大胸筋サポーターなるものがある。
警視正と立会人の二足の草鞋を履くようになり、鈍っていた体が叩き直された結果、体格が一回りほど大きくなった。
どうやら詰まるように筋肉がつくのではなく外側に筋肉がつくタイプだったらしい。
今更成長期などと笑えないが立会人である以上身体が資本なために増量はやむを得ず、特注のジャケットを買い直すことになった。
そういったわけで、南方恭次は少し前の彼より大幅に増強した胸筋を備えることになったのである。
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話は変わるが、女性のバストアップに筋トレが推奨されるように、筋肉は力を入れていない時には柔らかい物質である。
手足や体幹の筋肉は基本的に動作下にあるので柔らかさを感じることはないが、胸筋は話が違う。
鍛え上げて厚みを帯びた胸筋は、ふとした瞬間で存外ゆれる。
筋トレに成功して乳が揺れるという奇怪で悲しみの深い現象に南方は見舞われていた。
大胸筋というものが暴においては必要不可欠、日常生活においては揺れて邪魔など、手にしてみるまでわからないものだ。
つまるところ、南方恭次は生活における胸筋の存在感について悩んでいた。
その際に出会ったのが大胸筋サポーターである。
こんな薄布がなんぞ役に立つんか?と半信半疑ながら着用してみれば思った以上の効力を発揮してくれた。
サポーターが支えてくれるおかげで胸筋が揺れないだけでなく、デスクワーク時の猫背防止で肩こりがずいぶん楽になったのだ。
こんな便利なんじゃったらもっと早めに知りたかったのぅ、などとおもうくらいにはサポーターは有能な布であった。
こうして南方恭次は大胸筋サポーター愛用者となったわけである。
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賭郎内大胸筋サポーター先駆者となった南方はその素晴らしさを時折他人に周知したし、その甲斐あってか大胸筋サポーターはじわじわと賭郎内に浸透しつつあった。
着用しているところを門倉の黒服に「それはなにか」と聞かれプレゼンしたところ、回り回ってあの門倉もユーザーとなっていたことを知った時は謎の感動を覚えた。
「いいじゃろ、あれ」
己の発信したものが門倉のお気に召した優越感で絡んでみれば、面倒くさそうな顔をしながらも門倉は素直に頷いた。
「おどれが発信地なのは気に食わんけど、結構便利じゃね」
体格の面でいうと門倉は南方と共通している点が多い。それだけに大胸筋サポーターの恩恵を痛感してくれたようだった。
「じゃろ?やっぱミズノはすごいのぅ」
「は?おどれミズノなんか?ナイキじゃろ」
そういえば南方はこの男とはこういう運命にあったのだった。
メンチ切り合いながら互いに愛用しているブランドの良さを言いあっているのを面倒くさげな声が遮った。
「くだらない喧嘩をしているならどいてください」
「弥鱈立会人」
「貧相な体しとる弥鱈立会人にはよさがわからないかもしれませんが」
煽る門倉の物言いに構うことなく、弥鱈は「サポーター」と短く復唱したのち口を開いた。
「大胸筋サポーターは分かりませんが、膝用ならたまに使います」
ああいうやつでしょう、という弥鱈に南方はこんなところにも愛用者がと目を輝かせた。
「弥鱈立会人も使ってらしたんですか」
「ただ夏場の暑さに耐えきれなくてやめたんですよね」
「夏は……確かに」
「メッシュ生地だとだいぶマシですけど」
とはいえ真夏は嫌ですね、と続ける弥鱈立会人に
「メッシュがあるんですか。膝用だと種類が豊富でいいですね」
メッシュ生地がいいという先人のアドバイスは有益だが、いかんせん大胸筋サポーターはあまり普及しておらず生地を選べるほど種類がない。
弥鱈立会人のように夏場は諦めるか、と考えてそれを残念に思ってしまうくらいには、南方恭次は大胸筋サポーターの愛用者であった。