか……同じく究極(アルティメット)を謳う私たち『アルティシモ』としては、なかなかそそられる表現ですねぇ! ……そういえばあなた、私は黒が似合う、と前に言ってましたよね?」
「……うん、そうだね。本で読んだ時、はじめは、まるで渉くんみたいだと思ったんだ」
「おや? 引っかかる言い方ですね。今は違うんですか?」
「……君は『黒』が似合う。その気持ちは変わっていない。でも……」
凪砂は一度言葉を切り、暫し思案に耽っていた。
「……あの塗料の黒は、何もかもを自らで塗りつぶしてしまう『絶対の』黒」
考えがまとまったのだろうか。顔を上げると、凪砂は渉の衣装に視線を向けた。フィーチャーライブ用の渉の衣装は、エスニックな文様や青い鳥をイメージした羽飾りが目を引くが、黒を基調としている。あの塗料で染めたらなかなか面白い衣装になるのではないか、と渉は一瞬考えた。
「……でも渉くんは、純粋な黒かというと、違うと私は思うんだ」
明るく照らす炎のような瞳が渉を捉える。
「……君は、混沌とした黒。ただ一色の黒ではなくて、あらゆる色彩をすべて混ぜて呑み込んだ結果生まれた色。だから、光の当て方によっては、君はきっとあらゆる色を見せるだろう。……色を呑み込む前の君は、一体何色だったのかな」
「何色だと思いますか? 私としてはAmazingな虹色を是非とも推したいところですね…☆」
「……虹は、光が水滴を屈折、分散、反射することで見えるものだから、渉くんの色ではないと思うけど……」
「おやおや、煙に巻けませんでしたか。相変わらず厄介ですねぇ」
渉はわざとらしく肩をすくめてみたものの、それで凪砂が追及の手を緩めるとは全く考えていなかった。しかし、タイミングが良いのか悪いのか、凪砂のスマートフォンが鳴り出した。
「……そろそろ打ち合わせの時間だ。ごめんね、行かなきゃ」
「いえいえ、気にしないでください。私も次の予定がありますので」
「……じゃあ、また今度」
手を振る渉に背を向け、凪砂は去っていった。その背中が角を曲がり、完全に見えなくなったところで、渉は小さく息を吐いた。と同時に、渉のスマートフォンからも通知音が鳴った。タイミング的に嫌な予感を抱きつつ確認すると、案の定、差出人は凪砂だった。
「……ああ、本当に、厄介な人ですねぇ…♪」
やはり凪砂は、そのまま渉を逃がしてくれないようだ。面倒がりつつメッセージを確認する渉であったが、その表情は楽し気であった。