赤い箱それは、久々に休みの合ったホンゴウと出かけた帰りだった。所謂デートってヤツ。
お互い中々休みが合わない。夜に飯だけ、家で呑んで泊まるだけ。そんな日々が続いた中で、久しぶりに丸一日を使った外出だった。
梅雨の頃合いの筈なのに妙に暑い今日。
ショッピングモールで買い物。映画。美術館。水族館。プラネタリウム。出た案の後半は、男同士のデートにはロマンチックすぎるから、おれたちはショッピングモールで一日を過ごした。
お互いの夏服を選び、おれのサンダルを買い、休憩におれがアイス、ホンゴウがクレープを食い、本屋でホンゴウがいつも通り小難しそうな本を買い込んだ。
なんの疑問もなく、日が暮れた頃に自然な流れでおれの家の最寄駅に向かい、馴染みの焼き鳥屋の暖簾をくぐった。涼しい場所で一日を過ごした筈なのに、サウナの後みたいに冷えたビールが喉を通って行くのが心地良かった。
ホンゴウも同じようにグビグビと呑んでいたから、なんだかんだ汗をかいていたんだろう。焼き鳥のしょっぱさも、冷たい枝豆も、身に沁みるような旨さだった。五臓六腑に染み渡る、なんてジジクセェ表現をホンゴウが漏らしていたっけ。
その帰り道。
自然な流れでおれの最寄駅まで来たんだ。同じ様に、自然な流れで、まるでこうするのが当たり前だと言うように、おれたちはお互い何も言っていないのにおれの住むアパートまでの道を歩いた。
そこまで酔ってるわけじゃない。おれだって野暮なヤツじゃない。ホンゴウがおれの家に泊まるんだろうなって、分かっているから、ほろ酔い程度にしか呑んでいない。それはきっとホンゴウだって同じ。
それでも、うっすらと首元が赤くなっていると、途中で立ち寄ったコンビニのガラスに映った自分に気付いた。
飲み物の棚の前で、家で飲み直す分の酒を選んでいるホンゴウの頸と、髪を結い上げている所為で丸見えの耳の縁だって、ほんのりと、血色が良い。
「酒、これで良い? ツマミは?」
「今うちに食いモンねぇな。軽く買っとくか」
「おれナッツ」
「おれなんかチーズのヤツ、あとなんか甘いモン食いてぇ」
見慣れた黒い星のパッケージのビール缶が、おれの持つ買い物カゴに入れられる。焼き鳥屋でシメの鳥雑炊まで食って満腹な筈なのに、酒のアテは欲しいと話すおれたちは乾き物の陳列された棚に向かう。
途中通りすぎた衛生用品の辺りで、ホンゴウが一瞬だけ立ち止まる。それに気付かないワケはない。おれたちだって長い付き合いだ。ホンゴウが棚で何を手に取り、それをおれが持ってるカゴにポイ、と入れたのだって、分かっている。恥じらいだってねぇ。今更だ。おれだって生娘でもない。
本当は期待してるって知ったら、ホンゴウはどう思うだろうな。
カゴの中で転がってコン、と音を立ててぶつかった缶ビールと、一ミリの厚さもないと堂々と描かれた赤いパッケージ。その上に、最近ハマっているチーズスナックと、ホンゴウがいつも買うミックスナッツを放り込んだ。
「これでオッケーか?」
「いや、なんか甘いモン」
「ん。なぁ、おれ先に買って出てて良いか? 雑炊食ったら暑くなってきた。アイス食いてぇ」
そういうホンゴウの手には、コイツがよく好んで食べる小ぶりなアイスキャンディがあった。どうやら酒と暖かい食いモンで火照ったらしい。
「お前すげぇ雑炊食ってたもんな」
「そう。ライムがまだなんか買うなら、それ買って先に外でアイス食ってるよ」
「いい、飯の分出してもらったし、これはおれが買う。お前はアイス食っとけ。何買うか悩んでるし」
「りょーかい」
アイスキャンディが溶ける前にさっさとレジに向かったホンゴウを尻目に、おれは菓子類の棚に移る。
グミ、ビールに合わねぇ。チョコレート。も、ビールに合わねぇ。ガム、論外。シュークリーム、気分じゃない。プリン、ゼリー。なんか違う。
そもそもビールに合う甘いツマミなんてコンビニにそうそう無い。菓子棚の前でしゃがんでウタが子供の頃に何度も買ってやったキャラクターの顔の棒つきチョコを眺める。
チョコで良いか。ビールに合わなくても、おれの気分がチョコレートだと言っている。もししかしたら、日中にホンゴウが、チョコソースのかかったクレープをデケェ口で頬張っていたのを見たからかも。
そしておれは手元のカゴの中に、ノールックで馴染みのあるミルクチョコレートを放り込んだ。
「ぁ」
「?」
「あ、いや……、なんでも」
「はぁ」
店員がカゴから商品を取り出し、バーコードをリーダーで読み取る。ただそれの繰り返しを眺めて、会計を済ませるだけの筈だった。
そこに一つの違和感に気付いて、おれの声帯は無意識に音を上げる。それに反応した夜勤のアルバイトの青年が、無愛想に返事をする。
おれは内心焦っていた。おかしい、ホンゴウが去った後、確かにおれはミルクチョコレートしかカゴに入れてない筈だ。ましてや何かを棚に戻すなんてしていない。絶対にだ。
足りないものを買い直すかと、会計を済ませてから店内の奥に戻ろうとする。夜、空いていたコンビニは客が増えて、レジにはいつの間にか四人の客が並んでいた。
仕方がないとはいえ、レジ袋に入ってないソレを買うために棚に戻る。その途中で、外のホンゴウの様子を見た。もう少し時間がかかるからとアイコンタクトでも取りたかった。
目のあったホンゴウがひらひらを片手を振る。それの返事に、おれが顎で店内を指す。それにホンゴウが不思議そに首を傾げて、手の動きを変えて、来い来いと言う様に指先をチョイチョイ、と動かした。
「どうかしたか?」
開口一番に、アイスキャンディの最後の一口を差し出される。
「ん、ふめへぇ」
「暑いからウメェだろ?」
「ん」
最後の一口を頬張る。溶けかけたソーダ味が冷たく広がった。シャリ、と音を立てながら奥歯で溶けて小さくなったアイスを噛めば、不意にホンゴウの持つレジ袋に目が行った。
薄くて白い、透けたビニール袋の向こう。その中には〇.〇一ミリと浮き出る赤い箱。つーか、あの店員、紙袋に入れなかったのかよ。
「おい、ホンゴウ」
「ん?」
おれがアイスを食ったのがお気に召したのか、ニコニコ笑うホンゴウが答える。
「自分で買う気だったのに」
「何が?」
「気合い入れてたのに」
「ん?」
「ゴムだよ、察しろバカ!」
そう、つまり。おれが菓子を見てる隙に、ホンゴウがカゴの中からコンドームだけ抜き取って会計を済ませていたという事だ。
「嗚呼、おれが使うんだから、おれが買って当たり前だろ? だからこれだけカゴから抜いた」
「はぁー?! お前がおれ相手に使うなら、おれがお前に使ってるようなもんだろ?!」
「はは、突然哲学的な事を言うなよ」
余裕そうに苦笑する、ホンゴウの垂れた目尻に薄らと浮かぶ笑い皺ですら腹立たしかった。
「そう怒るなって」
ホンゴウが近くのゴミ箱に歩いて寄って、がこん、と音を立ててアイスの棒を捨てる。二歩分だけ見た背中が、目尻を垂れさせて振り返る。
「おれが早く使いたかったんだ。な、だからもう帰ろうぜ」
そう言って手を取られて歩き始められたら、もう何も言えなくなった。
おれの家なのに〝帰る〟とか言うんじゃねぇよ。
酒もツマミもチョコレートも。全部、全部要らなかったじゃねぇか。