黒い箱正直に言って、おれは浮かれていたんだと思う。
ライムジュースと恋人という関係になって、まだそんなに時間が経っていなかった頃の話だ。
ずっと片想いだと思っていた。この気持ちを伝えないまま、ライムジュースとおれは同じ船の〝仲間〟として航海を続けるものだと思っていた。でも、我慢が出来なかった。
ひょんなきっかけで、おれはどうしてもライムジュースという男を誰にも渡したくないのだと思わされた事があった。それをきっかけに、一気に自分の想いを押し付けた。それでライムジュースとの関係が破綻したって良いぐらいには、覚悟を決めていた。
それなのに、ライムジュースときたら「島での買い出しに荷物持ちしてくれ」と言った時と同じ返事、同じ抑揚で「オウ」と小さく答えた。
今ならそれがただの照れ隠しだと気付けるだろう。でもその時のおれは、緊張も相まって、サングラスの向こう側のライムジュースの眼がどんな色を映していたなんて、想像も出来なかった。
ちゃんと恋人になれたのか、ちゃんと好き同士なのか、そんな不安もきっとあった筈。
でもおれは、そんなことより舞い上がっていた。
だから、ライムジュースと恋人になってから初めて島に立ち寄った時に、浮かれたプレゼントをした。
武器を使う戦闘スタイルのライムジュースには、きっと邪魔になると少し考えれば分かった筈だ。でもそんな事は考えられなかった。何度も言うがおれは浮かれていたんだ。
シンプルなモノならきっと使いやすい筈。頑丈な素材を使っているから傷が付きにくい筈。ライムジュースを喜ばせたい気持ちもあった。でも、それよりも、おれの愛情が大きくて重くて、そして深いことを伝えたいような。そんな気持ちの籠もったリングのプレゼントだった。
渡したその日、海の見えるまだ明るいおれの部屋。リラックスしてサングラスも帽子も外したライムジュースが、首と大きく広げた胸元から登っていく様に、ジワジワと赤くなっていったのを、よく覚えてる。
「お前ばっかりズルい」「おれは何も用意してないのに」そんな口を叩くライムジュースが、天邪鬼な性格だって、よく知っている。
真っ赤になって憎まれ口のような文句を言うライムジュースが喜んでいるなんて、一目瞭然だった。
それが堪らなく嬉しかった。
おれの独りよがりの恋人ごっこなんかじゃなくて、ちゃんとライムがおれの事を好きでいてくれるんだと、分からせてくれた。
堪らない気持ちのまま左手の薬指に指輪を嵌めれば「覚えてろよ」なんて、シュチュエーションに全く合わない一言を絞り出していたのだって、本当に、昨日の事のように思い出せる。
その喜びを日々噛み締める航海。
もう一度言うが、おれは浮かれていた。だって恋人が毎日、おれがプレゼントした指輪を、眠る時は指に嵌めて、起きてる時はネックレスに通して首から下げて過ごしているんだ。
まるで今までもそうしてたと言わんばかりに、当たり前に。
おれがライムを見る時、触れる時。いつだって、ライムの身体のどこかにその指輪があったんだ。浮かれるなって言う方が無理だろう?
だから、油断していた。
それは、補給を済ませたばかりだと言うのに、命知らずの同業者に喧嘩を吹っかけられた日だった。
別に喧嘩を売られたのは良い。ただ、血の気の多い野郎共がその喧嘩を買っただけだ。暫く戦闘をしてないからと、大幹部は出撃せずに、新入り達だけで対処させただけだ。
ただ、それがいけなかった。
大幹部の誰も、新入り達を侮っていた訳じゃない。ましてやウチに喧嘩を売る海賊団も馬鹿にしていた訳じゃない。ただ単に、おれたちの見積もりが甘かった。
結果どうなったか、と言うと、医療品のストックが心許ない量になってしまっただけだ。
だから甲板の上でスネイクや副船長を交えて航路の相談をしていただけだ。
欲しいのは入手するのに難しい薬品じゃない。ポピュラーな消毒液や化膿止めだ。それから絆創膏や包帯なんかの消耗品。どこの島でも良いから立ち寄って欲しい、ならどこの島なら立ち寄れるのか。そんな相談をしていた時だった。
「あっ」
端のブリッジ部分、甲板より一段高いところにいたおれ達のすぐ下から、ひっくり返ったような声が聞こえた。
スネイクと副船長がああだこうだと話しているのを眺めているだけのおれには、その声がよく聞こえた。他のクルー達よりも掠れた、高い声だからかもしれない。
その声の持ち主は、変声期を迎えてしょっちゅう声がひっくり返る、まだ少年の見習いだ。
ライムジュースによく似た太陽の光に助ける金髪。外側はグレーで、内側にいくにつれ、ヘーゼルナッツの蜂蜜漬けみたいに、まったりした黄色に変化する瞳の色まで同じ。喧嘩っ早くて、先輩だろうが自分よりデカい奴だろうが、すぐに手が出るところまでそっくりだ。
見た目も性格も、出会った頃の線が細かったライムに似ている少年に、絆されている訳じゃないが、おれはなんだかんだ可愛がって構っている。
その少年の、何かに気付いたような声を拾ったのは、この場ではおれだけ。そうかと思えば、見習いの少年はおれの後ろ側あたりをチラリと見てから、両手を素早く自分の口を覆うように押さえた。
彼の動きを見て、自分の後ろで何が起きたのかと振り返ろうとすると、ガシリと腕と手首を掴まれた。
気配を消しておれの背後に周り身体を掴んだのは、やっぱりというか何というか、ライムだった。
ライムは片手で人差し指を口に当てて、見習いを見下ろしている。その仕草を見た彼は、口を押さえたまま、コクコクと何度も頷いている。
「ライム? なに、どうし……」
「お返し」
「えっ? は、なに?」
「……」
無言のままおれの腕をもぞもぞと這うライムの手袋の感触。慣れ親しんだ感触をそのまま好きにさせていると、無遠慮に引っ張られた手首のその先。ライムはおれの掌に、何かを握り込ませた。
掌に収まる小さい大きさ。しっとりとした質感の布地が張ってある。
知っている。おれはこの箱が何か知っている。だって、あの浮かれっぱなしで勢いだけで送った、あの黒い箱と同じモノだから。
なら、この箱に入っているモノだって、同じ筈だ。
咄嗟に箱の正体を目で見て確かめようと動いたおれの腕を、ライムが強く掴み直し、背中で捻りあげる。その痛みに驚き呻きながら、おれは慌ててライムの名前を叫んだ。
「イっ、ライム!」
「おれ、なんもシテねぇもん」
「関節キメんなって!」
「しーらね」
「いだっ、イタタ、なぁってばぁ!」
「……フン」
暴れているうちに、箱が手から離れていく。えっ、と思っていれば、握りしめられた左手の薬指に冷たい金属が触れる。あっ、という間に箱はおれの尻ポケットに捩じ込まれ、その中身はおれの左手の薬指だ。
「え、ちょ、ライム?!」
「覚えてろよって言っただろうが」
ふん、と鼻を鳴らしてライムジュースは去っていった。首に下げたゴールドを煌めかせながら。
きっと同じ煌めきが、おれの左手にある。でも、なんだか剥き出しのそれを誰にも見られたくなくて、ズボンのポケットに手を捩じ込む。
指先に触れる先客の箱も、おれがプレゼントしたモノと同じように、黒いのだろうか。しっとりとした手触りを感じながら、ライムジュースの背中を見送る。
その手前にいる見習いの少年。まだ手を口元に当てて、顔を真っ赤に染めて、おれを見ている。きっと彼だけが、唯一の一部始終の目撃者になったんだろう。
おれはポケットに入れていない右手を上げる。シィ、と口から出した小さな音に、話が終わったスネイクと副船長は不思議そうな顔をしている。
おれはそのまま、さっきライムがしたように、口の前で人差し指を立てた。