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    アルベド誕生日祝い。
    誕生日当日、菱形の痕に色々を思いを巡らせるアルベドの話。クレー、2号、アリス、モブ妊婦が出てきます。

    いのちの欠片 ひとつの雫が、なだらかな首へ落とされる。
     それは木が枝を伸ばし、花を漲らせるように、体の隅々にまで沁みとおりゆく。神秘的な力が全身に充満し、奥深く水底に眠っていた意識が揺蕩いながら浮上する。
    ――ぼんやりとした眩しさを覚えながら、薄っすらと瞼を開く。けれども、更に強い光に襲われて、思わず目をつぶった。すると、横で耳慣れない妙な音がする。見知らぬ女が、くつくつと笑っていた。目を閉じたら暗くなったけれども、空気が震えて、その刺激は自分に届き続けた。
     全てが妙な感覚だった。何かが見えて、何かが聞こえて、何かが自分に触れていた。何もかもが渾然としていた。自分の視界には、細長く、うねうねと動くものがあった。それが何か分からず、恐怖した。隣にいたものがやはり笑って、これはね、あなたの体、あなたの一部、手と言うの、と喋った。からだ? て? これが自分? 何のことか、まるで分からなかった。
     その見知らぬ女は、きらきらと光る何かを持ってきて、目の前に置いた。すると、見知らぬものが、もう一つ増えた。見知らぬ女と、どこか似ていて、でもどこか違う。触ろうとしてみるけれども、ただただ平たくて、硬い。
    「これは鏡。ここに写っているのは貴方の姿なの、アルベド」
     どういうことなのだろう、と思った。だが、目の前のものをじっと見つめるうち、鏡とやらを抱えているものには無いものがあることに気が付いた。黄色くて、妙な形をしたものが、顔のすぐ下にある。
    「ああ、アルベド、それはね――」

     * * *

     瞼の裏が明るくなり、朧げな意識が徐々に形を結び始める。アルベドが思い切って目を開けると、窓から白々とした朝の光が射し込んでいた。ベッドから起き上がり、顔を洗うためにテーブルへ向かう。水差しから洗面器へ水を注ぎいれ、泡立てた石鹸で顔を洗い、洗面器に溜めた水で流す。その後はいつも通り、西風騎士団の制服へ着替えて、質素な鏡の前に座った。あちこちへ跳ねやすい亜麻色の髪へ櫛を入れ、ハーフアップにするための小さな三つ編みを編んでいく。細い髪束を交差させていく動きはもはや指先が覚えていて、さしたる気も遣わない。
     無意識に指を動かしながら、アルベドは自分の首元へと視線を注いだ。青い襟元から覗く、菱形の、星のような痕。
    ――少しだけ、疲れる夢だった。
     先まで見ていた夢は、痕が自分の皮膚へと刻まれた時の、空想的な回想だった。アルベドが錬金剤の雫を垂らされ、レインドットによって一つの生命として立ち上げられたとき、人間の子どものようにアルベドもまた今よりは幼く、また世界に対して何ら知識を有さない無垢の状態であったから、その時に何かを正確に知覚することも、その記憶を保持することもできない。レインドットからその時の様子を聞かされたり、あるいは彼女と一緒に巨大な生命が卵を突き破り、培養槽の破壊とともに誕生した瞬間に立ち会ったりしたことはある。けれども、結局はそうした知識を寄せ集め、一つの像に彫琢された虚構に過ぎない。夢は潜在意識、深層心理を表すものだという学説があるが、だとすれば、こうした夢を時折見てしまうことの意味は明らかだ。
     菱形の痕を、そっとなぞってみる。指の腹に、皮膚がケロイド状に引き攣れた感触がざらりと伝わる。自然生命が内から外へ広がるのに対し、自分の命が外から内へと広がった痕跡。「人間」としての不完全性の証。「人間」ならば、決して持ち得ないもの。
    ――アルベド、あなたは私が作ったホムンクルスなの。
     レインドットがそう語ったのは、もはや記憶が擦り切れるほど遠い昔のことだった。アルベドは自分を人間と信じながら日々を過ごし、ある程度の齢を重ねていた。レインドットは神の領分を侵さんほどの、数多の生命を創造する天才だった。その奇跡の現場にアルベドも何度も立ち会っており、厳格な彼女が言う面白くない冗談にしては、あまりにも具体的な証拠が多すぎた。訝しるアルベドを見て、レインドットの長く骨ばった指先が首元の痕を指し示す。
    ――あなたのそれ、何だと思う?
     その時、アルベドは自分がどのように命を与えられたのかを生まれて初めて知った。彼女がアルベドが幼い頃から決して自分を「母」とは呼ばせず、「師匠」と呼ぶように命じてきたこと、旅で出会う人々と自分の首元が異なることの謎が、ようやくそこで解けたのだった。レインドットがアルベドにその話を聞かせたのは、奇しくも今日と同じ日付、九月一三日のことだった。淡々とした彼女の言葉を聞きながら、自分とこの世界との間に一枚の薄いヴェールが挟まったようだった。
     それから、レインドットが培養槽で育む命を、自分もこれと倫理を逸脱した同じ化け物なのだと眺めるようになった。同時に、今まで無感動に観察してきた自然を眼差す時、そこに驚嘆と、畏怖と、ほんの少しの憧憬が混じるようになった。一度だけ、菱形の痕を爪で引っ掻いて、かさぶたにしたこともあった。それは見たレインドットがその眉を顰めたので、薬を塗り、すぐに治した。それからは、シャツの襟はいつも潔癖に閉めて、「神の目」を授かってからは、痕を覆い隠すようにその上につけていた。
     それを、自分の体の一部として堂々と人目に晒せるようになったのは、レインドットの親友であるアリスと、彼女の娘であるクレーの言葉がきっかけだった。彼女は、アルベドがレインドットに命じられるままモンドを訪れた時、笑って彼を迎え入れた人だ。ある日、彼女はお気に入りのティーカップを銀のスプーンでぐるぐると混ぜながら、アルベドに語り聞かせた。
    「ねえ、アルベド、吹きガラスって知っている? テイワットではあまり流行っていない技術だけれども、とても美しい工芸品のことよ」
     アリスは最近手に入れたばかりだという、吹きガラスの花瓶を棚から取り出し、アルベドの目の前に置いた。簡素な形ながらも、アイスブルーの綺麗なものだった。吹きガラスの工芸品は高価で、アルベドが時たま手にすることがあっても、それは何か高価な薬品を保存しておくために使われ、こんな風にまんじりと眺めるのは初めてのことだった。よく観察すると、ガラスの内部にぽつぽつと気泡が混じっている。光に透ける青と相まって、それは海の美しさを思わせる。アルベドのそんな感想に、アリスは顔を綻ばせた。
    「実は、こうした気泡は吹きガラスの工芸では欠陥なの。面白いと思わない? 人間が何かを作る以上は完璧などありえないのに、手芸の痕跡を残さないことこそに価値が見い出される。でも、私はその痕跡さえも美しいと思うの。気泡のない完璧さには高度な技術が宿っているけれども、気泡のある不完全さにはこれを生み出そうとする作り手の努力と愛情が宿っている気がして――それに今、あなたが海のようだと評したように、失敗は失敗だけを意味しないものよ」
     アリスが何を意図して、こんな話をしたのかは、アルベドには正確には了解できなかった。
     けれども、「あなたにあげるわ」と渡された例の花瓶を眺めて過ごすうち、段々と鏡に自分の姿を映すことが億劫ではなくなっていった。
     ある日、クレー――アリスの娘で、モンドを訪れてから出来た義妹だった――の前で無意識にシャツの襟を緩めたのも、その表れだったかもしれない。夕暮れの実のジュースを運ぼうとしていたクレーが盛大に転んで、アルベドの胸元へそれをこぼした。糖分を多量に含むそれが肌にまとわりつくのが不愉快で、襟を緩めてすぐさま首に伝う水滴をハンカチで拭おうとした。クレーが大きな丸い瞳を、太陽のようにらんらんと輝かせたのはその時だった。「ごめんなさい」と泣きそうな顔をしていたはずの彼女は、その反省をすぐさま何処かへ投げ捨てたらしく、「アルベドお兄ちゃんの首にお星さまがいる!」と世紀の大発見のように喜んだ。クレーの不注意を叱るのも忘れて、星、と呟いていた。その次、クレーに会った時に襟元を閉めていたら、「今日はアルベドのお兄ちゃんのお星さまが見れないの?」と寂しそうな顔をされ、それからずっと開襟するのが習慣になった。
     だから、もはやこの菱形の痕に特別な感慨はないはずなのだ。自分の誕生日に、あんな夢を見たことも吟遊詩人ならばある種の運命めいたものを見出し、ロマンティックな詩に仕立てるだろうが、それはウェンティなど吟遊詩人の仕事であって、学者たる自分の領分ではなかった。
     いつもより鏡の前に座りすぎたらしい。階下から自分を呼ぶ二号の声が聞こえた。アルベドは自分と同じホムンクルスであるこの不思議な兄弟と、ある種の契約を交わし、共存を試みている。二号が朝食を作るのは、その契約のうちの一つだ。今朝は紅茶だといいなと思いながら自室を出ると、香ばしいトーストの香りと混ざって、ほろ苦いコーヒーの匂いが階下から風に乗って届いた。

     * * *

    「アルベドお兄ちゃん、今日は楽しかったね!」
     らんららんらん、と歌うクレーは上機嫌だった。手を繋いでいるのに、時折ぴょんぴょんと跳ねるものだから、腕をあちこちに振り回される。レインドットと旅をしている頃なら、その無意味な稚さを快くは思えなかっただろう。二つ結びのおさげがふんわりと揺れる度、アルベドは口元を微かに綻ばせた。
    「アルベドお兄ちゃんの誕生日、みんなでお祝いできて、クレー、とっても嬉しかったよ!」
    「うん、良かったね」
    「……もしかして、アルベドお兄ちゃんは嬉しくなかったの?」
    「そんなことはないさ。ボクも楽しんだし、クレーが喜んでくれて良かった、と思っているんだよ」
     一瞬曇っていたクレーの顔が明るさを取り戻す。また次の年も、そのまた来年も、来年の来年もお祝いしようね、とはしゃぐ声に、アルベドは一つ一つ丁寧に頷いた。
     アルベドにとって、「誕生日」とはそれ以外の日々と何ら変わることのない日だった。人間の道徳を逸脱した自分という存在が、一つの命として祝される資格のあるものだとは、アルベドには到底思えなかったのだ。自分の誕生日を人に告げることもなかった。クレーにさえも。
     今日も平凡な一日として過ぎるはずだった。だから、朝はいつも通りに西風騎士団の制服を着て、騎士団本部の工房へ赴いた。何通か届いた手紙――行秋との打ち合わせ、八重堂からの『沈秋拾剣録』重版の知らせなど――の中に、アリスからのものがあった。冒険家という職に相応しい、軽やかな筆致で綴られた手紙はアルベドの誕生日を祝うものだった。
    ――あなたが自分の誕生日に思い入れがないのは知っているわ。でも、私にとって、あなたは親友の子どもであると同時に、私の子どもでもあるから、ぜひお祝いを言わせて。誕生日おめでとう、アルベド。旅先で見つけた素敵なものを贈るわ。クレーと一緒に楽しんでね。
     そこまで目を通した時、工房のドアに「実験中」の札を下げるのを忘れたのか、クレーが入り込んできた。彼女はテーブルの上に置かれたアリスからの贈り物に目を留め、添えられたカードからそれが誕生日プレゼントらしいと理解したらしかった。
    「今日ってアルベドお兄ちゃんの誕生日なの⁉」
     クレーはいつも賑やかだが、少女らしい声が喜びと驚嘆ではち切れんばかりに弾む。誕生日をあえて告げないことは嘘を吐いていることにはならないが、問われて真実と異なる回答をするのは誠実ではない。首を横に振るのが躊躇われて、一瞬考えた後、アルベドは義妹の問いに素直に頷いた。
     すると、この小さな太陽は「みんなでお祝いしなきゃ!」と走り出し、あっという間に騎士団中に「今日はアルベドお兄ちゃんの誕生日なんだよ!」と伝達してしまった。騎士団員と顔を合わせる度、くすくす笑われながら誕生日を祝われた。図書館に行けばテーブルに気だるげに肘をついたリサには「贈り物として本の貸出期限の延長はどうかしら?」と微笑まれ、ガイアにはエンジェルズ・シェアで一杯奢るぞ、と誘われる。たまたま隣に居合わせたディルックが、ならばこの前の地脈の論文に関する礼として夕食でもご馳走しようか、と申し出て、結局アンバーやエウルア、それにベネットなど先日雪山で苦楽を共にしたメンバーにクレーを加えて、エンジェルズ・シェアで賑やかな夕食を楽しんだ。
    皆、心から祝福してくれたが、そのことよりも、自分の誕生日をきっかけとして人々が嬉しそうに過ごしていることの方が、アルベドには喜ばしかった。いつも携帯している画板と木炭を持ってきてないことが悔やまれた。どんなに幸福でも、過ぎた瞬間から記憶は薄らいでいってしまうから、アルベドはそれをなるべく絵という形で残したいと願っている。今日のことはなるべく記憶に焼き付けて、後日、油絵として仕上げようと考えながら、帰り道を歩いていた。
    「あの、アルベドさんじゃないかしら」
     街路に置かれたベンチの前を通りかかった時、若い女性に声をかけられる。その顔付きには確かに見覚えがあり、その女性によれば、以前、彼に夫婦で似顔絵を描いてもらったという話だった。だが、その時とは違って、彼女の体は腹部が大きく張り出しており、今は妊婦らしかった。クレーは物珍しいのか、指を咥えて、不思議そうに彼女をじっと見つめていた。
    「お姉さん、何でそんなにお腹が大きいの?」
    「実はね、中に赤ちゃんがいるの」
    「赤ちゃん?」
    「そう、あなたもすごく小さい頃には、お母さんのお腹にこうやって入っていたの」
    「へえ、すごい! アルベドお兄ちゃんもそうだったの?」
     何処までも純粋な双眸が、アルベドを見上げる。自然生命がこの問いに持ちうる答えはたった一つしかない。幼い義妹の問いかけに、アルベドは義務で答えるべきだった。だが、答えようという意志が訪れる前に、今日見た夢が脳裏を生々しく過ぎって、咄嗟には答えられなかった。
    「ふふ、そんなこと言われても、ピンと来ないですよね。あのね、あなたもお兄ちゃんも、みんな最初はお母さんのお腹にいるの」
     お腹に入れるぐらい小さいアルベドお兄ちゃん、とクレーは呟き、女性の腹部とアルベドとを交互に見つめる。最初は難しい顔をしていたが、やがて閃いたように瞳を輝かせ、爆弾みたいな大きさのお兄ちゃん、と一人で頷いていた。女性は子どもらしい発想と受け取ったのか、本当に子どもって面白いことを考えますよね、と笑っていた。
     クレーはまた何か思いついたように、「あっ!」と小さく叫び、好奇心に満ちた目で女性を見上げた。
    「ねえ、赤ちゃんって、このお腹のなかで何してるの?」
    「そうねえ、お母さんから沢山の栄養を貰いながら、お腹の外に出られる日を寝ながら待っているって感じかな」
    「えいよう?」
    「ご飯のこと」
    「お母さんのお腹のなかにいて、どうやってごはん食べるの? クレー、わかんない」
    「ふふ。お腹にお臍があるよね? お腹に空いてる穴のこと」
    「うん、ある!」
    「お腹の中にいる時は、そこから長い紐のようなものが出ていて、それでお母さんと繋がっているの。それで、ご飯を貰うの」
    「わあ、すごい!」
     クレーはいつも喜んだり、楽しかったりする時の癖で、小さな手をパチパチと叩いた。紐を通して食事をもらうというイメージの不可思議さ、はあまり気にならないらしく、そのごはんって美味しいのかな、と首を傾げている。しばしそのことに悩んでいたが、やがて、また何か思いついたのか、女性の腹部へ向けていた眼差しを、アルベドの方へ勢いよく振り向ける。
    「アルベドお兄ちゃんもおへそある?」
     アルベドは、口がいやに渇いていくのを感じていた。臍自体は、自分の体にも確かに存在している。だが、それは「人間」を模造するが故で、人間としての機能故ではない。眼前の女性やクレーのように、「母」と繋がったことなど、一度もない。先程のクレーの質問といい、こういう話は苦手だ、と感じた。いつもは静かな心の水面が、僅かにさざめいている。自分の生命としての異常性について、もう感情を覚えることをやめたのに。
    「……アルベドお兄ちゃん? どうしたの、だいじょうぶ?」
     こちらを見上げるクレーの顔には、不安と心配とが広がっている。ベンチに座る女性も気遣わし気にこちらを見ていた。普段は顔に感情など表れないはずなのに、よほど沈痛な面持ちでいたらしい。大丈夫だと言って二人を安心させ、加えて女性にはクレーと遊んでくれたことの礼を言って、別れた。騎士団本部のクレーの部屋まで送る途中、クレーはずっと何かを考えているようだった。部屋の前まで来た時、クレーはなかなか帰りたがらず、散々もじもじした挙句「あのね」と真剣な調子で切り出した。
    「何だい、クレー」
    「お兄ちゃん、もしかしておへそ、ないの? おへそがないなら、クレーのをあげようか?」
     お腹をさするクレーは真剣そのものだった。アルベドは義妹のこの勇気ある申し出を丁重に断り、歯磨きを忘れないようにと言い含めて、自分の家へ戻ることにした。ここまで来たなら寝る支度を手伝っても良かったが、アリスはなるべく自立的な生活を送らせたいらしく、アルベドを兄としながらも、日常の世話は焼かなくていいと言われていた。クレーもそこはよく分かっているらしく、おやすみの挨拶をすると素直に部屋に入った。

     帰宅した時、二号が居間で本を読んでいた。
    「おかえり。今日はキミの誕生日だったらしいね」
     二号は一人掛けのソファに預けていた身を起こして、テーブルの上に置いてあったものをこちらへ差し出した。それは小さな箱で、贈り物らしいラッピングが施されている。アルベドは意外の感に打たれながら、二号の掌に収まっているそれを見下ろした。誕生日のことは二号にも教えていない。何故なら、それは共存する上で特に必要な情報ではないからだ。
    「……キミがボクに贈り物?」
    「勘違いしないでくれ。ボクがキミの誕生を祝うとでも?」
    「正論だね」
     あっさりと返したことが、二号は気に入らなかったらしい。小箱をアルベドに握らせると、自分は元のソファに深々と座って、読み止しの本に再び目を落とし始めた。
    「用事があって街に出たら、ティマイオスに誕生日祝いに渡されたんだ。それで、今日がキミの誕生日だということも知った」
    「ならば、それはキミが貰えばいい。キミがアルベドとして貰ったのだから」
    「要らない。ボクの誕生日は今日ではないからね」
     二号は時折、こうした自我を言葉の端々に漲らせることがあった。彼は、アルベドの創造主と同じレインドットに造られ、失敗の烙印を押されるも、捨てられたドゥリンの腹のなかで蘇った暁には、アルベドを亡き者にしようとした。それは失敗作たる彼が、成功作たるアルベドに憧れ、羨み、そして憎んだからに他ならない――とアルベド自身は理解している。彼の望みは「アルベドとして遇されること」だったはずで、ティマイオスからのプレゼントは彼のその欲求を的確に満たすものだ。それを誇り高く断るということは、自分とアルベドとは別個の存在だという宣言に他ならない。
     アルベドはその視線を、二号の首元へ向けた。瓜二つの自分たちの、唯一と言っていい外見上の差異。彼の首には菱形の痕は存在しない。自分を何処までも模倣しながらも、この人間としての欠陥を彼は嫌って、自分の身体からは消している。確かに、「人間」はこんな痕を持たない。
    「ねえ、キミ」
    「何だい」
    「以前のキミには、錬金剤の雫を垂らされた痕はなかったのかい」
     ページを捲ろうとしていた二号の手が止まる。本から上げられた視線は、いかにも不愉快そうにアルベドへ注がれた。それでもソファから立ち上がろうとはせず、ただ沈黙していた。そうして、数十瞬の時が経った後、二号は重たげに口を開いた。
    「……あったに決まっている。キミほど綺麗な菱形ではなかったが」
     それだけ言うと、二号はそそくさと立ち上がり、足早に二階へ上がっていった。ぎしぎしと木材の唸る音が、静かなこの家にはいやに響く。アルベドは握らされた小箱を置き、カーテンが開かれたままの黒い窓へと手を伸ばした。そこには光と影を反転させたような、自分の鏡像が映っている。首元には見慣れた、菱形の痕。その内側は、ほんの僅かに落ちくぼんでいる。自分の命はここから注ぎ込まれ、誕生した。この痕こそが、「母」たるレインドットと自分とを繋ぐ、唯一のもの。
    「今度、臍があるかと訊かれたら今日よりは少し上手く答えられるだろうね」
     明日、この思い付きを朝食の席で二号に話してみようか、また嫌がられるだろうか。そのあてつけに苦いコーヒーを淹れられたら少し困る。自分は紅茶派なのだ。
     誕生日というものも存外悪くはないかもしれない、と思いながら、アルベドはカーテンを閉じた。
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