お仕事🌸はお湯が沸くのを眺めていた。
時刻は3時少し前。
ここ万国においては、3時は大事なおやつの時間。
誰でもこの時間ばかりは気が緩む。
やかんの口から白い湯気があがりけたたましく音を立てる。
火を消してコンロからやかんをあげ、先に測っておいた茶葉の入ったティーポットに注いだ。
ガラスのポットの中で茶葉が舞うのを確認し、砂時計をひっくり返す。
毎日のこと。毎日の仕事。
『ペロスペロー様、わたしも補佐としてココにいます。お茶汲みだけというのは……』
『気にするな。街のみんなや兄妹には私から言っとくさ、ペロリン』
あの日の会話を思い出す。ペロスペローは最初からこうだった。
自分のことは自分で決めてやる。誰かに頼ることもしない。
シャーロット家の長男らしいといえばそうだが。
前任の🌸の父親はもう少し仕事を任されていたはずだ。
砂が落ちきったところでポットを持ち上げると、中の紅茶の色を確認する。
よし。いい色だ。
ティーカップに注ぎ、ミルクと一緒に角砂糖入りのポットをトレーに乗せる。
キッチンからペロスペローの執務室まで運べば、残念ながら今日の仕事も終わりだ。
いつものように書類に囲まれた机でペロスペローがペンを走らせている。
こちらを一べつするとまたすぐに視線を落とし、口を開いた。
「なんだ?」
「お茶をお持ちしました」
そう言うと🌸は黙ってテーブルの上にトレイを置いた。
そのまま踵を返そうとしたとき、「待て」と呼び止められた。
振り返ると、ペンを置き頬杖をつくペロスペローがいた。
その表情からは感情を読み取れない。
「おまえも一緒にどうだ? ペロリン」
「……結構です」
「まあ、そう言わずに付き合えよ。少し話したいこともあるしな」
話したいこと? なんだろうかと少しだけ期待が湧き上がる。もしやついにお茶汲み以外の仕事を任せてもらえるのだろうか?しかし、その期待は次の瞬間に霧散した。
「最近、生活はどうだ?」
世間話。仕事の話ではなかった。落胆しつつも答えないわけにもいかない。
「……特に問題はありません。みなさんとても良くしてくれています」
「それはよかった。何かあったらすぐ私に報告しろ。ペロリン」
「ありがとうございます」
それだけ言って部屋を出るつもりだった。
だが、最後にひとつ聞いておきたかったことがあった。
「ペロスペロー様、なぜわたしを側に?」
お茶汲み以外の仕事は全てペロスペロー自身が行っている。
自分などさっさとクビにしてしまえばいいだろうに。
彼は手を止めて顔を上げた。
そしてしばらく考えるような仕草を見せたあと、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「……部下には優しくするのが当然だろう。ペロリン」
そう言い残すと再びペンを手に取り作業を再開した。
「失礼します……」
🌸は一礼して扉を閉めた。
廊下に出ると、大きなため息をついた。
(結局、何も変わらない)
今日も仕事はお茶汲みだけだった。父親のように頼ってもらえず、毎日毎日、3時のお茶汲みだけ。
それがどうしようなく、悔しかった。そんなことを考えながら歩いていると、向こうから歩いてくる人物がいた。
(カタクリ様だ……)
シャーロット家次男であり、最高幹部「スイート3将星」の筆頭。
🌸は頭を下げて、カタクリが通り過ぎるのを待つ。
「おい」
呼び止められた声に肩が強張る。まさか自分に話しかけたわけではないだろうと高を括っていたが、違ったようだ。
恐る恐る顔を上げると、やはりカタクリがこちらを見下ろしていた。
「はい、なんでしょうか?」
「ペロス兄さんから聞いたぞ。おまえ、なかなか見込みがあるそうだな」
突然のことに🌸が呆けていると、カタクリは続ける。
「これからもしっかり励め」
それだけ告げると立ち去っていった。
取り残された🌸はその背中が見えなくなるまで見つめていた。
***
「ここにくる前に、🌸に会った」
カタクリはそう言いながら、書類にペンを走らせるペロスペローに向けて続けた。
「かなり、意気消沈していた」
「……そうだったか?」
ペロスペローは一瞬だけ手を止めたが、すぐにまたペンを動かし始めた。
「少しでも、仕事を任せたらどうなんだ?」
ペロスペローは再び手を止めると、ふぅっと小さくため息を吐いた。
「あいつには、おれの仕事なんてできないさ」
「そうやっていつまでも子供扱いして……いつになったら認めるんだ」
「……そりゃ、カタクリ。おれはみんなの兄さんだからな?ペロリン」
「そういう意味じゃない。もっと、🌸と向き合ってやった方がいいんじゃないかと言っているんだ」
ペロスペローはもう一度大きく息をつくと、肩をすくめて見せた。
「今日はやけにお喋りだな、カタクリ」
「……」
カタクリはむっと押し黙るが、それでもなお言葉を続けた。
「兄さんが思ってるほど🌸は子供ではない。兄さんもわかってるだろ」
「そうだといいけどな、ペロリン」
そう言うとペロスペローは再び仕事に戻った。
これ以上何を言っても無駄だと悟ったのか、カタクリも黙ってしまう。
カリカリというペンの音だけが響く中、ペロスペローが口を開いた。
「……それで、おまえは何の用だ? ペロリン」
「もう全て話した」
カタクリはちらりと視線を向けると、そのまま無言で部屋を出ていった。
残されたペロスペローは一人苦笑を浮かべると、手に持っていたペンを置いた。
「やれやれ……全く困った弟だ」
***
ベッドに沈みながら、🌸は先程のカタクリの言葉を思い出していた。
『おまえ、なかなか見込みがあるそうだな』
あのカタクリ様が嘘をいうとも思えない。けれど、本当にペロスペロー様がそう言ったのだろうか。
「お茶汲みしかしてないのに、見込みってなに?」
まさか、お茶を淹れるのがうますぎるという話でもないだろう。
それならきっと他の誰かの方がうまいに違いない。
🌸は、ただひたすらに自分がどうしてここにいるのかがわからなかった。
キャンディ大臣の補佐。つまりは雑務係として父親からその仕事を引き継いだ。
だが、その肝心の仕事がない。
『ペロスペロー様。わたし、大きくなったらキャンディ大臣の"ほさ"になります!』
『そりゃ、楽しみだなァ、ペロリン』
🌸が小さい頃。まだ、父親が生きていた頃の話である。
『おまえが将来、"ほさ"になったら、私は大助かりだ』
『本当ですか!?』
『あぁ、本当だとも』
『ありがとうございます、ペロスペロー様!!』
『だがその前に、キャンディはいるか?』
差し出されたキラキラのロリポップを、🌸はようく覚えいる。
笑顔の父親と、その頼れる優しい上司。自分もきっと、その役に立つのだと幼心に思っていた。
父親の葬式の時もだ。涙を流す🌸に、甘いキャンディをそっと握らせてくれた。
頑張ってきたのだ。父親と同じようになりたくて。
ペロスペローの役に立ちたくて。
けれど、自分はペロスペローにとっては信用に値しない。そういうことなのだろうか。
「……」
視界が歪む。じんわりと涙が込み上げてきた。
その時、扉がノックされた。
慌てて袖で目元を拭うと、「はい」と返事をした。
扉の向こうからは聞き慣れた声が聞こえてくる。
「ペロリン、私だよ」
その声の主が誰なのか、🌸はすぐにわかった。
「ペロスペロー様……?」
鍵をあけ、そっと扉を開く。
そこには紛れもない、キャンディ大臣、ペロスペローが居た。
「時間はあるか?」
「……はい。大丈夫です」
まさか、自分の家にペロスペローを招き入れる事になるとは思わず、🌸は緊張のまま
テーブルの椅子をひいた。
「すいません。散らかっていて……」
「綺麗に片付いてるじゃないか」
気にすることはない、と優雅に椅子に腰掛けペロスペローは🌸を見つめた。
「おまえは座らないのか?」
「え……」
呆けたように立ったままの🌸に、座るように椅子を手で示す。
「お茶を……」
キッチンを見ると、ペロスペローはそれを手で制止する。
「気にするな」
「……はい」
観念したように椅子にそっと座る。自分の家だというのになんて居心地が悪いのだろうか。
「そう固くなるなよ、ペロリン」
「は、はぁ」
そんなことを言われても、🌸は今までペロスペローと話したことなどほとんどない。
いつもお茶を汲み、テーブルに置く。今日はたまたま、声をかけられたがそんなものだ。
「……」
気まずい沈黙。一体、ペロスペローはなぜ訪ねてきたのだろうか。
(ついに、クビかな……)
いっそ、その方が楽かもしれないと、覚悟を決める。
「明日の仕事についてだ」
自分の耳がおかしくなったのだろうか? 今、仕事、と聞こえた。
「明日からキャンディ島で、キャンディの品評会があるだろ? それの取りまとめを……
🌸。聞いてるか?」
「は、、!」
遠くなっていた意識を戻し、🌸は慌てて立ち上がると、引き出しからペンと紙を引っ掴む。
「どうぞ!」
「くくくく、あぁ、品評会の組織委員会から人手を頼まれているんだ。
🌸にはそこに行ってもらう。品評会を成功させてほしい。それが、🌸の仕事だ」
私は別件で忙しくてな? と付け足す。
「はい!わかりました」
「頼んだぜ、🌸。期待してるからな?」
「は、はぃ……!」
その言葉に、🌸は思わず涙ぐむ。
ペロスペローはそれを見て微笑むと、じゃ、頼んだぜと🌸の家を後にした。
扉の向こうからは「やったーーー!」と大きな歓声が聞こえた。