好きな人の話静かな夜は久しぶりだった。風も吹かず、雪も降らず、月の明かりが薄暗い洞窟の中に差し込んでいる。積もった雪に反射してむしろ眩しいくらいだな、と洞窟の入り口に座る蛮骨は思った。
「変わるぜ」
「おう」
真っ暗な奥の方からやってきたのは、黒く仕立てた鎧や着物に身を包んだ弟分だった。その部分部分が、傍目にも気がつくほど色が変わっている。血の痕だった。
「怪我の具合はどうだ、睡骨」
「血は止まった」
「痛みは」
「マシになった」
「そっか。あんまり無理すんじゃねえぞ」
「ああ」
見張り役を睡骨と交代し、蛮骨は洞窟の奥へと入って冷たい壁に寄りかかる。目を閉じてみても眠れない。奥には蛮骨以外誰もいない。いるのは入り口にいる睡骨だけだ。他の連中は全員、死んだ。
集まればあれだけ騒がしかった七人が、今や蛮骨と睡骨の二人きりである。賑やかだった蛇骨も、難しい言葉を並び立てる煉骨も、もういない。二人はついさっき死んだ。数日前には凶骨が、霧骨が、銀骨が死んだ。血を吐き、体を冷たくし、もう二度と動かないとわかって、みんな、その場に置いてきた。
「睡骨」
「……なんだ」
「平気か、お前」
言葉少ない首領の台詞に、睡骨は何も言わず蛮骨へと視線を向ける。最前線で、この男とは何度も共に戦っていた。口で発する言葉よりも、素振りと気配で伝えることの方が多い。だからその言葉の意味も、睡骨にはよくわかった。
「………大兄貴はどうなんだ」
問いかけに問いかけで返す。蛮骨にとって蛇骨は他とは違っていた。単なる弟分ではない感情がそこにはあった。そして睡骨にとって煉骨もただの兄貴分ではなかった。同僚以上の関係がそこにはあった。
蛮骨も睡骨も、互いにはっきりと聞いたことはなかったが、蛇骨と煉骨はそれぞれが特別に感じている相手だと知っていた。そしてそう思う相手を、同時に今日、失ったのだ。
「平気じゃなくたって進むしかねえだろ」
「はっ、違いねえ」
蛮骨のどこか達観したような言葉に、睡骨は肩を竦めて笑う。そのまましばらく沈黙が続いた。外は不気味なほど静かで、日中の吹雪が嘘のような闇夜の晴天だった。
「大兄貴は……」
「ん?」
「蛇骨と長い付き合いだったんだろ」
「ああ、そうだな」
「………。おれには長く連れ立った相手ってのはいねえから、よくわからねぇが……」
睡骨が一度言葉を切る。次の言葉を少しばかり探して、それから重たく口を開く。
「流石にあんたでも、つらいだろ」
だから今日だけは無理にでも寝た方がいいぞ、と付け足して、睡骨はちらりと洞窟の中にいる蛮骨を見た。
蛮骨の目が一際大きく見開かれる。無愛想な弟分の気遣いに、ふっと柔らかく、少し哀しげに笑った。
「付き合った時間なんざ関係ねえだろ。凶骨も、銀骨も、霧骨も……煉骨も……おれにとっちゃ大事な弟分だ。お前もな」
「………」
「……誰がいなくなったって……寂しいさ」
そう呟くと何を思ったのか、蛮骨は立ち上がり、洞窟の中から歩いてくる。そしてそのまま睡骨の隣へと腰かけた。
「……。寝たほうがいいっておれは言ったはずだが」
「いいじゃねえか。ちょっとだけ話に付き合えよ」
「ああ?話?なんの話だ」
「なあ、お前、煉骨のどこが気に入ってたんだよ」
「な!? っ、!」
突然振られた話題の内容に、思わず睡骨はでかい声をあげそうになる。はっとして、慌てて口を手で押さえた。じろりと蛮骨を睨む。蛮骨はにやにやと意地の悪い顔で睡骨を見ていた。
「あいつ、かわいいとこあるか?」
「いや……ちょっと待て……何を……」
「いいじゃねえか。聞かせろよ、お前から見た煉骨の話」
「はあ!?なんで……!」
「いいから聞かせろって。おれには結局、見せちゃくれなかったからな」
興味津々な様子で明るく装っているが、そう話す言葉の意味を思い、睡骨は少しだけ黙る。しばらくしてからため息をつき、静かな表情のまま口を開いた。
「かわいいとこはある」
「へえ、例えば」
「そうだな。あいつが調子に乗ってるところで、思わぬ反撃を受けた時の顔なんかは……まあ、なかなかいいもんだ」
「……それ布団の上での話か?」
「そうは言ってねえ。なんだ、そう思ったのか?大兄貴」
にっ、と大人の顔で悪く笑う睡骨に、蛮骨はむすっと少年らしい顔を浮かべた。
「おい。からかうんじゃねえよ、ったく……。お前らすぐ二人でどっか行ってたよな」
「大兄貴だって蛇骨とよく出かけてただろ。煉骨がいつも探し回ってたぜ」
「出かけてたんじゃなくて連れ回されてたんだよ。着物とか帯とか、あいつ見るの好きだったし」
「買ってやったりしたのか」
「たまにはな」
ふうん、と今度は睡骨が興味深そうな声を出す。頬杖をつき、楽しげな顔で蛮骨の顔を見ながら口を開く。
「あの蝶の簪、大兄貴が買ったんだろ。一度触ろうとしたら蛇骨に斬りかかられたぜ」
「ああ、あれは……そうだな。記念にやったやつだった」
「記念?」
「おれとあいつが初めて会った場所の、近くの町に仕事で行くことがあったんだよ。その時にちょっとな」
「へえ、なるほどな。それで大事にしてたわけだ」
「ああ。よく似合ってた」
最期まで、と。蛮骨が言葉を足す。睡骨は何も言わない。二人が語る、想う相手はもうこの世にはいなかった。
連戦による連戦で蛇骨刀の刃が砕けた一瞬の隙を狙われ、蛇骨は腹を斬られた。そのまま体勢を崩したところで、槍が何本も細身の体に突き刺さる。群がった足軽を蛮竜で凪ぎ払って蛮骨は駆けつけたが、蛇骨は既に事切れており、血溜まりの中に倒れていた。
大砲の弾が早々に尽きた煉骨は、瓢箪の油を使った炎と鋼の糸で応戦しつつ逃げていた。しかし吹雪の中では火の勢いもそう強くはならない。逃げる時間稼ぎのために、油を口に含んで炎の壁を作り「行くぞ、睡骨」と言った次の瞬間、炎の間隙を縫って飛んできた矢に頭を射ぬかれた。
蛇骨も煉骨も一瞬で死んだ。蛮骨と睡骨の目の前で、呆気なく。それが戦だと二人とも身に染みていた。共闘する仲間が死んだとわかった時、蛮骨も睡骨も行動は早かった。亡骸には目もくれず、別な場所で戦ってる味方と合流することを第一とした。そうして戦いながら落ち合った蛮骨と睡骨は修羅場をくぐり抜け切り、こうして身を潜める場所へとたどり着いたのだ。
「……そろそろ寝たらどうだ、大兄貴」
「ん?ああ……そうだな。そうするか」
ゆっくりと蛮骨が立ち上がる。洞窟の奥へと静かに姿を消していく。
「大兄貴」
「ん?」
「また次の夜にでも……続きを話そうぜ」
睡骨がそう告げる。その言葉に蛮骨がふっと笑った。
「そうだな。次の夜にでも話すか」
そう言って蛮骨は座り込み、岩壁に寄りかかって目を閉じる。気配でそれを察し、睡骨も小さく息をついた。白い吐息が宙に浮かび上がり、消えていく。
洞窟の入り口から空を見上げれば、月は昨日と変わらず世界を照らしている。星や月にまつわる話を、いくつか寝物語に聞いたことを思い出した。次の夜が来たらその話をしてもいい。あの男はきっと、蛮骨には語っていないだろうから。
自分しか知らない姿を人に語る喜び。その思い出が増えることはもう無く、隣にいた痕跡だけを辿る昔話。
続きの無い恋の話を、命終わるその時まで。また明日も、好きな人の話をする。