閨房夜(番外編)イムラヒル目線
エルフ
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数刻後、執務官から「閨房術の指南役は執政ファラミア殿下」
と、巻物を拡げて仰々しい申し付けがあった。横目でファラミアを見ると、バツの悪そうな顔をしながら瞠目する王と顔を見合わせておった。
おいおい、そんな顔をして・・・あのお方に解ってしまわれるのでは?と案じた瞬間、奴は聡いのですぐに目を逸らした。
いやはや八七?おそらくもう八八歳になったあのお方がまさかそこまで色事に疎いとは・・・
実際あのお歳と周り者が生唾を飲みこむほどのあの色気を鑑みると、意外すぎて咆哮するほどの驚く事実をこの度知ってしまった・・・
全く側室も持たない理由もよく分かった。
盲点であった。
そう、永遠の生命をもつエルフは自らその命もを絶つこともできるし、食欲も情欲も全て自らおのれの意志で支配する事ができうる、人間とは異なる生態を持つ稀有な存在だったのだ。
自分も薄くエルフの血が混ざる数少ない一族の中の一人である。なのであのお方の告白というか激白を聞いた時、驚いたと同時になぜが腑に落ちた部分もある。
なるほど・・・人と経験がないがゆえかと思った。
あのお方は、人の境目に存在するような独自の空気を纏ってらっしゃる。ここだけの話、わたしの初恋の人であった。通り過ぎると薬草のような雨上がりの森の湿った草花のような、なんとも言えない芳しいエルフの匂いがして、振り向いてふんわりと微笑まれたら・・・恋に落ちない者など男女問わずいないであろう。あの何処か浮世離れした雰囲気は聖職や殉教者に近い。一見分かりにくい美しさだが、整った鼻筋と唇、彫りの深い輪郭を覆う濃くて柔らかな髪、氷のような水灰色の瞳はどこまでも透明で一度虜になったら焦がれずにはいれなくなる。
奥方と連れ立っているお姿など、まるで絵画のようで、王も「人にあって人にあらず・・・」という印象であられる。
見る者は思わずうっとりとしながらため息をし、自然と頭を下げて道を開ける。
まさに、神々しいという言葉が当てはまる。
そんなお二方に入り込む隙などありもせん。
そう思って諦めていたのは私だけでなく、
ファラミア、お前も同じ想いを抱えていたのだろう?
しかしながらお二人の愛は、人間が立ち入ることができない、崇高かつ精神的な愛を無限に誓う人類の偶像だったのだとやっと理解できた。わずかな隙間が見えた。それはあのお方が人であり、人間の国王というお立場を受けたためにできたほんの僅かな隙間だった。
せめて肉体だけでも賜れるとなれば、例えどんな事をしても…と願う者は星の数ほどいるであろう。
回顧
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もう遠い昔で、きっとあのお方は覚えてらっしゃないだろうが、実はソロンギルとして仕官されていた頃お会いしていた事がある。
「ちょっと貸してくれないか?」
剣術の稽古をしていたら見知らぬ長身痩躯の男が立っていて、剣を見せてくれと頼まれた。マントの留具である星のブローチのクリスタルが、キラキラと日光に反射して綺麗だなと思っている間に、気がつけばもう剣は男の手に渡っていた。
男は切っ先や刃の剃りをまじまじと見つめて指の先で刃こぼれを確認した後、「もう少し大きな型の方があなたには相性が良さそうだ」と言って返してくれた。
あのお方は本当に剣が好きなのだ。
次に会ったのは初陣を終えて間も無くの頃、闘いの最中、あのお方が見えた。砂埃と血飛沫と矢の雨が降りそそぐ中、まるで剣舞を舞うように剣を振り回して、しなやかな肉体はネコ科の猛獣のようで、戦場なのを忘れてしまうくらい華やかで美しくて目を奪われてしまった。すぐに姿を見失ったが…
あれ以来ずっと目に焼きついていた。
父に疎まれていたファラミアが私によく懐き、竜の騎士の話といつも星の鷲の話もとせがまれるので話していた。
「父上には内緒だぞ?」
それが長い時を隔ててその御姿を再び見た時、あの頃と変わらないお姿でヌーメノールの血を継ぐ正統な王の後継者が、今この地に帰還されたのだと、身体の中で美しい鐘が鳴り響いたような興奮を感じた。
協議
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極秘裏な事なのでファラミアと執務官、侍従長と私の四人で協議したが、案の定意見は割れた。
執務官と侍従長はこの国で一番の高級男娼の手配を進めることを提案したが、わたしとファラミアはこれを反対した。
「恐れ多くも王の御指南役とあっては、その道の男娼とあってもかなりの身分が要するが王に見合った者がいるだろうか?少なくとも爵位以上が必要であろう」
「まだまだ内部統制が落ち着かない時期にどこの出自かわからぬ者を王の褥に招くのはいかがなものでしょうか?」
ファラミアの言葉に最後全員が頷いた。
確かにまだまだ王の復位を素直に喜べない者も少なくなく、不満分子も後をたたない。
もし男娼と称した刺客が城内の、しかも王の寝室に入り込むとなっては…それはいささか危険すぎた。
これは己の欲望だけではなく国土の繁栄を願えばこそといざ覚悟を決めて、
「僭越ながらこのイムラヒルが・・・」
と言いかけたところ、ファラミアがすぐさま私の言葉を遮った。
「わたくしこのファラミアが承ります。」
「はあ!?なぜお前が??」
「若造のお前に王の快楽を引きだし喜ばせることができるものか!!」
「叔父上こそお歳をお考えください」
「なんだと!!??」
「これでも年端もいかぬうちから兄上に連れられて売春宿に付き合っておりますので・・・」
「知っておるわい、この不良兄弟が!」
父の前では二人ともしおらしく良家の息子風の仮面を被っていたが、あの若さと美貌と血筋の良さを全て持ち合わせた兄弟を放っておく乙女は当時ミナス・ティリスにはいなかったであろう。時折いきすぎる兄弟達の火遊びの噂は自分の耳にも届いていた。父は勿論あの通りなのでどうのような手であの父の目を盗んでいたことやら…
こいつらの本性を全て知っているわたしにとっては、中々抜け目のない兄弟達なのだ。
「ファラミア、わしもまだまだ現役だぞ?」
わたしは鼻息荒くファラミアに食ってかかった。
「お言葉ですが、叔父上が御指南となると、いささか時代遅れの性技を王にお伝えしてすることになりませんか?」
「なに?」
「もし王がご接待するお相手になる方がお若い方でしたらいかがなものでしょう?古めかしい性技を披露されたらご接待のお相手も萎えてしまわれるのでは?」
そこまで言うか?と言葉に詰まっていると
「つきましては王の御指南役は、この執政ファラミアが承ります。王の御玉体を開くことは何人たりとも許しません。この件は例え叔父上とて絶対にお譲りいたしません。」
冗談なのか本気なのわからない口撃戦。
その時、冗談混じりに言い切った声色と戯けた笑みとは裏腹に、瞳の奥の光に剣を交えても譲らないという冷たい殺意が見え隠れしているファラミアにわたしは驚きを隠せなかった。
薄々気づいてはいたのだが、
おそらくファラミアは…
あのお方に本気で焦がれているのだろう…
あの頃のわたしのような激しい想いを
思慮
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「国王は人間としての愛も知るべきです」
寛大なる奥方がお許しになったこの今、あのお方と繋がることができるのは、この機会を逃せばもはや永遠に遂げることはなかろう。
私とて初恋のあのお方と結ばれるのならば、後10年、いやせめて5年若ければファラミアと剣で刺し違えてでもあのお方を奪い合ったであろう。
しかし年老いて思慮深くなってしまった私は早くもその先が見えてしまうのだ。
例えあのお方の御身体を賜われたとしてもお心までもは手に入れる事ができないということを・・・
時期が終われば元の国王と臣下に戻るのだ。お前ほどの者であればその先の、胸を掻きむしるような苦しみや虚しさが待ち構えている事を予測できないことはないはずなのに。
しばらく睨み合ったが、私は船を降りた。
私は私自身との距離を置く術をすでに身につけてしまっている。お側であの方がこの世界で過ごす時間の一部を共有できればそれで良いと今は穏やかな海のような気持ちで心から思えるのだ。
露台へ行くと季節の樹々を眺めながら王は手すりにもたれてパイプを燻らせていた。
気配の察知が早いあの方はすぐに振り向いて、「やるか?」とパイプを差し出して首を傾ける。
いつもは「いや、結構」と断るのだが、今日は差し出されたパイプを受け取り吸い口から大きく煙を肺に入れた。しばらくするとジワジワとパイプ草の効能であるクラクラとする感覚が脳内に回り始めた。
「ファラミアになりました」
「そのようだな」
「孫ほど違うあの者と果たして上手くいきますでしょうか?」
「…さあな」
空にぷかぷかと暢気に浮かぶ雲と空に混じる煙をお互い露台から眺め、爽やかな風が通り過ぎた瞬間いつものあの芳しい匂いが立ち込めてきた。
この匂いを存分に嗅いで腕に収めながら、甥のファラミアはあなたを掻き抱くのかとつい想像してしまい、嫉妬心にかられてしまう。
決して女のように華奢な身体つきではなく、長い足に適度に肉付きのよい引き締まった筋肉と適度な肩幅がある男性らしい身体つきだ。それにしては細い腰にそっと手を添えて引き寄せようとした。
「?!何を?!!」
ビクリとして半分笑いながら、「何事か?」とあの方は非常に驚いてこちらを振り向いた。薄水灰色の瞳が氷の結晶のように困惑して揺らいでいる。
だから思いっきり芝居がかった咳払いを何度かして、戯けたように今からイムラヒルの精一杯の告白をすることをお許しくだされ。
「毛も生えておらぬようなあんな若造よりも陛下、限りなく歳の近い、例えばこのイムラヒルが相手の方がよろしいのでは?」
わざとらしい低めの声で囁くと、あのお方は案の定一気に吹き出した。
予想通りの反応で本気でがっくりするのだが少し安心もする反応でもあった。よほどおかしかったのかずっと笑っているお姿を眺めながら、大きくため息をつきパイプをもうひと吸いした。
ここが退き際だと心得ている。なのにひとしきり笑い終えたあのお方はこんな事を言い出したのだ。
「ファラミアが孫ならあなたは息子同然ではないか?」
「なんと?」
「あの稽古場で体格の割には小さな剣を振り回していた幼な子が」
「覚えてらしたのですか?!!」
ふふふと笑って「ファラミアには言うなよ」と口止めをされた。
そしてパイプを奪い返されゆっくりと煙を吸うと、こちらを見ながら吐き出す姿が実に艶かしく…
こういうところが貴方を忘れられずにいる原因なのですよ。やはり今からでも遅くはない、もう一度ファラミアに掛け合って話合いをせねば、
熟練には熟練の味わい深いものがあるはず…
細腰に添えた手に力をもう一度込めた時、直近にあるはずのあのお方のお顔が不意に視界が白い物で遮られた。
小難しい事が沢山書いてある私が大嫌いな羊用紙だった。思わず仰反る。
「陛下ご署名を」
私と陛下の顔の間にわざわざそれを突きつけてきたのはファラミアだった。
そしてペンをグイッと差し出されたので言われるがままに署名した陛下は、ファラミアに返却した。
「なんの書面だ?急ぎか?」
「同意書です。今回の件の」
わたしも陛下も戦場生活が長く実践向きで、小難しいことはめんどくさい質だ。おそらくなにも見ずに署名をされたのであろう。陛下と一緒に書面を覗き込む。
『…指南役としてイシリエン大公ファラミアを任命する アラゴルン二世』
署名されているではないか!!
「細かい日程や詳細は侍従長からお話がありますので、どうぞ中へ。温かい南国の茶をご用意しております。」
「分かった」
ファラミアはあのいつもの笑みを絶やさず穏やかな口調で陛下を促した。
先程まで確かにあの腰に添えられていた我が手はいつの間にか空を抱き、背中を向き歩き出した二人を私は呆然と見つめていた。
ファラミアが何かを伺うような素振りをしてあのお方の腰をぐいと引き寄せた。まるでわたしの手を上書きをするように…
あのお方は驚きもせず、ごく自然に距離を縮め近すぎるくらいの近さで何かを話している。
近い、近い、近い、本当に近い。
あのお方はもしかしたらご自分で理解している以上に…
私にだけ気づくよう、振り向いたファラミアが思いっきり舌を出してきよって、ますます憤怒した。
おおかたまだ陛下の前では仮面をかぶっているのであろう。
全くあの父にしてその子ありだ。
今日のことは絶対に、絶対にファラミアには一生教えてやらんと心に誓った。
続く