The bond does not forget生徒会後の下校中に事故に巻き込まれたそうだ。救急搬送された事を聞かされ、膝から崩れ落ちた。事故を起こした運転手は亡くなったらしい。そんな事まで聞かされ、気をしっかり持てないまま両親と共に駆け込んだ、街で一番大きな病院。煌々と紅い光が灯ったままの集中治療室。聞けばここに入ってもう二時間以上経っているらしく、いつも気楽であっけらかんな住職ですら放心気味な様子でその扉の先を見つめたままだ。
(彷徨のお母さん…お願いします!)
ただ"助かってくれたら"、"命さえあれば"何にも要らない。亡き彼の母にどうかと祈る。願いに願ってさらに一時間が経とうとしたその時。光が消えて扉が開き、医師が現れた。
「息子はどうなんじゃ」
医師からの言葉に固唾を飲む両家一同。医師から告げられた。
「一先ず、一命は取り留めた状態です。しかし…」
まだ意識は戻らない様だ。恐らく、事故の際に頭をかなり強く打ってしまっている事が起因しているかも知れないとの事。それ以上は医師もはっきり言わなかった。とりあえず個室に移動となったので、移動式の簡易ベッドに乗せられたまま運ばれて行った。未夢はその時その姿を、怖くて見る事は出来なかった。
個室での準備が済んで、面会を許されたので静かに入る。宝晶は医師に呼ばれ退席。ベッドに横たわっていた姿が目に入り、言葉を失った。
ベッド横に医療器具、管に繋がれたままの痛々しい姿がそこにあった。頭に何十とも巻かれた包帯と傷だらけになった顔のテーピング等、見た瞬間に涙が溢れた。
まだ生きていることを告げている電子音が静かに病室に響く。その後戻って来た宝晶が医師に言われたことを未夢達に伝えた。
「仮に意識が戻ったとしても、頭を打っているせいで何かしらの記憶障害が出る可能性が高いそうじゃ…誰かを忘れてしまってるとかもあるかもしれん。全くこんな事になるとはの…」
「おじさん…」
「後はこやつの生命力にかけるだけじゃな。あぁ、それと意識はないが声は聞こえているらしい。未夢さんも声かけてやってくれんか。ワシよりは未夢さんの声の方が届きやすいかもしれんの」
少し出るとそう言い病室から離れた。それに光月夫妻も後を追う。
未夢は横たわる彷徨に近寄った。ベッドサイドに置かれたイスに座り、傷だらけになってしまっている手を取って握る。いつもの温かい手なのに、今はこんなにも酷い手だ。
「彷徨………聞こえる…?わたしだよ…痛かったね、びっくりしたよね…」
出来るなら代わってやりたい。何故彷徨で無ければいけないのか。握っている手はいつもみたいに握り返してくれない。
「でもね、本当に、生きててくれて良かったよ?本当に……ねぇ……やだよ起きてよ…名前、言ってよ…」
泣きたくないのに、泣きたいのは彼の方のはずなのに。
「未夢って呼んでよ…ねぇっ!ドジとかバーカとかでもいいから!ねぇ……」
今ならいくらでも嫌味を聞いてやるのに、それは一切叶わない。あの声は、聞こえない。
ごしりと涙を拭って切り替える。今出来るのは毎日通って呼びかけるだけだ。そこに両親が戻る。
「ね、未夢。あなた明日から病室に通う気満々でしょ?お花持って行きなさい。パパが用意しておくって言ってたわ」
「うん、ありがと。……彷徨、明日また来るね」
いつもと同じように話しかけられたかは、分からないが
今日はこれで病室をあとにした。
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彷徨に意識が戻らないまま3日目が過ぎた頃、病院から連絡があった。彷徨が目を開けたらしい。大至急病室に向かった。一足先に宝晶は着いており、病室に入る。
身体を半分だけ起こしていた彷徨。目は開いているが、どこか虚ろな様子だった。
意識が戻っても、頭を打っているせいで障害が出る可能性が高い話を思い出す。そのせいでどこか麻痺や話せなかったり記憶が飛んだりしていることだってあるらしい。
「彷徨…?」
呼びかけに反応したのか未夢の方を向いてくる。緊張が高まった。
(どうしよう…)
彷徨に『お前、誰?』と、そんな言葉が出て来たら絶望しかない。声が出なかったら?どう言えば伝わるのか?色々な想いが混ざる。
「……未夢?」
「彷徨…わたしが、分かるの?」
「分かるよ…何言ってんだよ」
一同の顔は認識していた。それが分かり安堵する。宝晶は医師と今後の相談するため、光月夫妻は一先ず仕事のためにそれぞれ退室し、残された両名。
「良かったよ、本当に」
「何でおれ病院にいるんだ?」
「下校中に交通事故に巻き込まれて3日間眠っていたんだよ?そうだよね、訳分かんないよね」
まだ少々困惑しているのだろう。しかし、これで退院すれば後は元通りになる。そう思っていた。
「なぁ、ルゥとワンニャーになんて言えばいいんだ?こんなの、誤魔化しようないし」
「えっ…やだ彷徨何言ってるの?一緒に、あの2人はわたし達で送ったじゃないいつの話?もう3年前だよ?」
「3年…?あれ………このカレンダー、年数が何で違うんだ?3年後じゃん…」
未夢は凍りついた。可笑しい。
「おれ、こんなに身長あったか?未夢もなんか前より伸びてるように見えるし……」
恐れていた事が現実になってしまった。医師の診断は、
「恐らく、逆行性健忘症の可能性があります」
緊急で行われた頭部CTの検査では、大きな異常は無さそうだが、頭を強く打っている事が起因した事で発症してしまったようだ。やはり事故前後の記憶から3年分の記憶がごっそり抜けているらしく、何歳だと聞かれ、彼は14歳だと医師に伝えたそうだ。
「これと言った治療法はありません。ふとしたキッカケで急に思い出す事もあります。特に親しい人などと一緒にいることを増やして様子を見ていきましょう」
1週間入院後、他の検査も行い異常が見られないため、一先ず彷徨は退院する事になった。記憶だけが戻らないままだが。
「ママ、彷徨は今14歳までの記憶しかないんだよね?なら、あんまり高校の事とか言わない方がいいのかな…?」
憔悴しきっている娘を見やり、未来も優もどう言ったらいいか困ってしまった。無理もない。現在17歳の彷徨は、14歳までの記憶しかないのだ。どう接していいか分からないのだろう。かと言って、変に14歳扱いするのも変な話だ。
「いつも通りでいいと思うわよ?ほら、変に14歳として接していくのもー…ねぇ」
「寧ろたくさん関わってあげた方が、彷徨君も思い出すきっかけになるんじゃないのかな?高校は身体の事も踏まえ療養するのだし、その間未夢がたくさん話してあげたらどうだい?」
そう言う両親だが、この3年は彷徨自身にも様々な人間関係が変わって来ている。特に、未夢自身とはその関係は大きく変わってしまった。今の彷徨は自分との関係を恐らく分からないはずだろう。まだ同居人の感覚が濃厚である。分かってるなら、あの2人が元の星へ帰っているのは理解しているからだ。だがそうではない。起きてすぐ自分にルゥとワンニャーの事を聞いているのだ。今の彷徨は、あの2人がここにいる時の彷徨だと確信した。
何がただ"助かってくれたら"、"命さえあれば"何にも要らないだ。これが生きている分の代償なのだとすれば、恨みたい気持ちにもなった。
「今わたしに出来る事、なんだろう…?」
悶々とした想いを抱えたまま、未夢は眠りについた。
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翌朝、高校から帰宅した未夢は、急いで彷徨の部屋に向かった。まず今自分に出来る事は、あの2人が無事に帰っている事の説明が先だ。
彷徨は自室の縁側に座り、ぼんやりしている。
「彷徨」
「ん…?あぁ未夢か。なんだよ」
少し、距離感のある彷徨に見えた。いつも通り、ってなんだろうと未夢は思う。
「その制服…あぁ、そうか高校生なんだっけ?おれの制服、買い直しらしいな。血やら泥まみれでクリーニングでも難しいらしい」
「あ…うんそうだね。」
「な、少し教えてくれないか?ルゥ達の事も、未夢の事も…ほら、まさかもう離れて生活してるなんて思ってなくて、全然分からないからさ」
「も、もちろん!」
出来る事をする。そう決めたのに今の彷徨とは何となく距離感がある気がしてならない。未夢は出来るだけ説明した。無事に元の星へ帰せた事や高校での生活ぶりを。また、旧友達の事も含めて様々話をした。話せるだけ話して、思い出すきっかけになればそれでいいと思う。
だから、言わないようにした。自分との関係の事は。今の彼には、不必要な余計な情報だと。
「そうか、ちゃんと帰れたんだ。なら安心した」
「その時は皆手伝ってくれたんだよ」
「へぇ…」
彷徨は話を聞きながら手を見たり足を伸ばしたりしていた。
「どうしたの?」
「ん?あー…ほら、目線が急に変わったから…いつも見てる景色のはずなのに、よく分かんねって感じなんだよな。それに、あの家、親父から聞いたけど未夢んちなんだって?」
敷地内の自宅の事を言われ思わずドキリとした。何て思ったのだろうか。
「じゃあ未夢は転校しないで残ったんだな」
「う、うん……ママ達がこっちに引っ越すみたいな感じだよ。え、なんか、変、だった?」
「いや。…よかったって思った」
「彷徨……」
3年前、お互いの気持ちを確認し合ったばかりの自身達。転校しなくてよくなり2人で喜びを共有した事を思い出す。泣きそうになった。
目尻に滲んだものを諭されないように拭う。大丈夫だと言い聞かせて。
「ん?…大丈夫か?」
「あ、いったーい?目にゴミかな?あはは」
「見せてみろよ」
「えっ」
彷徨は目を擦る未夢の目を覗く。そういうさり気ない優しい所は付き合う前からずっとあった。ぶっきらぼうで不器用で伝えるのが下手だけど。今の彷徨は14歳の頃であったとしても、優しい所は変わらないままだ。いつだって自分達が大変な時は、助けてくれる人なのだから。
でも、違和感だけはずっとまとわりついている。よそよそしい態度になっている自分がいる。
「特に、何にもなさそうに見えるけど…」
「だ、大丈夫!ありがと!」
今日はもう良いだろうと、未夢は自宅に戻ろうとする。
「じゃ、わたし帰るね」
「もう行くのか?」
「うん、ほら課題山の如し!わたしおっそいからね!知ってるでしょ?」
変わってないはずなのに、大好きなはずなのに、違う人と話しているように感じてしまっていたからだ。今日はもう限界だ。
「あ、あぁ、まぁ…確かに。高校生になっても勉強出来ないってヤバくないか?」
「う、うるさいわねぇ〜!あ、明日また来るね!」
早々に部屋を出ようとすると呼び止められる。
「未夢、ごめんな」
「えっ、何で謝るの…?」
彷徨の顔は何となく申し訳なさそうな表情をしていた。
「ん…何となく、今のおれと話しづらいんだろうなって思って」
「っ…」
図星だ。
「まぁ、おれも変な感じなんだよ。感覚がどうしたって14歳でさ…でも現実はお前は17なんだぞって言われてもピンと来ないし。それに…歳上の未夢と喋ってる感が拭えなくてさ…」
少し、困ったようなどうしたらいいか分からないような笑みを浮かべる彷徨。未夢は思った。自分はどうして何も出来ないばかりか、自分が被害者みたいな気分になっているのか。一番辛くて、困っていて、大変な思いをしているのは彼の方であるのに。
交際している事を言いたいけど、言ったらきっと彷徨がますます困惑するだろう。でも、もう、触れたい。
未夢は彷徨に駆け寄って飛び付いた。
「み……ゆ…?」
「ごめん、ごめんなさい…わたし、今酷いことしてる。一番辛いのは、彷徨なのに……よそよそしくしてた…ごめんなさい…」
腕に力が入る。
「いつも通りに話そうと思ってるの!でも……出来なかった……どう言っていいか、分かんないの…」
ボロボロと零れる。
「彷徨を、余計…傷付けてる…ごめんなさい…」
「おれも…」
未夢の背に腕が回る。少しだけ力が入った。
「…こんな事しか、思いつかなくて…ごめん…」
ぎゅうっと僅かに彷徨の腕に力が籠る。
「言いたいこと、あるんだ」
「…何…?」
「今言うのは、なんか変かも知れないけど、伝えたいから」
静かにその言葉を待った。
「好きだよ、未夢」
穏やかなトーンで彷徨がそう言った。
「可能なら、伝えられたらって…アイツらいる時から考えてた。帰ってるなら、まぁ、いいかなって」
逆行性健忘症?なんだそれは、大切な事を彼は忘れてないじゃないか。
「……わたしも、彷徨が好き。ううん、大好き。お願いがあるの。……キス、して欲しいな…」
いつもなら絶対言わないけど、今は、そうしたい。
「いいのか?」
「好き同士なんだもん。いいに決まってるでしょ?」
きっと、全部思い出したら今の事は忘れてるかも知れないけどそれでいい。後は時間がきっと、いつか元に戻してくれるはずだ。
「じゃあ……」
「うん」
未夢は目を閉じた。一瞬唇に感じた温もり。もう、十分だ。
「なんか、照れ臭いな…」
「ふふ、嬉しい。言いたかったの、本当は……」
付き合っている事を。
でも、3年分の絆は伊達じゃなかった。ちゃんと彷徨の根底には残っていたじゃないか。
「明日、また話してくれよ」
「うん!また明日ね」
明日もいつも通りに触れ合える。そう思った。
が、それは忽然と気配を消した。彷徨が翌日行方を晦ましたのだった。
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翌日、帰宅した未夢は宝晶から聞いて驚いた。
今日部屋から一向に出て来ないので宝晶が部屋を見に行った。しかし、何処にもいないのだ。恐らく外へ出たのだろう。だが夕方になっても戻らない。連絡するにしても、携帯はまさかの置きっぱなしになっていた。実質17歳でも今中身は14歳。元々賢いからアホな事はしないはずだが、事故からまだそんなに経ってない。心がざわついてしまう。
「わたし、見てくる!」
「未夢!待ちなさい!」
母の静止を聞かず、自宅から飛び出した。彷徨の行きそうな所なんかどうでもいい。ただ、昨日明日ねって約束したばかりなのにと未夢は袖で目を拭いながら走った。
「嘘つき!」
石段を降りて向かった先は、第四中学校。自分達が通っていた中学。無論思い入れだってある場所だ。流石に中には入って無いだろうから、周辺を探しながら歩く。
「彷徨……どこっ」
下校中の生徒の周りには見当たらない。ここ辺りではなさそうだ。次はここから近いよく2人で歩いている河川敷。秋はコスモスが咲くので散歩することだってある。今は時期的に何もないが、休みの日は子どもが遊んでいることやランニングをする人もいることから人通りはある。
「彷徨…いない…」
ここにもいない。日が沈み始めそろそろ暗くなって来た。帰っている事を願いたい。でもそれなら携帯に連絡が入るはず。携帯は鳴ってない。
「どこに行ったのよ!」
考えられる所はない。結局西遠寺の石段まで戻って来てしまった。
「はぁっ……はぁっ…ま、まさか…また何かに巻き込まれてなんか、ないよね…?」
そんな事になったら今度こそ、と最悪のシナリオを想像してしまいそうで。
「まだ、探せる…!」
あと少しだけ。出来る事をする。
「高校…?」
唯一見てないなら現在2人が通う高校だ。制服を見て何処の高校かは理解しているような節はあった。一か八かをかけてここから歩いて20分程にある通う高校を目指した。
「はぁっ…はぁっ…彷徨…いない、や…」
本当に行方を晦ましてしまったのか。誰にも言わないで、そんな事をするなんて思いたくなかった。
「何で…?」
携帯の時刻は19時をとっくに超えている。今日はもう厳しいかも知れない。明日になっても戻らなければ警察に相談案件になる。
もう走る気力になれない未夢は、ゆっくり歩いて帰る。すると登校道中によく通る公園からキィキィと音が聞こえる。ブランコの揺れる音だ。
「こんな時間に遊ぶ人がいるんだ…怖い」
さっさと黙って通り過ぎようとした時だった。正に探していた人がブランコに座っている。
「嘘っ…!」
未夢は急いでブランコに駆け寄った。
「…彷徨!」
「え、何で?」
「っ…」
静かな公園で、バチンと響いた頬を叩く音。
「馬鹿何してんのよ携帯も持たないでどこに行こうとしてたのよおじさんがっ……わたしも…どれだけ心配したと思ってんのよ」
言いながら未夢は泣いた。
「……いや、悪い…近くを歩いて回ったら、何か思いだすかなって…全然だったけど。泣くなって…」
「誰が泣かせてんのよ!外行くなら私帰るまで黙って家で待ってなさいよ」
「それまで家にいるのは気が狂いそうだったから……」
ゴシゴシと袖で拭って無理やり彷徨を引っ張る。
「帰っておじさんに謝って。じゃないと許さない」
「わ、分かった分かった。引っ張んなっていてぇから!」
「知らない!」
帰宅し、盛大に宝晶から鉄槌を食らった。彷徨の言い分としては、周りに助けて貰うだけじゃなくて、自身も何とか思い出そうとしたくてした事。携帯に関しては素で置いてきてしまったらしい。
「彷徨よ。急いで思い出そうとせんでよい。誰もそんな事言うとらんじゃろ」
「けど…」
「今回の事で肝が冷えたわい。死んだ母さんに続いて今度はお前かとよぎったくらいじゃ…頼むから無茶をするでない」
「親父…」
「そうだよ。ゆっくりでいいじゃない。焦らないで」
「…………ごめん、悪かった」
未夢はそのまま彷徨の部屋に向かい、本人と直接話をした。
「どうして?昨日約束したのに」
「……何とかしたかったんだよおれだって…思い出そうとしても、頭の中遮断しているみたいに何にも浮かんで来ないから、キッカケがあればと思って…」
「もう、本当に心配したんだよ」
「なんか、泣かせてばっかだな?」
「ホントだよ」
ふう、とため息を付いて彷徨に寄り掛かる。
「明日、土曜日だからわたしも学校ないし、お散歩しよ」
「散歩?」
「うん。2人で回りに行こう?焦んなくていいんだから一緒に行こうよ、ね?」
そう言われた彷徨は頷いた。未夢はするりと滑らせた指先を彷徨の指先に絡ませた。自然と握り返した。
「事故のあの日、手、温かいのに、握り返してくれなくて、本当に辛かった。今はちゃんと握ってくれてるのが、嬉しい」
「……こんなもんで満足?」
「うん」
「でも、本当は早く会いたいんだろ?17のおれに」
「17歳の彷徨はその内しれっと帰って来ちゃう気がするんだ。だから今は14歳の彷徨といたいな。こんなこと普通出来ないから」
「昨日…伝えといて良かった」
告白の事だろう。
「もう1回、していい?キス、したい」
「ふふ、お伺い立てるなんて変なの。彷徨キスの時はいつもいきなりだよ?」
「もしかしておれ、結構軽い感じ…?」
今望む事は何にも要らない。あなたがいてくれてるからそれでいい。そう願いながら、未夢はぽすりと彷徨に顔を埋めた。
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翌日土曜日。未夢が彷徨を訪ねようと玄関をあけると、宝晶が招き入れてくれたが、何やら様子が変だ。
「未夢さん、彷徨がの…」
未夢は血相変えた。また何かあったのかと。しかしそうではないらしく、本人と話せば分かると。意味が分からずだが、一先ず彷徨の部屋で話をしてみて欲しいと言う。
彷徨の部屋に向かうと、部屋では身体を起こして静かにしおりが挟まれていた本を開いていた。最近買っていたもので、事故の前の日も見ていた。タイトルが英語だった気がすると考えていたが何となく出てこなかった。
未夢が来た事に気が付いて彷徨は目線を本から未夢に向ける。
「…未夢」
「珍しいね、この数日間は本だって見てなかったのに」
クスクスと笑いかけた未夢だったが、彷徨の様子が可笑しい。
ポツリと話し出した。
「親父から、聞いた。3年分記憶吹っ飛んで14歳に戻ってたらしいな…でもそれ全然覚えてない。それに流石にまだ事故の日についても曖昧なんだけど…悪かった、心配させたな」
これは、どういう事なのだろうか。宝晶から聞いたから語れているのか?それとも記憶が?
「彷徨…今、何歳でどの学校行ってるの?学年は?」
「急になんだよ…17歳、未夢と同じ高校の2年だけど?クラスはA組。部活してない生徒会所属ですけど」
聞いてないことも答えつつ、間違える訳ないだろと言わんばかりの彷徨。
「彷徨、元に戻ったの?」
「と言われると事故前後の記憶がないだけかな?ただ、正真正銘17歳だし、3年分の記憶も戻ってる。それは断言出来る」
未夢は彷徨に飛び付いた。
「ちょ、未夢」
「彷徨……」
「ふっ、…なんだよ泣いてんの?」
呆れたような声のトーン。泣かせてんのは誰だと未夢は悪態をついた。
「…彷徨、今、わたしがして欲しい事当てられる?」
未夢は目を閉じて解答を待った。
軽く重ねる。
「……もう1回」
普段は絶対言わないソレ。でも今はして欲しい。
「へー珍しい」
期待に応えてやると言わんばかりにすぐ、温かな体温が重ねられた。またもう1回って言わずとも空いていた時間を取り戻すように繰り返した。
それにしても、と疑問が残った。
「何で14歳だったのかな?」
「ん?」
「たまたま?」
彷徨は1つ憶測でしかないが、と続けた。
「14歳か、と思って思うことがあるんだけど、何か言ってたか?未夢に伝えたい事がある、とか」
それを聞いてハッとした。
「言ってた。伝えたいことあるって」
「それ、おれ何て言ってた?」
「…好きって、言ってくれた」
それを聞くと、彷徨はあぁ、やっぱりと呟いた。
「おれ、あの頃お前が好きだって自覚した時、本当は言うつもりなかったんだよ。いつか、どっかでタイミングが良かったらー…とか考えた時期があった」
「え、でも彷徨…」
彼は言ってくれた、宇宙船の中で。
「それは、まぁ言わなきゃに変わったからだよ」
「何で?」
「内緒ー教えねぇ」
「はぁ何よそれ~」
言わないから言うに変わったキッカケはあくまで教えてくれないらしい。でも14歳に逆行した彼は伝えてくれた。多分どうあっても、きっと言ってくれるのだろうと思う事にした。
「わたし、言ってない事あった」
「何?」と彷徨が返す前にギュッと未夢が抱きついて来た。
「……おかえり、彷徨」
いつもの君が帰って来てくれたから。
「た、だいま…?」
言いつつ彷徨も抱きしめ返す。14歳の時とは違ってその腕は力強くも、優しかった。
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その後再検査をし、異常なしとの事で翌週から登校生活に戻った。買い直した真新しい制服に袖を通して身支度を整えてから隣の家のインターホンを鳴らす。
「あら、おはよう彷徨君。本当に良かったわ今日からまた通えるのね」
「おはようございます。えぇ、遅れた分取り戻さないとなんで」
「みーゆー!彷徨君迎えに来てくれたわよー」
「はーいおはよ!」
「へぇ、今日は準備早いじゃん」
「朝っぱらから嫌味だなんて聞きたくないんですけど」
「バーカ褒めてんだよ。ま、これが普通なんだけどな」
「くっ……!じゃあいってきまーす」
時間は十分余裕がある。並んで歩いて行ける。それを噛み締めていた。
「あ!そうだ!ね、今日放課後何もないよね」
「多分?」
「帰りあちこち回ろうよ!河川敷とか中学方面!色々回ろうよ」
「何で今更」
約束、あれだけ出来なかった。一緒に回ろうと言った翌日に14歳の彼は消えたから。せめてそれは元に戻った本人で出来ればしてもらいたい。
「満足したから、だったならいいんだけどな」
それが消えて元に戻ったキッカケであればいいと願う。
「何ブツブツ言ってんの?」
「独り言ですー!」
他愛のない会話をしながら歩けば、まもなく到着する。
「やっぱり話してるとあっという間に着くね」
「だな」
「それが今すごく嬉しいの」
「…そうだな。おれも流石に死んだと思った」
もう、あんな痛々しい姿を見るのはたくさんだ。
「でも、彷徨ね。3年分は忘れちゃってたけど大事な事は忘れてないんだなって思ってたよ」
「大事な事?」
「わたしに好きって言ってくれた事は大事な事でしょ!やっぱり、3年分の私たちの絆は伊達じゃなかったって事よ!」
「あの本、The bond does not forgetみたいだ…」
「ね、それ、なんて内容なの?」
絆は、忘れない。
end