見極める男「うん。今なら大丈夫だと思うよ。」
「おお、恩にきるぜ!」
二振の目線の先には、縁側に腰掛けて読書に耽るへし切長谷部がいる。鶴丸国永は礼を言うと、墨汁まみれになった報告書を片手に、我が本丸の近侍へと近づいていった。鶴丸がこの報告書の替えを貰いに行くのは三回目だったので、機を伺う必要があったのだ。燭台切は庭で洗濯物を干しながら、事の次第を見守った。鶴丸の持っている物に気付いた長谷部は怪訝な顔つきはしたが、ため息をついて近侍室の障子を開けた。それから、鶴丸に何やら小言を言いながら近侍室の棚の中を漁っている。どうやら、大目玉を喰らわずに済んだようである。眉間に皺を寄せながらも新しい用紙を引っ張り出してきた長谷部を見つめて、燭台切は微笑んだ。彼のそんな様子ですら、可愛いなあと思った。
燭台切光忠には、極めている特技がある。
へし切長谷部の機嫌の良し悪しを、ぴたりと言い当てることができるのである。
燭台切は、長谷部より大分遅れて顕現した新人刀である。近侍であるへし切長谷部は、極になって久しいが、燭台切はまだ特が付いたばかりである。なぜか我が本丸では長らく燭台切が顕現しなかったらしく、燭台切自身も、己が一振り目であることに驚かされた。はじめ教育係には明石が任命されたのが、終始「こんなん柄じゃないですわ」といった調子であった。結局それを見かねた長谷部が、あれこれと口出しをし、この本丸での生活のほとんどを長谷部から教わることになった。
そういうこともあって、燭台切は長谷部に多大なる恩義を感じていた。しかし、燭台切が長谷部の感情の機微に詳しいのは、それだけが理由ではなかった。燭台切は、長谷部を恋慕っていたのである。顕現した時から、凛とした美しさのある刀だと思っていた。長谷部は自他ともに厳しい刀で、新刃に対する稽古であってもまるで容赦がなかった。実力差も顧みずに突っ込んでぼこぼこにされ、歯が抜けて手入れ部屋送りになったこともあった。それでも、どれだけ練度差があろうと、武人として対等に扱ってくれるのが嬉しかった。
一方で、朝餉の席に平気で寝癖をつけてくるような一面もあった。料理はからきし苦手で、厨番の歌仙から出禁を食らっていることを燭台切に知られたときは、一日中決まりの悪そうな顔をしていた。そういう意外な顔を見つけるたびに、燭台切は長谷部の気持ちをもっと知りたいと思うようになった。そして気付けば、燭台切はいつでも長谷部のことを目で追っていたのだ。
「いやあ助かったぜ、光坊。さすが長谷部の機嫌見極めのプロだな。」
なんとか小言だけで事なきを得た鶴丸は、上機嫌で燭台切の元へ戻ってきた。燭台切の観察眼はこうして、長谷部に言いづらいことを伝えるときに他の刀から重宝されていた。はたから見て長谷部の機嫌がすこぶる悪そうに見えたとしても、燭台切は「今は大丈夫だよ。」と彼の心の内を察することができるのだ。
「大袈裟だなあ。でも、長谷部くんの考えていることなら、大体わかるようになってきたよ。」
燭台切は苦笑してから、少しだけ誇らしげな顔つきになった。白いシーツをぱんと伸ばす姿も、どこか上機嫌に見える。今日のようにさんさんと輝く太陽が似合う伊達男である。
「ほう、それじゃ今のあいつは何を考えているんだい。」
鶴丸は、縁側に腰掛ける長谷部を指差して言った。ひとしきり鶴丸に説教をしたあと、また自分の読書の世界に戻ったようである。
「あの本、僕が貸した本なんだ。ちょうど探していたんだって。やっとお目当ての本を読めて、嬉しそうだね。」
燭台切は目を細め、短刀たちの小さい靴下を丁寧に洗濯バサミに挟んだ。鶴丸は、ほうほうさすがだなあ、としきりに感心したようであった。
「あいつ、片目しか見えていないからって、鈍すぎやしないか。」
長谷部はいらいらをぶつけるように近侍室の机を叩いた。事務仕事を手伝うために派遣された大倶利伽羅は、何も言わずに肩をすくめた。あまりこの件に深く関わると、面倒なことになるのは目に見えている。今はただ仕事を黙々とこなし、嵐が過ぎゆくのを待つのみである。助けを求めるように横目で鶴丸を見たが、彼もただ苦笑いを浮かべている。彼は事務仕事が得意なわけではないが、報告書をだめにした罰として、渋々手伝いをさせられている。というのも建前で、長谷部の愚痴に付き合ってやれ、という主の温情である。
「己が洗濯当番のたびに俺が縁側に出てくる時点で、何か気づかないものか?」
「今日は天気がいいからね、と言っていたぞ。」
大倶利伽羅の答えに、長谷部は額をがんと机につけて呻いた。おそらくこれまでの己の行動を振り返って死にたくなっているのだろう。首まで真っ赤に染まっている。鶴丸としても、もう少しわかりやすいアプローチをしてみたらどうかと思うが、それができたら今の状態になってはいないだろう。
燭台切光忠には、極めている特技がある。
へし切長谷部の機嫌の良し悪しを、ぴたりと言い当てることができるのである。
…と、いうのは燭台切の思い込みで。
かの伊達男は、「燭台切が近くにいるときは長谷部の機嫌がよい」というからくりに、未だに気付いていないのであった。