それから彼女は神だった。
10歳の誕生日に神様になるための実を食べた。
その日から彼女は、🌸ではなくて神になった。
彼女は両親の顔は知らないし、村の人は彼女を神様としか呼ばなかった。
週に一度、村人達が1人づつ神に祈る。
彼女はそれを「聞き届ける」そうすると願いが叶うのだ。
神様だから、特別だから、小さな部屋で一人で過ごしていた。
誰かに悪用されないように、誰かに利用されないように。
食事を運ぶ村長はそう言った。貧しい村に恵みを与え続ける。それが神の仕事だと。
「目が覚めたか」
声に思考が浮上する。見たことのない天井に🌸は慌てて起き上がり、周りを見渡す。少し暗い部屋だった。横には椅子に腰掛け、カードを並べていたホーキンスがいた。
「あ、あなた! ここはどこですか!? 村は……!」
「ここはおれの船の上だ」
静かに答えるホーキンスに、🌸はぎょっとする。🌸が最後に覚えているのはこの男が村人を切り伏せた所だ。ベッドから飛び降り、目に映った扉を開ける。そうして何枚か扉を開ければ、目の前には海が広がっていた。
「……そんな」
島は見えない。どこを見渡しても海しかなかった。
「気はすんだか?」
声に振り返れば、ホーキンスがいた。何をしようとするでなく🌸が呆然と海を見ていたのを眺めていたようだ。
「帰らなきゃ……!」
船から飛び降りようとした🌸の腰を、何かが掴む。見れば、それは藁でホーキンスの腕から伸びていた。
「戻ったところでどうする? また神として食いものにされるのか?」
「……っ!!」
🌸は何も言えなかった。ただ俯くしかない彼女に、ホーキンスは言葉を続ける。
「お前はあの村ではただ恵みを産むだけのものだった。違うのか?」
「私は、私の役目を果たすだけ……。それが私の全てです」
絞り出すように呟いた答えは、酷くじめなものだったが、それでも彼女はそれ以外を知らない。
「そうか。では泳いで村に戻るか?成功率は占うまでもないが」
「それは……」
グッとホーキンスの方に身体が引かれる。
「戻る村はない。おれが消した」
見下ろし、冷淡にそう告げる。
「……うそ、うそ…!」
「嘘ではない。さぁ、もう諦めろ」
「いや、どうして、どうして!? あなただって、私の力が欲しいんでしょ!?それなら、」
「違う」
🌸のその言葉に、ホーキンスはピシャリと言い切る。
「おれはお前を連れ出したかった。それだけだ。ここでは祈られることはない。好きに過ごせばいい」
するすると腰に巻き付いていた藁が解かれる。
「部屋は後で案内させる。おれはお前を拘束しない」
そう言い残し、ホーキンスは船内へ戻っていった。
しばらくして、喋る猫に部屋を案内された。彼はファウストというらしい。
「なにか有れば言ってくれ、あとでちゃんとした服と食事を持ってくる」
「……」
自分の暮らしていた部屋とは比べ物にならない良い部屋であることはわかった。🌸はベッドに腰掛け、じっと自分の手を見つめる。
『それは能力者の命を削る』
1つの言葉が頭をぐるぐると回っていた。
祈られればそれを叶える。10歳の頃からずっとそうしてきた。
願いを叶えれば強い疲労を感じる。村人全員の祈りを聞き届ける頃には
意識を保つのがやっとな程だった。
それが、まさか、命を削っていたなど知らなかった。
神様は人間じゃない。だから、きっと大丈夫だと、信じていたのに。
「神様なんかじゃ、ないんだ……」
ポツリと零れた声に応えるものは誰もいなかった。
それから数日の間、🌸は何をするわけでもなしにぼんやりとしていた。
ただベッドの上で横になっている日々が続く。
ホーキンスに連れ出されたことを思い出しては泣きそうになる。
自分が何をしたいのかわからない。これからどうすればいいのか、何もかもがわからなかった。
「船長。あの女どうするんですか」
ファウストにそう言われてホーキンスは占っていたカードから顔を上げる。
「どうもしない」
再びカードに視線を戻してしまうホーキンスに、ファウストは焦ったそうに声を上げた。
「じゃあ、なんで連れ去ったりなんかしたんです!」
「……惚れた」
「は?」
思わず聞き返す。
「あの女に惚れた。だから手元に置いておきたい」
「はぁ……!? 船長、正気ですか!?」
信じられないと声をあげるファウストに、ホーキンスはため息をつく。
「うるさいぞ。無理矢理どうにかしようとは思っていない。ただ側にいて欲しかっただけだ」
「いや、そういう問題じゃなくてですね……」
呆れるファウストをよそに、ホーキンスは再びカードを捲り、🌸のことを考える。
今頃何をしているだろうか。泣いてはいないか。腹は減ってないか。
あの小さな体躯で今まで何を祈られてきたのだろうか。
「20%か……」
カードを眺め、ホーキンンスはため息を吐く。何度占っても同じだった。
「何がですか」
ファウストの問いかけに、答えずホーキンスはカードをしまうと🌸の部屋へと向かうため立ち上がった。
扉をノックされる。
力なく🌸が返事を返せば、ホーキンスが立っていた。
「調子はどうだ?」
「……」
返事をせず天井を見たままでいると、ホーキンスは扉をしめベッドの端に座る。
「🌸」
名前を呼ばれ、🌸はのろりと身体を起こす。
「……名前」
「ん?」
「私のこと、🌸って呼ぶの、あなただけです」
「そうか」
「どうして、私を連れ出したりしたんです」
「お前に、惚れたからだ」
🌸の問いにホーキンスが答えると、彼女は目を見開く。
「え、」
「嘘ではない。おれは本気で言っている」
真っ直ぐに見つめられ、🌸は顔を逸らす。思ってもみない言葉だった。
「私の事、何も知らないくせに……」
「そうだな。だが、お前の全てを愛おしいと思っている」
「っ!」
即答され、🌸は耳まで真っ赤になる。
「やめて! もういいですから!!」
🌸はホーキンスの言葉を遮るように叫ぶ。これ以上言われたらおかしくなりそうだと思ったのだ。
「…🌸。お前の事が知りたい。何が好きだ? 何が嫌いだ? 何が嬉しい?教えて欲しい」
懇願するような声音に、🌸は何も言えず黙ってしまう。この男はどうしてここまで自分に執着するのか。
「お前のことをもっとよく知って、おれのものにしたい」
ホーキンスが手を伸ばそうとした瞬間、🌸は反射的に叫んでいた。
「触らないで!!!」
パシンと乾いた音が響く。
一瞬だけ驚いた表情をしたホーキンスだったがすぐにいつもの顔に戻り、小さく呟く。
「……そうか」
ただそれだけ言って立ち上がると、部屋から出て行ってしまった。
残された🌸は俯き、自分の手を見る。ホーキンスの手を振り払った手がじんわりと熱を持っていた。
「ごめんなさい……」
誰もいない部屋に🌸の声がぽつりと落ちる。