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    あざらしさんの絵を小説にさせていただきました!!
    弦狼、狼弦、どちらでも読めます。
    どちらかというと弦←狼より
    +α香る程度のモブ🐺

    とっても書きたかったシチュエーションだったのでとても満足です!!
    あざらしさんのお描きになる切なげな二人の表情がとても好きでした……!!

    挽歌禍々しいまでの赤い空が、葦名の大地を染め行く。淀んだ赤。それはまるでこの戦で流された血と叫びが色を持ち、みるみるうちに暮れ行く空を覆いつくしてゆくように見えた。
    絶え間なく鳴り響いていた火薬の轟き、剣戟(けんげき)の音は絶え、静寂のみがかの地を包み込む。一息の呼吸音さえ躊躇われるような静けさが横たわっていた。地に晒される無数の屍と、時折生温かい風になびく、折れた軍旗のみがかの地で激しい戦があったことを物語っていた。
    この戦で、かの地葦名は大敗を喫した。如何に葦名が堅牢な守りを誇る大木であったとて次々と送り込まれる密偵どもには内側を、外側から攻め寄せる兵士どもには外側を食い荒らされてしまってはひとたまりもない。朽ち行く大木は今まさに崩れ、消え去ろうとしていた。

    ぽつ、ぽつ

    地面に点々と血痕が落ちている。赤いその花は、他の花と交わることなく筋を描きながらどこかを目指している。何かに呼び寄せられているかのように、体が動いた。本能が告げる。この花を追えと。
    体を引きずり、蟻の歩みさながらに花を追う。もうもうと立ち上る土埃に衣が舞った。硝煙に乾ききった木が、風に煽られた衝撃だろうか。ぽきん、と乾いた音を立て折れる。はて、つい先ほどもこの音を聞いた気がする。首を傾げ、思い出した。敵兵の首をへし折った音とよく似ているのだ。兵士の首がだらりと垂れ、動きを止めた瞬間の感触が、手から離れず残っている。まるで己を呪おうとするかのように。
    花が途切れた。霞む視界を持ち上げれば、そこは目指していた場所だった。一歩踏み出し――――。そしてふと歩みを止めた。かつて寺であった場所。ぼろぼろに朽ち果て、崩れかけた荒れ寺。その入り口に何かが、”いる”。

    ざわざわ。ぶつぶつ

    闇の一部がさざめいていた。無数の影が折り重なり、入り口をすっかり塞いでいる。煙のようで、水のようにとりとめもなく。形を定めず揺らめく影が折り重なり、寺の中をじっと見つめている。影は近づきゆく己に気づかず、ただ寺の中だけに意識を傾けているようだった。影は口々に寺の中の何かに向かってぶつぶつざわざわと囁きかける。請う様に、誘うように。

    「…………」

    背から一振りの刀を抜く。赤く、毒毒しい光が刃から零れ落ちる。”死なぬものを斬る刀”。鞘の先から一寸ばかり、その刀身が姿を現した瞬間に影共は一斉に振り返った。怯えたようにこちらを見やり、慌てたように逃げ散らばる。あるものは壁や床に、またあるものは虚空へと。
    妖らが塞いでいた入口に足をかけ、中を見る。そこには夥しい数の木彫りの仏に囲まれるようにして静かに眠る男がいた。頬は血の気がなく蒼白で、ぴくりとも動かない。その優れた容姿も相まって、知らぬ者が見れば凛々しい武者の人形が横たわっているようにも見えただろう。だが彼が人形ではない証に、体のそこかしこには深い傷跡が残され、そこからはまだ温い血潮があふれ出していた。血の雫が真っ白な貌に滴る様は、思わず身震いするほどの凄艶さだ。だが彼の纏う雰囲気は静謐(せいひつ)で、どこか透き通っていた。
    じんわりと床板に広がる赤を眺め、彼の前に膝をつく。

    「全て、逃がしました」

    「……貴方の、命のままに。弦一郎殿」

    弦一郎、と呼ばれた将の瞼が震え、ゆっくりと薄い皮膚が持ち上がる。かつては鬼気森然(ききしんぜん)、苛烈な光を宿していた青鈍。凄まじい麗しさを湛え、殺気めいた雷光の如くに滾っていた瞳からは今やすっかり生気が失われていた。焦点の合わない瞳を暫し虚空にさ迷わせ、やがて男は己を見た。驚愕の色が広がり、しかしそれは瞬く間に深い悲しみの色へと変わった。

    「狼。何故、来た」

    逃げろと言ったのに。唇を戦慄かせ、絶望に染まった声で呟く弦一郎。視線がゆっくりと動き、己の体に刻まれた深い傷跡をなぞる。憂苦の色が浮かび、うっすらと涙の膜が張った。弦一郎からすれば、己は守るべき葦名の民なのだ。例えそれが、かつて干戈(かんか)を交えた忍びであっても。
    憂いを帯びた顔で将は手を伸ばす。己の傷口に触れようとする冷え切った大きな手を取り、狼は囁いた。

    「貴方を、一人にはできない」
    「逃げ延びれば、或いは永らえたかもしれぬのに」
    「手負いの忍びなど、皆の桎梏(しっこく)となるだけで御座いましょう。それに」

    「守るべきものを失ったこの生を……永らえさせるつもりもない」

    沈黙が落ちた。揺らめく燭台の灯に照らされ、見つめ合う忍びと将。つと弦一郎が瞳を伏せた。力を失い、滑り落ちそうになった手を支える。
    先の不死断ちの結末は、御子の死という形で果たされた。竜胤は断たれ、今の己に回生の加護はない。そして先の戦で狼は致命傷を負った。既に永久(とこしえ)の眠りが己の傍らにまで近づきつつあることを、狼ははっきりと感じ取っていた。

    「…………」

    狼の言葉に弦一郎は何も返さなかった。彼は悟ったのだ。己が統べる地の結末を。諦めとは異なる静けさが将を包む。殆ど囁くような声で、城の者は、と弦一郎が呟いた。

    「全て、葦名の外へ」
    「……ならば、良い」

    安堵したように深く息をつき、将は再びゆっくりと眼を閉じる。彼の纏う空気が、一層透き通ったように感じた。



    一心が世を去り、竜胤の御子が命を絶った直後、城は最後の防衛線を突破された。元より消耗しきっていた葦名軍はなすすべもなく次々に皆殺しにされていった。それはもはや戦というより一方的な蹂躙であり、殺戮だった。元より城の兵士の多くは、徴兵された農民に過ぎない。内府軍の猛攻には耐えられなかったのだ。最後の砦の大手門を突破し城内部へとなだれ込む赤備え達に、残った手勢の者たちも城の者だけは守らんと身を盾と差出し、倒れていった。家臣らの屍は引きずられ、足蹴にされ。土にまみれて、原型を留めぬ肉体はやがて鴉や禿鷲に食い漁られて。
    地獄絵図と化した戦場に怖気を催し、耐えきれず家臣らの制止を振り切って城から逃げ出した女がいた。だが、女一人で何が出来るだろう。瞬く間に彼女は見つかり、切り伏せられ、地面にばったりと倒れた。死体に近づいた赤備えの兵士らは、その足を持ち上げ一つに括る。縄の端を馬の鞍に結び付け、彼らは馬に鞭を打った。地面に血の跡を残し、ずるずると引きずられていく女。
    その様子を城から目の当たりにした将の顔色は紙のように白かった。

    最早一刻の猶予はない。狼よ。出来得る限り城の者らを逃がすのだ。

    彼から下された命に、狼は従った。きっと九郎ならば同じことを言うと思ったからだ。この戦乱の世で人の死に慣れることなく心を痛め、悲しむことのできる我が主ならばきっと。
    跪いたままの狼に背を向け弦一郎は歩く。巨大な羽織は今やあちこちが破け、ほつれている。金彩に染め抜かれた杜若(かきつばた)の紋は硝煙に黒ずみ、かつての照り輝きは失われていた。赤日の光が格子窓から差し込み、床板に長い影を落とす。将の背は、血に塗れたように赤く光った。その光景は狼の胸を酷く軋ませた。

    城の者らを逃がしたならば、貴方は如何なさるのだ―――?

    喉元まで出かかったその一言を、狼は終ぞ言う事は出来なかった。



    無数の怒り顔の仏像に囲まれ、今生を終えようとしている男の輪郭が淡くなる。薄くなる。小屋に染み付いた線香の香がより一層濃さを増す。ひんやりと死の気配を纏った淀んだ空気が狼の肺を満たしてゆく。今にも途切れそうな呼吸に甲冑で覆われた胸が僅かに上下する。

    「無念、だ……」

    将は呟く。か細い息の下から譫言のように。

    「何も成せぬまま……、あがいた結末が、この無様な負け戦、とは……。奴らに一矢報いることも……俺は叶わなかった……」
    「弦一郎殿……」
    「家臣の……願いも、希求も、果たせず…………、ああ……俺は……なんの、ために……」
    「!!」

    じわりと重く、忌まわしい気配を感じ狼は顔を上げた。絶望に染まった弦一郎の声に呼応するように、その気配はだんだんと重さを増す。
    振り返ってみれば、寺の入り口に先ほど追い払ったはずの影が再び集ってきていた。宵闇に目を赤く光らせ濁った空気を纏いながら、じっとある瞬間を窺うように影達はこちらを見つめていた。先ほどよりもはっきりと影らの言葉が聞こえる。

    ―――くれ。
    ―――くれ。
    ―――お前の絶望、苦しみ、嘆きの全てを。
    ―――我らに、くれ。
    ―――あの者らが憎いのであろう?
    ―――復讐を果たしたいのであろう?
    ―――お前の痛みが我らの糧。
    ―――さあ。さあ。さあ。


    ―――我らにお前の全てを、くれ。


    崩れかけてはいても、寺は寺だ。静謐さに満ちた空気を厭い、影は内部にまでは入ってこない。だが死にゆく将へと囁く言葉は正しく悪意に満ちていた。その声は弦一郎の耳には届いていないようだ。しかし苦痛は感じるのだろう、将は時折身を捩っては小さな呻きを漏らしている。穏やかだった呼吸は徐々に苦し気に掠れてゆく。
    戦の無念に散った者達の恨みつらみが凝ったものたち。それが影の正体だ。今はまだ、力無き断片に過ぎない。しかし怨念は更なる怨念を呼ぶものだ。強い荒魂(あらみたま)、それらが積もり積もればやがてはかつて狼が対峙した七面武者のような化け物へと変貌を遂げる事だろう。故に影は、弦一郎を狙うのだ。絶望に満ちた死を迎えさせ、無念と恨みにたっぷりと彩られた極上の魂を取り込まんとする為に。不死斬りを持つ狼は天敵であるはずだが、影にとってはその恐れを上回るほどに彼の魂を欲しているのだ。
    彼が取り込まれたならば、成程理を外れた力を得る事は間違いない。葦名に跋扈(ばっこ)する赤備えらさえ容易く蹴散らせることだろう。ややもすれば、それが彼の望みであるやもしれない。けれどその先に待つものは、破壊と殺戮だ。多くの業を負った魂は永劫この地に縛られ、国に仇なす異形へと変貌してしまう。死の間際まで国の行く末を案じ、戦い抜いた将にその仕打ちはあまりにも酷だ。
    絶望滴る魂。死霊がそれを望むというのならば、己は……。

    「少し、話をしましょう。俺が子供の時の、話です」

    狼の発した言葉に、弦一郎はうっすらと眼を開く。

    「戦場で義父に拾われる前のこと。その時の俺は、自分の身一つ守れぬ未熟者でした」

    思い出す。非力で食いつなぐことすら儘ならなかったあの頃のことを。
    飢えていたのは、何も己だけではなかった。国盗り戦の戦火は理不尽に数多の村を焼き尽くし、蝗の群れのように押し寄せた兵士達は、有無を言わせず村の者たちが必死に蓄えた食料を根こそぎ奪い去っていった。暴虐の限りを尽くす兵士らに立ち上がった者もおりはしたが、その行動の対価として返されたものが彼らの血であったならば、最早声を上げるより耐え忍ぶが吉と判断するのは無理からぬことだった。
    貧しさに親は子を売り、残されたのはただ寄る辺をなくした幼子たち。戦場にはそうした者が溢れかえっていた。生き延びる為に歌や踊りで物乞いをする者、盗みを働く者が大勢いる中、不器用な己は何も選び取ることが出来ず、果てに取った手段は酷く忌まわしいものを伴った。
    酒臭い息を身に浴びながら見上げた空は、果てがないほどに青く透き通り、遥か彼方には大きな羽を広げた鳶(とび)が高く高く滑空していた。

    「その時なんの前触れもなく、俺は思いました。ただ自由に空を駆け飛び立つことができたなら、それはどれほど素晴らしいだろうと」
    「なんだ、……貴様もそのようなことを考えていた時分があったとはな」

    くくっと押し殺した笑いが落ちる。蒼白だった将の顔が穏やかに解けている。

    「俺も子供の時分に思ったものだ……。葦名の景色を一度で良い、隅々まで見渡してみたいものだと」

    俺は殆ど城から出る事は出来なかったから、と続ける言葉には僅かな苦さと切なさが滲んでいた。青鈍が涙に潤む。水底でゆらゆら、ゆらゆらと揺れる双眸の美しさに息を飲んだ。この方の目をこれほどじっくりと覗き込むのは初めての事だったかもしれない。それを知るまでに、随分と時間が掛かってしまった。過去へと思いを馳せているのか、鋭い光を放っていた眼差しが、幼子のような、いとけない柔らかさを湛える。

    「だからせめて、と幼い頃に一人で城を巡り、結果あまりの広さに迷ってしまったことがあった。水手曲輪の隅で泣いていた俺を……、雅孝が探しに来てくれた。夕暮れ時に雅孝に抱えられ、共に見た茜色に染まる山稜の景色は、今でも忘れる事は出来ん。それ以来だな、あ奴が俺に市井で流行っている児戯を度々教えるようになったのは。奴も山賊上がりだからか、こういう事柄には詳しかったものだ……。今思えば、雅孝なりにおいそれと外へは出歩けぬ俺の気を紛らわそうと気を使ったのだろう」

    昔を懐かしむように目が細められる。そしてふと、過去をなぞっていた青鈍が狼を捉えた。

    「……だが貴様は知っているのだろう? その忍び義手で、巡った葦名の景色を」

    ふいに血に染まった将の手が伸び、狼の忍び義手を愛おしむようにさすった。義手を構成する絡繰りの一つ一つに触れ、その絡繰りに染み付いた記憶を己も辿ろうとするかのように頬をすり寄せる。うっそりと目を閉じ、弦一郎は囁いた。

    「狼よ。貴様は何を見てきた? その忍び義手で舞った空の向こうには何があった? 聞かせてくれ。貴様が見たもの全て、俺に」

    ああ。見た、見てきた。沢山の美しい景色、人、生き物を。
    弦一郎殿、貴方は知っているだろうか。捨て牢のその先、金剛山仙峯寺の目の覚めるような紅葉の帳(とばり)を。色とりどりの錦さながらの照り紅葉が残照に煌めき、はらりと落ちゆくそのさまを。風に吹かれてちらちらとたなびく曼珠沙華の真朱の花弁は、婀娜めく艶と、そこはかとない哀しさが入り混じっていたように思う。脳裏が眩むほどの多彩な色、色、色。今にも脈打つような朱の鮮やかさに己は圧倒された。そして―――忘れもしない、寺の最奥に佇んでいたあの少女。幼いかんばせに憂いを滲ませ、亡くなった友を想い、ただひたすらに祈りを捧げていた。その孤独な姿は華美に彩られたどの木々よりも、美しかった。
    雪の降り積もった仏像の群れ、片割れを求め、花を愛でる白猿、霧に隠された巨大な村。貴方が知り得なかった摩訶不思議なものをたくさん目にした。
    あとは……そうだ。碧空に浮かぶ源の宮。貴方はその渦雲を睨んでいたとエマ殿から聞いた。思わず息を呑む程に優雅で、まるで幽世(かくりよ)の如き眺めだった。ひたすらに静かで、時折桜の花々が風にそよぐ音と幽き(かそけき)笛の音が響いて。人の身の己が入るべきではないと感じてしまうほどに、荘厳。貴方が焦がれ、そして憎みもした宮は底知れぬ美しさと昏さに満ちていた。

    「そうか」

    ぽつりと声が落ちた。

    「沢山、目にしたのだな。葦名を……我が、国を。羨ましいことだ」
    「弦一郎殿」
    「俺もお前が見た葦名の景色を、この目で見てみたかった。お前とならば、さぞかし良い光景が見れたことだろうに」

    そうだろうか。狼は将を見る。数々の美しい光景、人。それらを目にしてきた。だが、目の前で今にも死に絶えようとする若き将の強い意志の光ほど己を惹きつけ、呑み込むものはない。怨霊すら引き寄せられ、欲するほどの崇高な魂が、澄んだ双眸から見て取れる。

    「だが。だがな、狼。俺にも一つだけある。知っている。美しい、景色、を」

    弦一郎の言葉が途切れ行く。彼は既に力を失いつつある上体を無理に起こし、手を狼へと伸ばす。少しでも彼を楽にさせようと、狼はその場に崩れ落ちそうになる巨躯を壁へと凭れ掛からせた。壁に背を預けた弦一郎は深く息を吐きだした。

    「……お、お、かみ」

    ここへ、と誘うように将の膝が微かに揺れる。狼の名を呼ぼうとする将の喉は震え、ひゅうひゅうとかすかな吐息が漏れ聞こえた。おおかみ、と再度呼ぼうとした弦一郎の声がつと歪に絡まる。ごほ、と濁った咳とともに吐き出された鮮血が将の形のよい顎を伝って地面に滴った。
    瀕死の彼の膝に乗っても良いものか。しかし彼が望んでいるのだ。であれば、己とて応えてやりたいが……。
    逡巡しているうちに狼は不意に自身の体がぐらりと前のめりに倒れるのを感じた。ざ、と一斉に血の気が引く。視界が大きく揺らめいた。

    (……ああ、忘れていた)

    己とて軽傷ではないのだ。否、むしろここまで良く持った方だったのだ。倒れながらも、冷え切った脳は冷静にものを考える。手を伸ばせば、上体を支えられるだろうか。しかし、己にそれほどの力は残されてはいない。ぶつかってしまう―――。

    ぽすっ

    予想していた衝撃はなかった。床へと叩きつけられるはずだったこの身は、何か柔らかいものに支えられていた。見れば身を乗り出した弦一郎が己の体を支えていた。抱きかかえられたまま、弦一郎の胸元へと引き寄せられる。
    城の者達の命を抱きしめ続けた胸は、まだわずかに温もりを残していた。苦し気ながらもどこか誇らしげな声で将は密やかに呟いた。

    「……天守からの眺めだ。御祖父様が戦い、勝ち得た景色。俺は、あの眺望をたまらなく好んでいた」
    「ああ」
    「狼よ。一つ、頼む」

    「来世、というものがあるかは分からんが……。もし同じ世に生を受けたなら、お前が見た景色を、俺にも見せてくれ」
    「御意」
    「そして最後は……、葦名が見渡せる場所へ、共に行こう」


    国が滅びようとも、我が国の自然と人の営みは変わることはない。
    お前とともに葦名の地を望む、その時が楽しみだ。







    顔を上げた。入口にあれほど群がっていた怨霊達の姿はいつの間にか消え失せていた。枯れかけた薄の穂が風に吹かれ、乾いた音を立てる。さわさわと乾ききった己の頬を風が撫で、儚い音を立てた。どこからともなく一層濃くなった線香の香がふわりと立ち上ったように思える。

    「貴方は……。存外に欲深い方だ。儚くなってなお……俺をこの国へ留めようとお考えか」

    ぽつりと零された狼の恨み言が虚しく荒れ寺の空気に溶けた。どうしようもないやりきれなさと押し寄せる悲しみに、口角が歪に持ち上がる。最早動かぬ柔らかな笑みを灯した顔(かんばせ)はひどく穏やかで、それがせめてもの救いだった。怨霊へと堕ち、祖国に仇為す存在となることは彼とて本意ではないだろうから。

    (……けれど)

    貴方は俺の願いを叶えては下さらなかった。
    葦名を捉え続けていた瞳は、最後まで葦名だけを映したまま逝ってしまった。
    それがどうしようもなく悔しく、そして狂おしいほどに愛おしい。

    だから狼は希う(こいねがう)。いつか彼と再びこの地へ生を受け、彼の願いを果たす日を信じて。
    その時に、胸に燻る自身の気持ちを彼へと告げる事が出来るだろうか。



    ふわりとどこか甘く、懐かしい桜の香が漂ってくる。
    途切れつつある聴覚が、挽歌(ばんか)の如く降り出した微かな雨の音を拾って泡沫(うたかた)のように消えていった。










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    Replies from the creator

    xCfleISRUDCZ6Z0

    DONE変若の澱の後遺症の影響で体が衰えゆく弦一郎と狼が雨宿りしながら語らう話。

    しんみりと切なくて温かい話を目指しました。
    青梅雨 じとり、と。頬に触れる空気に、纏わりつくような重さをふと覚えた。山稜から吹き付ける風は蒸れ、むせかえるほどの土気と露を含んだ山草の濃い香りを運ぶ。山の脈動と力強い息吹を感じる風の中に入り混じる微かな青梅の香を、熟達の忍びの鋭い嗅覚は機敏に感じ取った。
     空を見上げる。山に分け入った際は僅かな横雲がたなびいていた筈の空は、今や陰雲が無数に立ち込め、空本来の色を完全に覆い隠してしまっていた。時折遠雷の音が雲の切れ間から朧げな響きを伴って、鳴る。

    (もうすぐ雨が降る)

     ここから城へはどれほどか。遠くに目をやるも既に城は遠霞の向こう側に覆い隠され、そこにあるのはただ白いもやばかりである。
     どこか雨を凌げる場所を探すほかあるまい。忍び———狼は判断し、くるりと踵を返した。手に持ち運んでいるものを抱えなおし、雨に濡らさぬよう自身の首に巻かれている色褪せた白橡色(しろつるばみいろ)の襟巻をそっとそれにかぶせる。己は濡れても良いが、今腕に抱えているものだけは決して濡らしてはならない。
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