オメガバース・見習いシャンバギ 無理にオメガのうなじを噛むようなアルファは、よほど自信がないのだろうとシャンクスは思った。
「シャンクス、お前、まだまだガキだなー」
「ええっ、だって船長、わざわざ噛む必要ある? おれたち、ずっと一緒にいるのにさ!」
心外だと頬を膨らませて抗議をすると、ロジャーは「ほら。そういうとこだろ」と笑いながら、骨ばった分厚い手のひらで頭をぽんぽんと撫でてきた。
どこをどう考えても子ども扱いだ。納得がいかない。
「ひっでえよ、船長―……」
アルファがオメガのうなじを噛むと、番という特別な繋がりが生まれる。これは、世界の常識だ。まだ子どものシャンクスでもよく知っている。
でも、自分たちは理性のない動物じゃない。思考をもとに行動を選択できる人間だ。オメガから求められたわけでもないのにうなじを噛もうとするアルファは、相手のオメガを繋ぎ留めておく自信がないだけなのだ。本能で結ばれる関係に縋るしかないただの臆病者。絶対の自信があれば何をしなくたって平気でいられる。お互いが特別の存在なんだと、きちんと分かっていれば、それで十分。シャンクスの中では、きちんと筋が通っている。
「わっはっは! やっぱりガキじゃねえか! まあ、てめえにゃまだ分かんねえかー」
「そんなことねえって!」
「わはは! 全然痛くねえぞシャンクス! もっと気合い入れてみろ!」
憤慨して、目の前の丸太のようなふくらはぎを殴り続けても、ロジャーは痛くも痒くもなさそうだった。
硬く引き締まったふくらはぎは、少年の拳をいとも簡単に跳ねのける。ロジャー船長は本当に強い。溢れんばかりの精力を持った、魅力的なアルファの男だ。はたして自分が追いつける日は来るのだろうか。一発くらいは目にもの見せてやりたいなぁと拳を強く握り込んでみたところで、シャンクスは目を瞬かせて、全身の動きをぴたりと止めた。ロジャーが佇んでいる通路の向こう側に、とてもよく見慣れた小柄な影が通ったからだ。
「バギー!」
即座に優先順位が入れ替わる。いまのシャンクスが欲しているのは、全然分かってくれないロジャーに抗議をすることではない。
通路の向こう側、大きな木箱を細い両腕で抱えたバギーが、シャンクスを呆れ眼で眺めていた。頭を覆ったバンダナの端から青い髪がこぼれている。後れ毛が日光で輝いていてとてもきれいだ。いてもたってもいられなくて、ロジャーの足元をすり抜ける形でバギーの元に駆け寄った。背中から豪快な笑い声が聞こえてきたが、もうそんなのはどうでもいい。
「バギー、何運んでんの? どこ行くの? おれも手伝う」
「ハデに要らねー。頼んでねーし。船長となんか話してたんじゃねーのかよ」
「気にすんなよ! たいしたことじゃねえもん!」
「……あっそ」
本当に全然たいしたことではない。ロジャーにちょっと揶揄われていただけだった。「そういやぁ、お前らは番にはならねえのか? 別に、なったっていいんだぜ。なにかあったらおれたちがフォローしてやる。遠慮するこたぁねえ」遠慮をしているわけじゃない。そんなの必要ないって思っているだけだから。「わははっ、誰かに横取りされてワンワン泣く羽目になってもしらねーぞ?」そんなことには絶対にならない。だって、こうやってシャンクスが手を伸ばせば、バギーへ簡単に届くのだ。
「なあー、バギー、おれにも手伝わせてよ」
「だから要らねえって! おいっ、くっつくなよ!」
木箱を丁寧に抱えたままのバギーは、シャンクスを無理に振り払おうとはしてこない。抵抗がないのをいいことに、角に当たると痛そうな木箱を避けてバギーの背中から飛びついた。
たちまち芳醇な匂いが鼻腔を擽る。真昼間の日差しの匂い。ぽかぽか温まったバギーの匂い。蜂蜜のような匂い。オメガの匂いだ。
そろそろ二次性徴の兆候も出てくる年齢だから、と、船医から正式に第二の性の診断を下されたとき。シャンクスは結果をすんなりと受け入れた。薄々、そうではないかと思っていたのだ。
バギーからはいつも甘ったるい匂いが漂っていた。物の道理も分からない幼い頃には、バギーの身体は砂糖でできているのかもしれない、お日様や雨や海の水で溶けちゃったらどうしよう、と真剣に思い悩んでいたほどだ。バギーの鼻先に齧りついて、盛大に泣かれてしまったこともある。ことあるごとにバギーに飛びつこうとするシャンクスを見つめる大人たちが、意味深長に目配せするのも、最初は訳が分からなかった。
人間は、雌雄の他に、誰もが第二の性を持っている。自分たちにもその性が備わっているのだと知ったとき。シャンクスは、曇天だった空が一気に晴れ渡ったような心地になった。
バギーはオメガだ。そして、物心つく前からオメガの匂いを感じ取っていたシャンクスは、紛れもなくアルファだった。
一生を通じてのパートナー。番になれる関係だ。
「あー……バギー、いい匂いだなー……」
バギーの首筋に鼻を突っ込んで、漏れ出る匂いを嗅ぎ取った。バギー自身の汗と混じり合って、いつもより少し濃いような気もする。そんな些細な差を感じ取れるのはシャンクスだけだ。
オーロ・ジャクソン号に乗っている大人たちは、シャンクスたちが自覚するよりずっと前から、仲の良い見習いふたりはそのまま番になるのだろうと判断して見守ってくれていたに違いない。オメガであるバギーはもちろん、アルファのシャンクスにも、無遠慮な接触をすることはほとんどなかった。
バギーのうなじの匂いを嗅げるのは、昔からシャンクスだけの特権だった。
「うぜえー! 離れろよ!」
「いいじゃねえか」
「よくねえよっ」
バギーは身体を捩じってシャンクスを引き剥がしてくる。慌てて背中にしがみつこうとして、たたらを踏んだ。視界の端に、笑っている大人たちの顔がちらっと映る。まったく。面白がりやがって。こっちは真剣なんだけどな。真剣にバギーといちゃいちゃしている。なにしろ自分たちはアルファとオメガだ。誰に憚ることもない。大手を振ってじゃれつける。
番には、運命と呼ばれるようなものもあるらしい。
理性で絶対に覆せない。身分も立場も関係がない。最初から定められていたかのように、本能で惹かれ合ってしまう関係だという。
ひょっとしたら、おれたちって運命の番なんじゃないだろうか。でなければ、物心つく前からバギーを甘く感じていた理由がつかない。バギーと運命だったら最高だよな。でも、運命でなくても、おれはバギーが大好きだ。バギーこそが生涯の伴侶になる存在なのだとシャンクスはずいぶん前から確信している。
だったら、運命でも運命じゃなくても構わないかも。結局おんなじことだもんな。おれが思うに、バギー、お前だって満更でもないんじゃないか?
バギーのうなじはいつだってシャンクスの眼前に晒されていた。噛もうと思えばいつでも噛めた。バギーのうなじを噛み切って、番になる権利は、常にシャンクスの掌中にあった。
バギーが誰かに横取りされる? 船長は何を言っているんだ。あり得ないだろ。
ロジャー海賊団の大人たちは、既にパートナーやパートナーに相当する人生の相手を定めているようだった。オーロ・ジャクソン号での生活は安定していた。もしかしたら子どもの知らないところでトラブルが発生することもあったのかもしれないが、少なくともシャンクスは一度もそうした騒ぎを見たことがない。
船上にシャンクスの敵はいなかった。陸に上がるときだけは多少の危険はあったものの、シャンクスがバギーから離れなければいいだけだった。
バギーの方だって、何も考えずに毎日を過ごしているわけではないだろう。
バギーはオメガだ。アルファの性を刺激しないように注意深く生活する必要がある。性知識は船医や大人たちに叩き込まれているはずだった。ひょっとしたら、アルファのシャンクスよりも念入りに。それでもバギーは、シャンクスの前で、一度としてオメガの弱点であるうなじを隠すような真似はしなかった。
「てめー! いい加減にしろ! 遊んでんじゃねー!」
バギーはとうとう堪忍袋の緒が切れたらしい。木箱を足元へ放り投げると同時に身体を捻って、真っ赤に激昂した顔で拳を振りかぶってきた。
「あだっ! 爪! 爪当たったイッテェ!」
「自業自得だ! バーカバーカ!」
「あー、バギー、バカって言う方がバカなんだぜ」
「うるせえバーカ! ハデにバーカ!」
うるせえぞガキども、と、暢気な声が飛んでくる。またレイリーに殴られるぞー、と、笑ってくる声もする。バギーがぎょっとした顔になって固まった。すかさずシャンクスはバギーの肩に腕を回して引き寄せる。嫌そうなバギーの頬に頬をくっつかせながら、へへ、と笑った。幸せだった。十分に満たされていたから、わざわざ改まって番関係を結ぶだなんて、他人行儀の、よそよそしい行為じゃないかとさえ思っていたのだ。
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そんなわけで次はオメガバシャンバギ第三弾出したいです
でも本誌の状況次第です(最重要)