I Love Youの伝え方夏には珍しく、梅雨の時のような雨がしとしとと降っていた。雨のせいで室内は幾分か暗く、机の上のランプを付ける。ランプをつければ周囲は最新家電製品の眩く白い明かり、ではなく、やわらかなオレンジ色に近い明かりで照らされる。この司書室に最新家電製品は似合わない、だからあえてアンティークのものを置く、それが彼女のこだわりだった。古きものを使うことで跳ね上がるコストも施設費として落としてしまえばいい。さてもうひと頑張り、と伸びをしたところでドアを叩く音が2度。どうぞ、と声をかければ来訪者はすぐにドアノブを捻った。
「お邪魔します、調子はどうかな」
濃紺の長い髪を束ねた、後ろ姿だけでは女性と見間違えてしまいそうな彼だった。いつもと変わらぬ穏やかなほほ笑みを浮かべており、その中に隠れている憂いや儚さもいつも通りだ。彼は芥川龍之介と言う、日本でも有数の小説家だ。現在は彼女の手により転生し、他の文豪たちと共に活動にあたっている。
「ぼちぼちです。今日は雨が降ってしまったから、どうも気が乗らなくて」
「そうだろうと思って、今日はお土産を持ってきたよ」
芥川が目の前に饅頭を差し出す。
「ありがとうございます、嬉しいです」
それならよかった、と芥川は司書室のソファに腰掛けた。
「芥川さんがそのソファに座るの、似合ってますね」
「初めて言われたよ、そう言うなら似合わない相手はいるのかい?」
「秋声さんは居心地悪そうにしてるから……」
秋声さんこと徳田秋声は彼女が最初に転生させた文豪であり、初代司書だ。
「君は徳田さんの話をよくするんだね、君にとってはかけがえのない相手なんだろう」
「……ええ、まあ。それでも皆さんのことはかけがえのない大切な人だと思っていますよ。こんな手紙を貰っても勘違いしないくらいには」
手紙?と芥川が首を傾げると彼女は机の引き出しから小さな紙片を取り出した。
「I Love You、なんてストレートでなんの捻りもないラブレターのようなものです」
南吉さんのイタズラかなあ、と彼女が軽く言う。
「差出人は探さないのかい」
「はい、私はまだこういうのはいいです。それに、言うなら直接言って欲しいから」
彼女は芥川の持ってきた饅頭をぱくりと一口で食べてしまう。
「1ついいかい?」
彼女はその声に顔を上げる。
「……月が綺麗ですね」
芥川がゆっくりと、一言を確かめるように言った。そして彼女は反射的に窓を見る。相変わらず月が見えない雨雲が空を覆い、窓を雨が叩いている。そうだ、ひとつ有名な話があったと彼女は向き直る。
「夏目先生の翻訳ですか」
「I Love Youは捻りがない訳では無いよ、勿論これに限らず」
「まだまだ私も未熟ですね」
芥川から目を逸らした彼女の視線は書類へ向かっていた。
「では僕はそろそろお暇しようかな」
芥川が席を立とうとすると彼女の口から声が漏れる。
「どうしたんだい?」
「芥川さんなら。どう訳しますか、I Love Youを」
師が訳した(と言われる)文言を訳せと言われるのは芥川にとって非常に難しい事だった。それに、司書との上司と部下の関係以上に彼女に対して庇護のような、慈愛のような、それでいて心をジリジリと焼かれるような恋慕を抱いている自覚がある芥川にとって二重の意味での難しい事だった。
「意地悪でしたかね」
「うん、意地が悪いよ君は」
「それはすみません」
「なら君ならどう訳す?」
すると彼女は律儀にうーん、と唸りながら悩み始める。文豪に対し、突き放したような態度をとりながらも律儀さを見せる彼女は何だかんだ好かれている。
そんな彼女が導き出すILoveYouを芥川は興味本位で聞いてみたかった。
「ええと、笑わないでくださいよ。皆さんみたいに文学に生きている人間では無いので」
「笑わないよ、君が悩んで出した答えなんだろう」
「……私を最後にしてください、とか」
はにかみながら彼女はそう言った。
「ほら、最後の好い人ならずっと記憶に残るでしょう?」
「僕は最初の好い人の方が記憶に残ると思うよ、それに最後だからといって最も愛してもらえる訳では無いよ」
芥川はむしろ最後の方が色々と厄介なような気がしていた。しかし、彼女は変わらず続けた。
「最後の時間を過ごす相手に選ばれたなら、相手の愛情の大きさを問わず私は選んでくれた人の事をずっと愛します。それに私が誰かにこの言葉を渡すなら、その相手は私が私をどうしても忘れて欲しくない人にします。ほら、最後を一緒に過ごした人はそれを忘れにくいでしょう?いくらその人が他の人に恋しても、最後をすごした私という存在に囚われて欲しいから」
彼女の内面を、芥川はこの短い言葉から垣間見たような気がした。
「成程、君は僕が思っている以上に執着心の強い人間だったようだね」
「ええ、まあ。ダメでしょうか」
「いいんじゃないかな、僕は他人の内面に口出しできる人間とも限らない」
彼女に背を向けて部屋を出ようとすると、いえ、そうではなく。と彼女は芥川が続けようとしたねぎらいの言葉を遮った
「芥川さんは、この言葉をわたしからいわれたらどうしますか?」
背を向けていてよかった、芥川はそう思った。何故なら自覚してしまうほどに口角があがっているからだ。好い人が自らと同じような感情に支配されていたと知って、興奮しない人間がいるだろうか。
「さあ、どうだろう……」
「ま、期待はしていませんでしたけど」
「君に勝手に愛されるのは不公平だとは思わないかい?どうせなら、僕は僕のことも君にとらわれてほしい。だから、その言葉をそのまま君に返すよ。僕を最後にしてくれ」
どうせなら、彼女の気持ちを彼女と同じくらいかき乱してほかの男で満足できないようにしてやりたい。彼女のほうに近づき、頬を撫でる。
「いいんですか」
「君にはとっくにとらわれているよ。次は君が僕に囚われて、乱れさせたいんだ」
趣味の悪い、と彼女は呟く。
「それはお互いさまだよ」
彼女にたばこの煙を吹きかける。
「あとでおいで」
彼女の普段、崩れない顔が少しゆがんだ。