うさぎリンゴクランクアップした日の夜更けに微熱がでた。ピンと張っていた糸が切れたように緩んだ心身が、今こそ休むべしと訴えているようだ。こんなときは素直に眠るに限る。十分に休息を取れば、またすぐに元気になると分かっているヴァンは、朝食も食べずに眠りこけていた。
目を覚ましたのは昼前だった。今日は1日休みやから、もっと寝てまおうか。そやけど、もぉ飽きたなぁ……ぼんやりと天井を眺めているとノックも無しにドアが開いた。
「――起きてたか」
ノックせずにドアを開ける人物は1人しかいない。大和だ。だが、こんな真っ昼間になぜ寮にいるのだろうか。ヴァンが起き抜けの働かない頭で見つめる。
「おれも今日はオフだぜ」
「嘘やろっ!?」
ヴァンが跳ね起きた。
「ウソ言ってどーすんだ」
大和が笑いながらやって来る。
「ちゃうくて! オフ被ってんのにデートの予定も入れんと寝とるワイ自身が信じられへんねん……!」
ワイの阿呆と頭を抱えたヴァンだったが、すぐに気持ちを切り替えて顔を上げる。
「なぁ、これからデートせぇへん? 午後予定入れてしもた?」
「具合悪いんだろ」
「ちょい疲れが溜まっとっただけや。ぎょうさん眠ったおかげで、もぉすっかり回復したで」
「じゃあこれも食えるな」
大和が手に持っていた皿をヴァンの前に差し出した。皿の上にはウサギの形にカットされたリンゴが載っている。
「うさぎリンゴやん! かわええな」
ヴァンに皿を手渡した大和が面映そうにベッドに腰掛ける。
「……もしかして、やまちゃんが切ってくれたん!? 器用やな」
「これくらい誰でもできんだろ」
「いやいや、そういうわけにもいかへんで。それにこのリンゴのうさぎときたら、大っきいのと小さいのとおって、親子みたいでなんやあったかい気持ちになるわ。あ、そや! やまちゃんがワイのために、うさぎリンゴ作ってくれたってSNSで自慢したろ。写真載せてもええやろ?」
「わざわざ写真撮るほどのものかよ」
大和はいよいよ照れ臭くなって、心臓のあたりがむずむずし始めた。だが嬉しそうに写真を撮っているヴァンを見ていると悪い気はしない。むしろこちらまで妙に嬉しくなってくるから不思議だ。
「撮れたか?」
「ばっちりや」
ヴァンがにこやかに笑いかける。むずむずが頂点に達した大和は、ベッドに置かれた皿からうさぎリンゴを1つ掴んでヴァンの口元に持っていく。
「食えよ」
シャク、とヴァンがリンゴを3分の1ほど噛んだ。そして満面の笑みで幸せそうにリンゴを咀嚼する。大和も残ったリンゴを半分ほど齧った。シャリシャリと2人でリンゴを食べる。
「こういう時間もええな」
「熱あんだろ。大丈夫なのかよ」
「熱な……」
ヴァンがおもむろに顔を近づける。大和は咄嗟に目を瞑った。しかし触れたのは唇ではなく、大和の前髪を持ち上げたヴァンが自分の前髪も持ち上げて額に額をコツンとくっつけた。
「どお? 熱ある?」
鼓動さえも聴こえてしまいそうな近距離で見つめ合う。
「分かんねえ」
大和がついと視線を逸らす。
「ほな、これは?」
囁いたヴァンが唇を重ねた。
十分にキスを味わって、唇を離す。
「あかんわ。体温が急上昇して100度くらいになってまいそう」
笑ったヴァンが、大和の膝を枕にごろんと体を横たえた。そして甘えて膝に頬を寄せる。
「うさぎリンゴ食べさせて」
「しょうがねぇな」
大和が片手でヴァンの髪をくすぐりながら、もう一方の手をリンゴに伸ばした。
口元にリンゴを持って行ってやると、ヴァンがシャリシャリとリンゴを食べる。
「小動物みてぇ」
「狼さんの間違いやろ」
「今はせいぜいハムスターだな」
「ハムスター!?」
ヴァンが素っ頓狂な声を上げて起き上がる。
大和はヴァンを自らの肩に寄り掛からせるように抱き寄せた。
「いいじゃねぇか。格好つけてねぇヴァンを見るのけっこう好きだ。心を許されてるって感じがする」
「そう言われたら敵わんな」
ヴァンは大和に背を預け、穏やかな時間に身を任せる。温かな幸せが2人を包み込んだ。