春に墜つ 翼持たぬ者も空を飛べる、というのはもうずっと昔の話だ。
焉は晴れた空を見上げながら、ふうっと息を吐く。吐き出したのは、煙でも、落胆でも、安堵でもない。息を吸ったから吐く。その後者を大げさにした、それだけだった。
彼の紅い瞳が絶えず追うのは、つい数分前に空へ飛び立った時雨の姿だ。練習と称していつ降りてくるとも伝えずに、雲と同じ高みまで昇って、ゆったりと円を描いている。彼女が化けたなら、鳥に混じることだってできるだろう。桜が咲いている今であれば、上空から確かに在る春を感じられるはずだ。
硝子細工のような瑠璃色の髪を陽光が縁取り、月を思わせる瞳には白い雲と青い空が映っている──。そんな景色を想像し、焉は少しばかり苦い顔をした。何か特殊な道具か術でも行使しなければ、その様子を直接見ることは一生ないのだ。曲がりなりにも妖の一種となり、人間よりも良い視力を持ちながら、望むものを眺めることすらできないのだ。
ひと匙の苦い思いは、彼が以前時雨から聞いた話を想起させた。空を飛ぶことについての話だった。