天使と司書本、本、本、本。
沢山の本の中から、人より大きな本を一冊引っ張り出す。図書館の司書であるモンドールしか出入りできない司書室。その中に貯蔵されている本はビックマムすらよくは知らない。
「よ、調子はどうだ?」
ページを開き、声をかける。そこには大きな白い翼に光の輪を背に輝かした女性が座っていた。
「モンドール!」
女性は嬉しそうに声を上げると、そのまま本から飛び出してモンドールに抱きつく。大きな翼で包むようにして、すりすりと頬を擦り寄せてくるものだから、モンドールは焦ったように女性を突っぱねる。
「こら! 近すぎるだろ!◯◯!」
◯◯。それがこの女性の名前だった。
「だって、昨日来てくれなかったから……」
「あぁ、それは悪かったよ。忙しくてな……それより、怪我の具合はどうだ?」
しょんぼりとした様子で羽を下げる◯◯は、背中を見せる。
羽の付け根あたりに巻かれた包帯はズレていて、大きな傷が見えていた。
「あんまりよくない」
「バタバタ動かすからだろ」
モンドールは本棚から治療用品が詰まった本を取り出すと、替えの包帯と傷薬を取り出す。
「ほら、見せてみろ」
「ん」
ペタンと床に座り、翼を差し出す。モンドールが古い包帯を解いていく。
モンドールが◯◯を拾ったのは1週間前だった。
ホールケーキアイランドの端っこ。
周りににぎやかなホーミーズも少なく、静かなそこはモンドールのお気に入りの場所で、一人で読書をして過ごすにはうってつけだった。
ページを捲り、文字を追う。北の海で出版されたばかりのファンタジーだが、
なかなか引き込まれる内容にモンドールは黙々とページを捲っていく。
次のシーンはどうなるのかとページを捲ろうとすると、ひらりと何かが本に落ちてきた。
「……羽?」
大きな羽だった。大型の鳥でも通り過ぎたか? と空を仰げば、太陽を遮るように何かが"降ってきた"
「やーーーー!死ぬーーーー!」
声に驚き、よく目を凝らせば大きな翼を携えた何かがすごい勢いで落下してきているではないか。
「どいてーー!」
「はぁーー?!??」
モンドールが声を上げて硬直していると、当の声の主は必死に翼をバタバタとさせ減速するとそのままベシャリと目の前の地面に激突した。
「いたい……」
「……な、なんだ、お前……!」
驚きながら見れば、大きな白い翼。背中には光る輪。空島の住人にも見えるが、少し違うような見た目の女性だった。
「……◯◯…天使……だよ…」
地面に伸びたまま◯◯はそう言うとガクリと気絶した。
それがちょうど1週間前。
「ほら、替え終わったぞ」
新しい包帯を巻き直し、そっと翼を撫でれば◯◯は嬉しそうに目を細める。
天使と名乗った◯◯の話を聞けば、どうやら空島のはるか上からやってきたらしい。
「まったく、大人しく過ごしとけって言ってるだろ」
「ありがとう、モンドール。大好き!」
屈託なく笑いかけられ、モンドールは頬が熱くなる。
最初こそママに報告しようと思ったが、目が覚めた◯◯は傷を負っていて、
さめざめと泣くものだから、なんとなく放っておけなくなってしまったのだ。
「モンドールがいなかったら私、死んじゃってたよ」
「あー、そうかい」
治療をしてやり、食事を与えてやれば◯◯はあっという間にモンドールに懐き、口を開けば感謝の言葉を述べていた。
「飛べるようになったらモンドールのこと、上に連れてってあげるね」
恩返しに空島のはるか上に連れてかれるというのは、なんだか小説じみているな、などと思いながらモンドールは◯◯の翼を眺める。
「そんなに高く飛べるのか」
「うん、天使だからね!」
立派な翼は確かに力強く、華奢な◯◯とは釣り合ってないようにさえ見えた。
確かにこれなら傷が治ればどこまでも高く飛んでいけそうだ。
「早く治るといいな」
膝を抱えてニコニコしながら身体を揺らす。
モンドールは「大人しくしてりゃ、治るだろ」とため息をついた。
◯◯がモンドールに拾われて1ヶ月たった。
怪我の調子は芳しくない。
「モンドール、どうしよう、ぜんぜん治らないよ」
ポロポロと大粒の涙を流しながら、依然として治らない傷の痛みを感じ◯◯は手で顔を覆う。
「悪くはなってないが、良くもなってないな」
包帯を替えてやり泣きじゃくる◯◯を労わるように翼を撫でる。
「私、もう、帰れないのかな」
そう考えるともっと涙が溢れてきた。拭っても拭っても溢れる涙を見ているとこちらまで辛い気持ちになってくる。
「……◯◯。いいもの見せてやるよ」
「……?」
モンドールは立ち上がり、本棚から一冊の本を取り出す。
空色の表紙に雲が箔押しされた本だった。
「なぁにこれ」
「天候の本だ。あらゆる空模様について書いてある」
「綺麗な表紙ね」
モンドールがページを捲る、晴れの空、雨の空、曇り、積乱雲、虹……様々な空の表情が版画と共に記されていた。
「◯◯、手を」
「うん」
手を差し出され、◯◯はその手に自分の手を重ねる。モンドールは◯◯の手をそっと握ると、もう片方の手で本に触れた。
「行くぞ」
ぐわん、と、視界が開けた。
そこは真っ青な空。先程までいた司書室から突然、空中に放り出されたように見渡す限り空だった。
「わ、わ! 何これ!」
「本の世界だ」
モンドールの手を思わずぎゅっと握る。空にいるのに、浮遊感はなくまるで自分たちの足元に透明な地面があるようだった。
「お前の故郷はわからんが、気晴らしになるだろ?」
手をひかれ、少し歩くとモンドールがページを捲るように空を捲る。
今度は視界いっぱいの夕陽が広がり、二人をオレンジ色にする。
「すごい、すごい!」
ぴょんぴょんと跳ねながらそれでも、モンドールの手は離さずに、◯◯は嬉しそうに目を輝かせる。それから、土砂降りの雨を眺めて、二重に重なった虹を見て、最後のページの星空を、◯◯とモンドールは座りながら眺めていた。
「不思議ね〜、こんな綺麗な空、私も見たことない」
「本の世界は空想の世界。時には現実より美しいさ」
モンドールにもたれかかり、キラキラと輝く星を見る。
◯◯の視界がじわりと歪む。
「……帰りたいな」
すんっと鼻をならし、涙を拭う◯◯に、モンドールは顔を合わせた。
「なぁ、◯◯。もし、傷が治らなかったら。ココに住まないか」
「……え?」
ぱちくりと目を瞬かせる◯◯の手を両手で包み、モンドールは続ける。
「万国はあらゆる人種を歓迎する国だ。おれのマ……この国の王は◯◯のことをきっと、大歓迎だ。こうやって本の中で気晴らししてもいいし、他にも楽しい物語はいっぱいある。お菓子も娯楽もなんでもある。どうだ…?」
真剣な目で◯◯を見つめ、モンドールは◯◯の手をぎゅっと握る。
「……モンドールも一緒?」
「ぇ、あ、おれか?」
ニコリと笑いながら頷く◯◯に、モンドールは一瞬、目を見開いたが、同じように笑顔を見せる。
「ああ、おれも一緒だ」
「じゃあ、嬉しい」
抱きつかれ、頬をすりすりとする。◯◯の背中の翼が月に照らされてそれはそれは綺麗に見えた。
「あぁ、おれも嬉しいよ」
「うん」
いつも入っている本に入り、◯◯はおやすなさいとモンドールにへにゃりとした笑顔を見せる。
本を閉じて、表紙を撫でる。
「嬉しい……か」
口元が緩む。このままゆっくりと◯◯が帰ることを諦めてくれるまでは、しばらく◯◯の事はママには黙っておこうと、そう思った。
モンドールの本の中は "時が進まない" 本を開けて内容が変わっていたらおかしいからだ。
だから、本にいる間、◯◯の翼の傷は悪くなることはないが良くなることもない。
本の外で過ごして飛べるようになっても、自分から離れないようにしなければ。
「天使だぞ、手放すわけないだろ」
夢物語のような美しい翼、純粋な性格。そしてあの笑顔。
モンドールと呼ぶたびに心が掴まれるような気持ちになる。
「おれのだ、ママにだってやりたくない……」
表紙を撫でモンドールはそう呟いた。