聖夜への呪詛 この街はごみごみとした作りで、日がろくにささずにいつも暗い。
昼ですら人通りが疎らな表通りから脇に逸れた、狭い路地裏でゴミ箱を思い切り蹴り上げる音が辺りに響いた。
「クソッタレが」
黒いスーツに身を包んだ男は、壁に腕をつきよろめきながら、ポケットからタバコを取りだし口に咥えてライターを探る。血に濡れた黒い手袋は重くうまく動かせず、いつもよりも長い時間をかけて、火を付けた。
思い切り吸い込んだあとに吐き出し、白い息と共に煙が冷えた空気の中を消えていくところを眺めながら、背を壁に預けてズルズルと座り込む。
「ふう…」
石畳の所々に積もる雪があるこの季節は、追い打ちをかけるように降り出した雪に体が冷え込んでいく。
衣服に付いた血が辺りを汚し、血の色が点々と雪の上に足跡を映し残していた。
「怪我人でもいるのかと思ったら」
ふいに角から声が聞こえ、大男がぬっと姿を現す。
「……よう、センセ」
驚いた風でも無くタバコの煙を吐き出しながら男が応じる。
「派手に大暴れでもした風だけど」
「正解」
その言葉をニヒルな笑みで返したあとに、短くなったタバコを地面に押しつけて火を消している姿を見て、大男が首をかしげた。
「キミは怪我してないみたいだね」
「それも、正解だ」
服を濡らし周囲に痕跡を残した血は、全て相手の返り血だ。
「着替えは必要?」
「必要ない、と言いたいところだが……雪で体が冷えすぎた」
「それは、着替えよりも別の物を要求していると解釈できるけど」
「さて、どうかな」
長い前髪とマスクに覆われた顔の隙間から見える細い目が三日月の形になったのを見ながら、肩をすくめてにやりと笑い返した男は、ゆっくり立ち上がる。二人が路地裏から出た頃には、チラついていた雪が勢いを増していた。
吹雪く中を歩いていると、白い世界の中で風景が霞み、現実と思い出の境界線が曖昧になる時がある。
分厚い雪雲は昼の光を奪い、薄暗いあたりの中で寂れた表通りを歩く者はおらず、客寄せのショウウィンドから漏れた灯りだけが、二人を静かに照らしている。
「今日はホワイトクリスマスだね」
「そういえばそんな時期か」
肩を並べて歩く中で、どちらかともなく記憶の扉を開いたきっかけは、ショーケースの中に見える鮮やかな色だろう。
赤と緑の包装紙に包まれた大きな箱の中に入っているのは、子供にしか見えない夢。
◇
「おおきく、なったら、な、に、に、なる♪」
区切りながら、アスファルトにチョークで書いた模様の上で跳び跳ねている白銀の髪の少年が一人。
「この街に、そんな夢はないだろう。それよりシチロウ、今日のゴミは良いものが入っていそうだ」
横から覚めた目でその姿を見ながら、手元のゴミ袋を漁っていたのは、同じくらいの年ごろで、そちらは暗い髪の色だった。
「カルエゴくん!そんなこと自分で言っちゃダメだよ。大きくなったらなったらきっと、今よりたくさんの事ができるようになるから!」
「だと良いが……チッ、期待させやがって。食べられないレベルか」
手に取ってみると、カビまみれで食べるところが見当たらない硬く小さいパンを忌々しそうに睨みながら、カルエゴはそれを遠くに放り投げ捨てる。
「今日も食べるものは無いかな」
「暗くなる前に、水だけ飲みに行こう」
カルエゴがお尻に付いた砂をパンパンと叩きながら立ち上がったところに、先ほどまで遊んでいたシチロウも近寄り、そのまま二人で公共の水汲み場まで歩き出した。
活気のある表通りに出ると、綺麗に着飾った夫婦や家族連れが楽しそうに行き交っているが、ボロボロになった服を着て痩せた薄汚れている子供のことを気にとめる者はいない。この街はストリートチルドレンが多く、誰もその存在を意識せず、まるでそこに居ないかのように扱う。
その日は、水汲み場への移動途中にある広場で、多くの人が集まっている箇所があった。遠目にその人影の隙間から見えたのは、キラキラと光るもので飾り立てられた大きな一本の木。「あれ、きれいだね」
「うん?……ああ、クリスマスツリーか。だが見た目だけでは腹は膨れないぞ」
「知ってますー」
現実的なことしか言わないカルエゴに対して、膨れた頬でシチロウが返す。
昔は互いに親がいた時もあったのだろうか。物心ついた頃には既に道ばたで生きざるを得なかった二人には、クリスマスツリーにまつわる暖かい思い出などなかった。この時期に人が集まる場所に飾られる物としての知識のみが、そこにある。
「そういえば良い子にしてたら、クリスマスにサンタさんがプレゼントをくれるんだって」
「は。なんだその夢物語は」
「拾った絵本に描いてたよ」
「絵本か…」
文字は、それを覚える年までは親と一緒に住んでいた年上の子に教えて貰った。
読めないと何も分からないから覚えた方が良いよと言われたものの、今の生活の中ではたいして役立っていないし、そう教えてくれた彼は、ある寒い夜の明け方に冷たくなっていた。
もともとシチロウは、字が読めない頃でもゴミの中に本があると必ず拾って絵を眺めていたところを、今では寝床にしている場所へ持ち帰って大切に置いて暇さえあれば開いて熱心に読んでいる。灯りなどはないその場所で本が読めるのは、日が昇っている時間だけ。
食べるものを探し街中でゴミを漁る習慣の中で、その日食べるものを早くに見つけられた日は、そこで本を読むのがシチロウの日課だった。本では腹は膨れないとは分かっていても、幸せそうな顔をしながら読んでいる姿に、カルエゴはそれを止めることはない。ただ横に座り、時折溢れる言葉の欠片を受け止めるだけだ。
「だいたい"良い子"って何だ?何をしたら"良い子"なんだ?」
「さあ…わかんない」
「良い子にしてるなんて、どうせ親のいる子どもの話だろう。だから俺たちには関係が無い」
「そっか…でももし僕が"良い子”だったら、サンタさんが食べ物くれたのかな。いつか、カルエゴくんと二人で、あったかいものをお腹いっぱい食べたいな~」
「……そうだな。いつか、な」
親もおらず住む家も無い。日々生きることが精一杯の自分たちに、そんな日は訪れるのだろうか。冷たい硬い腐りかけのものしか食べたことがなかったカルエゴとシチロウは、店で売っている食べ物はあたたかいという程度の知識しかない憧れの存在だったが、二人で手を取り助け合って過ごしていた。
「あんなものずっと見ていても、食べ物は手に入らない。そろそろ行くぞ」
「うん、今日もさむいね…」
楽しそうに集う家族や友人らの人混みの中で、取り残されたような感覚を突きつけられ、かじかむ手をこすりながら呟くシチロウに、カルエゴが手を差し出して二人で手を握った。
「人が多い。はぐれないようにしないとな」
雪が舞い始めた今夜も、路上でまた弱い誰かの小さな命が消えていくのだろうか。繋いだ手でうつる体温もないくらいに冷え切った幼い体で、今の二人にできるのは、肩を寄せあい暖をとることだけだった。
◇
「……あの頃は、クリスマスという日が何日かすら知らなかったな」
「懐かしいこと思い出しちゃった?」
「小さい頃のシチロウは可愛かった」
「今は?」
「今は、デカいしクソ生意気な口をきくしバカ高い治療費を請求してきやがる。カワイクナイ」
「キミだって、守銭奴だし無理して怪我してくるし、好き勝手なこと要求してくるクソ野郎だね」
弱肉強食のこの場所では、強くないと横に押しのけられて、まともに食べ物にありつくこともできない。だから強くなろうと二人誓った日があり、今がある。
「そういえば、なんで俺のいる場所が分かった?」
「たまたま通りがかりに血痕を見つけて辿ってきたから…と言いたいところだけど、キミ無茶ばっかりするでしょ。僕が見つけてあげないといつか行き倒れそうだから、スマホに追跡アプリ入れてるからね」
「は?いつの間に!?おい、俺のプライバシー」
「君のプライバシーは、僕 の も の」
「!?」
過去において、賑やかな表通りの往来の人々を避けて端を隠れるように歩いていた二人は、あの頃に比べると寂れた表通りの道の真ん中を、今では堂々と歩いていた。
今ならば、往来では向こうが避けていくだろう。
「寒いから、あったかいもの食べたくなってきちゃった」
「"良い子"にしてたら、サンタさんが持ってきてくれるんじゃないか」
「僕や君が"良い子"だと思う?」
「思わんな。それに貧しい子どもを助けないサンタなど、クソ喰らえだ」
軽口をたたきながら笑い合っていると、昔に帰ったような気分になってくるが、今はあの頃と違い、不確実な存在に期待はしないし、憧れていた暖かい食べ物の美味しさを知っている。
「着替える前にお風呂へ入って、温まりなよ。その間にスープを作っておくね」
「今日はえらくサービスが良いな。いくら請求されるんだか」
「可愛げのない反応!クリスマスプレゼントだとでも思ってみたら?」
「はっ!サンタにでもなったつもりか」
「あははは、僕もサンタは嫌いだな。ちゃんと、あとで対価は貰うから」
新しい服がある。風呂にも入れる。これは誰かに与えられたものではなく、自分たちが自力で掴み取った結果。
「ふん。請求内容については精査させてもらうぞ」
「じゃ、まずは手付け代わりに」
そう言ってシチロウが手を差し出した姿に、カルエゴは戸惑いながらも応じる。手袋のままで手を繋ぎかけて、思い直して濡れて重くなった手袋を外してポケットに突っ込んだ。
「珍しいことをするな」
「……今日も寒いから、ね」
繋いだ手が、冷たさを消しそうな熱を心に呼ぶ。あの時のように肩を寄せあった二人は、吹雪の中に消えていった。