「おや、いらっしゃい。君はーー…」
もう何も見えなくなっていた俺の目に
その灯りは映った
路地裏の片隅にある風変わりな店舗のような空間。
一見すると古書店のようにも雑貨屋のようにも感じる。
ただ雑然と本や不可思議なものが積まれた先には古びた文机があり、卓上に置かれたゆらゆらとした蝋燭の灯りに引き寄せられた。
先刻の挨拶の言葉を紡いだのは、文机の奥で本を読んで座っていた文系然とした空気を纏った男。
顔を上げた瞬間に蝋燭の灯りに揺られて、ゆるりと結えた黒髪と丸眼鏡が明々と照らされている。
「迷い込んできてしまったのかな?
今迎えに来てもらうから、ひとまずそこで座って待っていてくれたまえ。」
すっと手を差し出された先を見れば、入ってきた時には気がつかなかったが小さな椅子がある。
その存在に驚きつつも、ふと小さな安堵が訪れる。
気がつけば、この場所に入るまで彷徨うように長い間歩いていたからか
意識した途端に萎縮する気持ちよりも、疲れが勝る。
疲れた気持ちと共に、ありがたく椅子へと落ち着く。
そんなコチラの様子を見て、男は、ふふと笑うと
どこからか古めかしい黒電話を取り出した。
「ああ、肥前くんかね?
道案内をお願いしたいお客様がいらしててね、陸奥守くんと迎えに来てくれないかい?」
電話先の相手が何やら声を荒げているのは感じとれる。
「それはダメだよ、必ず2人できてくれたまえ。よろしく頼むよ」
穏やかに言い放つと電話先の相手の言葉を聞かずに受話器を置く。
「……さて、こんなところまでお客様が来るのは珍しくてね、僕は君に興味があるんだ。
君は何故ここまで、迷い込んできてしまったんだい?」
男はこちらへ柔和な笑みを向け、問いかけてきた。
不躾にも聞こえるその質問にも関わらず、男の不思議な空気感に飲まれポツリポツリと呟く。
「「その……全部嫌で真っ暗になってて…でも、その蝋燭の灯りが見えて…気がついたらここに……でも仕事……行かないとなんですけど……」」
自身でも何を言っているんだと思いながらも、行きたくない…と続く言葉を絞り出す。
「なるほど。君は頑張っていたんだね」
その優しい声に合わせて、蝋燭の炎が大きく震えた。
「先生!勘弁してくれ!!」
「先生!待たせたきのー!」
言葉を遮る様に、突如として小柄な男と体躯の良い男が現れた。
ドアを開けた気配などなかったので驚きで固まってしまう。
「やぁ、来てくれて助かるよ。僕はまだここに居ないといけないからね」
小柄な男は怒った様に、体躯の良い男はあっけらかんと
「先生」と呼んでいる黒髪の男とわいのわいのと話している。
「おい、あんた、この灯りは見えるのか?」
小柄な男がずいと差し出してきたのは、文机の上にあった蝋燭。
動かされた事で強く揺らめいた灯りを思わず目で追ってしまう。
「……その感じだと見えてんだな」
少し切なさの入り混じった声と共にタラリと蝋が溶ける様が映る。
体躯の良い男が蝋燭を持ってドアを開ける。
その琥珀色の目に灯りが入り込み、キラキラと輝きを増しているようだ。
「またちっくと暗い所を歩くけんど、この灯りに着いてきとーせ!」
その明るい声と灯りとに呼び寄せられる様にフラフラと着いていく。
蝋燭の灯りは、しんがりを歩く小柄な男の手に握られた刀の鞘に影を落とす。
灯りのある方へ、導かれるままに歩みを進める。
明るい方へ辿り着く為に。
雑居ビルの1階。
こじんまりとした食堂ではニュース番組がかかり、
最近世間で話題になっている話を繰り返し放送している。
株式会社〇〇の過剰労働による担当者の自殺についてー…
アパートの一角で…発見され…死後……と見られ…
「おや。彼は無事に辿り着けたみたいだね。」
画面に映し出された写真の男の顔を見て、南海太郎朝尊が呟けば、
焼き鳥を頬張る陸奥守吉行が感心したようにテレビ画面に目を移す。
「あーんなえずい状態じゃったのに、先生はすごいのぉ」
「そうかい?骨格が変わるわけじゃないからねぇ、顔全体が残っているなら眼球が溶けたくらいでは…」
「先生、飯屋ではやめてくれ!陸奥守てめーもだ!!」
肥前忠弘が、周りの客の食が進まなくなる話をし始めた二振を強く諌める。
そして、瞼の裏の男の記憶を消すように小さく首を横に振ると、再び茶碗に盛られた大盛りの白米にかぶりつく。
「…さっさと食って本丸に帰るぞ」
「ほうじゃの!」
三振の付喪神達は
現世と幽世の狭間を今日もゆく。
【南海先生の研究室は何処かと繋がる】