無自覚な睦言夜のとばりが下り城内がすっかり静まり返っても、なかなか眠気が訪れてくれない。
そういう時は愛用の枕を抱きしめて、月明かりを頼りに荀攸さんの部屋を目指す。
「荀攸さん、起きてますか?」
控えめに扉を叩き、小さな声で呼びかける。すぐさま「ええ」と聞きなれた声が返ってきて、内側から扉が開かれた。
不愛想にも見える無表情は荀攸さんの標準装備だけど、今は一段と感情が削ぎ落されている気がする。部屋に灯された微かな明かりや机上に散らばる竹簡からして、策でも練っていたのかもしれない。
「どうぞ」
荀攸さんはちら、とわたしが胸に抱いた枕を一瞥し、部屋に招き入れてくれた。
これだけで意思の疎通が出来るほどに、わたしは眠れぬ夜に荀攸さんを頼っている。毎度迷惑をかけて悪いなという気持ちも、もちろんある。けど他にこんなことを頼める人もいないし、荀攸さんでなければいやだ。
「お邪魔しまーす」
勝手知ったる荀攸さんの部屋を横切り、寝室へ向かう。
月明かりに冴え冴えと浮かび上がる寝台に抱えてきた枕を下ろし、荀攸さんを振り返れば、執務室の明かりが闇に呑まれるかのように消えた。
どうやら今日は、荀攸さんが寝る頃合いに行き会ったようだ。
荀攸さんの仕事が残っている時はひとり寝台を温めていることもあるけど、やっぱり一緒に布団に入れるのは嬉しい。
「さぁ、どうぞどうぞ」
先に布団に潜り込み、荀攸さんの枕をぽんぽんと叩いて誘う。
ふっと息を吐くように笑った荀攸さんは「この部屋の主は俺なのですが」と言いながら、わたしの隣に身体を横たえた。
「そういえば今日、あなたは演習でしたね。首尾はいかがでしたか」
「順調ですよ。あ、演習中パンダの親子を見たんです!」
その日あったことを報告しあったり、こんなことをしたいという希望を語ったり。他にも、とりとめのない自分の考えに助言を求めたり――
同じ寝台で荀攸さんと身体を寄せ合い、夜の静寂を乱さないよう、内緒話をするくらいの声量で言葉を交わす。
いつもは遠い荀攸さんの顔が、一緒に寝ている時は息のかかる距離にあって、なかなか掴ませてくれない感情の機微も読み取れるほどに、近い。
心の奥の方が少しくすぐったくて、でも愛おしく幸せな気持ちが身体を満たしていくこの時間が、すごく好きだ。
「先日、城下に食事も酒も美味い店があると聞きました。今度、一緒にいかがです」
荀攸さんの手が、わたしの手に重なる。私より一回り大きな手は分厚くて節ばっている、男の人の手だ。
掌を返して指を絡れば、荀攸さんも握り返してくれた。
「ぜひ行ってみたいです。他の人も誘って」
「俺は、あなたと二人で行きたいのですが」
細められた荀攸さんの目が、どこか楽し気にわたしを捉える。まるで悪戯を持ちかける子供みたいだ。
つられるように、わたしもわくわくと心が逸った。口元が緩むのが、自分でもわかるほどに。
「ふふ、わかりました。二人だけで行きましょう」
「ええ。……あなたを独り占め出来るのは、俺だけの特権ですから」
囁くような柔らかい声に、微かな笑みが混じっている。どこまでも優しいその表情を見ていたかったけど、荀攸さんは顔を隠すようにわたしを抱きしめた。
少し残念な気持ちはあるけど、荀攸さんの匂いに包まれて服越しに鼓動を感じると心地よい眠気がやってきて、物足りなさは薄れていった。
独りの時にはどんなに待っても訪れてくれなかったのに、荀攸さんといると安心するのか、だんだんと意識が曖昧になっていく。
「じゃあ、荀攸さんを独り占め出来るのは、わたしだけの特権、ですね……」
荀攸さんの筋肉質な身体に腕を回して、隙間が出来ないくらいにぎゅうっと抱き着く。圧迫され潰れた胸の苦しさすら心地よいのだから、不思議だ。
「……また、明日……も……」
二人分の体温が溶けあって、荀攸さんと一つになるような感覚に浸りながら、幸せを噛みしめ眠りに落ちた。
*終わり*