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    三野(幻水)

    @gs_mino_sanno

    オデッサとフリックがすきです。

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    三野(幻水)

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    ちょっとしたマフィ◯と潜入捜◯官のハニトラ気味な話。2.4万字ほどだそうです。一次。
    そんなでも無いのに区分はR18ですね。
    いろんな事に目を瞑ってやってください。

    終盤近くで
    * * *でなく、
    × × ×で区切った部分は、暴力、無理やりの所です。苦手な方は避けてくださいませ。
    ※パスは2文字です。(現在パス無しです)

    #一次創作
    Original Creation

    透明硝子の両側で 居並ぶ高級クラブにバー、路肩を埋めるのは黒塗りの高級車。そんな場所から僅かに離れたところに、所謂裏カジノといった風情の店があった。
     顧客の接待のため、上役と上司と共に足を踏み入れたそこは、酒も調度も一級品揃いであった。
     社内の中では若手ながら、川島も何度となくここへは来ていた。給仕の女たちは己を商品とすることも業務としており、川島自身も何度か贖っている。その金の殆どが所属する組織に返る事を思うと馬鹿馬鹿しいと思うでもないが、店の女たちはなべて顔は良く、弁えていたし、手間がないところが川島にとっては良かった。
     しかし本日の接待相手は、今の所ただの一般客に等しい。取り敢えずのところ上役と多少の遊びを楽しんでお帰り頂くだけだ。まだこの店の詳細は勿論、自分達の商品も見せる必要はない。
     上司達に付き従い、客と彼らの談笑を眺める。カラカラと回る玩具が示した数字は、客の望む様だった。
     ふと、視界の端に映った女の、普段の給仕とかなり毛色が違う事に意識を引かれる。いつもの女達は川島へは抑えた視線を送るか、または今日はどうか、とストレートに触れてくるもので実に無駄がない。
     しかしその女は、まじまじと川島をただ見つめて来たのだ。
    (新人か)
     どこかの学生が借金を払いあぐねて、というのはよくあり、その借金を膨れさせるのもこちらの仕事の結果である場合もあるが、まあそういった経緯で来たのだろう。衣装も髪も美しく装っていたが、まだあどけないほどにも見える女だった。
    (教育をしろ)
     不躾な視線を客に送る様な女はこの店にはいない。もし送るのならば、誘う時だけだ。
     マネージャーへ視線を向ければ、その栗毛の若い女は年嵩の女に促されて裏へと下がる。浅く息を吐いて、再び盤上へ目を向ければ、接待をする気はあるのやら、上司の側にコインが山と積まれていた。仕方がないことだ、と酒の手配に向かうと先程の女が既に戻っており、一礼してから先程より尚はっきりと眼を覗いてきた。
    「……何のつもりだ」
    「あなたの事が、気になって」
     遠く、教育役が慌てている気配がある。この新人は中々の剛気なのか、はたまたただの莫迦なのか。真っ直ぐに見つめてくる金を散らしたかの様に光る目に興が乗った。
    「マネージャーに場所を聞け、そこで待っていろ」
      
     客を帰して上役を見送ってから、上司へは直帰する許可を取り踵を返した。カジノから程近く、雑居ビルの立ち並ぶ路地を行き、通りに面さない奥まったビルの最上階へ向かう。
     先ほどの女が確かに部屋に居た。
    「中々、営業熱心なことだ」
    「……貴方が素敵だったので」
    「そういう台詞は俺へは不要だ」
     好みに合って気が乗れば、誘いは割と受けた方だと思う。今日とて商売女の誘いを受けて買う、その感覚でいた。
     栗色の髪を留めていた飾りを取り外して、肩を撫でそのままゆっくりと寝台へ押し付けていく。ドレスをはだけ、下着のあるまま覆うように手を当て、親指で撫でる。
     途端にびくりと大きく肩を震わせ、辛うじて声を出すことには耐えたその様を見て、まだ仕事慣れしていないのか、と顔を覗いた。
    「気が乗らないなら別の男を誘え」
    「い、いいえ」
     赤らめた頬のまま横を向く女。
     そのまま脇腹を辿り下へ向かう。スリットから差し入れて腿をなぞる。吸い付く様な柔らかな肌。適度にしまった脚。膝上から徐々に上へと撫で上げる。
    「ふ…っ、……!」
     こらえる様な声に、やはり素人くささしか見受けられない。
     しかし買い物は買い物で、手は止めなかった。近頃は小慣れた女ばかりを相手にして、仕事で抱くものは好みでもなんでもないので数には入れもしない。
    「や、あ」
     奥に触れた時に羞恥の声を上げる女。演技かと思うような可憐な初々しさは、久方ぶりに過ぎる。く、と漏れた息が自分の笑い声であった事に気が付き、改めて唇を歪めた。
     身体をずらして、背から胸へ腕を回す。横向きに、後ろから抱くような形に、女は身を丸めた。下腹へ手を添わせながら、上はホックを外して抜き去る。掌に少し余るほどの白い胸は、動く指に柔らかく歪む。息を詰めてびくりと震えるのに、もう少し力を抜いて息を吐け、止めるな。と耳朶に唇を当てて囁く。
     肌の心地よさに胸と腹、腰骨と幾度も辿った。しかし、まだ必要なほどの反応を示さない。軽く息をついてから、体勢をまた変えて脚を割り開いた。
    「ぁ、は、だめ…」
    「何が」
    「きたな…」
    「指では濡れないんなら、こうする」
     唇と舌で、撫で、舐める。びくりと震える脚と腰を押さえつける。そうこうして暫く、女の声が艶を帯びるようになり、指をさし入れればくちゅりと鳴った。
    「あぁ…、……えっ、ぁ、あっ」
     指で内側を軽く叩くようにしていく。真っ赤になる肌の色、様子を見れば顔も赤くして涙をぼろぼろと際限なく零している。まず一度は、と追い上げた。
     
     
     
    「……この仕事は、始めたばかりか?」
     ライターを仕舞いながら問えば、逡巡の後小さく頷く。体を使うことはあまり無かったのだと消え入るような声で呟いているが、あまりどころか初めてだろうが、と思わず溜息を吐く。結局、処女だった。
    「続けるんだろう」
     まだあの場所で、と言えばこれにも頷く。事情など聞いても仕方ない。川島に必要な情報は、これで充分だった。吸っていたものを灰皿に押し付ける。
     続けて行くのなら、これからこの女も他の商売女のように、じきに慣れた様子で男を慰めるようになるのだな、と僅かに惜しく思う自分を感じたところで、川島は問いをひとつ足していた。
      
      * * *
     
     職務の為の入念な準備を、音無瑠璃は怠らない。色んな話を聞く。これから自分にとって先輩の立場になる夜の女性たちから。仕事のことも、他愛のない世間話や、彼女らの好きなもの、嫌いなもの。教わる立場で共に時を過ごせるのは長い時間ではないけれど、丁寧に着実に女性たちの仕草や、声音や、考え方をトレースしていく。そうして、音無捜査官は装うのだ。彼女らの完全な模倣ではなく、新しく『平川雫』という存在を作り上げて。緻密に織り上げた人格、笑みを湛えた唇に赤のルージュを引き、大胆なドレスを纏う、夜の花の一輪。それをしっかりと己の上に構成した。それなのに。
    「名は?」
     焦茶の瞳から向けられたたった一つの問いに、なぜ平川雫は答えを誤ったのか。
     
      * * *
     
     これは十日ほど前の事。
     しまったな、とバーテンダーに扮した中崎捜査官は割ったグラスを片付けながら苦笑いをする。やや余計な力が入ったらしい。
     本来は協力者を得て行うような情報収集を、それを得られず捜査官自らが時間をかけて潜入して行う事がある。中崎葵に与えられた任務がそれだ。半年ほど前から何店舗かのバーやクラブを渡り歩き、この所謂裏カジノと俗っぽく渾名される店に潜り込んだ。手間も時間もかけ過ぎだろ、と思いつつも己の慎重さを買われているのだろう所は理解していたし、時間をかける仕事も特に厭ってはいない。ただ、今回バディとして後輩があてがわれた事にやや懸念を持っていた。
     音無瑠璃。中崎との付き合いは音無が入職して間も無くからだった。物事に真剣に取り組み、その深入り度合いがやや問題行動とも取れる生真面目がすぎる後輩だった。何度か共にこういった仕事もして来たが、今回の潜入は場所が場所過ぎる。あいつにこなせるだろうかと、じきにこの店に来る音無を思う。
     上には一度反対している。しかし、中崎とは違った方向で音無は上からの信頼が厚かった。それは愚直な生真面目さとはまた違う部分、勘の冴えという面だった。彼女のそれに関しては中崎も舌を巻いている。新人の頃はただ雰囲気で、という曖昧なところから問題解決の糸口に辿り着いていたが、この数年の中崎との仕事から、綿密な情報分析という手段も手に入れてからというもの、彼女の有用さは同僚も上も知る所だ。
    (やきもきしても、仕方がないか)
     何かあれば、互いに助け合う。それがバディだ。可愛い後輩一人、なんとか守れる様に自分はより慎重に取り組むだけだ。
    「……よし」
    「どこもよし、じゃないんだな東」
     声に振り返るとここでの先輩が腕組みをして苦笑いをしていた。
    「おまえ、バカラを割ってよしはねえよ」
    「ッすんません! これバカラなんですか!」
    「いや嘘だけど」
    「ですよね! ゾッとした! ゾッとしました!」
    「はは、まあ気を付けろよ、今日は鳥羽さんとこが来るらしいし。あと、女の子も新人来るってよ」
    「了解です、ひとつたりとも割りません」
    「元から割るなよ、まあ割っても天引きだけど」
    「はい……あーあ、またクルマへの道のりが長くなりました」
    「お前が何買おうとしらねえけど、ま、週一割ってりゃ世話ねえよ」
    「ぐう」
     開ける準備するぞ、とバーテンダーが中崎…東宏紀の肩を叩く。
     鳥羽さんとこ、というのは高級不動産の仲介会社だ。長髪をひとつに束ねた、左の目元と口元に黒子のある美丈夫が鳥羽。そして数名の部下をいつも連れており、たまに上司とも来店があるが、概ねここでの接待取りまとめは鳥羽が行っている様子だ。彼らはこの店の経営者とも繋がりがあるらしいことを聞いていた。
     ここに張り付く目的は、この会社の実情を探る事で達成できる筈だと中崎は踏んでいる。しかし、バーテンダーで男の身、中々接触を増やせずにいた。
     結局、音無の働きに頼ることになるんだろう。何とか、せめてあいつがどうしようもなくなることだけは避けなければ。
     
      * * *
      
     不動産仲介業の男と接触してから七日を数えた。音無捜査官は平川という役を装う手順を踏みながら、先日を思い返していた。
     暗褐色の少し長めの前髪を切り揃え、片側に立ち上げて流した男性。時折の、接待相手と上司に向けてだろう応答はにこやかなものの、参加はせずにルーレットの行く末を眺めていた。
     冷静、そんな文字を見たような。こんな人が口を滑らせるとも思えないというのが印象として強くあった。しかしいやに彼が気に掛かるのだ。ついと彼の指先が卓上を動くだけで、わずかに姿勢を変えるだけでも、目で追ってしまう。何に引き寄せられるのか、これを勘と言っても良いものか。
    (先輩には、直感頼りで突っ走るなと釘を刺されたし、私もこれ以外の理由を持たないと、とは思うんだけど……)
     今回の仕事では、先んじて中崎がバーテンダーとして幾つかのクラブを転々とした後に入り込み、さらに時間を置いて音無が、奨学金返済を高額バイトに縋ったという体裁で紛れ込んだ。今までの潜入に比べて、探る対象も内容も重く感じている。クラブ内部で、恒常的な麻薬取引があるのではないか、との事だった。
     所属してまだ半月も経たないが、クラブ内部でそういった気配は感じず、それは中崎も同じくとのことであった。
     自分の役柄であるフロアレディの立ち居振る舞いや、そういった仕草は事前に協力者達から学んだ。こうして手のひらを添わせ、ここで指を絡める。こんな時に身を寄せる。
     技巧として、間違いなく手順を踏む。あたかも気持ちが乗っているかのように。演じるという事自体は一緒なのよ、と協力者たる女性たちは笑っていた。
     振る舞いと装い方自体は覚えたと自信はあった。潜む先には問題なく馴染めると。だから、それらしく客に取り入って聞き出せると考えて、気に掛かった相手へと近寄ったのだ。
     ただ、想定外であったその先の行為を誰にともなく弁解すれば、あの男性がすぐに誘いに乗るとは思わなかったのだ。
     ──まさか、あんなにあっさりと。
     音無の誤算は、こういった場での睦ごとが何の迷いも衒いもなく、日常の身嗜みにも近い程にあっさりと行われるという事を知らなかった点にある。
     彼女としてはこうした行為に多少の夢はあったのだ。愛のある相手と慈しみあって、交歓するものなのだと。
     それでも不思議な事に、確かに間違いなく音無はその初めてというものをあの男に掠め取られたのだが、大きな落胆は無かった。
     過ぎてしまえばこんな物なのかな。と、ひとり髪を結いながら思い返す。
    (あの人の、手)
     単に、営業職らしく整った造形について考えたはずが、かっと頬に血がのぼる。指の動きや律動が一瞬で蘇り、ぞわりとうなじの毛が逆立つようだった。
     いや自分の感覚はいいのだ。とにかく、彼が余計な雑談で情報を漏らすようには見えない。仕事とそれは切り分けるだろう。けれど接触を増やして、よく見る事。それで得られるものがあるのかも知れない。そして、彼について。冷静で人を寄せ付けない雰囲気は持っていながら、気質として冷たいとは思えなかった。あの人を、知りたい。
    「また会えないかな」
     声にしていた事に音無は気づかず身支度を終えるのだった。
      
      * * *
     
     川島隆春は不動産会社の営業として過ごしているが、所謂麻薬取引組織の一員である。まずまずの身長にしなやかさが見て取れる体躯。やや吊った目は焦げた茶の色。仕事の社交は卒無くこなすが基本的には冷めた態度で人とは必要以上に馴れ合わない。しかし組織内では接客役という、異性と関わり薬を覚えさせて籠絡する、或いは潰す仕事を受け持っていた。
     接客役の前任は雷鳥時宗という、席が空きさえすれば幹部になるだろうと目されている上司であった。雷鳥は川島とは正反対に、他者と関わる事を好み、楽しんでいるという姿を隠さず、仕事でもそれ以外でも女遊びが激しかった。長い黒髪を一つに束ね、ジャケットやチーフもしょっちゅう変わる洒落者。目元の黒子も艶な美丈夫で、夜の女達からも人気は高い。
     その雷鳥が後任の川島へ、教訓をあげようと上機嫌に言ったのが『女の子は広く沢山愛してあげることだよ』の言葉である。
     ただの雷鳥のシュミではないかと肩を竦めた川島であったが、目端の利く男だということは知っていたので言い返しもせずに受け取っておいた。
     上部組織の敵対者の伴侶、反抗した構成員の妻或いは娘。それらを相手に遊びと宣言して近寄ることや、相手が本気で落ちるよう仕向ける事も、幾らかの手管を罪悪感もなく操るようになるまで、そう時間は掛からなかった。
     島くんは勘がいい、手際がいい、そして何よりカオが良い。安心して任せられるね。と笑った雷鳥。川島をこの組織に拾い上げたのは雷鳥で、兄貴分を気取って絡まれ連れ回され使い走りにもされた。常のふざけた軽薄さとは裏腹に、冷徹で計算高く、また豪胆である所を共に過ごすにつれ知っていった川島としては、内容が何であれ彼に認められるのも悪い気はしなかった。
      
      * * *
      
     その日、川島は雷鳥から、一仕事して来てよ、と名前と今現在の所在のメモ、接客相手の写真を渡された。了解を伝えて名刺入れを確認し、不動産仲介のオフィスを出る。
     初日は接触だけ。居合わせた喫茶店で飲み物でも零し、相手の服を弁償するなど言って次回に漕ぎ付ける。そして数度目には嗅がせる。いつも通りのプランだ。
     少しは楽しめる相手だと、偶には良いんだが。そう思った時に数日前の女の顔が浮かんだ。あの店のフロアレディの癖に、物慣れない生娘だった女。
     今いない相手を考えても仕様がないと息を吐き、店のドアを開く。そこは上品の代名詞のようなコーヒーの香りに満ちていた。
      
     ウェイターが女へコーヒーを運び、声を掛けるその時に偶然を装い鞄を取り落とす。まぁまぁの高級店の従業員なので失敗するかと思いきや、うまく運んだ。
    「申し訳ございません!」
     ウェイターが、突然の事にやや呆然としている女へと謝罪する。いい具合だ、カップや盆を取り落しはしなかったが見事にスカートの裾へ飲料が飛んだ。
    「申し訳ありません、私が鞄を落とした所為です……お怪我はしていませんか」
     従業員がタオルを持ってくる間に膝をついて顔を窺う。
    「大丈夫です、が……」
    「お召し物を汚してしまい本当に申し訳ありません、私は仁科と申します」
     名刺を取り出して渡し、洗濯費用を持たせて欲しいと哀願し、今すぐ替えが必要でしょう、と言えば家の車を呼んで帰るとの返答であった。
     どうか、お詫びをさせて欲しいと顔を見上げると、困った様子ではあるが、興味と期待を含ませたような眼で頷いた。
     丁度その頃にタオルを持ち、別室をご用意いたします、と先とは違う女性従業員がやってきた。先ほどの男性へお詫びをお伝えくださいと、白々しくならぬよう注意を払いつ口にすれば、恐縮ですと返ってくる。まさかここまで雷鳥の仕込みではあるまいかと疑いたくなるほど、実に良い店だ。
    「それでは、ご連絡お待ちしております。失礼します」
    「ええ、あの……また」
    「ありがとうございます」
     安堵を滲ませた礼を言いながら、女の表情を確認した。今後を楽に進められそうであった。
      
      
      
    「手順は問題ない。明後日にもう一度会うことになった」
    「ひゅう、早いね。また惚れられたんじゃぁないの島くん。色男だねェ」
     その類の仕事を回してきては揶揄ってくる男を一瞥する。そうは言っても川島の前は雷鳥こそがこの類を一手に担当していた上に、川島へ手解きして後任に据えたのも雷鳥だ。男への視線がやや細められたものになるのも自然だろう。
    「おおこわーい。まぁまぁ、島くん好みの顔じゃなかったのは謝るけどさ。じゃあ気晴らしに遊びに行く? 今日は奢っちゃうよ」
    「……正直に」
    「俺たちの仕事で正直もなにもないじゃん。面白いねェ島くんは! わかったよ、俺が遊びに出たいの。一人じゃ怒られそうだからさ、連れてってよ」
    「了解」
     車を呼び、例の場所へ向かう。今日は接待も取引も無い。しかし途中で降りてからもう一台繋いだ。
     雷鳥は頭がいい。この組織の中で中間層にあっても、常にどの状況でどう己が割りを食わず、最大限に愉しめるかを計算している。雷鳥の下についてから川島が何度となく聴かされたのが、『何時だって足を掬われないように相手を転がして自分が愉しむこと』そんなセリフだった。酒も女も、甘美さはあれど道具に過ぎないとも習った。
     扉が開いて嗅いだ慣れた匂いに、意図せず始まった回想から引き戻される。
    「それじゃあ島くん、今日はここで解散かな」
    「帰りに車は」
    「大丈夫。俺はどの子かと寝ていくから。島くんも好きにしなよ」
     
     奢りだとの言があったので、適当に飲んで好みが合えば連れ出すか、と思った矢先に近頃見た顔が視界に入った。
    「ようこそ。何かお召し上がりに?」
     嫣然と微笑む、女。
    「……前と同じ物を」
    「承知しました。只今お持ちいたします」
     違わず先日、川島が顧客へと注文したものと同じ酒が運ばれた。憶えていたとは、と一瞥する。
    「少しは慣れたのか?」
    「えぇ。お客様のお好みは幾らか」
    「他は?」
    「……お試しになってみますか?」
     するりと伸びてきた細い腕。避けずに指先を掬い、目を見る。僅かに光を灯すような。
    「頂こうか」
     騒めきが遠のくようだった。
     
      * * *
     
     いつもの店に新しく入った、およそその仕事には向かない性質なのだろう女。向こうが向くまいが、足を踏み入れたのならば仕事はこなさねばならないのだし、あちらから誘いをかけてくるならば川島に拒む理由は別段、無かった。 
     あの日、戸惑いながらも熱に溶けていった瞳が、今日はどこか挑戦的に光って見つめてくる。
     試すか、というからにはそういう事だろうと手を取った。先日と同じ場所というのも芸がないものと、川島がまた部屋を指定して、今に至る。
     
      
     ──驚く程にどこも変わっていなかった。
     ドレスを脱がせればびくりと体を震わせて、撫で触れれば快感を拾う前に羞恥をのぞかせる。
    「おい」
    「な、何でしょう…」
     息も絶えだえに返る声。胸元から首や顔、元は白い肌が朱に上気している。
    「少しは慣れたんじゃなかったのか。あれから何人と寝た」
    「…………実は……どなたとも」
    「…………は?」
    「貴方だけをお待ちしていました、と言ったら?」
    「莫迦な、非効率だ」
     金の為にそこに居るんだろうに、と呆れた視線を隠せず送ると、居心地悪そうに視線を泳がした後に答えが来る。
    「私はフロアとして雇われましたから……こういうお仕事は、あまりやらないんです」
     誘いはあれほどに上手くやっておきながら、よくもしゃあしゃあと言ってのける。
    「ではなぜ俺に声を掛けた。経験も無かったのに」
    「本当に、その……何となく、だったんです。どうしてか気になって、あなたが」
     特に嘘でも無さそうで、万一己が顧客の様に熱を上げているならば、更にのぼせあがったのかもしれないが、ただただ拍子抜けをするような答えだった。
     ふ、とため息を吐いてから、意識もせずに女の髪を梳いたところでまっすぐに見つめてくる瞳にかち合い、なんだ、と促した。
    「お名前を、呼べないのは寂しいです」
    「……島と呼ばれている」
    「島さん」
    「ああ」
     嬉し気ににこりと笑うのを、不思議な女だ、と眺める。呼び名を答えたのは気まぐれだった。
      
      * * *
      
     閑話休題、フロアレディたちの雑談。
     平川雫はその裏カジノ、いやクラブの新人として入ったばかりであった。給仕の女達はその新人を囲み、絡んでいた。
    「もう! 雫ちゃんじゃなかったら私たち、とてもじゃないけど我慢できなかったよ!」
    「雫ちゃん見る目ありすぎだよねぇ」
    「ほんとそう」
     初日に続いて一週間は後ではあるが、連続して島と店外で会ったことについてだった。
    「かっこいいでしょ、仁科さん」
    「えっ? あ、はい」
    「仕事中はまあまあ愛想がいいのに、オフになったら凄くつっけんどんなの、ちょっと可愛くない?」
     きゃあわかるぅ、と盛り上がる先輩方を見て平川雫は考える。仁科さん、しまさん? あの日私は聞き間違えたのだろうか。愛称で、しなさん?
    「鳥羽さんもね、かっこいいんだけどぉ」
    「ちょっとあまりに軽すぎるしー」
    「オトナ過ぎるよねぇ」
    「あっでもそういう気分の時は鳥羽さんかな」
     好き勝手を言いながら再度上がる華やかな笑い声。絡まれてはいるものの、話からは置いてけぼりの平川は曖昧に微笑む。
    「ごめんごめん、みんなね、仁科さんのことは希少ワインみたいな扱いなの」
    「希少ワイン」
    「そう。鳥羽さんは有名で高いシャンパン。お金と勢いがあれば手が出せる」
    「で、仁科さんは入手の難しすぎるワイン」
     先輩方が揃って前のめりになって平川へと語る。なるほど、彼は相当な気紛れで自分を買ったのかもしれない。今後は難しいのだろうか……。やや表情が翳ったのに気がついたらしい先輩が、平川の手を取り明るくいう。
    「大丈夫、妬んだりはしないわ、言ったでしょ、雫ちゃんだから我慢できるのよ」
     そういうことではなかったが、たしか、こういった場での戦いは熾烈であると聞く。なぜ、言うなれば抜け駆けをしたような状態になっている自分を擁護すると言ってくれるのかが気になった。
    「それは、どうして…」
    「だって仁科さんが自分で選んでるんだもん。それに」
    「それに?」
    「雫ちゃんすごく良い子だし可愛いから!」
     曰く、オフの仁科は面倒を嫌う上にそれなりに面食いである。気に入られた者のアプローチは受け入れられるし再度があることもあるが、まず連続することはそうないとの事。
     可愛くない子に取られたならもうそれは怒り狂ったところだ、と言われてさらに返答に窮するのだった。
     女性同士だからこその、厳しさかもしれない……。
     
      * * *
     
     ふわりと掠める香りが、今日はいつもと少し違うような気がした。
     音無捜査官は注意深く男の様子を観察していた。ここ数日のところ彼らは来ず、久々の接触だ。今日こそは何か一欠片でもいいから拾うのだ。彼の所属する不動産会社とは、具体的に何を扱い、どこから得ているのかを。
     自分の潜入している場所はただの不動産会社が入れるような店ではない。稀に羽振りがいいだけの一般の企業の上役が入店する事もあるが、そういった者は常連にはならない。彼らにはこの店で遊ぶルールが明かされないからだ。その明確な内容については、下っ端の従業員である東も平川も知らされてはいないのだが。
     ──島さんは、きっとそれらに触れている。もしかしたら、作る側にいるのかも。
     きゅ、と唇を笑みに形作り、標的の男へ手を伸ばす。
    「こんばんは、ようこそ」
    「…君か。懲りないな」
    「貴方だけを待っておりましたので」
    「よく言う」
     応酬の間にも指先は互いをゆっくりとなぞり合う。探り合いの先駆けのように。
     
     
     そう、今宵の音無はいつも通り、いや増して意気だけは高かったのだが、やはりいつも通り経験の差が物を言う結果となった。つまりは男の手に身体に翻弄され、あっさりと意識を失う結果となったのだ。
     明け方になり目を覚ました音無は男の姿が無いのにしまった、と血の気を引かせた。
    (あ、私…また…!)
     後悔先に立たず。女遊びに関しては百戦錬磨なのだろう男に自分が敵わないのは致し方ないと切り替え、シーツを纏って広い部屋をバスルームへ向かって進む。
     しかし、備えのソファに掛けられたジャケットに目が留まった。
    「……島さん?」
     声をかけるものの返答は無い。室内から物音もしない。
     そっと手を伸ばす。
     昨日は確かあの少し甘いような煙草と、いつもの香水の香り、そして、知らない何かの匂いがしていた気がするのだ。ベッドに押さえつけられていく時に触れた髪から、整髪剤と汗の他に何かの混ざった。
     ──でも、
    「何をしてる」
     思わず手に取っていたそれを抱きしめる形になる。だがそこから一呼吸も必要はない。何も知らない顔などすぐに出来る。
    「あ、おはようございます」
    「……皺になる。離せ」
     些か間の抜けた返しだったが気にはしなかった様子だ。内心でほうっと息をつく。
    「お忘れになったのかと」
    「君こそ」
     気づけばシーツはずり落ちて男のジャケットだけを手にしている状態であった。
    「……!」
    「なかなかいい格好だ。俺はもう出るつもりだったが、続きを?」
     さすがに大慌てでシーツを巻きつけジャケットを押し付けた。男は既に身繕いを終えていた。対して音無は湯も浴びていない。
    「先に出る」
    「……はい。あの」
     呼びかければ、目だけで続きを促してきた。そういえばこの男は自分の掛けた声に対して無視はあまりしないのだ。
    「お仕事、頑張ってくださいね」
     社交辞令に過ぎなくとも。その仕事内容を暴くために自分は近寄っているのだけれども。何となく出てしまった言葉だった。
    「……君こそ」
     先程の言葉をもう一度言って、く、と笑いながらまだまだ下手に過ぎる、と続け標的は立ち去った。
     静かに閉まる扉を見つめる。結局、先程手にしたジャケットからも、ライター以外を見つけられはしなかった。 
     
      * * *
     
    「平川」
    「東さん」
     化粧直しを終えてフロアへ向かう途中に、音無は中崎捜査官扮するバーテンダーの東に鉢合わせた。彼は自分より先にこのクラブに入り込んで地盤をある程度固めていた。平川雫に対しては、新人に構う兄貴分、のような形で先輩スタッフとしておかしくない程度の関わりを持ってもらっていた。これは、フェイクも真実も変わらない。先輩にはいつもお世話になってるな、と平川はやや素の顔で微笑む。
    「お前ろくに寝てないだろ」
    「まだ大丈夫です。覚える事が少し、多くて。それだけです」
    「焦るな、俺もいる」
    「……はい」
    「無理するなよ。また今度、デートしてくれな」
     とん、と肩に触れて茶化しながら通り過ぎていった中崎を振り返らずにフロアへ出る。
     中崎へは引き出し口にと定めた男と、まさか夜を共にしているとは言っていない。自分だってこうまでなるとは夢にも思っていなかったのだ。余りにあっさりと事が運んでしまい、唖然としてしまった程で。それなのにまだ、有益なものは引き出せていない。
     しかし、と紅を引いた唇を笑みに形作って客を迎える。
    「こんばんは、ようこそ」
     昨晩はできなかったが、彼の素性の真実を、ひとつずつ見つけるのだ。
     ──きっと彼は、教えてくれる。そのはずなのだ。
      
      * * *
      
     接客の後の疲れを感じていたものの、その客の名残を払拭したい気分がもたげて、近頃、以前に増して馴染みになりつつある店へと川島は足を向けた。カウンターならオフに一人で入ったとして何ら問題はない。自分、というより『不動産屋の仁科』へ慣れた者に対応させて静かに過ごしたかった。
     ボーイに酒だけだと伝えてカウンターへ向かえば、いつものソムリエではなく比較的若いバーテンダーが居た。
    「いらっしゃいませ」
    「キープから、シングルで」
    「かしこまりました」
     無駄のないやり取りで程なく酒が出される。煙草を取り出したところで、すいと白い腕とライターが近寄った。振る舞いに関してはそれなりに板についてきている、と川島は思う。この頃触れることの多い、宝石の名の女だ。
     自分を見つけてすぐ寄ってきたのだろうか。
    「それで?」
    「今日はお疲れに見えます」
    「ああ、正解だ。酒だけで帰る」
    「そうですね……」
     演技だろうに、少し残念そうに視線が揺れる所は真実味があった。
    「どうぞお寛ぎください」
     バーテンダーから、つまみの皿がやや強く置かれたのに気が付き唇を吊った。まさか売り物に気があるのだろうか。
    「直ぐ出る」
    「失礼を」
     いや、と緩く首を振って酒を飲む。女へは、ほかの仕事へ向かえと手を振った。バーテンダーの気配が少し緩むのを感じてまた可笑しくなり、普段ならしない問いを口にした。つくづくあの女が絡むと、なぜか口が軽くなる様だ。しかし何がしかを言われるとも思っていなかったのか、バーテンダーからは頓狂な返事しかなかった。
    「は?」
    「あの女とは兄妹なのか? と聞いた」
    「いえ、ここでの後輩です」
    「可愛がっている様に見える」
    「それは……ええ。可愛いですしね」
    「……ふ」
     仲間内の友愛かそれ以上かは知らないが、こんな場所で面白いものだなと笑う。良い気分転換になった、とチップを多めに置いて後にする。この男なら、あの女へ渡すだろうか。外はやや湿った匂いがしていた。
      
      * * *
      
     上役の代理として、取引先を適当に持て成して帰した後、雷鳥は川島を引き留めて酒を注文した。同席することに頷いた川島に、芝居っ気たっぷりに腕を広げてから自分の隣を示す。
    「ねぇ島くん、好きなコでも出来たのかい?」
     肩に腕を回してニヤリと言う男へ、視線だけを返す川島。それにまたクスクスと笑い、雷鳥はグラスをすいと店の一方向へ向けた。
    「あれが?」
    「近頃よく構ってるでしょ。おかげでキミ目当ての他のコが、俺で妥協してあげるわ、なんて言ってきたからねぇ」
     最近他の子構ってないんでしょう、と拳で軽く小突く真似をする。
    「元から俺はそう旺盛な方じゃないので」
    「ははぁ、俺の後任立派に勤めておいてェ。ま、冗談抜きにひとりだけにってのはやめておきなよ?」
     見えるものも見えなくなるから。と続けた雷鳥の、口元は笑みの形のまま黒檀の目が冷ややかなのに気付き、川島は頷き返すに留める。
    「しかしアレだね、島くんがゾッコンになる程のコなら俺もお願いしようかなぁ」
    「……手間のかかる女ですよ」
    「島くんシュミ変わった? そういう子面倒がってたじゃない」
     ま、独占したいのは分かったけど。と笑いながらシガーケースを取り出す雷鳥の視線は、手間のかかると評されたその給仕係が裏へ退がるまで追っていた。
      
      * * *
      
     夜半、川島は溜息をついてベッドを離れた。そこには女が一人寝息を立てている。
     雷鳥には趣味が変わったか、と笑われたが変わったとは思っていない。
     この宝石の名の女がたまたま具合のいいだけ。そして度々誘ってくるので断る理由もない、それだけである。
     余りに拙く不慣れすぎるところは確かに面倒だが、仕事とは違って無駄に言葉をかける必要もなく、気は楽だった。
     疲れ果てた様子の女。白い胸がゆっくりと上下する。
     ──今日の島さんは、少し優しいですね。
     飾りを外して髪を梳いたのは染み付いた接客の習いだった。昼間に抱いたのの延長。それに何を思ったのかおかしなことを言うので、加減してやらなかった。結果散々啼いて、気を失ったのだ。
     ──あなたのこと、もう少し知りたいです。
     小さく呟かれた言葉は睦言のつもりだったのだろうか。練習が足りない、と笑う。まるで子供が背伸びをして乗せた音のようで。
     仕事で男を取る女と、遊びでそれを買う男。ただそれだけの関係に、互いのことで共有するものは何もない。強いて言えば温度くらいのものだ。
      
      * * *
      
     それから暫く、川島は接客へと集中していたため、店へ立ち寄る事がなかった。変わらず不動産仲介の男たちは入店するものの、鳥羽という束ね役は自分の手に負えるとは到底思えない様子であったし、彼については中崎が手を伸ばしている所だった。
     中崎、音無が揃って休みの日、協力のある商社の食堂で情報共有と打ち合わせをしていた。
    「鳥羽サマがさぁ……手強過ぎるんだよな……」
     行儀悪く机に伏した中崎から、ぼろ、とこぼされる言葉に音無も重く頷く。
    「先輩ですら、なんですよね。私では到底……」
    「お前は、近づくな。絶対手を出される。あいつは女遊びが酷過ぎるだろ」
    「あ……はい」
     まさか既に島に手を出されましたと言えるわけもなく、おとなしくまた頷く。
    「……ヘラヘラして、さも本音らしく喋るくせに全然建前以外をこぼさないし、何かあれば姐さん方ばかり呼んでるし。多分警戒されてる」
     中崎の性質として、そこを無理に押して、半年以上を掛けて作ったこの役を損なう様なことはしないだろう。音無が代わりにと言ったとしても後輩を危険に晒す事も避ける。今の様に釘を刺して。このままでは、
    「八方塞がりかな……」
    「……先輩。島さんがまた来たら…もう少し当たってみます」
    「音無!」
     テーブルの上に肘を付いて姿勢を崩していた中崎が、がばりと跳ね起き嗜めるように鋭く名を呼ぶ。
    「前より距離が近くなったような気がするので」
    「不甲斐ない先輩ですまん」
    「バディですよ。互いの不足を補って目的を達成させましょう」
    「……ああ。でも、個室で二人きりになるのは避けろよ。何かあったらすぐに俺を呼んでくれ」
     一瞬、呆気に取られる。先日のカウンターでの島とのやりとりの際に、彼へ向け牽制をしたように見えたのは間違いでは無かったらしい。この先輩は、長く自分の面倒を見て来てくれた。それ故なのか、少し過保護気味だ。
    「大丈夫です、無茶はしてませんから」
     中崎の真剣な眼差しへ、やんわりと微笑んで返す。心配の気持ちは、嬉しかった。
     
      * * *
     
    「それで、西くんはこの子に見覚えがある、と」
    「ええ」
     川島をダシに飲み喰い遊びした後日、雷鳥は部下の西村を呼んで一枚の写真を見せていた。
     西村は人体の部位売買にも関わっている。特徴的な形状を見れば顔も含めて中々忘れない、良い記憶力の持ち主であった。
     平川雫、それが川島が近頃拘っているこの写真の女の名だと、雷鳥は他の給仕係から情報を得ていた。店で働くようになったいきさつは、奨学金の返済に足らない分の埋め合わせをしたいと知り合いに相談した結果、という事であったが。
    「五、六年程前でしたが……警察学校の卒業生の中に居たはずです」
    「……へぇ、ケイサツカン」
    「驚かないんですね」
    「いや驚いてるさ。彼らも中々洒落た事するようになったんだねぇ」
     くつくつと笑いながらグラスを傾ける。吊り上がった唇を見て、西村は眼鏡を押し上げる。
    「あの間抜けに、始末を付けさせるんですか?」
    「うん、そうだなぁ……君が言うならそうしようかな」
    「俺はそんなつもりで言ったのでは……」
     慌てて差し出がましい台詞を詫びる西村へ雷鳥は片手を振る。
    「あはは、ヤだな分かってるよ。始末ねぇ……果たして島くんが上手くやれるかな。彼女のこと、何も気付けなかった島くんに?」
     饒舌に語る上司は機嫌が良さそうで、そのくせ奥底の見えない笑みを浮かべていた。西村は続きを待つ。
    「……彼女を薬漬けにするのは簡単だけど、それじゃすこし騒ぎになる。流石に身内をやられた彼らに予定を超えてウチを捜査されたら困るし……」
    「このまま知らぬふりをして離れる、ですか? 奴が一番取りそうな行動ですが」
    「西くーん、流石に島くんの事よく知ってるねぇ。でもそれじゃぁ本当に」
     弧を描く唇。猛禽の瞳をして、雷鳥は継いだ。
    「つまんないじゃない?」
     
      * * *
      
    「……」
     川島は自宅の寝台で天井を仰いだまま、テレビから聞こえるニュースの音声に眉根を寄せる。
     先日の仕事の仕上げをしくじったとは思っていない。
     雷鳥から与えられた直近の接客は、さる製薬会社取締役の令嬢が相手だった。予想外に己へと執着してくれた為に、常に無く順調に進められた。
     甘えた甲高い声も直ぐに聞かずに済むようになる、と思っていたし、面白いほど簡単に壊れていったのだが。ニュースではその廃人となった娘を車椅子に乗せ、何が何でも犯人を見つける、と息巻く男を背景に、警察の大々的な捜査の開始が読み上げられていた。
     疲労感に細く長く息を吐く。どうせ己を辿れはしない、あの女に見せたもの全て、偽り以外何も無いのだから。
     ただ雷鳥からは、やっちゃったねぇと笑いながら雲隠れを指示されていた。指示通りではないか、と思わないでもないがあれで上司の命令だ。仕方ないか、と幾つかの私物を持ち住処を後にした。
      
      * * *
      
    「誰かをお探しですか、お嬢さん」
     この頃、島が一層店へと立ち寄らなくなった。最後に会った際は僅かに疲れた様子を隠してなのか、加減なく扱われた。ここへ来ないのは、ただ多忙なだけなのか、それとも探られている事を勘付かれたのか。
     フロアでそれとなく島の姿を探す音無へと声がかけられた。
    「こんばんは、ようこそ」
     鳥羽の部下の、西村と呼ばれていた男だ。短く整えた髪に細く吊った目に丸い眼鏡、かなりの痩躯。真顔でいれば鋭い目つきが際立つものの、接待や上司への対応はにこやかで卒が無く、島の対応ともよく似た印象だった。上司の求めるものの傾向だろうか。
    「ウチの者と仲良くして下さっているそうで」
    「いいえ……皆様にはいつも、当店をご贔屓下さいまして有難うございます」
    「ちょっと良い話があるんだが、おまわりさん」
     耳元で囁かれて項の毛が逆立つ。今この男は何と言った。
     声も出せずに見つめ返すと、男の鋭い視線が突き立つ。
    「……ここじゃあんたも困るだろ、案内しろ」
    「……っ、畏まりました」
      
     バックヤードに入ってすぐ、壁に詰められる。
    「……あの、ご用は」
    「は、まだ芝居をするのか? 音無さん」
    「!」
    「ああ、違う。あんたをどうこうしたいんじゃない。逆だ、いい話だと言ったろう」
     上がる心拍と、冷や汗が伝うのをどうにか無視して、浅く頷いて男の言葉の先を促す。
    「あんたの気にしてる男が、今話題のご令嬢に薬を教えた犯人だ」
    「……」
     壁に体重を預けて辛うじて立姿勢を保った。
     ──ああ、彼が何かを知っているどころか。
    「あの人が」
    「そう。あんたの目に狂いは無かったよ、おめでとう。上司にでも報告してやりな」
    「なぜ、あなたがそれを私に教えてくれるんです? 同じ…組織の人でしょう」
    「ああそうだ。理由を言う義理はないが、内容自体は本物だ」
     それじゃ、お勤めご苦労様、とフロア側へ踵を返す西村であったが。
    「……島さん、が」
     小さく落とされた呟きを拾って、足を止める。
    「はは、何だ、アイツ名前まで明かしてやがったのか」
    「……え」
    「お前、本当にアイツのお気に入りなんだな」
     酷く渇いた笑いを浮かべ、瞬く間に音無の手首を捕らえて壁に縫う。
    「それなら甚振り甲斐もある」
     込められた力に容赦は無かった。
      
      × × × 
      
     西村との直接の面識は今日までなかった。記憶に有るのは愛想よく上司と接待相手の機嫌をとる、社交に長けた印象。ただそれだけで、先程だってこの男自身が勝手に情報を流してきて、そのまま立ち去ろうとしたのに。それなのに、何故。
     こういった時に叫んで助けを求めなければならないのは音無とて分かっていた。しかし西村の行動はそれより早かった。単純に、音無の喉を圧迫したのだ。
     空気だけを鳴らすような悲鳴になったのに落胆する。中崎への合図も、通路奥まで来てしまっては届かない。判断ミスも甚だしいと、音無は臍を噛む思いで、しかし男を睨みつけた。
    「声、完全には潰れてないだろ。出してみな」
    「ひ、…う、…ぐ」
     咳き込みながら試すが、掠れた小さなものしか出ない。暫くは張れないのが自分でよく分かる。
    「全く聴こえないのも詰まらないからな」
    「……そ、ですか」
     せめて何にも反応するものかと唇を噛む。
    「大丈夫だ、元からお前を悦くなんてさせてやるつもりは欠片もない」
     まるで音無の思考を読んだように言って、精々泣き喚け、と酷薄に嘲う男。
     ドレスを剥ぎ、胸を鷲掴むようにして、確実に宣言通りに痛みと屈辱感しか与えられない。壁に手をついて崩れ落ちぬようにと支えるのを無駄な抵抗だと西村がまた嗤う。
    「…くっ、ぅ、」
     早く終われ、早く終われ。こんな行為に意味など無いのだと壁を見つめて爪を立てる。瞬間、ぞろりと男の手が下へ滑らされた。ストッキングを裂く音、下着の上から擦り上げられる。今までの荒さとは変わって、ただ、執拗に。
    「…、ぅ、……く…っ」
     歯をくいしばるのに、漏れる息と掠れた声。自分で聞いて気が遠くなる。今、何をされて反応している?
    「音が聞こえるな」
     首を振る。聞こえない、そんなもの。
    「強情。いいね、嫌いじゃない…」
     そんなあんたがなす術なく無く泣き崩れる様が見たいのだ、と一本また一本と指を足す。
     濡れた音が今度こそ音無の耳にも入った。
     
     出入りする感覚は何故伝わるんだろう。
     信じられない思いで瞳を固く閉じる。何か言ってる気はするが、もう言葉として捉えられない。耳障りでしかないのだ、この男の声は。
     揺すられる。目を閉じてしまった所為なのか、脳裏にふと聴こえてしまったのは、思い出してしまったのは彼の声だった。
    「ああ…!」
     痙攣のようにびくりと背を引きつらせて、明らかに色を含んだ喘ぎを漏らす。
    「……何を思ったんだ?」
     見透かすように嗤う声。そうだ、今後ろから身裡に入り込んでいるのは彼の指ではない。
    「あいつはどう抱いてるんだろうな。知ってるぞ、多分こうだろ」
     そろ、と撫ぜる手が、腿から脇腹へと滑らされた手が、島を彷彿とさせた。
    「…、ぃ、や」
    「どうして」
     耳元で囁く西村の唇は吊り上がる。
    「…島さ…ん」
     浅く呼吸を繰り返す。目は何も見えてない。ゆっくりでいいと、息で笑った彼を思い出す。
    「ま、ここには俺とあんたしか居ないんだけどな」
     唐突に力任せに押し上げられ、苦痛だけが届く。
     あぁ、違うのだ、と身体がまた認識する。あの人ではない男だ。
    「…っぐ、うぅ……っ」
     ぐずぐずとただの動作を繰り返される。痛い。もはやどこが痛いのかわからないほど、あちこちに痛みを感じる。
     もういや、とついに涙と声を零す女を見て、西村は片頬を吊った。
    「しおらしくなったじゃないか。島に見てもらうか? なぁ」
     答える気力もないまま揺すられ続け、一方的な行為を他人事のように感じていた。
     
      × × ×
      
     一服いいぞと先輩スタッフに言われて東はありがとうございます、と一礼してホールを歩く。先程から平川が見当たらず、まさかまた例の不動産仲介の男が来たのかと目を走らせる。けれどやはり姿はない。仕方がなくそのまま裏へと入った時、通路の奥、用具入れのそばに黒いドレスの裾が見えた。
     努めて平静に、と速度を変えずに進む。
    「……音無!」
     声を絞ってしかし本名で呼びかける。
     ほつれた髪と乱れたドレスを直せもせずに蹲る音無がそこにいた。
    「ぁ…あずま、さ」
    「中崎でいい」
     周りに人が居ないのを確認し、潜めた声で早口に呟く。
    「なか……」
     いやに掠れた声。ぼろ、と涙を溢す後輩に囁く。
    「マネージャーに一言入れてくる。服を直せ、取れて三十分だ」
    「はい…」
     
     例の、音無が情報の窓口になり得ると踏んだ仁科……音無が知った名前では島という男。あれが寄り付かなくなって半月。代わりに現れ音無に自ら接触したのが島を同僚とする西村だった。
     所属する組織が同じ事を否定もせず、勝手に情報を置いていったそうだ。その駄賃のように音無の身体が貪られたのは、話されずとも想像がついてしまった。
    「社長令嬢に薬を仕込んだのが、その島だったということか」
    「……そう、言われました」
    「真偽は不明だが報告する。判断は上次第だ」
    「わかりました」
     服を着替え、髪を解き、少しは落ち着いたように見える音無。
     島に近づいた時も多少の覚悟はしていたんだろうが、身の安全を顧みない事で、今日は遂に望まぬ相手に襲われた。それで手に入れた情報が、どんなに大きいものだとしても。
    「…よくやった、なんて、俺は絶対に言わない」
    「……ッ」
    「けど、ごめん」
     きつく後輩を抱きしめる。元より懸念もあった上、側にいながらこの後輩を守りきれなかった自分がどうしようもなく愚かしかった。
     
      * * *
      
     都内某所の不動産仲介会社に、強制捜査が入った。製薬会社取締役令嬢の薬物乱用の件である。
     果たして、幾らかの薬を所持していた数名の社員がその場で押さえられ、社長と取締役数名が書類送検された。
     直接に令嬢へ薬を渡したと目される男はこの日は捕まらなかった。
     
     ──川島の奴がしくじったのか。最近女に抜かしていたらしい。──女がサツだったと気がつかなかったのか。──上役はどうした。──尻尾切りだとよ。
     組長は逃れたものの、会社役員に据えられていた、組織の上座に位置する何名かが捕まって内部は騒然としていた。
    「…とりあえずさ、ケジメは必要だよねぇ」
     ざわめきをおさめたのは、雷鳥の声だった。
     全体の動きをブレさせて被害を大きくしては今後に差し支えると、もっともらしい事をさらりと言って、雷鳥は自分たちが川島を追おう、と名乗り出た。
      
     背後に控える西村は笑みを隠すことに苦心していた。
     ようやく長年邪魔で仕方がなかった川島を排除できる。いくらか年下のあの男は、雷鳥が目をかける唯一の部下であった。特に何かについて研鑽や努力を積んだでもなく何事も卒なくこなし、常に冷めた風で、西村が崇敬する雷鳥へ、仮の名前まで貰っておきながら、時にぞんざいな態度を取る若造が心底不愉快だった。
     自分の方が役に立つ筈だと勿論思っていたが、駒にはそれぞれ役割があることも十分承知していたし、近頃は分かりやすく貢献できたと自負している。そして今回の件、雷鳥の作り上げた筋書きは、西村にとって大変満足できるものであった。
     ──雷鳥さんがのし上がるその傍で支えるのは、あいつではない。
     川島粛清の為のルート設計は、いつも以上に念入りに行おうと無表情の奥で思うのだった。
      
      * * *
      
     夜明け前にフロントへ連絡し、取り急ぎ空いている他の部屋へ移りたいと要求をする。このホテルで過ごすことを勧めてきたのは雷鳥なのだが、そもそも今回の騒ぎの発端自体が、根を掘り起こせば雷鳥の寄越した仕事なのではないかと川島は考えていた。
     接客相手の女。あれはどう考えてもウチとは関係がなかった。どちらかといえば、上部側で関わりのある公安の誰それかに近しいのではなかったか。
     気がつくのが遅かった、というよりか雷鳥の回してくる仕事に疑問を持たぬ様になっていた。
     雷鳥時宗は態と波風を立てた。
     何のためか? そんなものは決まっている。
     ため息を吐きかけた所で、代わりの部屋の準備ができたと連絡を受ける。ジャケットを掴んで立ち上がった川島の耳に、ガラスの割れる音と怒号が遠く聞こえた。
    (流石に、早いな)
     仕方なしに構造をあらためながら階段を駆け降り、リネンルームへと滑り込む。従業員は居らず、羽目殺しではないサッシ窓であることに安堵し、抜け出した。
     
     近くの屋根を伝い降り、路地を進む。人気の無い場所を行きながら違和感に気がつく。
    (──これは、西村達に誘導されている)
     無駄に走らされて体力を削られる。西村の得意だ。人混みに紛れたほうがマシだと大通りへ繋がる方向へと進もうとし、そして歩みを緩めた。
     あつらえた様なほんのわずか開けた場所、雷鳥時宗が立っていた。
      
      
    「や、島くん。もう分かっちゃった?」
    「……何年、あんたの下に付いてたと思ってる」
    「そう、全部俺が、手取り足取り教えてあげたよね。なのに今回呆気なく仕事を狙い通りにこなしてくれて……肩透かしだったよぉ」
     雷鳥はゆっくりと革靴の踵を鳴らしながら、腕を広げて芝居がかった話し方をする。何にでも愉しみを持たなくては、生きてる意味なんてどこにも無いだろう、と雷鳥時宗は常々思っている。必要なのは、刺激と愉しみを拾う感性、そしてタイミングよく手駒を使い潰すセンスと思い切りだと、自分自身を信じている。
    「……」
    「おかげで、君を片付ければ俺の役付きは決まり。ちょっとスリルは足りなかったかな」
    「……それは、あんたの教育が良すぎたせいだな」
    「ん、ふ、確かに。存外君は俺に忠実に育ったよね」
    「居心地は悪くなかったからな」
    「あっは、それはよかった。今が一番いい時かもね」
    「……そうかもな」
     雷鳥が川島を拾った時は、ただの塵でしかなかった。何を思うでもなく路上に落ちて終わることを待っていた。そういうコドモが躾けやすいのは当然だったし、実際可愛げはあった。分かりにくいようでわかりやすく懐いていた駒で、今がピーク。次の手駒の西村も使い勝手良く育った。
    「あとは西くんが継いでくれるよ。ありがとね、愉しかったよ」
    「……」
    「西くん、雫ちゃんに島くんのこと伝えてくれた?」
     態とらしく西村へと問う雷鳥。西村の方もここぞと嘲笑を浮かべて答える。
    「ええ、ついでに夜も引き継ぎましたが」
    「……は、あれはお前には手に余るだろう」
    「壊す分にはどうでもいい」
    「……」
    (何かと突っかかって…見た目に反して直情的な男だ。そんなでなければ、俺の次になんて選ばれずに済んだろうに)
     ただ、己が拘ったが為に西村に手荒に扱われただろう女を思い、僅かに眉を顰める。その表情の変化に西村は一層満足気に笑う。
     不快だ、と思いながらもゆったりと川島は周囲を見回していた。雷鳥はもちろん川島の動きを分かっているので隠すこともない。包囲自体からは抜ける隙が見つからなくも無いが、雷鳥の傍に控えて拳銃を下ろさない西村が邪魔だった。逃げ道を探し、それを見つけても叶わないと理解する所までを雷鳥も西村も楽しんでいる。
      
    (──もう、いいか)
     川島が腰を下ろす。朝からよく走ったものの、逃げ仰せたとして次がない。
    「辞世の句、聞いてあげよっか」
    「愉しかったよ、雷鳥」
     傑作だ、分かってるねと大きく笑い声を上げる雷鳥。西村が合図を伺うのが見える。煩わしくなって、空を見上げた。
     束の間、近頃のことを思い出しながら、最後に触れたのがあの宝石の女ではなかったことを残念だと捉えていた自分に気が付き、ふ、と唇を歪める。
     いやに色の濃い空だな、と思いながら銃声を聴いていた。
      
     待っていた痛みは訪れなかった。
    「全員動くな、膝をついて頭の後ろで手を組め」
     西村の銃は下から打ち払われ、弾は大きく逸れていた。メットと防護服で顔は見えないが、川島にはその機動隊員の声がいつぞやのバーテンダーである事がはっきり分かった。
     視線を移せば、雷鳥の部下の包囲の外を、警官どもが更に囲っている。
    「東くんじゃないの」
    「ち、鳥羽様お耳がよろしいよう…で!」
     西村の肩を外し、伸ばされた中崎の手から、雷鳥はするりと逃げる。
    「ごめんねぇ、男と踊るシュミは無いんだ。帰らせてもらうよ」
    「そうは……」
    「お仕事、ちゃんとしなよ国家公務員くん」
     現在出ている令状は、島と呼ばれる実行犯のものだけだ。それ以上は深追いするなと、上からも言われている。しかし、中崎はどうしても音無を襲った西村を、そしてこの一連の絵図を描いただろう鳥羽を逃したくはなかった。
    「そうそう中崎捜査官、瑠璃ちゃんを抱いたのは島くんだよ」
    「!」
     中崎は視界が一瞬赤くなったような錯覚をした。二人とも素性が割れていたことはこの際後回しだが、音無を襲ったのが、西村ではなく島? いや、西村であったとあの後に聞き取りをした。島の方については音無から、何も聞いていない。
     踏みつけた西村をそのままに、座したままの島……川島を振り返ると、静かに応えがあった。
    「違いないな」
    「…………っ」
     虚言だろうか。恐らくは鳥羽の部下であるこの男が全てを被り、始末がつくのだろう。
    「じゃ、そういうことだから。ウチの会社から悪い子が出たのは申し訳ないけど、島くんのしてた事であって、俺たちは分からないからさ、帰らせてもらうね」
    「そんな言い訳が」
    「君、そんなに若くないでしょ。ちゃんと考えて?」
     包囲している仲間の後ろ、上官から手が振られた。そこまでだ、と。
    「……」
    「ほら。西くんも返してもらうよ」
     ずるりと西村を拾い上げて、周りにいた部下に任せる雷鳥。
    「それではこれにて、終幕ということで。市民の安全のために、お勤めご苦労様ぁ」
     ひらりと手を振って急ぐわけでもなく歩み去っていく男の背を、中崎は抵抗の素振りも見せない川島の拘束をしながら、振り返ることをしなかった。
      
      * * *
      
     世間を騒がせた大手製薬会社の令嬢の薬物乱用事件は、令嬢を薬物依存させた実行犯の逮捕で幕引きとされた。実行犯やその他社員の薬物入手経路については依然捜査中、しかしながら特定の相手から入手していた訳ではなく、追求は困難であるとされていた。
     川島隆春は、薬物所持及び使用に加え、婦女暴行、詐欺などの余罪が明らかとなり現在は収監の身となっていた。
     面倒な問答、それら全てにそうだ、か、知らない、で答え続け、懲役二十年と言い渡された。別段自由が恋しいわけでも無い、罪状も実刑についても川島にはさして興味の持てる所ではなかった。
     ただ、この規則正しい生活には笑いが出る。下手に見つかると怒号が来るので気を付けてはいるが。面倒な作業の際は適度に手を抜き、程々のところで過ごす日々。言葉の荒い担当官を、組織の連中の方がよほど品があるな、と一瞥してまた怒鳴られた。
      
     
    「……疲れた」
    「お疲れ様です」
     課のデスクにぐったりと伏す中崎を労う。
    「鳥羽……あのタヌキツネめ……」
    「また会いに行ったんですね?」
     不動産仲介会社の取締役に昇進した鳥羽への再三の事情聴取に、中崎は同行している。自分に調査権限は無いが、取り調べ役の相方として連れて行ってくれ、と交渉に交渉を重ねたのだった。
     しかし結果はやはり、前の社長と取締役の問題で僕には分からなくて、の一点張り。出入りしていたクラブについても、そんなに危険なところとは思っていなかった、女の子たちとは同意の上でしか関わってないし。とのたまうばかり。たしかにあの頃のクラブ側への事情聴取でも、鳥羽と仁科の女性人気は窺えた……と回想して、中崎はさらに唸り声を伸ばす。
    「中崎先輩、私これからちょっと出ますので」
     がば、と上体を起こす中崎に苦笑する。いつかも見た光景だ。
    「中止に」
    「しません。先輩だって鳥羽さんに会いに行ってるじゃないですか」
    「俺はあいつと西村をぶち込みたくて追ってるのであって、お前みたいな私情じゃ」
    「私情じゃないですか。鳥羽さんは何だか愉しんでいそうですけれど」
     いつでも飄々と、人を食った笑いばかりを浮かべていた鳥羽を思い出して口にすると、中崎が怨みがましく音無の名前を呼ぶ。
    「私なりの、終え方をしたいので」
    「……分かってる。気をつけてな」
    「はい」
      
      
     塀の中のルーティンに慣れてしばらく、一人の警官が面会に訪れると知らされた。あの女だろう、と見当が付いた。
     面会室へと呼び出され向かうと、違わずその人物が居た。
    「川島隆春さん」
    「……ああ」
     目の前、ガラス越しの向かいに姿勢正しく腰掛けるのは、あの大胆なドレスよりよほど似つかわしい、濃紺の制服をきちりと着こなした女性だった。結い上げられていた栗色の髪は、今は肩ほどで切り揃えられている。
     ただ、あの時も今も、金を散らしたような印象深い瞳と、真っ直ぐに向けられる視線は変わらない。
    「……お久しぶりです」
    「そうだな」
     中崎に、川島との面会を強く止められていた。今更会って何を話すのだ、と。確かに、職務には全く関係は無いし、自分の身が危険に晒されたのも彼と些か近くなりすぎた為だったろう。それでも、と押し通した。
    「まず、お詫びを。私の職務とはいえ、あなたを欺いていました」
    「俺のしていたことも似たようなものだ」
     息に笑いを混ぜて言えば、音無も小さく笑ってから、肩を落としていた。
    「相手を欺くという事自体は同じなのに」
    「君がそれを言っては……いや、特に嘘をつく事も君はできてなかったろう」
    「……そうでしたか?」
    「まあいい、態々会いに来て、何を聞きたいんだ?」
    「いえ、それは私の職務では有りませんし、もう取り調べは終わったと聞いています」
    「ではなぜ来た」
    「……あなたに会いたくて」
    「……」
     川島は、もう一年近くも前になる、宝石の名の女を初めて抱いたその日を思い出す。
    「ただ、なんとなく?」
    「いいえ、会いたかったんです。島さんに会えないうちに全てが終わってしまいましたから…お別れを言いに」
    「君は、変なやつだな。犯罪者相手に情が湧いたと?」
    「……初めて情を交わした人ですから。それに、あなたはいつもどこか優しかった」
     その眼差しに熱があるわけではないが、確かに情のようなものを感じる。改めて、この女は嘘をひとつとして纏えないのだなと川島は、己の心が緩むのを感じながら唇を笑みに結んだ。
    「俺からひとつ、聞いても?」
    「答えられることでしたら」
    「君の名前を聞かせて欲しい」
    「……」
     もはや肌に触れることも、駆け引きもない、互いに終わった関係。だからこそ、尋ねたいと思ったのは川島の素直な望みだった。
     しかし続く沈黙に、名を答えるのは禁じられているのか、或いは答えたくないのなら構わない、と口にしかけた所で、ぽつりと答えがこぼされた。
    「……音無…瑠璃、といいます」
     当時なぜか本名を答えた自分の失態を思い出し、制服を握って俯いていた音無だったが、堪えきれぬと笑う声に顔を上げれば、相手はまるで初めて見る青年のようで、思わず目を見開く。
    「なんだ、やはり嘘なんかつけないじゃないか」 
    「し、島さんだって、私には仁科として対応しなかったじゃないですか。そのせいで逆に、少し困ったんですよ?」
    「じゃあ、あの時の俺の立場としては上々だったな」
    「……なぜ、教えてくれたんですか」
    「ああ、それは」
     いや莫迦な、と思い至った答えを打ち消しかけたものの、それは不快ではなかった。
     川島はこの相手とのやり取りをきっとはじめから、好み、楽しんでいたのだ。
    「なんとなく、かな」
     
     時間です、と声を掛けられる。これで最後だ。
    「瑠璃」
     立ち上がりガラスの境へ、手の甲を当てて鳴らす。
    「島さん」
     そっと添えられた掌へ、己の掌を重ねた。
    「楽しかった、ずっと」
    「川島さん。さようなら」
    「ああ。さようなら」
     これからの日々に自分たちが交わることは二度と無い。温度が伝わる前に、互いに手を離して背を向け合った。
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    三野(幻水)

    DOODLEちょっとしたマフィ◯と潜入捜◯官のハニトラ気味な話。2.4万字ほどだそうです。一次。
    そんなでも無いのに区分はR18ですね。
    いろんな事に目を瞑ってやってください。

    終盤近くで
    * * *でなく、
    × × ×で区切った部分は、暴力、無理やりの所です。苦手な方は避けてくださいませ。
    ※パスは2文字です。(現在パス無しです)
    透明硝子の両側で 居並ぶ高級クラブにバー、路肩を埋めるのは黒塗りの高級車。そんな場所から僅かに離れたところに、所謂裏カジノといった風情の店があった。
     顧客の接待のため、上役と上司と共に足を踏み入れたそこは、酒も調度も一級品揃いであった。
     社内の中では若手ながら、川島も何度となくここへは来ていた。給仕の女たちは己を商品とすることも業務としており、川島自身も何度か贖っている。その金の殆どが所属する組織に返る事を思うと馬鹿馬鹿しいと思うでもないが、店の女たちはなべて顔は良く、弁えていたし、手間がないところが川島にとっては良かった。
     しかし本日の接待相手は、今の所ただの一般客に等しい。取り敢えずのところ上役と多少の遊びを楽しんでお帰り頂くだけだ。まだこの店の詳細は勿論、自分達の商品も見せる必要はない。
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