素直静かな研究室でペンを走らせる音と、時計の音だけが響いていた。
「こんな時間……シーザーにサンプルの資料持っていかないと…」
まとめた資料を持ち、🌸は自分の研究室からいつものように、シーザーが居る研究室に向かう。
(……あれ?)
ドアノブに手をかけた所で、🌸は動きを止めた。
中から声がしたが、シーザーの声ではなかった。
聞いたことのない男の声とシーザーの声。
外部の人間なんて珍しい、と🌸はドアノブから手を離す。
また後で資料を持ってこようと踵をかえすが、はたと立ち止まる。
(シーザーの友達かな……)
シーザーに友達がいるかはさておき、好奇心から、扉に耳を当ててしまう
盗み聞きなんて良くないとわかっているのだが……。
ごめんなさい、と心の中で謝りながら、🌸はじっと耳を傾けた。
『フッフッフ……シーザー、いたく気に入ってる女がいるらしいな?』
『あァ? そりゃ、なんの話だジョーカー』
『おれに紹介はナシか?」
『……』
『どんな変わり者だ? 少しぐらい教えてくれてもイイじゃねェか 』
『……、チッ。さあな……』
『フッフッフ!舌打ちか!よっぽど執心と見える! 』
『あぁ!?』
『 別に減るもんじゃねェだろ……それとも気に入りすぎて見せたくもねェか?
名前は確か…🌸、だったか?』
『なんでアイツの名前を!』
『ものにしたいなら、おれが手を貸してやってもいいぞ? 』
『ジョーカー!テメェ、何を企んでやがる』
『なにも。ただ、面白そうと思っただけだ』
🌸。自分の名前がでた。
それにぎょっとしていると、ガチャリと音を立てて扉が開かれる。
「あ……?」
目の前に立っていたシーザーは驚いたようにこちらを見つめたあと、ニヤリと笑った。
「盗み聞きとは感心しねェな?」
ビクっと肩が跳ね上がる。バレてしまった。
「ご、めんなさい……」
「おまえに聞かれても困るような話はしてなかったぜ?」
そうだろうか……ちらりと部屋の奥を見ると派手なピンク色のコートを羽織った男がソファに腰掛けていた。
「……、あの、」
「なんだ?」
見下ろしてくるシーザーを見上げる。
「わたしの話してた……?」
恐る恐る訊ねると、シーザーは一瞬目を丸くしたあと、「あー……」と言いづらそうに頭を掻いた。
「言葉の綾っていうやつだ」
「え?」
予想外の答えに驚く。
「だから! おまえを気に入ってるのは確かだが、そういう意味じゃねェんだよ!」
そこまで聞いてない。
焦ったような様子で早口で言うシーザーの頬は赤く、何をどうとっても照れ隠しだった。
「おい! その生暖かい目をやめろ! おまえは部下として優秀だから手元に置いてやってるだけであってだな……!」
「えー、っと、ごめんなさい……」
シーザーは決まり悪そうな顔を片手で覆い隠し、🌸に問いかける。
「それで? おまえはここで何をしている?」
「あっ、これ、資料を持っていこうと思って……」
手に持っていた紙束を見せるとシーザーはそれをそのまま受け取り、目を通し始めた。
「流石だな。もうまとめたのか」
「うん……」
部屋の奥のピンクのコートの男から視線が飛んできているのを感じ、🌸は居心地悪そうに腕時計を見た。
「えーっと、じゃあ、研究室に戻るね。お邪魔してごめんなさい」
「おい、本当に紹介はナシか?」
先程まで確かにソファに座っていた男がぬっとシーザーの横に立っていた。
「うわっ!? びっくりした……。急に出てくるなよ、ジョーカー」
ジョーカー、そう呼ばれた男は🌸を見下ろす。
「おれはジョーカーだ。シーザー。おまえの女に興味がある。紹介しろ」
「……断る」
「クライアントに随分な態度だな?……フンッ。まあいい。また来るとしよう」
ジョーカーはくるりと踵を返すと部屋の外へ出ていった。
「変な人だね……」
「ジョーカーを変な人って言ったヤツなんざ、おまえがはじめてじゃねェか……」
どっと疲れてような声色で言うとシーザーはするすると部屋に入っていった。
「🌸、さっきの話は忘れろ」
ピシャリと言い切られ、扉も閉められた。
シーザーはわりと顔に出やすいタチだ。他の部下の手前、善人ぶった顔をしている時はそうでもないが、
こうして、裏の顔を知っている相手の前ではコロコロと顔が変わる。
先程は白い肌が赤くなっていた。
(お気に入り……)
この自分がだろうか。🌸は海軍に勤めていた頃からシーザーの助手だった。
パンクハザードの事件の顛末を全て見ていた🌸は、シーザーに半ば脅される形で連れ去られ助手をしているが、この生活は嫌いでない。
「まぁ、別にいいか……」
シーザーに気に入られてようが気に入られてなかろうが、やる事は変わらない。自分は彼の助手なのだ。
自身の研究室に戻り、そんな事をぼんやり考えていれば、すっと机に影がおちた。
「シーザーとずいぶんと仲が良いようだな」
「……!?」
この声は先程シーザーの部屋にいた、ジョーカーと名乗った男の声だろう。
振り返ると、🌸の真後ろに何が面白いのか口角を上げたジョーカーが立っていた。
「え、あ、いつの間に…?」
「扉が開いていた。無用心だぜ、お嬢さん」
閉めたはずでは、と思ったが言葉を飲み込む。先程は感じなかったが妙な威圧感を感じた。
「あの、ジョーカーさんは、シーザーの友達ですか?」
「いや、クライアントだ。つまりおまえにとっての雇い主でもある」
そう言いながら、ドンっと、片手を机に置き、身体をぐいっとを寄せられた。シーザーも背が高いが、この男も背が高い。
「……な、なにか」
ジョーカーはサングラスをかけているせいで表情が良く読み取れない。
🌸は思わず、顔の前でハンズアップした。
「フッフッフ、なにがそんなにイイんだろうな」
手を伸ばされる。シーザーのスラリとした手と違い、大きな手だった。何か、こわい。
「🌸!!!! この計算大間違いじゃねェか!」
バーーンと勢いよく扉が開けられ、シーザーの声が飛び込んできた。
「な! おい! ジョーカー、おれの部下の部屋でなにしてやがる!」
半分、机の上に押し倒されるようになっていた🌸と、それに覆いかぶさるようになっていたジョーカーを見て、シーザーは悲鳴じみた声をあげた。
「いや、なにも?」
スッと、身体を離し、何事も無かったように手をひらひらさせる。
「🌸、ジョーカーになにもされてねェだろうな!?」
滑るように2人の間に割って入り、まるで怒った猫のようにジョーカーに歯を剥き出しにして怒声をあげた。
「どういう了見だ、ジョーカー!」
「おまえが紹介してくれなかったから、お喋りしに来ただけだ」
ジョーカーは面白いものを見たとばかりに、フッフッフと笑うと、すたすたと扉に向かう。
「またな、お嬢さん」
背中越しにひらひらと手を振り、今度こそジョーカーは部屋から出ていった。
「シーザー……」
「あ!?」
怒っていた勢いのまま🌸を見れば、🌸は小さく震えていた。
「……くそ、本当になにもされてねェんだな?」
肩を両手で掴まれ、上から下まで観察する。衣服の乱れはない。傷もない。見た目は大丈夫そうだ。
「うん……」
「……悪かった。怒鳴ったりして」
シーザーはパッと手を放すと頭を掻いた。
「あの、シーザー」
「なんだ?」
「計算……間違ってた?」
その言葉にポカンとした後シーザーは、またも「あーー…」とバツが悪そうに言葉を吐く
「おれ様の勘違い、だったみてェだ」
「……」
そうか、シーザーはわざわざ心配になって自分の部屋に来てくれたのか。
『おまえを気に入ってるのは確かだが』
先程の言葉を思い出して、🌸は言い訳をずっと述べているシーザーに
ぼふりと抱きついた。
「な…!?」
「ありがとう」
赤くなったり青ざめたりした後、シーザーはポンポンと🌸の頭を叩き
「……どういたしまして…」
と呟いた。