【弟子バロ】なかなか抱けないけど最後には抱ける話③ 人が多い。つまりは容疑者も被害者も多くなるということだ。バンジークスは辺りを見回し、重々しい溜息をついた。
シャンデリアに照らされた大広間は、仮面をつけた貴族で溢れている。限られた者しか招待されぬアセンブリールームはとうに廃れ、公共のダンスホールは未だ野卑だ。
羽目を外したいが、しかし参加したことが恥になるような会には行けない。そんな上流階級 にとって、皇太子もおこなったホテルでの夜会はぴったりだったのだろう。社交シーズンの最後ということもあって、個人の邸宅には到底収まりきらない規模になっていた。派手好きのフォーサム卿らしい。
ヴェネチアンマスクをつけるのは久しぶりだった。享楽的な宴にはまず縁がない。潜入捜査ということで打ち合わせの通り服の色を明るくし、221B謹製の薬で髪を金に染めてみたが、はたして変装になるのだろうか。
オスティア卿は参加者と歓談しており、共に来た弟子は離れた場所にいた。フォーサム卿は珍しく身分や出身を気にしない男である。薬物を使った不道徳があるとして、声をかけられるとすれば、物珍しさと若さのある亜双義の方だろう。夜会の前半ではなるべく踊って注目を引くように、と言い含めていた。
会場全体を見渡し、怪しい動きや集団を探す。今のところ不自然な点はないが、数人が消えても気づけないだろう。遊蕩が行われるのはホテルの客室としか考えられない。
――手を打っておいてよかった。
亜双義の発案で、あらかじめ支配人に協力を仰いでいたのだ。フォーサム卿によって予約されていた部屋は一つだけ。他の貴族も大勢宿泊しており怪しい部屋の特定は難しかったが、それでも彼が途中で部屋に戻ったり、新たな部屋を取ったりしたら教えてほしいと伝えていた。
遠巻きに見張るため、大柄な主催者の姿を探す。お互いに長身なのですぐ見つかるかと思ったが、それにしても人が多い。
「見てあれ。みそっかすのクロエが踊ってる」「やだあ、ヤバンな東洋人となんて。足を踏まれて、おまけに噛みつかれるかも」「誰にも誘われないからってみじめねえ」
不愉快なさえずりが耳に届く。頭がはるか下方に位置する令嬢たちに、バンジークスは冷ややかな目線を送った。
レディにふさわしくない物言いで、何よりこんな夜会にいていい年齢か怪しいところだ。未成年だったら今すぐ帰したいところだが、潜入捜査なので堪えねばならぬ。
ホール中央寄りの場所では、背筋を伸ばした亜双義が小柄な女性と踊っていた。
――目を奪われる。
はじめ彼女はおどおどし、全てを怖れているように見えた。ステップもおぼつかず、強引なリードに引きずられるようだった。
それがどうだろう。曲が進むにつれて、双方のリズムが噛み合いだした。細足の進め方が大胆になり、強張っていた肩がひらいて傾けた首が美しく伸びる。古風なドレスもいい仕立てのもので、シャンデリアの明かりを反射して銀糸がきらめく。
堂々たる振る舞いの亜双義が何かを囁き、令嬢は仮面越しに花がひらくような笑みを浮かべた。それまでのギャップも相まって、魅力的だと素直に思う。身長差も丁度良く、理想のカップルを見せつけられたようだった。
周囲からも感嘆のため息が漏れる。当事者は知らないだろうが、観衆の注目を一身に集めていた。「あの子誰だろう、誘ってもいいかな」という近くにいた青年の囁きを聞くや否や、先ほどの不良令嬢たちは悔しがりながら退散していった。お目当てを取られたのだろう。
「…………」
ちくりと胸が痛んだ。己の言いつけを守った弟子を見ただけなのに。
逃げるように後ずさり、給仕を探した。酒で喉を潤したかった。
「どうぞ」
銀盆を差し出され、バカラグラスの一つを取る。透き通ったシャンパンは香り高く、品を保ったまま飲み下した。喉に染みる苦さが丁度いい。
――と、足早に近づく気配があった。
「これはこれは、よく来てくれた。二度目の返事を受け取ったときは心躍ったよ」
「お招き感謝します。元からあった用事がキャンセルになりまして、恐れ多いとは思いましたが……」
主催者フォーサム卿は、豊かな黒髪を少し伸ばして横に長し、目を引く青い燕尾服に身を包んでいた。肌は少し焼けていて、きっと海にでも行っていたのだろう。
バンジークスにとって数少ない、見上げるほどの体躯を持つ長身の男は、洒落た仮面の奥でウインクをした。威圧感はあるが、常に口角を上げているため親しみやすい印象である。
「そのブロンド、よく似合っている」
「一応仮装のつもりでしたが、意味はなかったようですな」
「堅い堅いとは思っていたが、ようやく遊ぶ気にもなったかい? 遅咲きの春も悪くない。世紀も変わった、変革の時代だ。アメリカに行ったことは? バミューダは? あそこはいいよ、見渡す限りの青!」
マシンガントークを必死で受け流す。ここまで物おじせずに話しかけてくるのは、亜双義とレストレードぐらいだ。
噂に疎い身であっても、惚れた晴れたの浮名を漏れ聞くほど奔放な人だ。寄宿舎にいた頃も、当時からいた教師にさんざん「兄上は素晴らしい生徒だった」と聞かされ、ついでに「同じ学年に言うことを聞かない問題児がいた」とこぼされたものだ。
オスティア卿は同輩のよしみだと言っていたが、模範たる様子と放蕩ぶりは、まったく水と油のように思える。
「ええ、美味なる神の雫があれば、ぜひ行きたいところです。特に、未知の味には目がないので」
「そうだ君はワイン好きだったな。ならばやはり仏蘭西だろう。モナコはよかった、ずーっと晴れで過ごしやすい。夏に行っても冬に行っても魅力的な場所だよ。女性たちも美しくて開放的だ! おお自由の国よ、神は楽園を南仏に作りたもうた」
もう何杯か飲んでいたのだろう、すっかりハイになっている。平常ならば早々に帰っているところだが、例のワインを持ち帰り、成分を調べるために耐えねばならない。
男は機嫌よく背中に手を回してきた。ひそひそ声で耳打ちされる。
「……友人のために買ったものだが、実は今日、ちょうど珍しい品があってね」
――来た。慎重に言葉を選ぶ。
「珍しい品。私が飲んだことのない、神の雫でしょうか」
「ああそうだ、とっておきだ。絶対に気に入ると思う。部屋で飲んでみないか」
「ええ、よろしければ是非に」
彼がこそこそ部屋に行くようなら後をつけるつもりだったが、正面から誘われてしまった。予想外だが、乗らない手はない。
人を避けて出口へ向かう途中、小声で伝える。
「今日は我が弟子を連れてきたのですが、彼を紹介させていただいてもよろしいでしょうか?」
振り向いた卿は、にこやかに言った。
「神秘の留学生、アソーギ君だろ? 彼も踊りで忙しい。若者の恋路に水を差すのは無粋というものだ。見ろ! 今度は没落した家の子と踊っているぞ。彼は壁の花しか知らないか、もしくは高潔な騎士なのだろう」
中央を見る。自分より背の高い令嬢を軽々とリードする異国の美丈夫は、今や注目の的だった。
速足で去る男に着いていく。
卿が動くのは夜会の終わり頃だと予想していた。序盤の序盤でこうなるとは、とんだ青天の霹靂である。
だから、仕方ない。亜双義がしているのは打ち合わせ通りの働きである。それなのにどうしても、胸の内が重たくて仕方なかった。
王族も泊まったというスイートルームは、技術と美の粋を集めた見事なものだった。同じ伯爵といえども、フォーサム家は随分と栄華を満喫しているようだ。
居間に足を踏み入れると、若者がたむろしていてぎょっとした。パイプとアルコールのにおいに包まれる。立派な家柄の者もいれば、恐らく階級違いの者や外国人もいる。
「や~、やってるね。友人と話があるから、あちらの部屋で遊んでなさい。オレから呼ばぬ限り、こちら側には来ないように。自由にしていいが、トラブルだけは起こすんじゃないぞ」
六人の男女は口々に返事をし、喋りながら廊下の先に消えていった。
「彼らは……」
「あちこちで意気投合した友人だ。色々な話が聞けて楽しいものだが、今夜は二人で飲もう。仮面を取りたまえ」
勧められるままに素顔を晒してカウチに腰かけ、警戒しながら男の動向を見張る。奥から持ってこられたのは、少しばかり木くずのついたワインボトルだった。
「これが、珍しい神の雫ですか」
ラベルを確認しようとしたが、剥がされていた。
「仏蘭西で買った。秘伝のハーブが入っているらしく、少しばかり苦いが元気になる。味もいいんだ、飲んでみたまえ」
「ハーブとは、どんな……?」
「大丈夫なやつだ。さっきの友人たちも愛飲している」
ボトルに真っ赤な雫が注がれ、さあ、と笑顔で勧められる。ワイン好きがここで固辞するのは不自然の極みである。
「……では」
液体を揺らし、慎重に嗅ぐ。嗅覚は鋭い方ではないが、阿片特有の甘酸っぱい匂いがすれば分かる。結果として、香りにおかしな点はなかった。
「シガーボックスのような芳香。官能的にまで熟成された……ボルドーですかな」
「はは、伊達じゃないな」
「ハーブの香りはしないものですね」
「味にもこだわっているらしい」
隠し持った硝子容器にほんの少し採取できれば、目標の一つは達成できる。たったそれだけが、じっと見られている状況ではひどく難しかった。
「そういえば、今夜は珍しく雲が少ない。月がよく見えますね」
「ああ」
どうにか隙を作ろうと窓に顎をしゃくったが、男は目線を外さない。至近距離から見張られているようで、まさかこちらの意図が完全に見透かされているのではないかと思う。
「素晴らしい部屋です。ここにロイヤルファミリーが宿泊されたかと思うと……失礼ですが、部屋を拝見しても?」
「後でいくらでも見物しよう。バスルームなんか流石の大きさだった。――とりあえず飲みたまえ。乾杯だ」
グラスが合わされ、卿はワインをあおった。ごくごくと豪快に喉を鳴らし、中の液体を減らしていく。躊躇ない飲みっぷりだった。注意深く窺うが、今のところ顔色や瞳孔に大きな変化は見られない。
「頂戴します」
流石に、口をつけない訳にはいかなかった。
猛毒でない限り、わずかな一口では薬の類は効かないはずだ。ほんの少しだけ舐めて、ごくんと飲み込んで見せた。
かすかな違和感。知っている味よりわずかに苦かった。葡萄の出来かそれとも未知のハーブのせいか。
「……ああ、実に美味です。よろしければ、一本いただけないで……、ッ」
くらりと眩暈がして、上体がかしいだ。
おかしい。同じワインを飲んだ卿はぴんぴんしている。空のグラスも観察していたが、怪しい点はなかった。何より経口摂取がこんなに即効なわけがない。
「酔ってしまったようだな。大丈夫か」
「ぅ……、これは、一体……」
体から力が抜け、それを予測していたかのようにグラスを取られる。
伸ばされた手を払おうとしたが軽くいなされ、タイをほどかれ胸元を開けられる。額と頬に手を当てられて、己の肌が火照っていたことに気付く。わけが分からなかった。体にかかる重力が倍増し、その分思考がふわふわとまとまらなくなる。
「こんなに悪酔いしてしまうとは……。介抱してしんぜよう」
薄っすらと笑みを浮かべながら男はうそぶく。仕組まれたのは明白だ。
太い腕によって担がれ、若者たちがいる方とは逆方向に運ばれていく。その先はベッドルームだった。
どくどくと嫌な動悸が止まらない。
帯か何かで両手首を縛られ、ベッドの脚に固定されていた。頭の奥がひっきりなしに危険信号を発しているが、手足は全く思い通りに動かなかった。
「ま、待っていただきたい! これは、どういう、ことでしょうか……! 間違いが起きれば犯罪になり――私は検事で、フォーサム卿!」
「君は自分の意志でオレの部屋に来た。ホテルの部屋に来るとはこういうことだろう」
「ここまでは同意しておらぬ!」
「分かっている、立場上否定しておかないと体面が保てないのは。抵抗できなかった……これで君に非はないだろう。安心して身を任せるがいい」
「ひっ」
信じられない。枕元に手をつき覆いかぶさった男に、頬を撫でられ髪束を軽く掴まれる。
「元のままでも良かったが、ブロンドは好みだ」
「先ほどの……何を盛った……!」
ぎろりと睨め上げるが、男は動じない。平時であれば踵を振り下ろしてやるところだが、萎えた足を持ち上げるのも困難だった。辛うじて膝を当てるが、マットレスに押し付けられてあっさり力負けする。
「さっきの赤は仏蘭西の薬剤師が発明したマリアーニ・ワインだ。こちらのアッパークラスには知られていない代物だが、コカイン入りでね。飲むと元気になる。おっと、庶民と同じ安物じゃあないぞ。我々向けの、いいボルドーを使った特別製だ」
「――!」
青い目を見る。男の瞳孔は開いていた。落ち着きがなく、高揚した様子もコカインの作用と一致する。
「しかし……何故私は……」
ワインはほとんど飲まなかったし、動けなくなるような副作用など聞いたことがない。
「たまに悪酔いする者もいる。そのせいだろう。翌朝には抜けているさ」
――違う! 悪酔いなどというレベルではない。明らかに何らかの薬物だった。
他に口にしたものを思い出し、はっとする。
「会場のシャンパンか! 卑怯な――給仕を使い、薬を仕込んでいたのですか。誰が飲むとも分からぬ盆に」
半ダースほど並べられたグラスを思い出す。取りやすいように手前に置かれたものでなく、あえて奥のものを取った。だから全く疑わなかった。
しかし、経口摂取のタイミングとしてはあれしか考えられない。偶然に任せず確実に薬を盛るとしたら、あれらのグラス全てが薬入りでもおかしくない。
「一体何のことだ?」
変わらぬ薄笑いは、逆に感情が読みづらい。男は構わずウエストコートのボタンに手をかけた。続けてシャツの前も開けられる。肌の感触を確かめるように手が滑らされ、息を呑んだ。
「お、おやめください……このような、恐ろしいことは! 誰であってもしてはならないし、我らは男同士です。貴方は無類の女性好きでは――」
「どちらもいける」
「どちらも」
「知ってて誘ったのだろうに」
腹筋を撫でていた手が上に向かって移動する。
「海の向こうは自由と変革の時代だというのに、この国は古い掟でがんじがらめだ。もっと皆、欲望に素直に生きるべきだ。なに、恥ずかしがることはない。それが人間というものだ。――ヴォルテックス卿とそういう関係だったと知ったときは驚いたものだが、だからこそ君に興味が湧いた。法廷で絶対的な正しさを体言していた二人が、隠れてどんなことをしていたのか……」
「ッ~~~~ ち、違います! 事実無根である!」
「ほう」
首筋を撫でられて、鳥肌が立つ。
「ではこれは何かな? もちろん別の相手だろうが」
「何の話をしているのです!」
頭がくらくらして平衡感覚が揺れる。さっきから、体が火照って仕方なかった。
男が上体を倒して近づいてくる。どうにか手足を暴れさせようとしたが、抵抗は失敗に終わる。
「ここだ。ここ数日のもの……いや、もっと近いか?」
「ッひ、ぅ――!」
首筋に顔が埋められ、肌に吐息が当たる。おぞましい感触に鳥肌が止まらない。
肌にちくりと痛みが走り、吸われたことを知る。
やっと思い当たったことはキスマークだった。痕が残るほどとは知らなかったが、つけた相手の心当たりは存分にある。
見えないが、おそらく同じ場所に上書きされた。足元が崩れるような感覚に襲われ愕然とする。
――いやだ。
「ここも」
「ッく、ふ――!」
出し抜けに胸の尖りをつままれ、びくんと体が跳ねた。身を縮めるがもう遅い。
「フ、穢れなど何一つ知りませんという顔をして……。とんだ役者だ」
「違う、やめろ……! ッく、ぅうう……っ! 嫌だ、やめてくれ……っ! 違うのです、まだ清い関係で――っは、っはぐ……っ!」
こにゅこにゅと乳首を揉みこまれて、一気に血が集まるのが分かる。あっという間に硬くなったそこを指で弾かれ、必死に口を閉じて声を我慢する。
嫌で嫌で仕方ないのに、恐ろしいほど感度が上がっていた。表面を優しく撫でられるだけで、情けない声が頭のてっぺんから出そうになる。
熱い手のひらが肌を辿り、トラウザーズに手をかけられる。
――いやだ。いやだ。いやだ!
せっかく、せっかく覚悟ができた矢先だったのに。来週領地に行って、ずっと二人で過ごす予定だったのに。長く待たせたがやっと愛を示せるところだったのに。喜んでくれると思ったのに。
こんなことになるなら、もっと早く抱き合っていればよかった。
「あ、あああ……っ、いやだ、彼でなくては、いやだ……!」
重力が狂い、深い谷底に落ち続けているような気がした。
――アソーギ、すまぬ。そう念じて、目をぎゅっと閉じた。
「ぉおおおおおおおお―― 何をしているッ」
「がはあっ」
出し抜けの聞きなれた咆哮に、バンジークスは目を開けた。
ぐらぐらする重たい頭を必死に持ち上げ、事態の把握に努める。
己に背を向けて立っているのは、肩を怒らせた亜双義だった。フォーサム卿は体当たりでもされたのか、壁に手をつき立ち上がるところだった。
「アソーギ……!」
振り返った亜双義はこちらの惨状を確認するや目を見開き、殺気をぶわりとたぎらせた。相当にブチ切れている。
「キサマ何をしていた 狙いは初めからこの人だったのか」
「いいところだったんだがなあ、弟子君よ。個人のつきあいにそんなに怒るとは……は、なるほど。キスマークはお前の仕業か」
「なななナニを言っているかサッパリ分からんな!」
「おお、なんということだ……」
遅れて入ってきたのだろう、オスティア卿がうろたえる声も聞こえていた。ベッドまでやってきて、動揺しながらも体にシーツを被せてくれた。手首の拘束もほどかれる。
手筈通り、彼は首から写真機を提げていた。証拠の確保用だったが、タイミング次第では己の裸体がフィルムに残されていたかと思うと、ぞっとする。
亜双義が人差し指をつきつけ、声を張る。
「握力が常人の三倍あるバンジークス卿が大人しく縛られるワケがない。薬を盛ったのだな!」
「また薬か。何か――」
割って入ったオスティア卿も、大男にステッキを突き付ける。
「もう終わりだ! 無理矢理するなんて見損なったぞ。せいぜい羽目を外すくらいだと思っていたのに……やはり君は、下々の世界に触れて堕落してしまったんだな」
「何故お前がそこに……ああそうか、組んでオレを失脚させる気だったか。あんなカードまで仕込んでいたとはな」
同輩だったという二人が睨み合う。
「え、何」「何があったんですか」
遅れて、別の部屋から若者たちがやってきた。ハイになっているのだろう、二人の若者が叫びながら向かってきたが、亜双義が見事な身のこなしで一撃ずつお見舞いし、床に沈める。他の者は我先に逃げ出したが、少し後に戻ってきた。控えていたオスティア卿の従者が威圧的に灰皿を構え、廊下から押し戻してきたのだ。
「酒、薬、姦淫。君のような輩が貴族社会を腐敗させるのだ」
「たしかに行儀は悪いが、捕まるようなことはしていない。皆気が合う友人同士だ。息苦しいこの社会からのはみ出し者が集まっているだけで、このように罪人扱いされる謂れはないな」
「禁止薬物の売買や未成年の売春があったかどうかは、警察に調べてもらえば分かることだ。――内々に収めるつもりだったが、実際に見て気が変わった。許してはおけぬ」
オスティア卿は感情を殺した声で、従者に短く命令した。
念のため控えさせておいたスコットランドヤードが駆けつけ、容疑者たちは連行されていった。
亜双義の主導で部屋の調査などが行われていた。信頼できる警部と電話が通じたが、緊急性はないし捜査も取り調べも明日ということで、解散する運びになった。
未だバンジークスの体は火照っている。オスティア卿の従者の見立てでは、飲まされたのは市井に出回っている媚薬のようで、医者を呼ぶほどではないだろうとのことだった。
あらかじめ取っていた部屋に寝かされ、やっと亜双義と二人きりになる。
ベッドに腰かけた亜双義はぎらぎらと目を光らせていた。怒りに燃えている。
「……すまな、」「謝るな!」
声を荒らげた青年は、遅れてはっと息を呑んだ。
「――そうじゃない。貴君は全く悪くない。悪いのはあの男だ。……オレは、自分のふがいなさこそが許せん。片時も目を離すべきではなかった」
「貴公は自分の仕事をしていた。あれは、予想外であった」
「予測できないことも考慮すべきでした。踊りながら、あの男が会場にいることだけは確認していましたが――。曲の途中に見失ってしまった。そこで強引に抜け出していれば」
マットレスを拳が叩く。気怠い腕を動かして、どうにか手を重ねた。
「最後まで踊らず途中退出など、レディに恥をかかせていただろう。だったらカカトを落として叱るところだ」
「…………」
「それに、オスティア卿から聞いた。ホテルから合鍵を借りるのにも難航したのだろう」
「話を通していたはずだったのに……。検事章を見せて捜査だと言っても渋られて。ドアを蹴破ろうとも思いましたが、卿から強く止められました。もっと上手くできなかったかと、悔しくて仕方がない」
「そなたは間に合った。間に合ったのだ。――私も油断していた。ワインでなく、会場のシャンパンに薬が……」
「押収するようには言いました。まだ残っていれば、成分の検査もできるでしょう。他に被害者がいないかの調査も警察に任せたので、今日はもう休むだけです」
「アソーギ」
「……体調は」
「あつい」
じっと見下ろされる。額と頬に手を当てられて、目を閉じた。
「何をされた」
「…………首、だけ」
痕があるので、隠すと逆に面倒になる。証拠が残ったことだけ口にした。
シャツの前を開けられ、首元をあらためられる。情けない気分になった。
「クソ、たたっ切っておけばよかった!」
拳が壁に打ち付けられ、ベッドの上まで揺れる。
「痕、知らなかったが」
「……………………言ってませんでしたから」
「許可を取るべきだろう、マナーとして」
「すみません。吸ったら赤く残るのがオレの印みたいで気分よくて」
なんだかものすごいことを言われた。この言い方だとキスマークの概念すら知らないらしい。
どう諭そうかと悩むうちに、亜双義は部屋を出てタオルを濡らして戻ってきた。
「失礼します」
ごっしごっしと首筋を拭かれる。タオルが口元にも持って来られて、「大丈夫だ」と固辞した。深い口づけまでされていたら、口内に水を注がれていたかもしれない。
露出した肌に視線が注がれている。うまくものが考えられない。
「暑い、だけですか」
「ぐるぐるする。それに……貴公が、ほしい」
「ッ――」
熱があるようだった。火照ってだるく、肌の感覚が鋭敏になる。指がちりちりして、血流がざわめく。
「口づけも、抱擁も……強く、してほしい」
「う、うお……」
ごっくんと喉を鳴らす音が聞こえた。
手を広げて伸ばす。薬の効果が弱まっているのだろう、気付けば手足の重さは随分と軽減されていた。
「はやく、アソーギ」
「ッ~~~~ ッぐ、貴方ってひとは……!」
がばりと抱きしめられて、歓喜のため息をつく。それだけでもひどく気持ちがよかった。
筋肉質な体から伝わる温度も至近距離だから聞こえる息遣いも少し痛いくらいの圧迫感も、全てが好ましい。
「きみじゃないといやだ」
ぼうっとして、夢見心地で頬を擦りつけ息を吸う。ただ一人許した男のにおいだ。
「はやく愛をたしかめたい。さいごまで」
「ぐ、うぐぐ、ぐおおおおお……ッ」
歯を食いしばり、震えながら我慢する様子がなんだかおかしい。いつもは駄目と言っても飛びついてきて、ばかな犬のようなのに。
「ぜんぶ、全部好きにしてくれ……。私に、もっとはしたないことを言わせたいのか? そなたはひどいおとこだ」
ちゅむちゅむと首筋にキスをして、太ももを動かす。いつもは避けていた脚の間が硬くなっているのを感じて、背徳の喜びが込み上げる。
苦労して腕を上げて頭を抱え込み、耳に直接息を吹きかける。
「――抱いてくれ」
「その言葉、ゆめゆめ忘れるな!」
強くベッドに押し付けられて、天井を見上げる。
これからどんなことをされるのだろう。鼓動が早鐘を打つのを耳奥で聞きながら、目を閉じて快楽に身を任せた。
※※※
親戚が支配人だと、色々なことに融通が利く。合鍵の入手もその一つだった。
十年来の従者の手により、慎重に回された鍵が錠を開ける。少しばかり金属音がしたが、中の者はそれどころではないだろう。念のため一分ほど待機して、何も起きないことを確認する。
無言のまま目を合わせて頷き、二人で音をたてぬように中に入る。暗いが、窓と寝室から漏れる明かりがあるので、歩けないほどではない。
廊下を少し進んだだけで、ベッドがきしむ音と激しい息遣いが聞こえてきた。
「……おぉ、アソーギ! もう、これ以上は……ッ! っく、ううっ……」
「っは、っは、っは――! っぐ、これで、最後だ……ッ! は、ぐぅう――!」
――やはり私の読みは当たっていた。
中では恐ろしいことが行われていた。検事席に堂々と居座り清く正しいふりをしていた二人に、今の今までまんまと騙されていたのだ。
拳を強く握る。正義の怒りで腹が煮えたぎっていた。確実な証拠を掴み、罰しなければいけない。
従者に写真機を構えさえ、勢いよく寝室のドアを開ける。
「何をしている」
シャッター音と共に写真が撮られた。