kkc先生とあんぱんを「あんぱん食べに行きましょう」
思い立ったように司書が本から顔をあげる。唐突なことを言うのはいつものことだった。
「またか、好きだな」
「あそこのお店のあんぱんはいいですよ。美味しい」
否定はしない、と菊池が灰皿に煙草を押し付ける。彼女が何処かに行きたいと言い出すのは大抵、疲れがたまっている時だと知っている。あんぱんが食べたい日は特に。
「ほら行きましょう、煙草吸い終わりましたよね?」
「分かったから、そんなに引っ張るな」
「早くいかないとお店しまっちゃいますよ」
彼女も誘うタイミングを見ている。菊池が煙草を吸い始めてしまったら、その一本を吸い終わるまで待っている。それなら煙草を吸い始める前に誘えばいいのだが、自分の気分が乗らない時は誘えない。彼女が腕を引っ張り、それに菊池が付いていく。いつも通りの光景だ。
エントランスを抜けて、急ぎ足で街を行く。彼女よりは体力がある菊池は彼女が走るスピードにあわせてついていくだけだ。ただ、あんぱんに気を取られているだろう彼女が怪我をしないように注意を払う。彼女の髪が走る度に揺れる。一定のリズムで揺れるその髪をぼんやり見ていると、そのリズムは突然がくりと崩れる。
「あっ」
彼女が前につんのめる。信号が変わった瞬間、足を止めた反動だろう。ひやりとする前に反射的に彼女の腕をつかむ。
「あ、ありがとうございます……」
「ったく、そんなに急がなくても十分間に合う時間だぞ」
彼女の額にはうっすら汗が浮かんでいた。急いでいたからということもあるだろうが、今の状況に対する恐怖の汗も含まれているようだ。
「たかだかあんぱんで事故にあってもらっちゃ困る」
はーい、と唇をとんがらせて答える彼女の横顔は夕日に照らされ、いつもより顔の陰影がはっきりしている。横顔だけ見れば年相応の落ち着きが見えるのに、言動が伴うとどうも実年齢に首を傾げる。
「もう今日は大丈夫ですよ、そんな見られたら穴があいちゃいます」
どうだか、という意味を込めて菊池が肩をすくめてみせる。菊池の反応は彼女にとってはいつも通りだ。だから彼女は進む方向へ向いて話を変える。
「今日はどのあんぱんに何にします? さくら餡とかもいいですよねえ」
「結局いつもの味を選ぶんだろ」
「ええ、まあそうなんですけど……」
目当ての店にたどり着くと、彼女は笑顔で扉をあける。ステンドグラスがはめられている窓が印象的な店だ。常連である彼女が入ると、店員も同じように笑顔で迎える。
「いつものあんぱん、二つお願いします!」
彼女がその言葉と同時にトレーに二つ分のあんぱんの代金を置いた。いつものね、と店員が答える。
「これはさっきのお礼ね」
「あれくらいどうってことはない、そういう危険から守る要員で来てるからな」
「本当に助かりました……」
彼女は店員から受け取ったあんぱんを菊池の手に握らせる。
「目的達成しましたし、帰りましょう」
「食べていかないのか?」
「私、学校の校則でしたことないんですよ。食べ歩き」
「それは損してるな、俺でいいなら付き合うぜ」
やった、と彼女が一口あんぱんを食べる。行きよりも緩やかな時間が流れる帰り道、風が緩やかに二人の間を通り抜ける。夕日の中で秋の匂いを感じながら、少し前を歩く彼女に食欲の秋、という言葉が頭に浮かんだ菊池だった。
「……食欲の秋、今年は何食べようかなあ」
「食べることばっかりだな」
「一緒に食欲の秋、楽しみましょうね!」
互いの胃袋が限界を迎えない限りは、と指切りをした。今年の秋も、変わらず食欲一色だ。