お返しはラーメン奢りで高校1年の2月14日、桜木花道は生まれて初めてのバレンタインチョコレートをもらった。
それも、1個ではなく、7個も。
内訳は、ハルコさん、アヤコさん、フジイさんとマツイさん。食堂のおばちゃん×2。そして3年の女子生徒1名。
あんまり話したことのない3年女子から貰ったのはびっくりしたが、「応援してるね」とのお言葉は嬉しかった。涙が出るほど。
これはホワイトデーには是非ともお返しを……とも思ったが、3年の女子はホワイトデーを待たずに卒業してしまう。
そのことに思い至った花道は、3月の声を聞くのを待たずにお返しをすることに決めた。
決めたはいいが、金がない。
バレンタインデーが終わってすぐに並び始めたホワイトデーのコーナーには、白っぽい包装にリボンのかかった箱がきれいに並んでいたが、見た目のよさそうなものはひとつ平気で1000円くらいする。7個も買ったら、花道の今月の食費がなくなってしまう。
買ったら高いなら、作ろう。
そう思いついた花道の行動は速かった。
ちょうど、卒業式の準備かなんかで体育館が使えず、バスケ部が珍しく休みだった。
まず図書館で菓子作りの本を借りた。どれにしようか迷って、材料のそろいやすそうなものにする。花道は食堂を覗いて、おばちゃんに声を掛けた。
「オバちゃん、小麦粉クレ」
「あら花ちゃん。小麦粉なんて何にするの?」
「ぬふふ、できるまでヒミツだ!」
花道はまんまと薄力粉・バター・卵・グラニュー糖・はちみつを手に入れた。花道の見たレシピに必要なのは、あとベーキングパウダーとバニラエッセンス。どうしようかと思って洋平に相談すると、調理部の奴らに借りたらと言われた。ついでに家庭科室も借りようと思い立つ。花道の家にオーブンなんてない。オーブンレンジならあるが。
「洋平もてつだえ!」
「ハイハイ」
家庭科室に行くと、調理部がなにやら作っている。
ベーキングパウダーとバニラエッセンスとテーブルひとつを貸してくれというと、調理部の部長の女の子はびっくりした顔をしていたが、すんなり貸してくれた。
「洋平、はかって」
「ハイハイ」
花道は料理はわりと得意なほうだ。
メンドクサイ調理法はしないが、切る煮る焼く炊くくらいは一通りできる。あと普段揚げ物はあんまりしないが、好物なのでからあげは作れる。
菓子なんか作ったのは小学校の調理実習以来だが、小麦粉を混ぜて焼くんだからお好み焼きとそんなに変わんないだろう。
はかったりするちまちました作業は全部洋平に任せて、花道は菓子作りの本のレシピどおりに卵と砂糖を混ぜ、粉を振るい、レシピ本の言うとおりにゆっくりと丁寧に混ぜ、とろりと艶の出た生地にバターとはちみつとバニラエッセンスを加えた。
「そんであとはカップなどに入れる・・・・・・カップなんかねーぞ」
「あ、あの、桜木君、よかったらこれ使って」
「おお、いいんですか。えーと」
「竹下だよ」
「タケシタさん!アリガトウ」
花道は遠慮なく赤いチェック柄の入ったカップをもらい、ついでに竹下さんにオーブンの余熱も設定してもらって、自分はカップの中に作ったばかりの種を流しいれていく。
思ったより多めにできたが、余ったら自分で食べればいいだけだ。多ければ多い方がいいに決まっている。
オーブンを閉めて、さてとと顔を上げる。
「焼けるまで約20分か・・・ヒマだな」
「ラッピングとかは用意してんの?」
「・・・・・・イヤ?」
「どっかから調達してきたら?裁縫部行けばリボンとかあんじゃねーか?」
洋平のススメにしたがって、裁縫部に行って赤いリボンをもらった。ビニール袋は、調理部のタケシタさんがくれた。
20分はあっという間で、焼きあがったカップケーキは思いのほかイイ出来だった。
ためしに、焼きたてのアツイやつを手にとって、はんぶんこに割る。
「洋平、てつだってくれたから味見」
洋平の口にそのまま入れてやる。洋平は一瞬驚いた顔をしたが、そのまま花道の手からカップケーキを食べた。まだ温かい菓子の甘さを味わって、飲み込んでから目を細める。
「ん。うまいよ」
「そうだろう!さすが天才!」
洋平の返事に満足して、花道も自分の半分を口に入れる。
バターが効いてて、本当にちゃんとうまい。
それから大きな背中を丸めてちまちまラッピングをして、できあがったのは11個。
「7個は決まってるとして・・・残り4個か。オレが食べてもいーけど、せっかくラッピングまでしたしな」
「いつもお世話になってる人にでもあげれば?」
「そーするか!あとはメッセージもつけよう!そんで、明日の朝にくばろ」
メッセージカードなんてシャレたものはないので、先生からピンクの付箋をもらう。
「ヨシ!完璧!さすが天才!」
***
翌日、3年の校舎の廊下を花道はのしのしと歩いていた。
チョコをくれた3年女子の教室に行くと、偶然にも三井と同じクラスだった。
花道が教室の入り口に現れると、教室がざわめく。目立つ容貌に、インターハイでの活躍。桜木花道は湘北高校の有名人だ。
「桜木?」
「ミッチー、おはよう!あ!スズキさん!あの、スズキさん。よければコレを・・・・・・」
「わ、桜木くん、お返しくれるの?」
「モチロンです!そのセツはゴチソウさまでした」
「すごーい、これ、手作り?桜木くん作ったの?」
「ハイ!」
「ありがとね。大事に食べるね」
ほんわー、と笑う花道の背後から、三井が覗き込む。
「手作りって、この菓子?桜木おめー、料理なんかできんのか」
「フッフッフ、天才料理人桜木に愚問を」
「オレには?」
「ぬ」
当たり前のように差し出された手のひらに、花道は唇を尖らせた。
バレンタインのお返しは7個。残り4個はお世話になった人に。
まー丁度三年生の棟に行くし、ゴリとメガネくんとミッチーに・・・・・・と思っていたのだった。
メッセージカードにももう名前が書いてある。三井にははじめからあげる気だったのだ。
だが、こうも当たり前のように要求されるとなんだか理不尽に感じてくる。バレンタインのお返しのお菓子なのに、花道はミッチーにバレンタインをもらっていない。
「コレはバレンタインのお返しだから、ミッチーにはねー」
「ア?鈴木にあって、なんでオレにねーんだ。オレのほうが百倍面倒見てんだろうが」
「スズキさんはバレンタインくれたんだよ!もー、ミッチーのワガママ!ほらよ!味わって食えよ!」
押し付けるように渡されたカップケーキには、ピンクの付箋がセロハンテープで貼ってある。
『ミッチーへ 親コウコウしろよ! 天才桜木より』
「初めから準備してあんじゃねーか」
三井は席に戻って、早速食べ始めた。
「お。ちゃんとうめー」
パクパクと食べ終わり、袋とリボンのゴミを捨てる。
付箋も捨てようとして、なんとなしに惜しくなり、適当に引き出した教科書の表紙裏に貼り付けた。
***
「ゴリ!メガネくん!湘北の未来をになうカワイイ後輩からプレゼントだぞ!」
「桜木?どうしたんだ?」
「だーれがカワイイ後輩だ」
「コレ!プレゼント!ありがたーく食えよ!」
3年の教室にもまったく物怖じせずにズカズカと入ってきた花道は、赤木と小暮にカップケーキを渡して颯爽と去っていった。
突然の桜木花道の訪問にザワザワする教室内で、赤木はカップケーキをまじまじと見やる。
『ゴリへ 全国セーハ!! リバウンド王桜木より』
そのたったひとつの単語が、赤木の胸を打つ。
一瞬目頭が熱くなって、赤木はごまかす様に咳払いをした。
「すごいな、手作りかな、これ」
小暮がうれしそうに笑っている。小暮の付箋には、『メガネくんへ メガネくんとバスケットできてたのしかったです 天才桜木より』と書かれていた。
「ハハ、本当に、カワイイ後輩だよな」
「・・・・・・フン」
制覇くらい漢字で書け、と赤木はそっぽを向いてつぶやいた。
***
フジイさんに渡しに行くと、丁度マツイさんとハルコさんもいて三人に渡せた。
学食のオバちゃんにカップケーキを渡すと、殊のほか喜んでもらえて、花道はご満悦だった。
そこで授業開始のチャイムが鳴り、花道は昼寝をしようと決めて屋上へと向かった。
間に合わなかったアヤコさんには、今日の練習のとき渡そうと決める。
そうすると、残りのカップケーキは1個。
これにだけ、メッセージはまだ書いていなかった。
「ふぬ・・・どーしよう・・・」
順当に行けば、やっぱオヤジかリョーちんだよなと思う。オヤジは医者にあんまり甘いものを食うなと言われているとか聞いたので、やっぱりリョーちんかなと思う。
花道はしゃがんで、その場で付箋にメッセージを書き込んだ。
水平な場所で書かなかったから妙に字がよれているが、まあ構うまい。
『リョーちんへ いっぱいパスくれ! アリウープ王桜木より』
付箋をはっつけて、花道はにっと笑った。
今日の練習が、今から楽しみだった。