似てる所土曜日の早朝。欠伸をしながら起き上がった未宇。手洗いを済ませると本堂からは、小さい時から聞き慣れた木魚の音と低音の父の声が響いている。時計は朝の5時半を少し過ぎた頃。
古い本堂の引き戸をちょっとだけ開け、こっそり覗いた。フワリと流れてくる線香の匂いは嫌いじゃない。そして丁度声と音が止む。座っていた父が着ている袈裟を揺らして立ち上がった所で目が合った。父の袈裟姿は友人に自慢したくなる程カッコイイのである。いつまでもカッコイイ父であって欲しいと切に願う。
「お、早起きしたな未宇。早起きは三文の徳って言うからいい事だよ」
にこやかな表情で父、彷徨が未宇に歩み寄る。
「おはよパパ。ごめんなさい覗いちゃって…」
「ん?謝ることはないぞ。別に悪い事してる訳じゃないだろ?」
「ほら、思いっきり変な音出して邪魔しちゃうかも知れないから」
「はは、ママなら有り得るな」
「ママが聞いたら怒るよ〜まだフライパン飛ばして来るよ?」
両親は、物を投げ付ける激しめな喧嘩も耐えないが、案外仲が良い方だ。十分未宇は知っている。
「ん〜♡パパが作るお野菜入りの卵焼き美味しい〜♡」
「そりゃよかった」
「ほんとパパお料理上手だよねどうすればこんなの作れるの?」
彷徨から簡単な朝食を作って貰い、その美味しさに酔いしれる。
「そりゃ練習したんだよ。何回もやることで結果になる。始めから出来る人間なんていないんだからな。未宇も、練習すればこんなのすぐ出来るようになる」
「そうだね!パパ今度教えてね」
「いつでも出来るけどな」
コト、コトと朝食を盛り付けた皿を置いて行く。
「あれパパ、ママ…起きないね」
確かにいつもなら、土日でもとっくに起きて台所で「鍋がー」「醤油がー」とか言いながらバタバタしている母がいるが今日はまだ起きている様子はなく、静かだ。だからこそ彷徨が作ったのだが。
「あいつ、何してんだ?」
「わたし様子見てくるね」
未宇が食卓から出ようとすると、すっと母、未夢が顔を出した。
「あー…パパが作ってくれたんだね…ごめんね…起きれなかったよ〜」
未夢の様子に違和感を感じた。ややふらついているように見える。
彷徨が無言で未夢の額に手を当てる。
「…お前熱あるじゃん。いつから?」
「はは、バレたか…起きてからなんだよね…測ったら38℃くらいで…」
「今日は何も無いんだし、おれいるからちゃんと寝とけ。後で何か持っていく。全くいつも言えって言ってんのに」
「うん、ありがと…」
「ママ、何か食べたいものとかあったら言ってね?」
「ふふ…未宇もありがとね」
「ほら早く寝る。娘に風邪移す気か」
とか言いつつ、彷徨が背を支えて寄り添い、未夢を寝床に連れて行った。未宇は密かに感動を覚えた。
「さすがパパ……早い…」
「ママは昔からあぁだよ。聞かないと黙ってるからな」
「そうなんだ?」
中学時代から彼女は変わらない。具合悪い時もなんとなく隠しているような。でもたった1度だけ、自分から具合悪いと言った事がある。
忘れもしない。彷徨はそれを思い出していた。
その日は、冬空広がる天気のいい日。未夢と結婚して暫く経った頃だ。
「うー…かなたぁ…ごめんね…今日体調悪いの…家事代わってもらえる…?」
家事が未夢中心になりつつあった西遠寺家。ただこの日だけは未夢は不調を訴え代わって貰えないか問うてきた。
「いいけど大丈夫か?いつから?」
「ここ何日からずっとなんだよね…ちょっと気持ち悪いだけなんだけど、今日はなんかムカムカもする、感じ?眩暈もするし…風邪かなぁ」
「風邪で眩暈はするのか?体調悪い日にち続いているなら病院に行った方が早いと思うぞ」
そうだよね、とは言うが横になりたそうな感じを見るに1つ思うこと。でも彷徨とて確信は持てない。もし違うならぬか喜びになる。
「未夢、やっぱ病院に行こう。親父の代わりの私用さえ終わればついて行けるし」
「ううん、大丈夫。1人で行けるよ?なんならママ今日いるし、付き添ってもらう事にすればいいから」
「じゃあ、お義母さんにはおれからも言っておくよ」
━━━━━━━━━━━━━━━
病院に行って数時間後、未夢が帰宅した。行く前よりは少し落ち着いたような気がする。
「どうだった?」
そう聞けばイスに座った未夢が1つ深呼吸をして伝えた。
「あ、あのね…お腹に、赤ちゃん、いるって…言われました…」
未夢はまだペッタンコな下腹を摩る。
「!」
「まだ妊娠2ヶ月くらいだから今の症状は軽い悪阻だろうって…えっと予定日が来年の夏で8月くらいになるって……」
未夢はカバンから1枚の写真を出す。モノクロがかったそこに映るのは空洞の中ある、小さなソレ。
「2ヶ月だとまだこんなもんなんだって!でねっ、これが人の形になっていくんだって、なんと言うか…人の神秘だよね〜」
「未夢」
「えっ、何?」
「おれ今、凄く嬉しい」
そう言う彷徨の表情は、泣きそうな、何とも言えない表情をしていた。が、すぐいつもの冷静な表情に戻る。
「すげー楽しみ」
そう言って未夢を抱き締める。
「か、彷徨」
「体調悪い時は絶対言えよ?おれがいなかったらお義父さんお義母さんでもいいし、まぁ最悪親父でもいいし。抱え込むな隠すな。未夢の悪いクセだから」
「だ、大丈夫だよ信用ないな!ただ、わたしだって動ける内はちゃんと家のことさせてよね?西遠寺家の…彷徨のお嫁さんでこの子のママなんだから!」
その顔は既に母親としての顔だった。かつてルゥを守っていたみたいに。強い母親の顔になっていた。
そんな事を思い巡らせ、後に無事に産まれた愛娘。あれから12年程経った。本当にあっという間だった。未宇の名前を決める時は宝晶とあぁでもないこうでもないとバトルした記憶も真新しい。
「パパってば!」
「えっ」
思い出し過ぎてぼんやりしていたらしい。
「もしかしてパパも風邪じゃない?」
「まさか!あぁ…そうそうママは黙ってるーってヤツだったな。そう、思い出してたのは未宇がお腹にいる時で…」
初めて自分からする未夢の昔話。まだ12歳と思っていたけどもう12歳。理解力は十分にある娘だ。
「未宇も、もしおれが気付いてなかったらママを気にかけてやってくれな?」
「うん!任しといて」
「頼もしいな」
「ママの様子見てくるー!」
パタパタと駆けて行った先は休養中の未夢の所。冷蔵庫は補充が必要。夕飯の買い出しに出かけることにした。
「ママ熱少し下がったみたいだよ」
「そうか。なら少し安心だな」
「パパ!わたし今日お買い物行くよ!パパはママの傍にいてあげてね」
「えっ」
思わず驚いてしまった。思っていた以上に娘がこんなに頼もしく成長していた事に。そういう所はほんとに母親譲りだろう。
「はは、分かった!じゃあ未宇に頼もうか。このメモしてるのだけでいいから頼んでいいか?」
「うん!いってきまーす!」
預かったメモを握りしめて未宇は飛び出した。が、テーブルに彼女の小銭入れが置きっぱなしだ。
「ゲッ。未宇もう行ったか?」
パタパタと駆け足が戻って来た。
「お金忘れてた〜!」
「お、よく気が付いたな。ほれ、頼むぞ!」
「はーい!」
パチンと父とハイタッチした彼女は小銭入れを今度はしっかり持ってまた飛び出して行った。
「…未宇は99%未夢似だよな。おれに似てるとこあるのか?」
ちょっと心配を覚える。どこか自分に似た部分が出て来て欲しいと切に願うのであった。
さて一方で未夢の様子を覗き込む。少し身体を起こしていた。
「大丈夫か?」
「うん。あれ、未宇は?」
「買い出しに行ってくれた。全く、予想以上に頼もしくなったもんだよ」
「ふふ、頼りになる子になってきたよね」
もうすぐ昼になるので服用させるために何かを食べさせたい。ささっと定番のおかゆと飲み物を用意しておく。
「未夢、少しでいいからなんか食えそうか?」
「うん、食欲はあるよ!あ、おかゆだ、いただきまーす」
「たださ、99%未夢似だからおれとしてはちょっと心配だよ。ドジする事もあるし」
「失礼ね〜未宇、彷徨にそっくりな時あるよ?」
「どこがだよ…外も中身もどこ探しても見つけられないんだけど」
「わたしのこと大好きなとこでしょ〜?」
「オイ」
「あとね、冷静に対処したり気持ちの切り替えをしたりとかがすごい早いのよね。何かがあっても絶対に動じないの。ほら、そういうとこ彷徨にそっくりだよ」
確かに、未宇はどこか落ち着いているように感じることもある。先程のお金の件も、もし未夢ならばスーパーに着くまで気が付かないかも知れないが未宇は自分で気が付いてすぐに戻って来た。
言われて気が付く自分に似ている部分がちゃんと娘にもあった。それは実に嬉しいことだ。
「あ……そう…」
「あら、彷徨ったら嬉しそうね」
ぷいっと目を逸らす旦那にクスクスと未夢は笑う。
「病人は早く薬飲んで寝ろ!」
照れ臭くて未夢の髪をくしゃりと撫ぜる。
「きゃーひどっ何すんのよ…可愛い妻を労りなさいよー」
「何が可愛い妻だ。めちゃくちゃ元気じゃねぇか」
end