道ぐだ「君を殺した世界」ついに次の異聞帯に行く日程が決まった。
シャドウボーダーには限られた人員しか乗れない。そのため毎回よほどでない限りサーヴァントはダヴィンチ以外はノウム・カルデアで待機となる。
当然ながら道満もその一人だ。
出発の前日、立香は道満の部屋へ向かった。
角を曲がると目的のサーヴァントが廊下にいるのが見える。
「道満」
「おやマスター。わざわざこのようなところまで」
「ん、道満元気かなって思って」
わざとらしく言う道満の言をさらりと流す。
そんなことを言いながら立香が会いに来たのが嬉しくてわざわざ部屋の外まで出てきたことは、これまでの付き合いでもうわかっている。
「しばらく会えなくなるんだね」
「ええ。拙僧はここから無事を祈っておりますぞ」
慇懃に一礼するサーヴァントに立香は破顔する。
「はは、道満に祈祷してもらえたら絶対大丈夫だね」
何しろ自称他称合わせて平安時代最高クラスの陰陽師だ。
本人が積極的に悪用するのは難点だが、こういった時は信頼を預けられるくらいの関係を築いてこれたと思っている。
「ええ、もちろんですとも。拙僧にお任せなされ」
「ふふ、ありがとう」
笑顔を見せながらもふと立香の思考は遠くへ馳せていく。
自然顔が強張ったのを感じて立香は目を伏せた。
「…もう、リンボはいないんだよね」
リンボ。異星の神の使徒として表に裏に活躍し最後は自身の願望のために散ったアルターエゴ。といえば聞こえはいいが散々引っ掻き回して苦労させられたカルデアの敵。
彼が作った平安京の特異点で金時たちの力を借り、とどめを刺した。
そのおかげというべきかせいというべきか、このリンボの記録持ちアルターエゴの道満がカルデアに召喚されたので、当然ではある。
「ええ。マイマスタァが見事にとどめを刺してくださいましたからな」
笑顔でそう言う道満はさすが快楽主義というべきなのか、案外その事実を気に入っているようだった。
「あはは」
そんな道満にまた破顔するがすぐに表情を消して俯く。
きゅっと指先を握りしめた。
「なんだかね、急に寂しくなっちゃって」
「はい?」
道満がきょとんとした顔をする。
当然だろう。リンボ本人ではないとはいえ、まさかあの数々の行いを記録している者が寂しがられる、等と予想はするはずもない。
「敵対してた時にはあんなに嫌だったし、今でもリンボがいると余計な痛い目に合う人が増えそうだからいられると困るんだけど…道満がうちにきてくれてからね」
その人柄に触れて。
好きになって。
ふと平安京を振り返った時に。
「リンボと私とやったことって結果だけ見れば変わんないんじゃないかって思って」
自分の世界のために
無辜の民を利用して
殺戮する私
自分の神(せかい)のために
無辜の民を利用して
屠るリンボ
結果だけ見れば私達は同じなんだと
「マスター」
道満はすっと目を眇める。
普段の道化は形を潜めて歯噛みするように口を引き結ぶが、俯いたままの立香
気がつかない。
「だから私…」
むにゅっ。
「みゃっ!」
むにむにむに。
道満が立香の頬を挟んでむにむにとしていた。
「少し落ち着きなされ。久々の出動で血迷うておるのでは?」
「え…?」
むにむにされた衝撃やら何やらで思考が弾き飛ばされた立香は、目を点にして道満を見上げる。
「ええ、ええ、たしかに結果を見ればリンボもマスターも同じでしょう。しかしそれは古今東西様々な者が行ってきたこと」
自身の何かを守るために他を犠牲にする。
それは大小あれど人間、いや生き物として地球上に存在するならば当然の営みだ。
「今清廉潔白秩序善という顔でカルデア内を闊歩している数多の英雄だって行ってきたことですぞ」
「あ…」
古今東西の英雄が集うカルデアはその規模が当然大きいものが多い。
自らの民のために他の民を殺戮した王だっている。
自らの快楽のために虐殺を行った者だっている。
「生きるということは所詮弱肉強食。歴史というものはそれを人間の営みとしての単位で行っているものであり、勝者が自身に都合のいいように伝えていくこと。勝者が全て正当化されるのです」
「そっか…そうだよね…」
すぅっと立香の目が沈む。
立香とてわかってはいるのだ。理解はできても感情が納得するのはまた別なのだ。
「貴女はそういったことを背負うには優しすぎるのでしょうなァ。限界なのであれば、拙僧が逃がして差し上げますぞ?」
ふわりと道満の手が立香の頬を包む。
立香は縋るように道満を見上げた。
「ほんと?」
「ええ」
「一緒に逃げてくれるの?」
「もちろんですとも。言ったでしょう?拙僧は地獄の果てまでお供します、と」
「そっかぁ…逃がしてくれるんだ…」
立香は道満の手に自分の手を重ね合わせ、夢見るように微笑んだ。
陰陽道の術者の手は少し冷たいと誰かに聞いたことがある。
少し冷たい手は術を扱うせいか、呪いを貯めているせいか。
「ええ、いかがです?もう貴女を追い詰める者などいない所へ誘ってあげましょうぞ」
甘い甘い甘露な誘い。
それはつまり。
「それって…殺してくれるってことだよね?」
まるで食虫植物のような甘い誘いだった。
「端的に言うとそうですな。空の肉体は残し魂魄だけお連れして、魄は我が身と融合し魂は拙僧が大事にお抱えして差し上げます」
虫の好む香りを漂わせて懐に引き込んで。
じっくりと溶かして取り込んでいく。
「そうすればずっと一緒に居られますでしょう?」
「そうだね…」
それはとても甘露な誘い。
「そうしたかったよ」
差し出された手を取って
彼と共に何処かへ
きっと行き着く先は辺獄だろう
彼が冠していた名のように
そこで過ごす永い時も彼と一緒なら幸せだろう
いつか魂が摩耗して消える前にきっと彼は私の魂も食らって
取り込まれた私は彼の使役する魂の一つとなれるのかもしれない
それでも
まだその手は取れないのだ
旧約聖書の創世記第19章において
神に助けられた人が
命懸けで逃げろ振り返るなと言われたのに振り返って
塩になってしまったという話があるという
今の私も同じだ
前だけを向いて命懸けで進まなければならない
振り返って塩になるのは私だけでないのだから
道満はふっと顔を緩めて笑った。
「ええ、我が主ならそう言うと思っておりましたとも」
立香はきゅっと道満の着物の方の袖をつかんだ。
「道満に連れてってもらうのはもうちょっと先かな」
「拙僧は気が長いのでいつまでも待っておりますぞ。何十年後でも何百年後でも」
「あはは、私仙人にでもなっちゃうの」
「ははは、マスタァは修行に耐えられそうもありませんでしたなァ 」
もーなにそれー、とぽかぽか叩く立香に道満はどこふく風だ。
この道満の少しわかりにくい励ましが今は心地よい。
「道満」
「はい」
「ありがとう」
道満はふっと微笑んだ。
すぐにまたつらっとした顔で続ける。
「拙僧は貴女の殺害計画しか言っておりませんが?」
「あはははは」
久しぶりで少し弱気になっていたみたいだ。
また貴方の元に帰るために、前を向いていくしかない。
「いってくるね、道満」
「いってらっしゃいませ」
すっと式神が一枚、音もなく飛んでいく。
立香の背中に張り付くとすぅっとその姿を眩ました。
「見守っておりますぞ。我が…主」