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    sbjk_d1sk

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    鯉博。超短文。

    十月二十五日 楓 月が真上よりも西に傾き、ぽつぽつと周辺の住宅が完全な消灯を迎え始めた頃、端末を鳴らしたのはドクターだった。リーが端末に耳を当てて通話に応じる。夜遅くという自覚があるためか、きっと自室か執務室であろうに吐息交じりの囁き声が鼓膜を擽った。
    『夜遅くにごめん、起こした?』
    「いいえ、まだ起きてましたよ。どうかしましたか?」
     リーが抑えることなく普段通りの声量で答えれば、ドクターの安心しきったため息が聞こえた。そこからはドクターも普段通りのよく通る声音で話し始める。澄んだ声色が悲しみと悔しさのあわいで揺れている。
    『明日誕生日なのに、直接祝えなくてごめんね』
     リーはきょとりと僅かに目を見開き、壁にかけてある紙のカレンダーを見た。そこにはあと数十分で訪れる明日に赤い丸が記されており、几帳面な字で「午後はお休み!絶対!」とも書かれている。もうそんなことに喜びを覚える歳でもないが、子ども達が祝ってくれるということに意味があり、その行為自体には素直に嬉しいと思える。血が繋がっているわけでもない自分のために、せっせと準備をする子ども達を見られることこそが最も尊いプレゼントだろう。
    「気にしないでくださいよ。ロドス本艦がこの時期に龍門から離れることはわかっていましたから。こちらこそ、うちのガキども全員降りちゃってすみません」
    『家族の誕生日なんだから、当然だよ』
     ロドスは今頃龍門から遠く離れた荒野を走っていることだろう。事前に聞いていた進行ルートを頭に思い浮かべながら、リーはカレンダーを見ていた視線を窓の外の月へと移す。同じ空の下にいるはずなのに、あまりにも遠いその人を想って。
    「覚えていてくれたんですねぇ」
    『記憶とは魂だよ。君が生まれてきてくれたこの日は、今の私の魂に刻み込んであるんだ』
     石棺に入らない限り忘れてやるものか、と変に偉そうなドクターの声。トンと何かを小突いたような音は、きっと己の胸を叩いた音だろうか。音しか拾えないというのに、ドクターは目の前にその人がいるように話す人だ。案外、顔を合わせて話すよりもこうして通話してみた方が親しみを覚えやすい言うオペレーターもいるかもしれない。緊張しやすいオペレ―ターなどはほとんどそうだろう。
    『それで、ええと。明日なんだけどさ』
    「はい?」
    『そこそこ大きい荷物がそっちに届くんだよね。あ、事務所の玄関はちゃんと通るから大丈夫だと思うんだけど』
    「……え、何ですか?何送ったんですかあなた」
    『アグタリスも駄目にするクッション』
     以前ドクターが調べていた最新作の超低反発クッションだった。その時は尻尾などで座るのにも一苦労なオペレーター達への配慮として宿舎に配置することを考えて調べていたが、まさか彼らよりも先に自分の手に渡ることになろうとは。リーはその金額を調べようとして、やめた。せっかくドクターが用意してくれたプレゼントだ、金額を気にしたことを口にしては失礼だろう。きっと宿舎でこの独特な尻尾故にうつ伏せに寝ていたリーのことを覚えていたのだろう。
    「ありがとうございます」
    『このやりとり本当は明日やるべきだけど。はい、どういたしまして』
     ドクターとの会話はこうしたテンポの良いものが多い。それは規則性のあるメトロノームの音と針の往復や、美しい楽器のセッションをしている感覚に似ている。会話に留まらず人間性なんかもそうで、世話焼きなリーとズボラなドクターは最初から同じ機械に組み込まれていた歯車のように噛み合った。どちらからともなく、くすぐったい声で笑い合う。
     多忙なドクターのためにもキリのいいところで通話を切り上げなければならないのに、この月明りの下の静かで幸福な時間が惜しくて話し続けているうちに、ドクターが「あ!」と大きな声を上げた。何か忘れていたのだろうか、それともマグカップの中身でも書類に溢したのか。どうしました?とリーが尋ねると、ふふと幸せそうに笑う声が鼓膜を震わせる。
    『誕生日おめでとう、リー』
     すっかり長話をしていたことすらドクターの計算の内だったらしい。日付を飛び越えた瞬間を狙っていた、祝いの言葉だった。
    『私が一番だ』
    「してやられましたねぇ。ありがとうございます」
    『それでね、もう一つ贈りものがあるんだ。……約束を、しよう』
     約束、という言葉にリーの心臓が少しだけ高鳴る。
     ドクターは基本的に約束をしない。業務上の契約や、オペレーターや子ども達から持ちかけられた約束には頷く。しかし自ら約束を結ぶことはしない。肉体の喪失を、魂の忘却を、いつ失われるかわからないそれらを裏切りたくないと言って、誠実さ故に未来という不確定の要素に希望も絶望も生まないようにして。時にそれは仲間への疑心であるとドクター自身も理解しているが、理解していることと納得していることは違う。
     裏切りたくないから、約束なんてしたくないと言った人。約束なんて嫌いだという人。
    『来年、また、こうして一番に君の誕生日を祝うから』
     明日さえ、一時間後ですら恐れるドクター。その人が来年を誓った。ほんのりと震える声で結ばれる、リーのためだけの、多大な勇気を振り絞った、ささやかな約束。
    『楽しみに待っててよ』
    「――えぇ」
     嗚呼、こんな風に己の誕生日を待ち遠しく思うのは、いつ以来だろうか。
    「来年こそは直接お祝いの言葉を頂きたいですねぇ」
    『……やっぱりちょっと拗ねてるじゃないか』
     ハハ、と笑えば今度はドクターが拗ねたような声を上げる。仕方がないだろう、とリーは思う。来年の約束までしてくれるほど自分を想ってくれている。そんな愛しい人と過ごせない日を惜しまないことがあるだろうか。
     鉱石病と天災、まだ見ぬ未知の存在に覆われたテラの大地は過酷であるのに多くが明日を疑わない。ドクターはそんなテラに生きる者の中で一握りの、残酷な世界を見て育まれてしまった人だ。明日の我が身の無事すら曖昧な蜃気楼のような人。だからリーは祈る。どうか一年後、このテラの大地に安寧の地と子ども達、友人、ドクターの命と心が無事に生き残ることを。
    「約束ですよ」
     その祈りが一年後、二年後、三年後も繰り返され、やがて明日を疑わない人々と同じように、約束が果たされることを毎年祈ることがなくなる日の訪れを願っている。
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    sbjk_d1sk

    DONE記憶を失って転生したリー先生と、連続する魂を持つドクターの鯉博。一部過去作から抜粋。
    オーニソガラムの亡骸 星の予言、星の花。星の光を探して、星屑と閃きを眺めて。



    「いらっしゃい、リー家の子」
     他人のテリトリーに足を踏み入れるのはいつだって、適度な緊張感と警戒心を必要とする。リーは詰めていた息を白色にしてそっと吐き、吐いた分の吸い込んだ空気が纏う花の香りにまたため息をついた。両親と比べ未発達な細く頼りない尾が揺れ、薄く柔らかな鰭が風にあそばれる。
     かつては龍しかいなかったという閉鎖的な集落はすっかり姿を変容させ、龍の数こそ多いものの昔に比べれば様々な種族が住み着くようになった。それにより貿易は一層栄え、利便性は改善し、知見や見解が広がったことで価値観も開放的な方向へと進んでいった。少年が足を踏み入れた家は、しかしそうなる以前――もう百年以上も前だ――に建てられた、異種族にまだ偏見や差別の考えがあった頃にその嫌う異種族に説き伏せられて建てられた家らしい。家屋自体は然程大きくはないが手入れが行き届いた庭は非常に美しく、季節の花や草木が目に鮮やかで、門扉を潜った直後だというのに足を止めて眺めてしまうほどだ。そのせいだろう。前を歩く冬空のようなその人が振り返り首を傾げた。
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