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    ベドベド(2×1)。
    口内炎が出来たという1号に嫌がらせでちゅーする2号の話。

    人間ごっこ ホムンクルスの兄弟が差し向かいでとる食事は、いつも葬式のごとき静謐さで進行した。フォークやナイフといった金属が陶器に触れる、無遠慮で神経質な音だけが、二人で暮らす小さくも、大きくもない簡素な居間を満たす。
     別段、そう取り決めたわけではない。けれども、さりとて話すことがあるわけでもない。ただ、同じ顔をした眼前の相手と話すよりも、沈黙の方が心地よいからそうしているだけだ、と兄弟の一方――目の前の相手に、不躾にも二号と名付けられた――は勝手に思っている。
    「……っ、」
     フォークとナイフで丁寧に切り分けた魚を口へ運んだアルベドの顔が微かに歪んだ。二号は皿に残っていたバターにちぎったパンで拭いながら、その様子を見ていた。アルベドは二号のそのような食嗜好を行儀が悪いと眉を顰めるが、二号にとってはバターを残す非合理性の方が忌避されるべきものだった。
     アルベドはカトラリーを皿に預け、己の口内の状態を探っているようだった。内側から舌が皮膚を微かに押し上げる様子が二号の目に映る。
    「魚の小骨でも?」
     夕食は、二号が作る決まりになっていた。互いへの複雑な感情を折衷し、いま取りうる最良の選択として、ホムンクルスの兄弟は荒涼とした雪原で睨み交わしながら、「共存」に合意した。アルベドは二号に自分として生きることを許した代わりに、西風騎士団の首席錬金術師たる己の地位を維持するために、モンドでの就労を禁じた。「共存」にあたって、アルベドは金銭面を、二号は家事やその他の雑用を引き受ける、というように役割を分担した。だから、二号は毎日、キッチンに立っている。
     二号の問いかけに、アルベドは首を横に振って答えた。
    「いま、口内炎が出来てしまってね。不意に刺激が加わると痛むんだ」
    「口内炎?」
    「口の粘膜に起こる炎症のことさ。主に栄養不足や疲労が原因で起こる。ボクの場合は後者だから、キミの料理が悪いわけではない。……にしても、人間の体とは不自由なものだね」
     アルベドは再びフォークとナイフとで魚を切り分け始める。ナイフが皿の表面をこする、微かな音が二号には酷く耳障りに感じられた。
     人間の体。そう、自分たちホムンクルスは、まさに人間を模倣した人間を創り出すという科学的命題によって生み出された存在だ。だから、「本物」の人間と異なるのは、その出自――錬金術師の科学的な手順によって、体と魂とを人工的に用意された――だけだ。だが、その出自が異なる、ということが、どうしようもなく自分たちの存在の本質を規定していた。人間の肚から生まれない者は、人間ではないのだ。
     二号にとって、アルベドの言葉はしばしば傲慢に響く。創造主に「人間の模倣」としてすら認められずに捨てられたのは、自分の方だった。自分がありとあらゆる感情の地獄に身を浸していた時、眼前の相手は創造主に価値を見出され、社会に「人間」として認められていた。
    二号はテーブルを指でこつこつと苛立たし気に叩いた。
    「ねえ、キミ、それは自慢なのかい?」
    「まさか。ボクはホムンクルスという人工的な生命を作るにあたって、人間の不完全性まで師匠が模したことにやや不満を感じているだけだ」
    「ふうん、そんなに不満になるほど嫌なものなのかい?」
    「痛みとしては大したことはない。けれども、ふとした瞬間に痛みが走り、集中力を乱すから、ボクにとっては大きなストレスだね」
     へえ、とだけ、二号は相槌を打った。それから、また沈黙が二人の間に横たわった。アルベドは早々に食べ終えると、ご馳走さまと言って、自室へ引き籠った。詳しくは知らないが、騎士団の仕事で面倒なものに追われているらしかった。
     
     翌日以降、アルベドは自分の工房に泊まり込むことになり、二号は二人分の食事を作るという責務からしばし解放された。ふと思い立って、あえて食生活を乱れさせてみると、あっという間に口内の粘膜の一部が腫れた。
     意図的に出現せしめた人体の不具合を、二号は楽しんだ。下唇の内側に出来た腫物は、柔らかな舌先でつつく時、鋭敏に痛みをもたらした。場所柄、何か物を咀嚼する時にも腫れと歯とが摩擦しあって、苦痛が生まれる。だが、こんな苦しみですら、二号には新鮮だった。人間の体の不自由さでさえ、人間として生きなければ味わえないものだ。二号は熱い紅茶やコーヒーを喉に流し込んでは、滲みるのを面白がった。
     だが、数日も経つと、新鮮味が薄れ、口内炎を治すために有効な食事を重ねた。すると、見る見るうちに治り、それもまた二号の興味をそそった。
     アルベドは結局、ごくたまに家に帰ってきては、すぐさま騎士団本部にある工房に戻っていく。彼の存在感が薄まった家で、二号はトーストとコーヒーだけの簡便な朝食を済ませるのが、この頃の習慣となっていた。今日は朝食の片づけをしたら、モンドの街へ出る予定だった。
     二号は家事以外の余暇の時間を読書や研究にあてていた。それらに必要な書物は、アルベドが工房に置いているものや、騎士団の図書室にあるものを彼を通して借りていたが、最近ではそれもままならない。買ってもいいが、二号の読みたい本と市場の供給とはなかなか一致しない。
    第三者の前での不用意な鉢合わせを避けるため、事前に約束していない騎士団本部への訪問は禁じられていたが、どうせ工房に籠もっているに違いなかった。契約違反として嫌な顔をされるだろうが、窓辺で観葉植物のように育てているトリックフラワーの変異種を観察しているのにも、飽きてしまった。
     予期した通り、アルベドとは鉢合わせすることなく、彼の工房まで辿り着くことができた。まだ居ないだろうと思っていたティマイオスが合成台の横に立っていたので、うっかり話しかけられたのが少々面倒くさかったが、その程度だ。
     足音で来訪者が分かると言っていたから、自分が来たこともどうせ分かっているのだろう、と思いつつ、一応の礼儀としてドアをノックした。しかし、返事がない。研究に没頭して気付かないのか、それとも一時的に留守にでもしているのか。どちらにせよ、ここにこの「アルベド」の姿で立ち尽くしているわけにはいかなかった。幸い、鍵はかかっておらず、扉は容易に開いた。
     工房は雑然としていた。整頓されていない部屋は非効率的だと言ってこまめに整理整頓しているアルベドにしては珍しく、二号は「忙しい」という彼の言葉の実相に触れた気がした。部屋の主は窓辺に置かれたソファで眠っていた。椅子といった家具でさえも錬金術で簡単に作りだせるのだから、こんなに泊まり込むならベッドの一つぐらい作ればいい、と微かな苛立ちを覚えながら、ソファに近づいた。
     見下ろした先には、自分の同じ顔が眠りに就いている。雪のように白く澄明な肌、大きな瞳を縁取る長い睫毛、薄造りな唇。全体が与える印象は、精巧な人形がもたらすそれに似ている。自分の顔を錬金術で改造するために、嫌になるほど観察した顔だ。自分の元の顔とは、まるで違う。自分は、こんな美しい顔を与えられなかった。
     無意識に、下唇を噛んでいた。ふと、力が空転して、口内に嫌な感触があった。どうやら下唇の内側を変な風に噛んでしまったらしかった。口内炎にも似た、ささやかだけれども決して無視できない痛みが腫れあがってくる。舌先で、それをつついては、苦痛を引き出してみる。嫌な痛みだった。
     アルベドは昨日、一瞬帰宅した時に、まだ口内炎が治らない、とぼやいていた。二号は、眠る相手の上に屈みこみ、顔を寄せた。規則正しい寝息ばかりが漏れてくる。羽根に口づけるがごとき静けさで、自分と同じ唇に触れる。接吻は初めての体験だったが、粘膜と粘膜が触れ合う、妙な感触だと思った。スライムに口付けたら、こんな感じだろうか。
     おずおずと舌を伸ばして、歯列を舐め上げる。すると、自分と似た腫れが舌先に引っ掛かった。不完全な人間を模したからこその、肉体の不自由。だが、それ故に模造された人間としては完全なのだ。二号はその人体の不具合を執拗に弄んだ。やがて、ゆるゆると瞼が持ち上がり、自分と同じ瞳が現れる。寝起きでも痛覚は正しく機能するらしく、小さな呻きとともに眉が顰められる。この顔が見たかったのだと、いやらしい満足が胸の奥底にじわりと滲みだす。
     予想に反して、体を押し返されはしなかった。寝ぼけているのかとも思ったが、碧い瞳はしっかりとこちらを見返している。自分だと分かって、好きにさせているのだ。何のつもりだか知らないが、そういう態度こそがこちらの神経を逆なでするというのに。
     口内炎をひとしきり舐めた後は、歯を割って、舌を絡めてやった。ぬるりと絡み合うそれは熱くて、柔らかい。全ての感覚がそこへ集約されてしまったかのように、舌先から伝わる感触は鋭敏で生々しく、二号は背筋を震わせた。下腹部に熱が集まって来る。
     口端に銀糸がつたう頃、ようやくアルベドが抗議の声をあげた。
    「……っ、ん、……キミ、一体何なんだ。よりにもよって、ボク相手に盛らなくてもいいだろう」
     二号の体を押し戻しながら、起き上がる。二号は素直にソファから身を退いた。
    「キミの口内炎でも治してあげようかと思ったのさ」
    「非科学的な考えだね。こうした腫れ物は触れば触るほど、治癒が遅くなる」
     良いことを聞いたとは言わずに、へえ、とだけ気のない返事をして、二号は本棚に目を移した。いくつかの本を抜き出し、これを借りて帰りたい、と当初の目的を申し出る。アルベドはざっと書名を確認し、あっさりと了承した。ただ、用件が終わりなら早く出て行ってくれないか、と容赦なく言われ、別に長居する理由もないので、さっさと工房を後にした。

     二号は本を抱え、厚切りの上等な肉を買って帰った。夕飯はステーキだった。小食のアルベドはすぐにお腹いっぱいになると言って、こうした肉料理をあまり好まない。どんなに似せようとしても、胃袋まで似るはずもなく、二号は彼よりは肉料理が好きだった。
     ミディアムレアに焼いた肉は、舌にのせると柔らかく、蕩けるような味わいだった。そのたっぷりとした肉の質感は、二号に今朝のことを思い出させた。最初は単なる嫌がらせのつもりでしかなかった。ただ、粘膜と粘膜とが触れ合うだけのことだと思っていた。
    ――なのに。
     あの時、同じ顔に、憎いと思ってる相手に、自分は性欲めいたことを覚えてしまったらしかった。感情とは遠いところで、ただ肉体的な刺激で、こんな反応を「人体」とはしてしまうものらしい。
    「人間の身体は不自由、か」
     向かいの空席を見遣りながら、二号は独り言ちた。
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