ティルHBD ――ハッピーバースデートゥーユー!
今日はティルくんのお誕生日です。みんなでティルくんをお祝いしましょう!
閉じ込められているみたいな輪の中心で、重なる声を聞く。心臓がどっどっと嫌な音を立てるから、耐えきれなくなって、曲が終わるのを待たずに飛び出した。
がむしゃらに走っても、外に出られることはない。塗られた空と地面を転がるように進んだが、奥行きを許さない壁に進路を阻まれて、その場にずるずると腰を下ろした。監視役の人間が手にしていたケーキは、脳が溶けてしまうほど甘いのだろう。考えただけで吐き気がする。何が「ハッピーバースデー」だ。生まれた場所もろくに覚えてないのは誰のせいだと思ってる。
このクソったれな牢屋の中で行われる茶番に、呑気な顔で手を叩いているあいつらは、どうせ自分が輪の中心になっても、ありがとうとだらしなく笑うのだろう。そんな風にだけは、なりたくなくて。
「クソッ、くそ……」
握った拳を芝生に擦り付ける。むずむずとした小さな痛みが煩わしいだけだとわかっていながら。
この叫びを曲に起こせたら、少しは気が紛れるだろうか。そう思ってポケットに手を突っ込んでも、クレヨンも紙もない。何も上手くいかない、こんな日が、やはり祝福された日であるわけがない。
がんがんと脳を締め付けるような痛みも、この体を蝕み始めた。まるで、素直に喜ぼうとしない自分を咎められ、なぜ皆と同じようにならないのかと矯正されているかのようだが、そんなの、自分にだってわからない。ただどうしても、虚ろな視線たちに囲まれて受ける祝福を、甘く受け入れられないのだ。
足を抱えて座りこんで、膝に顔を押し付ける。まだ空は青い。早く、暗くなって、ここにいる自分を隠してほしくなった。どうせ、誕生日というものの確からしさを知っている存在にはもう、たどり着くことはできない。ならいっそ、今日なんて一瞬で過ぎ去ってしまえばいい……。
安心を与えてくれる闇の中に、意識を沈み込ませようとした、そのときだった。
「ティルっ! いた!」
花が咲くような声が聞こえる。慌ててばっと顔を上げると、上から覗き込んでくる顔があった。
柔らかい陽射しを受けたカーテンのように降ってくるピンク色の髪。それを掻き分けながらふうと一息つく彼女は、わざわざオレを追ってきたに違いなかった。
「ミジ……?」
「行こう!」
そう言って伸ばされた手を取れない自分は、恥ずかしい。嬉しさと情けなさがないまぜになったどうしようもない感情に苛まれて、また消えそうになりたくなっていると、彼女は焦ったそうに鼻を鳴らした。
「早く戻らないとまた怒られるよ?」
わかってる、わかってるよミジ。おまえのように、屈託なく笑って祝福を受け取ることができるなら、その方が幸せなのだということも。
オレが立ち上がらないから、見兼ねた彼女が隣に座り込む。ミジに迷惑をかけているという事実が、さらに自己嫌悪を助長させた。
「ねえ、なにが嫌だったの」
「……別に、嫌とかじゃないけど」
「嘘」
じいっとこちらを見つめる金色が、甘い蜜のように心を溶かそうとしてくる。どきどきと早くなる鼓動は先ほどよりさらに弾けそうになって、口がもう我慢できなくなった。
「……うそ。あんまり、たくさんの人に祝われるのは嫌だ」
「ええ、なんで? ティル、目立つの好きだと思ってた」
驚いて丸くなる瞳も可愛い。ミジになら、無垢な表情を浮かべたまま変なのと一言で笑い飛ばされたって構わない。けれど、誰よりも優しい彼女はそうせずに耳を傾けてくれることを知っていた。
「……なんか、今日は嫌だった」
「……ふうん」
こてんと傾げられた首は、とっても不思議そうだった。じっとこちらを見つめたままの視線が目に毒で、顔を背ける。誕生日にかこつけて甘えているように思えて、余計に恥ずかしくなってきた。ミジの前で変な意地を張り続けるのは嫌だ。立って、戻るそぶりを見せるか……。心が揺らいだ、そのときだった。
「じゃあ、私だけならいいかな」
――ハッピーバースデートゥーユー。
自然界に存在するかのような、優しい声が聞こえた。一人の声で、ほとんど同じフレーズが繰り返される。今日、二度目に与えられる歌だ。
穏やかな風が身を包むような、安堵と幸せの両方を運ぶ声に、自分の呼吸の音さえも殺し、聞き入る。ミジの魅力は毎日更新されていくし、その度に新鮮に思いながら、その度に想いが膨らむ。なのに、今聞こえているこれには、遠い昔に、どこかで聞いたことがあるような馴染み深さを覚えて、鼻の奥がじんじんと痺れてきた。おめでとう、と、初めにオレに祝福を与えたのは誰だっけ。
――ディア、ティル。
歌い終わるのと同時に、ミジがはにかむ。少し細くなった瞼の間から溢れようとする瞳は、今日も、明日も、そのまた明日も歓迎する朝日のように輝いていた。
「ティル、お誕生日おめでとう!」
ありがとう、と、告げる前に鼻を啜った。ミジにはこんな顔、見せたくないのに。