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    ホンゴウの生い立ちから海賊になるまでの半生の独白(捏造)

    ホンゴウの生い立ちから海賊になるまでの半生の独白(捏造)十歳でおれの人生は激変した。少し年の離れた兄が死んだからだ。
    何一つ不自由のない暮らしだった。
    仕事で忙しくともできるだけ顔を見せようとしてくれる父様と母様。執事やメイドや家庭教師たち。衣食住に恵まれて、習字率の低いこの国で厳しく勉学に励むのも贅沢だった。新しい事を覚えるのは今でも嫌いじゃない。好奇心旺盛なタイプなんだと思う。
    そんな贅沢品であるマナーや数学や語学の勉強はいつだって兄さんと一緒だった。
    家庭教師の厳しい授業も、満たされる知識欲と、兄さんが褒めてくれるから、好きだったんだ。
    「今日はテストでいい点が取れたから」なんて、二人でキッチンからパンをかっぱらってきて、庭でこっそり食べたりする。バレて執事や母様に叱られる。大目に見てやれという父様。そんな日々が好きだった。

    その生活が十年間続いたのに、ある日突然、兄さんは死んだ。
    病院のベッドで横になる兄さんは、どこも悪くなんか見えないのに、どれだけ話しかけても応えてくれなくて、触れた腕は信じられないぐらいに冷たかった。

    事故だった。
    別段珍しい事故ではなかった。
    馬車の馬が何かのきっかけでコントロールが効かなくなり、店先に突っ込む。その文房具屋の店先に、兄さんが居ただけなんだ。
    兄さんの荷物からは上等な羽ペンと、割れたインク瓶が見つかった。それはプレゼント用に包まれていた。おれへの誕生日プレゼントだったのは明白だった。だって、翌日はおれの誕生日だったからだ。
    おれは多分、これからもずっと、あの日以上に泣く事はないだろう。

    家の中は悲しみに包まれた。
    当たり前だ。子供が死んでいる。しかも、貴族の後継である長男が。
    おれは聡い子供だった。だから昔から自分が兄さんに何かが起きた時の為の〝スペア〟なのだと理解していた。
    思った通り、その日から外出が制限され、おれへの教育はより厳しくなった。
    今までだって難しいと感じていた座学が急にレベルアップして、それにガムシャラについて行って、どうにか父様と母様に〝スペア〟がきちんと機能しているのだと思ってもらいたくて、安心してもらいたくて必死だった。
    マナーの講習で「違う」と叱られる度に、兄さんはこんなに厳しい世界で生きてきて、それでもおれを一人の〝弟〟として愛してくれたんだと、失ってから気づいた。

    その生活もすぐに落ち着いた。落ち着いたというより、新しく嬉しい出来事があったからだ。
    母様のお腹が膨らんだ。
    そこには新しい命が宿っているのだと、あの日兄さんの隣で泣き喚くおれが落ち着くまで話を聞きながら背中を摩ってくれた医者が家に通うようになって教えてくれた。
    〝新しいスペア〟が出来たと冷酷に理解する自分と〝下のきょうだいが生まれる〟という喜びが、おれの中で暴れるような十月十日だった。

    出産には立ち合わせてもらえなかった。
    兄さんもおれも、家で産まれたらしい。けど難しい分娩かもしれないから、病院に入院すると言って、父様と母様は出かけた。
    子供のおれに負担をかけたくないのと、もっと勉強して欲しい、その二つの気持ちがあったんだろう。
    物理的に接する時間は少なかったけど、悪い人たちじゃないんだ。きっと〝家〟に囚われてた。おれも、兄さんも。

    無事に産まれた。
    「妹ぎみですよ」と執事に聞かされて、おれは嬉しくて仕方なくて、赤ちゃんが使う予定の部屋をせっせと飾りつけた。
    貯めた小遣いで、メイドに付き添ってもらってうさぎのぬいぐるみやピンク色の柔らかなブランケットを買いに行った。
    早く妹に会いたい。父様と母様と、妹が帰ってくるのを、広い屋敷の中で心待ちにしていた。
    でも、帰ってきたのは父様と母様だけだった。
    「なんで」とせがむおれに父様は「妹は体が弱いから病院にいる」と教えてくれた。二人の顔は、疲労で茶色くくすんでいた。
    「どうしても会いたい」と、あまり言わない我儘を言うおれに根負けして、父様は妹に会いに病院に連れて行ってくれた。
    可愛かった。ふくふくとしたピンク色の頬、ゆっくりと上下する胸元。手元に指を差し出せば、小さな小さな手がおれの指先を掴んだ。
    おれと兄さんと、ちょうど同じだけの年が離れた子だった。きっと産まれたばかりのおれを見た兄さんも同じ気持ちになったんだろう。おれが、絶対にこの小さな命を守ると、そう決めた。

    翌日から、おれは毎日こっそりと屋敷を抜け出すようになる。
    いつ病院から帰って来れるか分からない妹に、会いに行く為だ。
    「成長期だから早く寝る、兄さんの身長を超えたい」と嘘をついて部屋に引っ込んで、窓伝いに屋敷を出た。
    毎晩侵入するおれを見兼ねて、最初は家に連絡しようとした先生も、一週間も経たない間にお茶を用意して待っててくれるようになった。
    すやすやと眠る妹や、同じ病室の赤ちゃんが起きないように、物音ひとつ立てずにお茶を飲む。
    一人だけいつも点滴が繋がっている妹の寝顔を満足するまで眺めてから、夜遅くに家に帰った。あの頃早寝していたのに身長が伸びなやんだおれを見て、メイドが不思議がってたっけ。

    そう長い時間もかからずに、おれは妹の異変に気付いた。
    体が弱いと聞いていたから、点滴がいつも繋がってるのも、先生や看護師がしょっちゅう様子を見にくるのも不自然だと思わなかった。
    不自然だったのは、おれが「妹の為に」と母様に渡した沢山のお包み。洗い換えが必要だと思って小遣いが許す限りの枚数を渡したそれは、毎日洗濯の為に取り替えられていた。
    同じ頃に産まれた他の赤ちゃんたちは、お包みをせずに寝かされている。時たまうにゃうにゃと動くまだ歩く事を知らない足が可愛かった。
    でも妹は違った。ずっとお包みに包まれたままだ。点滴のために腕は出ているけど、胸から下を隠すように、いつも妹は包まれていた。
    思考より先に手が動いた。普段、寝てるところを起こさないように、あまり触れない妹の腹に手が伸びる。
    暖かい。生きている。上下する腹が、妹の呼吸が正常なのだと教えてくれた。けれどもそこから先は危険だと、何かに気付いてしまったおれの脳と、それを認めたくない感情がせめぎ合った。

    震える手で、ゆっくりと捲った柔らかいガーゼ製の布。今でもそのお包みの柄をはっきりと覚えている。
    おれがプレゼントしたお包みの中で一番たくさんの動物が描かれたものだった。象、キリン、うさぎ、犬、それから猫。
    その布の下の、妹の隠された身体。妹の、両足。
    そこにあるはずの腿から下が、存在していなかった。

    「……見たんだね?」
    きっと酷い顔色だったんだろう。淹れてくれたお茶のカップを返しに行ったら、先生がそう言った。
    幼いおれは完全にパニックだった。毎晩寝る間も惜しんで寝顔を見にきていた、守ると誓った妹が、兄のように逝ってしまうのではないか。両親がおれに何も話さないのも、この子の命が短いからなんじゃないかと、全てが不安でしょうがなかった。
    あの日、冷たい兄さんの横で大泣きした時と同じように、おれは先生が大丈夫だと伝えてくれる言葉に、頷きながら涙を溢すことしか出来なかった。

    あれから何年か経った。
    妹は、おれより優秀だった兄さんよりも出来が良く、とても優秀な娘だった。
    兄さんが苦しんだ数式を一発で理解して、おれがいつも引っかかる古典文学をスラスラと読み解き、両親の仕事のパーティーに行けば花が咲いたような笑顔で礼儀正しく振る舞った。
    車椅子を押すおれはいつもその妹の出来の良さに関心するばかりだ。
    おれはあの後、先生が両親に事情を説明してくれて、妹に自由に会いに行く許可が降りてからの毎日を大切にしていた。勿論家を継ぐための勉強だって手を抜かずにやった。跡取りとしての振る舞いは完璧だっただろう。
    午前の家庭教師のレッスンが終われば、料理番が作った弁当を抱えて走って病院に向かう。
    同じようにレッスンを終わらせた妹と、妹の個室でランチを食べる。今日はこんな勉強をした、今日来る時はこんな人がいた。そんな話をしながら。
    彼女が産まれた時にプレゼントしたうさぎのぬいぐるみを枕元に置いて、笑ってくれる妹と過ごすこの時間が何よりも大事だった。

    何かあったらいけないと、兄のこともありすっかり過保護になってしまった両親の希望で、妹はずっと入院している。特別な用事がない限り家には来ないし、外出もしない。
    その頃のおれは、体の弱い妹が病院から出られるようにならないかと必死だった。
    正直言うと、点滴は外れても、外に出られない妹のために勉強しているようなものだった。事実、家での勉強以外にも、病院の先生に本を借りたり、手当の仕方や色々な事を教わったりしていた。
    両親は良い顔をしていなかった。けれど先生が「医学の心得があるというのも強みになるでしょう。事前活動の一環になるかと」と誤魔化してくれていた。
    そう難しくない手当は、患者自身の許可がもらえたらおれが処置していた。先生も、顔見知りの患者さんも「医者の跡取りの方が向いてる」なんて両親に聞かれたらマズイ軽口を叩いていた。
    おれは妹の身体を良く出来ないかとばかり考えていたけれど、いつしか他の患者の手助けができる事を喜ばしく思うようになっていった。医者になりたいと、はっきりと感じていた。
    でも、両親の事を思うと「医者になりたい」という夢なんて、言える筈もなかった。

    妹の病室からは小さな港が見えた。
    すぐそばにもう一つ大きな港もあったから、大体の船はそっちを使う。殆ど使われない小さな港に船が着くと、妹はいつもはしゃいで、どこから来てどこへ行くのかと夢中になって話していた。
    陽光に照らされる妹のはしゃいだ笑顔を見て、おれはなんとなく何も言わずに「伯爵家の優秀な令嬢」を演じている妹の夢が「外に出ること」なのだと知っていた。
    両親の仕事でパーティーや視察に行く時、妹はいつもはしゃいでいるから。
    いつもは入院着で過ごすのに、少女向きのデザインの質の良いシルクで作られたワンピースを着て「お母様のドレスみたい」とはしゃいでいた。
    丁寧に櫛を通した髪をリボンで結んでミニハットをつけると「お姉さんっぽく見えるかな」と気にしていた。
    おれが押す車椅子から見える、視察先の説明を聞く妹の後頭部はいつも機嫌が良さそうに揺れている。
    兄さんのような学業の優秀さ、母様のような気立の良さ、父様のような従業員への気配り。
    明らかに、家を継ぐのは妹の方が向いている。
    でもおれはいろんな部分で妹より劣っている事など気にもかけてなかった。おれは勉強もマナーの講習も合格していたけど、そんなことより、本当は妹の身体の事ばかり気にしていたのだから。
    何度、妹が家を継ぎ、おれが病院を継いだ方が良いんじゃないかと口にしようとしたことか。
    でも、そんな事を言えば、両親がどんな思いになるかなんてわかっていた。
    きっと、それを分かってて妹も「外に出たい」だの「家を継ぎたい」だのと言わなかったのだろう。
    港に着いた船を見て「いいなぁ」と、呟いた後に気まずそうに俯くのを見るだけだ。

    二十歳の誕生日の前日だった。
    俺の運命は、もしかしたら十年おきに急回転するのかもしれない。十年前のその日、兄さんが死んだみたいに。
    二十歳の誕生日に、おれは両親のやっている事業を継ぐ。家を継ぐのだ。
    今までだって仕事を手伝ってきているから、そっちはこれまで通り徐々に引き継ぐだけ。だけど、明日の朝、家に訪れる弁護士の立ち会いの元、書類にサインをすれば、家のものは全ておれの名義になる。
    妹の方が向いている家業をおれが継ぎ、おれは医者という夢を諦める。
    でもそれはしょうがない事なんだ。そういう家に生まれてしまったのだから。両親だって、そのレールの上で生きている。おれもそのレールに乗って来た。今までも、これからも。
    妹が、病院から出られないというレールを、おれは変えてやる事が出来ないまま。

    夜早めにベッドに入ったのに、どうしても寝付けなくて、おれは夜の散歩に出ると伝えて家を出た。
    向かう先はやっぱり妹の居る病院。
    日付も変わる頃だ、きっと寝てるだろう。少し寝顔を見たら、起こす前に帰ろうというおれの予定は全く別の方向へと動いた。

    「あっ、お兄様、違うの、これは、えっとね」
    「っ、誰だ!その子から離れろ!!」
    「お兄様!大きい声出しちゃダメ、この人お怪我してるの」
    「でも知らない男だ!妹から離れろ!」
    港が見えると喜んだ妹のために、病院が用意してくれた個室の位置が悪かった。海側に面した一階のその部屋のバルコニーに座り込む若い男。頭部から酷く出血をしている。血に濡れた髪で、その男の人相どころか髪色さえ見えない程だった。
    その男に、妹はどうやってベッドから降りたのか、ベッドシーツやらタオルやらで一生懸命に患部を押さえている。
    部屋に入った瞬間に見えた衝撃的な光景に、声を荒げて妹を男から引き剥がすと男は小さく呻き声をあげた。
    「悪いな、昨日怪我しちまって、やっと港に着いて。それでこの病院が見えてな」
    「最短距離で来てこの部屋に……だが玄関から入れ。ここは女の子の病室だぞ」
    「そうとは知らなくてな、お嬢ちゃんには悪いことをしちまった」
    「私は良いの、ねぇお兄様、手当をして差し上げて。すごく沢山の血が出てるの、それか先生を呼んで……」
    「それは出来ないよ。ホンゴウが大きい声を出すから慌てて来てみれば侵入者だなんてねぇ」
    いつの間にいたのか、先生が扉のすぐ側に立っていた。手には救急キット。なのに先生は「治療は出来ない」と、はっきりと言った。
    「どうして?先生、この人こんなに酷い怪我なのに……」
    おれの疑問に妹の方が一足早く先生に問いかける。先生はそう遠くない港の灯台を眺めながら言った。
    「君は海賊。今日の日暮れ間際に着港した。違うかい?」
    「違わねぇな、その船で船長をやっている。まだ全然メンバーも集まってないけどな」
    「やっぱりね、夕方見えたから警戒していたんだ」
    〝海賊〟という言葉に抱きかかえた妹を抱きしめなおした。ここは平和な国だ。加えて海流的に国外から船が流れ着きにくい。国外から港に入るには、相当腕の良い航海士が必要な筈だ。貿易はもっぱら陸続き。船は近海で漁業を営む漁師ぐらいなのだ。
    初めて見る海賊という、頭に詰め込まれた知識では悪者のそいつは、明らかに出血が酷い。今すぐにも治療が必要な筈だ。たとえ悪者の海賊でも。
    先生は善良な医者だ。子供の頃の、妹に必死で身勝手なおれの行動をいつもおれの立場で考えて、両親を説得してくれた。その先生が何故治療を拒んでいるかおれには理解できなかった。
    「先生……」
    「この病院は国営でね、しかも貴族から多額の寄付をいただいて経営している。そんな病院の院長である私が、犯罪者を治療したとあっては、経営に影響が出かねん」
    「でも!」
    「だが」
    妹を抱き上げて、守るように身構えるおれの目の前に、先生が救急キットを置いた。
    「こっちの青年は医者見習いでね、しかもうちの病院と正式に契約していないし、そもそも明日の朝には見習いでもなくなるんだ」
    先生が何を言っているのか分からなかった。いや、分かりたくなかった。
    先生の立場は分かる。寄付をしているのもおれの家だ。でも先生は治療費が払えないと分かっているのに孤児や老人の怪我も病気も診る人だ。
    〝患者がいるなら医者がやる事は一つだ〟そう言って、どんな怪我も病気にも、どんな人間にも接していた。
    おれは明日家を継ぐ。先生の言うとおり、この病院の見習いですらなくなる。それでも先生は、救急キットをおれに与えて〝明日家督を継ぐホンゴウではなく医者見習いとしてのホンゴウ、君ならどうする?〟と、まるで最後の試験のように、試しているのだと気付いてしまった。
    「お兄様?」
    おれにしがみついていた妹の手をやんわりと離させて、ベッドの中央に優しく座らせてやる。洗面器に水を汲んで、救急キットを持って、おれは言った。

    「おれが医者だ。おれがアンタを治療する」

    男の怪我は出血量こそ多かったが、そう深刻なものではなかった。
    「抜糸は一週間後だ。それまで触るなよ」
    「一週間?!そんなに待てねぇよ、明日には出航するんだ」
    「なら船医にやってもらえ、海賊船なら居るだろ」
    「居ねぇな、ウチ旗揚げしたばっかだし」
    「はぁ?!それで一日手当も何もしてなかったのか?!」
    「そうだな、でもお前が治療してくれたから助かった。手助けしてくれたお嬢さんと、見逃してくれた院長さんもな」
    「さぁ、何のことだろうね」
    血に濡れたシーツをまとめる先生がシレっと答える。その横顔は少し嬉しそうだ。どうやら、先生の最終試験におれは合格したらしい。
    「縫うのがクロッカスさんより早くてびっくりしたぜ!腕が良いんだな、なぁお前、おれの船乗れよ!」
    「はぁ?!海賊になれってか?」
    「いいなぁ!」
    驚くおれの隣で、妹がキラキラした目でこちらを眺める。更に驚いたおれはあんぐりと口を開けて妹を見た。それを気にも止めずに妹が続ける。
    「ねぇ、お兄様、その人のお船に乗ったらどう?」
    「いや、おれが明日やる事知ってるだろ……」
    「でも、本当はお医者様になりたい。私が家を継いだ方が向いてるって思ってるし、私もそうしたいって知ってる。そうでしょ?」
    「……やっぱり、気付いてたんだな」
    「うん……私、やりたい。お兄様が私に家督を譲ってお医者様になれるようにお勉強してたんだもの」
    「そうだったのか?」
    「私、お兄様みたいにもっとお父様達の会社や仕事を手伝いたい。同じ仕事をやりたい。お兄様に好きな事をしてもらいたい。
    もう点滴だってしてないよ。車椅子を押してもらわなきゃいけないけど、お外だって出れるもん。先生だって、大人になるにつれ、もっと身体が丈夫になるって言ってる。病院の外で、お屋敷で普通に生きていける」
    「でも……」
    「お兄様が私の体調を毎日カルテに書いて渡してくれるおかげだって、先生が言ってたよ。爵位がないと入れない図書館の資料を写して先生とどうしたら私の身体が元気になるか考えてくれているの、知ってるよ。だからきっと今より丈夫な体に成長するの。
    それでもっとお勉強して、お父様達より家の事業を拡大してみせる。病院の外で、お屋敷の外で、私はもっと働きたい。
    それと同じなの。お兄様がお医者様になる夢を諦めて良い理由なんて、どこにもないんだよ」
    「……」
    何も言い返せなかった。
    おれたち子供のあまりにも身勝手な我儘で両親を傷付けたくなかった。でも、妹の夢を叶えてやりたい。そして、おれだって、夢を叶えたい。
    何かを言い返さなきゃいけない、兄としてこの子を諭さなければいけないと、何度も口を開くのに、言葉は何も出てこなかった。
    それを見ていたのかいないのか、海賊の男がフラフラと立ち上がる。
    「出航は日の出頃だ。乗るなら港へ、乗らないなら来なくて良い。見送りはいらないんでな」
    そう短くおれに伝えて、危なっかしい足取りで夜の闇に消えた。

    その夜は妹の狭いベッドに二人で並んで、沢山の話をした。
    今まであまりしてこなかった兄さんとの思い出話。
    仕事を理由に不在しがちな両親が、ちゃんとお前を気にかけているという話。家に囚われて、いつも必死で、それなのに息子を失って、きっとどうしたら良いのか不安なんだろうと。
    お前の部屋を、お前が生まれる前から、両親と一緒に可愛く飾りつけた話。そして毎日掃除してる事も。
    おれが医者になりたいと思った、理不尽な兄の死とお前の産まれ、そして弱い身体。
    執事が本当は、自分の初孫がお前と同じ歳だから、会わせて友達になれたら良いと溢していた事。
    おれたちは、両親や家の人間と希薄に見えても、ちゃんとお互いを大事に思っているという事。
    妹も胸の内を明かしてくれた。
    いつも両親が自分やおれではない別の子供を見ていると感じていた事。
    おれが医者になりたいと思っていると知っていた事と、おれにもっと沢山の人を救って欲しいと願っていた事。
    数年前、女王が婿を取って即位したんだから、自分だって家督を継げる筈だと、勉強を頑張ったのだと。
    パーティーや視察のために、着飾って、外に出て、おれに車椅子を押してもらって、隣に両親が居る時が一番幸せだと。

    最後に妹が「お兄様が夢を叶えて、私の夢も、叶えるの」と、か細く呟いて、その後すぐに穏やかな寝息が聞こえた。
    おれは、赤ん坊の頃と変わらない、暖かくてまろい頬におやすみのキスをして、病室を去った。

    「来ると思ってた。歓迎するぜ!」
    港の漁師小屋に寄りかかっていた昨晩の男が、笑顔でおれに手を振る。
    「ホンゴウだ、よろしく頼む。アンタ名前は?」
    「そういえば名乗ってなかったな。赤髪海賊団船長、シャンクスだ」
    船仕事に荒れたカサついた手と、握手を交わす。
    おれは今日からこの男に命を預ける事になる。頭に包帯が巻かれた、人懐っこい笑顔を浮かべる赤髪。何となくこの男の元には、人が集まる。そんな気がした。

    「おれは要らないって言ったけどな、ホンゴウには必要だろ。お見送りのゲストだ」
    「……二人とも」
    小屋の陰から出て来たのは、車椅子を押す先生と、その車椅子に乗る黒いカバンを抱きしめた妹だった。

    「昨晩、お別れを済ませたつもりだったんだけどな」
    「ちゃんと行ってらっしゃいって言ってないもの」
    「船医をするなら道具もないとな、私の使い古しだが、持って行きなさい」
    そう言って、先生がいつも往診で使っていた黒い革カバンを渡される。
    「良いんですか?」
    「知識だけでは治療はできないよ、でも道具だけでもできない。どちらも扱えてこその医者だ」
    「はい。肝に銘じておきます。先生」
    「なんだい?」
    「お世話になりました。どうか、両親を、妹を、よろしくお願いします」
    「船医はキツいよ、頑張るんだ」
    「えっ?」
    「私は若い頃客船で船医をしていてね、海の男はすぐ怪我をする。仕事が増えるよ」
    初めて聞いた先生の過去に目を丸くしていると後ろからシャンクスが「経験者ならアンタも乗るか?」なんて冗談を溢した。
    バカ言うな、先生にはこれから、おれの代わりに妹の成長を見守ってもらわなきゃならないんだ。
    そうツッコミながら写した目線の先。車椅子に腰掛ける、年齢よりも、少し小さい身体。昨晩夜更かしをしたせいか、目の下に薄らとクマを作って、それでも表情はおれより晴れやかだ。
    「お手紙、届けばいいのに」
    「おれに懸賞金でもかけられたら手配書が出回るさ、それで我慢してくれ」
    「じゃあ私は事業拡大させて新聞に載るんだから」
    「おれが見つけられるように、一面トップで頼むぞ」
    「うん、頑張るわ。だからお兄様も」
    「……うん」
    伸ばされた両腕に引き寄せられるように、地面に膝をついて、車椅子に座る妹を抱きしめる。
    生まれてからずうっと、初めて抱き上げた時からずうっと、柔らかくて、暖かくて、か弱くて、壊してしまうんじゃないかと思って、強く抱きしめられなかった妹。
    その妹の身体を初めて、最初で最後に、力一杯、強く強く抱きしめた。
    あの日以上に泣く事はないだろうと思っていたのに、おれはきっと、それ以上に涙を流して妹の身体を掻き抱いた。


















    「あれから十年か。早いな。
    あの後、ずっと泣いてるおれを茶化しながら、歓迎の宴と、ついでに誕生日も祝ってもらったんだったな」
    そう言いながら、ホンゴウは水平線の向こうを眺める。
    どこか懐かしむ声で、頬杖をついている。その手元には、今朝届いたばかりのニュース・クー。
    「三十歳の節目の前日でも、やっぱり大きい出来事は起きるもんだ」
    「おい、ホンゴウ!懸賞金上がったんだって?朝刊に入ってたって、ベックが言ってたぞ」
    あの頃よりも随分と男らしく端正な顔立ちへと成長を遂げた船長が、新聞を読んでいる副船長を引きずりながらやってくる。
    「ほぉ、そりゃチェックしねぇとな。でもベックの持ってる新聞で見てくれ、おれはこの朝刊をファイリングしてくる」
    「なんだホンゴウ、敵船の情報でも?」
    「さぁな」
    一度読み出すとなかなか離さない新聞から目を離して、ベックマンがホンゴウに問う。飄々と返事をして、ホンゴウは手元の朝刊を持って立ち上がった。
    シャンクスが一瞬だけ見えた紙面に「お」と声をあげる。そのままベックマンの持つ朝刊を捲る。
    その一面記事に「名実ともに世界一の企業へ」という見出しと、車椅子に座った、燻んだ金髪で、鼻筋の通った、どこか面影のある美しい若い女の写真。
    鼻歌でも歌い出しそうなホンゴウの背中を見送って、シャンクスがニヤリと口角を上げた。
    何も知らないベックマンは、不思議そうに二人を眺めるばかり。

    同じ空の下、遠く離れた国の、とある屋敷の執務室。
    車椅子に腰掛けた若い女が、鼻歌まじりに、朝刊に挟まれていた赤髪海賊団船医の新しい手配書を、丁寧にファイリングしているだなんて、誰も知らない。

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