愛と名付けましょうか今日は5限で授業が終わる日で、午後3時には放課後となる。今は夏休みが明けてすぐのまだまだ残暑が続く時期で、太陽が1番熱く輝く時間に、子供たちは自由になった。
しげるは渋々ながらも帰宅しようとランドセルに手をかけた時に、衣和緒に声をかけられた。衣和緒はまっすぐしげるに向かって来るものの、その白眼の多い大きな目は横を向いている。
「ねえ、しげる。好きな人できた?」
衣和緒の目線は依然と横を向いたままだった。いつもハキハキと発せられる彼女の声も、半分くらいの音しかなかった。そんな彼女をしげるは数秒沈黙したまま眺めた。衣和緒はいつも突拍子もないことをさも当然のように聞いてくるのだが、今回ばかりはさすがのしげるも動揺せずにはいられなかった。
「なんでそんなこと聞くの」
やっとの思いで聞き返したその声は意外にも落ち着いていた。その声とは裏腹にしげるの心臓は高鳴る一方で、頭の裏がズキズキと痛み始めた。
「なんか、みんないつのまにか好きな人ができてるから、しげるはどうなのかなって気になったの。」
小学校生活も4年目の夏、彼らもそろそろ大人になる準備を控え、そのような感情にも出会うようになる。それは2人にとっても例外ではないはずだった。
しかし、しげるは好きという感情が分からなかった。そのような感情の分別がつかぬほどに周りに興味が持てなかったのだ。
「そもそも、好きってなんだか俺には分からない。」
しげるは衣和緒に率直に自分の感想を告げた。そうすると、それまで逸らし続けていた衣和緒の目がこちらを向き、その見開いた目に瞬く間に光が集まった。
「そうなの!衣和緒も好きってよく分からないの。しげるも分からないなら、何だか安心したわ。」
衣和緒もしげると同様に、他人に興味が持てなかった。しげるも衣和緒も不遜で孤高で寂しかった。故に、2人は他者に対し常に均一で冷たくあった。他者に特別な感情を抱くだなんてありえなかった。
しかし、しげるは気づいていた。衣和緒だけは違うことに。衣和緒は他の誰とも違う、唯一無二の自分と同じ狂った寂しい人間であること、だからこそ自身の寂しさを理解できる人間であること、そんな人間を欲せずにはいられないこと、つまり自分は衣和緒に特別な感情を抱いていることを、しげるは知っていた。
そうではあるが、この感情が他の者が抱いている好きという感情とはまた違うことも知っていた。しげるが衣和緒に抱いている感情は、手を繋ぎたいとか、キスしたいとか、そんな軽々しいものではない。
だとしたら、自分が抱いているこの感情にはいったいどんな名前が付いているのだろう。
「そもそも、好きってそんなにすごいものでもないと思う。」
やっと落ち着きを取り戻してきたしげるは、いつもの口調で淡々と好きという気持ちそのものを否定し始めた。衣和緒はそのしげるの否定を明るい口調で肯定した。
「そうよね!だって、同じクラスのチヨちゃんは1ヶ月経つと好きな人が変わってるし、サトコちゃんなんて常に好きな人が3人はいるみたいよ。好きって、大したことないわよね。」
しげるは興味もない話題を呆れながら聞いていた。暑さで不快感が増す。そんな中、衣和緒は続ける。
「そんな、簡単に変わっちゃう気持ちを、しげるが誰かに抱いていたら嫌だなって、思ったの。」
しげるは知っていた。衣和緒も自分と同じ感情を自分に向けていることを。それでも、その感情が自分の思い込みでないと確信できたことがこんなに喜ばしいだなんて思いもしなかった。
しげるの胸はまた高鳴り始めた。
「俺も、よかったよ。鷲巣に好きな人がいなくて。」
「ふふ。私たち、両思いね。」
「そうだな。」
「この気持ち、あえて名前を付けるなら、何なんでしょうね。」
「さあ。鷲巣が名付けてよ。」
「そうね、」
衣和緒が名付けた自分達の感情に、しげるは耳まで赤くなった。
夏の暑さが堪える放課後だった。
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なお周りからはすでに付き合ってると思われている2人