あくろす小咄(SS加入初日編)。トンネルの向こうは…………って、いつだったか学校で読んだ本にはあったけど、広がっていたのは馴染んだ景色とはまるで違う白銀色の建造物。空にひたすら伸びていく道には特急列車と車が走っている。あれはどこまで行くんだろう。
「スパイダーソサエティの本部にようこそ」
『まだまだ改装中のエリアもあるけど、壮観でしょ〜』
「ぅ、うん………凄い………!」
マルチバースを守るスパイダーマン達の組織。さっきすれ違ったスパイダーマン達も歴戦の強者達。紛れもなくエリート達なのだと肌でも分かった。
今日からはここで生きていくんだ、と脱いだマスクを握りしめる。
元のアースへはもう戻れない。ここ以外、生きていく場所はない。
わたしは、ここでわたしの居場所を勝ち取って証明するしかないんだ。
「それで? 任務は? いつからやればいい?」
「新たな環境に興奮するのは分かるし、意欲満々なのは結構だけど、落ち着きなさい」
「来たての新人に任すほど我々は暇じゃない。まずはインターンから……」
「インターン!? あの芸術家ヴァルチャー仕留めて皆を助けたのはわたしなんだけど」
「我々、だ」
「私達の協力の元で、でしょ」
「そうとも言う」
「不満と言うなら構わん。元のアースに帰ってもらう」
「ちょっと!?」
来たばかりで戻されるなんてあんまりだ、と抗議するわたしの隣からかざされる手。
「ミゲル、苛めないの」
「……………何故私が責められる」
「言葉選びが不器用すぎる上に、足りてないから。曲がりなりにも年長者でしょ?」
「………む………」
『あははっ、ミゲルの負け〜』
「煩いぞ、ライラ」
人工知能のライラに笑われ、ぷいと横を向く巨漢。
スパイダーウーマン——ジェシカの表情を見るに、闇のガーフィルド——もといミゲルはライラに勝てた試しがないようだ。
『よしよししたげよっか?』「要らん」と続く応酬を他所に、ジェシカが改めてわたしへ瞳を向ける。
「ええと、貴方………」
「グウェン」
「グウェン、まずは前のめりになりすぎないこと」
「え?」
「貴方はこの本部の各部署とそこにいる面々を覚えることから始めなさい。ソサエティはチームワークなしでは成り立たない。我々はマルチバースに介入はしても、けして破壊者であってはならない。それを理解できない者はソサエティにはいられないし、実践できない者は派遣できない。《うちのやりかた》に慣れる為のインターン期間ってこと。ずっとひとりでどうにかしてきた貴方には窮屈でしょうけど、所属するというなら守ってちょうだい」
「………分かった」
全てを納得なんてできないけれど、ルールはルールだ。
重く頷くわたしの隣で『流石ジェシカ♪ ミゲルも見習ったらぁ?』「やめろ」とミゲルとライラがやり合っていた。
プシュゥウウ、と開く扉から飛び込む次の世界。
「このセクターはリラクゼーション空間メイン。食堂もあるからいつでも利用するといい」
「分かった」
「ライラ、グウェンの居住スペースの手配は」
『もうとっくに済んでるよ〜。メディカルチェック受けたらいつでもご案内可能』
「そんな大げさなの受けなくても……」
「ソサエティに所属すれば、誰もが受けるものだ」
『マルチバースを移動することへの心身の影響への研究はまだまだ道半ばなの。本人は問題ないと思っててもそうじゃないものもある。命の危険に繋がることもあるの。協力してくれるとこっちも助かるんだよぅ〜』
「…………そういうことなら」
「簡単な検査だ。長くはかからん。………——ライラ、そういえばアイツは」
『アイツって?』
「アイツはアイツだ。目覚めたと聞いたがどうしてる」
『んー、すぐそこにいるよ〜』
「? 『すぐそこ』とは」
『だから『すぐそこ』。右見てみて』
「………?」
ホログラムの指が差す方角を見やれば。
筋交いも兼ねたレーンの上で片膝を立て、紙にくるまれた食事を頬張っている痩身がいた。雑誌をコピーしコラージュしたようなテキストがちかちかと瞬き、太く編んだドレッドヘアにこれでもかと開いたピアスが光る。着用してるのは入院着だと思うのだけれど、まったく体に合ってない。
「…………」
「…………」
「…………」
「ホービー・ブラウン………っ!」
「よぉ、ミゲル、ジェシカ」
「『よぉ』ではない。ここで何をしている……!」
びりびりと響く怒鳴り声。
ぶつけられた側は気圧され強張る様子もなく、一口、二口、もっしゃもっしゃと口に運んでいる。
「何ってメシ」
「縫合が済んで目覚めたばかりで出歩くな……! それは治ったとは言わん!」
「俺の状態は俺が一番よく知ってる」
「ま・だ・安・静・だ! メディカルチームの言うことを聞け! 大人しく寝ていることも出来んのか、貴様は……!」
「俺に命令すんな」
「屁理屈をごねるな! って言ってる側から逃げるな! 待て!」
「喧しいのは好きじゃねぇ」
「〰〰〰〰そうさせてるのは誰だと思ってる……! 待たんか!」
「ぇ、えええ………!?」
突如始まった大人げない追いかけっこ。片や肩をいきらせ、片や飄々と。ソサエティって大人のエリート集団だった筈じゃ。
そもそもミゲルがあれだけムキになって追いかけ回してる相手は誰なのか。
ジェシカに問えば、「ああ、彼? ホービーよ」と肩を竦められた。
『アース-138が根城なスパイダー・パンク。ソサエティ一番の自由人〜!』
「優秀でサポートも得意なんだけど、とにかく命令嫌いでね」
『ミゲルとの性格相性は見ての通り〜♪ おっと、また搔い潜った』
「ケサディーヤを食べながらなんて行儀悪い……。うちの子には見せられないね」
『あれだけくるくる動いてて、火傷してないし中身零してないの器用だよね〜。病み上がりなのにやっるぅ〜』
「ホービーならあれくらいやるでしょ。まったく………また傷口開いたらどうすんの」
『腹に大穴開けられながら、クレイヴンに超至近距離の爆音ぶつけちゃってたもんねぇ。あの時のミゲルの慌てよう〜』
「ライラ、弄るの程々になさいよ? 自分のせいでって思ってるんだから」
『ほぉ〜い』
「あ、あのぉ……」
「どうしたの?」
『なになに?』
「あの二人って、仲が……悪いの?」
どう突っ込んだらいいのか分からない《日常》を初日から見せられ、おずおずと挙手するわたしの前で見合わされる顔。
「まぁ………良い悪いの二択で言ったら、良くはないね」
「えっ」
『ど真面目なミゲルの地雷を、自由人なホービーが踏みまくるからだよね〜。ホービー側からしたら、ぜーんぜん他意がないからなおの事。もぉ、おっかしくて♪ あ、仲良くはないけど大喧嘩はもうやってないし、必要な情報渡さない仲間はずれなんて真似はお互いしないし、二人組んでの任務じゃちゃぁんと成果出してるから、そこは勘違いしないようにね?』
「りょ、了解……」
単にソリが合わないというレベルではない気もするんだけれど、周囲もまるで止めず「頑張れ、ボス〜」なんて呑気に声援送ってる人までいる。
噛み合わなくても成果を出せるあたりは、やはりお互いスパイダーマンでエリートだからなんだろうか。
『——おっと、こっち戻って来た』
「!??」
遠くまで追いかけっこをしてたはずなのにもう目の前に。
人波をすり抜けカウンターに座る様は猫みたいだ。
「追いかけっこは飽きた? ホービー」
「動き回ったら腹減った」
「走り回った原因はお前だろう……!」
「今度はアイスティーとひよこ豆のやつくれ。どこ風味のやつでもいいわ」
「注文するな。安静にしろ。病室でも食事は出る。そっちのほうが快復が……」
「嫌だね、あんなゲロ食えるか。あ、それそれ。コリアンダー多めはいけるか?」
「オプションを追加するな。そもそもゲロではない。回復食と言……」
「クソ資本主義の元で製造された自動装置で大量消費すべく計画生産される『回復食』という名を模したゲロ」
「だからゲロではないと〰〰……!」
食堂スペースには向かない問答に眉間を押さえてブツブツ言い始めたミゲルへ構うことなく揚げたての注文——後で聞いたらファラフェルだそうだ——を受け取った《ホービー》がわたしを初めて認識した。
「…………新人か?」
「今日からね。ホービー、彼女はスパイダーウーマンのグウェン。グウェン、彼はスパイダーパンクのホービー」
「ん」
「グウェン・ステイシー。はじめまして」
「! ——………へぇ」
握手すべく手を差し出せば、片眉が上がる。
「………? なに?」
「うちのアースじゃ伝説の名前なんでな。ちょいと驚いた」
ファラフェルを摘んでいないガーゼと包帯に包まれた手が、わたしの手を軽く叩いて離れていく。
ステージから客へ伸ばすハイタッチのように。
「伝説?」
『ニュー・ロンドンのグウェン・ステイシー。圧巻のステージパフォーマンスを見せたスーパースター。オールド・マーキー・クラブでのステージは未だに語り継がれてる……で合ってるっけ?』
「まぁな。一番の伝説はメインストリートを乗っ取った路上ゲリラライブだけど」
「ゲリラライブ……!?」
「うちのアースで音楽やる奴にとっちゃ、メンターのひとりだ」
「メンター………カッコ良いひとだったんだ」
「《ワン・アンド・オンリー》。ステイシーのファッションの真似から入る奴も珍しかねぇ」
違うアースのわたしが伝説にまでなってたなんて。
ここでももっと頑張れたら、そんなわたしに近付けるだろうか。
「そっちは? 手にマメできてるが、何かやってんのか」
「うん、ドラム」
「いいね、アースは」
「アース-65」
素直に明かせば、一瞬開いた間。
頭上で交わし合う三対——ライラも入れれば四対——の視線はどういう意味なのか。
「………ふぅーん……」
「ホービー・ブラウン」
『おぉっとよくない顔ぉ〜』
「分かってるでしょうけど」
「まだ何も言っちゃねぇが?」
凄むミゲルと念を押すジェシカ達へ返す皮肉げな笑み。
最後の一個をぽいっと口の中に放り込むと、ホービーはアイスティー片手にカウンターから飛び降りた。
「ホービー」
「寝るわ。そんなに心配なら、てめぇらで明かせばいいだろ」
「簡単に言ってくれるね」
「! 待てホービー、そっちは病室じゃないだろう。戻れ!」
「どこで寝ようが俺の自由だ。命令すんな。あとゲロは死んでも食わねぇ」
「だからゲロではない! 貴様と言うやつは………!」
ひらひらと手を振り去っていくホービーの後ろを、どすどすと足音荒くミゲルが追っていく。
『あははは〜。ホービーのお腹埋まったし、あと数十分はまた追いかけっこだねぇ』
「しょうがない、こっちは私がやっておくよ。ライラ、ミゲルの頭が程々に冷えたらミーティングルームに呼び戻しておいて」
『任せて〜♪ じゃあね、グウェン』
「う、うん、また……」
ヴゥン、と消えるホログラム。
行きましょう、と促すジェシカを追いかけながら騒がしい声の元を振り返る。
頭から離れないのは、自由人と呼ばれたホービーが残した言葉の意味。
「ジェシカ」
「なに?」
「『明かす』ってなにを……?」
わたしの元いたアースがどうかしたのだろうか。
それともわたし自身になにか……?
問いに足を止めたジェシカは困ったように微笑んだ。
「………それはまた追々。しっかり休んだら教えてあげる」
「………そう」
今は話してくれる様子はないようだ。
「ほら、ここが貴方のスペース。まずは休みなさい。何か足りないものがあればその装置で知らせて。私達はミーティングルームにいるから」
「了解、ありがと」
「どういたしまして。じゃあ、おやすみ。………お疲れ様、グウェン」
「おやすみ」
ベッド、デスク、水回り、クローゼット。無機質だけど、必要なものは全て揃えられたスペース。
シューレースを解き、ベッドに沈む。
「………ふかふか………」
もぞり、と寝返りを打ち見上げた天井は知らない部屋。
でも、もうあそこへは帰れない。帰らないって決めたんだ。
最後に見たパパの顔を振り切るためにぎゅっと瞼を閉じる。これからはアース-65のスパイダーウーマンじゃない、ソサエティのスパイダーウーマンなんだから。
「……………写真、持って来ればよかった……」
同じ世代ではじめて自分から友達になりたいと思ったマイルスとの記念写真。ドラムの中に仕舞ったっきりだった。色々放ったらかしにしたまま来てしまったけど、あの写真には特別未練が残る。
会えなくなってから会いたくなるなんて思いもしなくて。
でも、今はこの装置がある。
「会える、よね………」
手首に装着した装置に触れつつ、零した願い。
思えば、あの時のわたしは何も知らなかったんだ。
ちっぽけな願いを打ち砕く《ほんとうのこと》があった事。
ずっと会いたかったのに、会いに行ってしまったのに、《ほんとうのこと》が伝えられなくて、マイルスを傷つけてしまった事。
ボロボロになった彼を追い詰めさせて、さよならを言わせてしまった事。
それから、どんなにボロボロになっても、わたし達を見てくれていたひとが居たんだって事も。